第2話 深いわけがあるのでしゅ

「は? 世界を? 3分で?」

 唖然あぜんとして聞き返すと、エレナは僕の言葉をさえぎるように、目の前に人差し指を立て、若干早口で言う。


「わかります。たしかに3分という時間、世界を救うにはあまりにも短すぎます。しかしここには深いわけがあるのでしゅ」

 早口で言ったせいか少しみ気味のセリフになった。

 エレナは気にせず言葉を続ける。


「私が元いた世界は、それはもう恐ろしい魔王、水の魔術師ルクレツィアが支配しており、私はその魔王と戦っていたのですが、魔王の卑劣な奸計にかかり、魔力を根こそぎ奪われてしまったのです。完全に魔力を失う直前、私はとっさに異世界との扉を開きました」

「それで、ここに偶然つながったと」

 僕が言うと、エレナはうなずいた。


「そうです。狙った世界につながったのは幸運でした。しかし、魔力が失われていく中で扉を開いたため、扉自体が非常に不安定なものになってしまったのです。計算してみたところ、この世界の時間でいう3分間しか扉はもたないのです。すでに私の魔力は完全にゼロ。再び扉を設置するどころか、他の簡単な魔法ですら扱うことはできなくなってしまいました」


「えっ、えっ、でも3分でしょ? もうすでにヤバくない?」

 狼狽する僕を、エレナがたしなめる。

「落ち着いてください」

「落ち着いていいの!?」

「はい。3分というのはあくまで、向こう側の世界での活動可能時間です。こちらの世界では2日間は活動できます」


 エレナはなぜか少し自慢げに、小さな胸を反らせて言う。

「ですから、こちらの世界で計画と準備を整え、向こうの世界では一気に行動する必要があるのです」

 言うが早いか、エレナはぐいっと僕の手を引いて、机の上の魔法陣に僕を引きずり込んだ。


 不思議な光芒が視界を包む。

 次の瞬間、僕は石造りの小部屋の中にいた。

 部屋の中には、いくつかの豪華な宝箱があり、それらを守るように立つ牛頭の鬼のような怪物がいる。

「あっ……」

 牛頭の怪物と僕の目が合った。


「うわああああああ!」

「ああああああああ!」

 僕と牛頭の怪物、二人の悲鳴が宝物庫らしき部屋に響く。先に声をあげたのは僕だったか、牛頭だったか、微妙なところだ。

 叫ぶ僕の手を取って、エレナが再び魔法陣に潜り込んだ。


 一瞬の光の波。そして現世へ。

「あああああ!」

「うるさいですよ、落ち着いてください」

 取り乱す僕をエレナがたしなめる。


「だって! 怪物が! でっかい!」

 僕は混乱しながらも精一杯の抗議を試みた。


「見ていただいた通り、私の世界はあのような恐ろしい魔物に占拠されているのです。世界を取り戻すには、あなたの力が必要なんです。助けて……くれますよね?」

 うるんだ瞳で、上目づかいに僕を見つめるエレナ。


 しかしあんな化け物を前にして、僕に任せろなんて軽々しく言えるわけがなかった。

「あんなのとは戦えない! 僕はただの高校生だし、運動だって得意なわけじゃないんだ。申し訳ないけれど、力にはなれそうもないよ!」


「はぁん!? いまさら何を言ってくれちゃってるんですか!」

 突然、エレナが怒り出す。

 逆ギレだ。これは完全な逆ギレだ。


「さっきのでもう3秒も使っちゃったんですよ~? 世界を救うためのぉ、貴重な3分間のうちぃ、3秒も!!! どうしてくれるんですか? ねえ~」

 まるで悪徳金融業者のような絡み方だ。タチが悪い。


「うう……どうしろっていうんだよ……」

 僕が弱腰になったのを見て、エレナは満面の笑みを浮かべて言う。

「まずは、あのミノタウロスを排除します!」


「いやいや、無理だって! あんなでかい奴と戦えないよ! エレナだって、あの移動するの以外は、魔法が使えないんだろ?」

 僕が反論すると、エレナは知らぬ顔で僕の部屋の棚を漁りはじめた。


「必ずしも正面から戦う必要はありません。ああ見えてあのミノタウロスは臆病者です。何か強力な武器を見せつけて威嚇すれば……ありました。これとかどうでしょう?」


 そう言ってエレナが手に持ったのは、花粉症用立体マスクと、部屋に煙を充満させるタイプの室内用害虫対策グッズだった。


「虫じゃないんだから、そんなの効かないだろ……」

 僕が言うと、エレナはいたずらっぽく笑った。

「まあ見ていてください! ほら、リョウもマスクをつけて」


「えっえっ、マジでいくの? またあそこに?」

「はい。一度つないでしまったら、向こうの世界で魔法陣を移動させない限り、あそこにしか行けませんから」

 言いながら、エレナは無理やり僕にマスクをつけさせ、腕を引っ張って魔法陣へと引きずり込んだ。


「はっはっは! 魔法少女エレナ、再び参上ですよ!」

 エレナはそう名乗りながら、ミノタウロスの前に立ちはだかる。

 しかし、マスクをつけ、右手には煙を吹く殺虫剤を持ったその姿は、魔法少女というより強盗といったほうが似つかわしいかもしれなかった。


「うっ、うおお! 出たな魔女め! ここにはお前の求める宝はないぞ! 何をしに来やがった!」

 ミノタウロスはそう応じたが、よく見ると腰が退けている。たしかにこのミノタウロス、かなりの臆病者らしい。


「ふっ……天才魔術師の緻密ちみつな計画は、きさまなどの考えの及ぶところではないのだ。それよりさっさと逃げたほうがいいんじゃないか? この私が右手に持った毒ガスはな、獣人のたぐいが吸い込むと、たちまち体の穴という穴から血を吹き出して、三日三晩地獄の苦しみを味わったのち死に至る猛毒なんだぞ!」


「な、なんだと……」

 エレナの言っていることはでたらめもいいところだけれど、おそらくミノタウロスは殺虫剤を見たことがないのだろう。明らかに恐怖が顔と声に出ている。


「愚かな……まだ退かぬか。ならばこれを食らえっ!」

 エレナはダメ押しとばかりに、僕の部屋から持ってきたスプレー式殺虫剤を、ミノタウロスの顔に向けて吹き付ける。


「うっ、うわああああああ!」

 悲鳴をあげて逃げ出すミノタウロス。

「毒ガスだ! みんな逃げろ! 毒ガスだぁっ!」

 都合のいいことに、ミノタウロスは味方への警告を叫びながら、城内を走っていく。


「よし、今のうちに宝をあさりますよ!」

 エレナが強盗そのものなことを言い出す。

「なんでもいいので金目のものを持てるだけ持ってください!」

「お、おう」

 言われるがままに、宝箱の中から宝飾品らしきものを取り出す僕。

 一方、エレナは何かを探しているようだった。


「あった! ありました! それじゃあ逃げますよ、リョウ!」

 エレナが何かをふところにしまい込みながら、杖で僕らが出てきた魔法陣を叩く。

 すると、たちまち魔法陣が小さな宝石に変わった。

 その宝石を握ると、エレナは僕の手を握り、走り出す。

 エレナに手を引かれながら、僕は異世界のお城の中を息を切らせて走った。

 胸が高鳴るのは、走ったせいだろうか。それとも、異世界訪問という、破格の冒険によるものだろうか。

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