第9話 ……ごめんなさい、リョウ

 足に絡みついた水が、僕を広間の中央、ルクレツィアの足元に引きずってゆく。

「あなたは……魔女の協力者ですね。そしておそらくは、異世界の住人」


 ルクレツィアは空の水瓶みずがめを片手に、憐れむような目で僕を見下ろす。

 僕の足を縛り付けている水は、あのかめで運ばれてきたものなのだろう。

 たかだか1リットル程度の水だけれど、人ひとり絞め殺すくらいは造作もなさそうな力を感じる。


「あと3秒。2、1、0。今、完全にあなたの世界とこの世界とをつなぐゲートが消滅したことを確認いたしました。残念ながら、あなたはもう、元の世界に戻ることはできません。おそらくは」

 ルクレツィアの言葉が、僕にはよく理解できなかった。


 失敗……?

 目標の魔石だと思われていたものが、すり替えられていて、時間切れ?

 もう、元の世界には戻ることができない?


「哀れな異世界の人。あなたは、そこの銀月ぎんげつの魔女にたぶらかされたのです。おそらくは、こう吹き込まれたのではないですか? 『世界を支配する魔王ルクレツィアに魔力を奪われた』などと」


「……どういうことだ?」

 僕は、床にいつくばったまま、ルクレツィアを見上げながら聞いた。


「よろしい。説明してさしあげましょう。確かにわたくしはこの世界の王ではありますが、その地位は武力で奪ったものではなく、正当に継承されたもの。そもそも、この世界には数百年の間、戦争すら起こっていません」


 ルクレツィアは悠然と語り始めた。

 エレナは、がっくりと肩を落としたまま、黙っている。

「あなたも奇妙に感じたのではないですか? 魔王の城にしては、緊張感のない兵士たち。特に厳しくもない警備体制。仕方ありません。彼らは戦争などしたこともなく、どころか泥棒を捕まえたことすらないのですから。おそらくは」


 たしかに、振り返ってよく考えればおかしい部分はたくさんあった。

 だけど、ということは、つまり。

「そう、侵略者は、むしろ彼女のほうなのです。そもそもプレインズウォーカーとは、他の生き物たちが住む世界に侵入し、支配し、魔力を供給させ力を増大させていくもの。彼女にとってはそれが当然の生き方なのかもしれません……おそらくは」


 ルクレツィアが続ける。

「彼女はこの世界の至宝、莫大な魔力を蓄積した『縮魔しゅくまの石』を狙って侵入してきたのです。もとより強大な魔力をもつプレインズウォーカーに抗う術もない我らは、彼女に降伏し、石をささげました。そうして彼女は、石に触れた。その石が、認められた『王』以外が触れると、触れたものの魔力を残らず吸いつくす吸魔の呪いを秘めた魔石だとも知らずに」


「本当なのか? エレナ……」

 僕の問いに、エレナは力なく答えた。

「……ごめんなさい、リョウ」


「さて、異世界の人。さきほどわたくしは『二度と元の世界に戻れない』と言いましたが、ひとつだけ、あなたが元の世界に戻る方法があります。それがこちらです」


 ルクレツィアはそう言って、エレナのほうに何かを投げた。

 それは、小さなベルト……いや、犬の首輪に似たアクセサリーだった。

 魔法なんてまったく使えない僕から見ても、明らかに禍々しいものを放っている。


「それは『服従の首輪』。その首輪を自ら身に着けた者は、術者の思いのままに操られるのです。魔女よ、その首輪を着けなさい。そうすれば、あなたに魔力を返し、この少年を元の世界に戻させてさしあげましょう」

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