テーブル

海野藻屑太郎

テーブル

 お酒ではなく空間に人は酔うのだと、むかし誰かが言っていた。

 都内の安居酒屋で、友人らと呑んでいた。客層はやっぱり学生が多いけれど、かと思えば団体の外国人達もいたりして、その和洋折衷な喧騒に耳を澄ませていると、「ぼくたち」と「他人」の境界が曖昧になっていくみたいで気持ちがよかった。

「拓はどう思う」

 突然名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に座る瑠璃川が目尻の下がった赤い顔でぼくを見ていた。いかにも「しばらく喋ってないやつに気を遣った」という形だけのもので、本当にぼくの意見を聞きたいわけではないことはすぐにわかった。こういうときは、内容よりもテンポが大事だ。

「いや、ひどいと思う」

「ほらあ、拓が言うほどだぞ、相当だぜ」

「それはどうなの、拓がひでえやつみたいじゃん」

 賑やかな笑い声が起こった。ぼくも一緒になって息を吐きだしてみると、不思議なほど自然に笑うことができる。

 正直言うと、話なんて聞いちゃいなかった。けれど、ずっと話していたのは最近フラれたらしい進藤だったし、多分その愚痴か何かだったんだろうと思って返事をしただけだった。だからやっぱり、内容なんてどうでもいいのだ。話の流れさえ途切れさせなければ、それで許される。「ぼく」を「ぼくたち」にしてくれる。

 再び進藤が話し始めて、みんなの視線もそちらを向いたので、ぼくはハイボールを一口呑んだ。


 帰り道は、いつも淋しい。ふわふわとする体とは裏腹に、何となく頭だけはさっと冷めていくような感覚があるのだ。二人なり三人なりで横並びに歩く「ぼくたち」だったはずの背中を眺めて駅までの道を歩きながら、ぼんやりと思う。

 店を出る順番が遅かった進藤が、たまたま隣を歩いていた。進藤も、酒に酔っていたのではないんだろう。むっつりと黙りこんで、ぼくと同じように誰かの背中を見つめている。明るい茶色の髪がつやつやと光っているのに、その瞳はどこか渇いていた。

 多分、何か気の利いたことを話すべきだったんだろう。でもそれがどんな言葉なのか、考えてもよくわからず、ぼくはそうそうに諦めた。進藤も進藤で、そうそうにぼくが話し始める可能性を諦めて、目の前を歩いていた瑠璃川たちのところへ小走りで並びにいった。

 秋はあっという間に走りさって、街はすっかり冷えている。横から吹きつけてきたビル風に少しだけ首をすくめて、駅までの道を歩く。

 振り返った瑠璃川が何か言おうとした。でも、やめた。進藤の笑い声が聞こえる。それは夜の街の喧騒に溶けていく。ぼくの吐き出した息ははっきりと白く、風に流されて消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テーブル 海野藻屑太郎 @suzukirin_taro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る