1966年 7月4日

ウルトラ・ライト・ビーム 1

 そこは映画とか劇画とかで見るようなそれを想定すると、やや拍子抜けするような空間だった。ヤクザの事務所というよりかは犯罪者の隠れ家といった赴きの、新宿三丁目の外れに位置するアパートの一室に御厨みくりやひらくは戻った。殺風景な扉のドアノブをひねる。

 その背後に、イム重根ジュングンが追従する。ただのコンクリートの床に畳を敷き詰めた狭苦しい部屋はせいぜい活動家のアジトさながらの様相で、ジュングンは若干辟易とした。


 『アジト』には一人先客の男がいて、開は彼にぺこりと頭を下げる。ジュングンはそれを淡々と見つめていた。開が頭を上げるのと同時に、その男に目線を向ける。黒目がちなその男の表情はどこか虚ろで、ぼんやりとした印象を受ける。

「……はやし重雄しげおです」

 彼の名前を名乗ったのは開だった。ジュングンはばつの悪さを感じ、開に倣って頭を下げる。

「ん? お前……」

丹内たんないさんのもので従事させて頂きたく、参りました」

 自分でもわかるほどぎこちない。「僕をヤクザにさせてください」という言い回しがこれで適切なのかも分からない。とにかくジュングンは顔も知らないその男に対し、持てる限り最大限のリスペクトと畏敬を抱いた。

「あの……さっき出会ったんですけど……こいつ、ヤクザになりたいみたいで」

 力なく開は付け加える。

 丹内は壁によりかかって胡座をかいていた。その風貌に極道者としての威厳はまるでなく、独房の囚人みたいだとジュングンは思う。

 丹内は腰をゆっくりと動かし、彼に向き直った。その瞳をじっと見つめる。

「お前、マンガ好きか?」

 三十代程度と思わしき容貌だが、口調はそれよりも年増に思える。

「……いえ。特に」

 ジュングンは眉をひそめた。どういうこと?

「ふーん。『ウルトラQ』って知ってる?」

「子ども番組でしょう」

「俺、円谷英二と会ったことあんだよぉ」

「そう、なんですか」

 つまるところなにが言いたいのだろうか。

 ジュングンは彼の意図を測りかねたまま、淡々と返事を重ねる。

「林だっけ」

「はい」

 丹内はいちいち間を置いて話す。ジュングンはそれに表立って苛立ったりはしなかったが、当然自分の中の漠然とした『ヤクザ』のイメージとの乖離を感じた。この男からは暴力性も、人情味も……すなわち、極道者の像を構成するそれらの要素は微塵も感じ取れなかった。

 ジュングンは丹内の言葉を待ちながら、隣にいる開を一瞥する。彼は直立したままなにも言わないし動きもしない。

 丹内は言った。

「お前、ヤクザになりたいの?」

「はい」

「行くとこないのか」

「はい」

 丹内はじっと林の目を見つめ、にやりと口角を上げた。

「俺んとこ住むか。こいつと同じ部屋で良ければな」

 彼に指をさされた開は露骨に動揺してみせた。肩を小さく震わせる。

「えっ。あの部屋に、さらに増えるんですか……」

「あー、何だお前。ついさっきあんなヘマやらかしといて随分偉い身分だなぁ。おい。普通の組だったらとっくにエンコだぞ、分かってんのか?」

「あ、いえ。めっそうもありません」

 丹内の声に凄みはないが、開は深々と頭を下げた。その光景を前に、ジュングンはなるほどと思う。いちおう、ヤクザっぽいところもあるみたいだ。

 そうだ、と丹内は手を叩く。

「どうやって逃げてきたんだ? 高田たかだの連中から」

 御厨は言葉に詰まる。この林という少年が助けてくれたのだ、とは言えまい。まして、自分の身体を金属に変えて――

 言い淀む彼を尻目に、すかさずジュングンは一歩歩み寄る。

「御厨さんに因縁をつけたチンピラなら、僕が」

 何言ってんだ、バカ! 開はそう口を動かしたが、うまく音となって発せられなかった。割れた唇からは奇妙な呻きが漏れただけだ。

「おっ」

 丹内はあたかも新しい玩具を買い与えられた子どものような顔つきになった。

「本当か?」

「はい」

 再び、ジュングンのその目をじっと観察する。

「御厨」

「はい!」

「お前、ちょっと外せ。部屋戻ってろ」

 丹内は蠅を払うように手を動かす。開は深々と頭を下げ、すかさずキビキビと踵を返していった。

「お前……林か。林、喧嘩強いのか?」

「……はい」

 丹内は歯を見せて笑った。立ち上がり、ジュングンの元へとゆっくりと歩み寄る。

 そして、脈を測るかのように彼の腕にそっと指を這わせる。

「こんな細い腕で?」

 この手を振り払うべきか、ジュングンは思案した。僕はヤクザにならなくてはいけない。されど、ただ下っ端として上の者に服従するなんてのはありえない。僕はあくまで、この道を必要がある。それが僕の生きる意味だ。

 つまるところ、ここで舐められては駄目だ。


 ちょうど今、彼の指は自分の腕に触れている。

 ジュングンは意を決し、息を止めた。丹内が短く息を漏らす。ジュングンの右腕と、それに触れる丹内の右手がひとりでに金属と化す。

「おお……」

 彼のその声は、驚愕というよりも感嘆だった。そして、言った。

「お前もかぁ」

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