ブレイキング・アウェイ 3

 破裂音が聞こえた。遊剛は突発的に銃撃を連想し、音の鳴った方へ鋭く視線を向ける。その正体はそれよりもっと非現実的で、冗談みたいなものだった。


 塀に立てかけられた、火村が自身の超能力によって『折り畳んだ』自動車。それの存在自体も突飛なのだが、さらにそれがひとりでに弾け飛び、破片がアスファルトを砕いたものだから、彼は意識が朦朧としかけた。

「……あれも、ヒムラーの能力なんですか」

「違う」、食い気味に火村は答える。焦燥感に満ちた短い息を吐く。

「俺はあんなことできない」

 ここでふと、火村は小さく呻き声を漏らした。顔に鈍い痛みを感じたが、それが今の事態と関連するのかも分からない。単なる虫刺されのような、それ。

「間違いない。勘づかれてる」

「何に?」

「俺たちを狙う、俺たちの『事件』を盗んだ奴らだ」

 遊剛は曖昧に相槌を打った。思えば、甚だ疑問だった。彼も、シュリも、蟻坂アキラという男も、超能力……現実離れした力を持ってる。それをうまく使えば、現金強奪なんて物理的な手段に出なくとも、大金を稼ぐなんて容易いんじゃないか。どうしてわざわざ、現金輸送車を直接狙うような手段に出る必要があるのだろうか。

 そしてそれを、『犯行そのものを盗もうと』している者がいる。

 誰が、何のために?

 火村は何やら切羽詰まっているようだったから、遊剛はその問いを彼に投げかけることはままならなかった。


 背中合わせになり、火村と遊剛は道路をゆっくりとにじり歩く。運動会の競技みたいな様相で歩道を恐る恐る進む男二人を見て、すれちがった数人の通行人はちらりと怪訝な視線を飛ばした。

 最初の自動車の爆発以降、これといった異変は起こっていない。さっきのあれ、なんだったんだ。遊剛は火村に声を掛けようとした。

 つかの間、火村は悲鳴を上げた。体裁のまるで整っていない、無意識に発せられたような音だった。

「どうしたんですか?」

 火村は振り向いた。遊剛は彼の顔に、ネジのような金属片がめり込んでいるのを見た。

「アルマジロ」

 火村は言った。

「え?」

「こっからまっすぐ行けば見つかる。お前だけでも先に向かえ」

 『アルマジロ』。それは火村が言っていた目的地だった。

「そういう名前のジャズ喫茶がある。なんとしてでも、お前はそこにたどり着け」

 死にたくないならな、と火村は口を動かした。されど、その言葉は遊剛には伝わらなかった。「行け!」と怒鳴られ、遊剛はしどろもどろする。火村の頬のネジの刺さった部分から赤黒い血が垂れるのが見えた。

「早く! 俺も後から行くから。あと、腕。早いうちに診てもらえよ。取り返しつかなくなるから」

「え、ヒムラーは……」

「察しろバカ!」

 火村は舌打ちとともに前方を強く指さした。ことの顛末を理解できないまま、遊剛は彼を追い越して走り出した。



 遊剛が先へ向かったのを確認したのち、火村は後方に向き直った。顔面に強い痛みを感じる。顔にめり込んでいるネジは、あたかも体内で生成されたかのように突然皮膚を突き破って出現した。そういう類いの超能力、それによって襲撃を受けているのだと推論する。ネジに手を触れた。爪の先でかすかに触っただけなのに、尋常ではない痛みを感じた。慌てて指を離そうとするが、右手の人差し指と頬に突き出たネジが接着されたように離れない。痛みが頬から指先に伝染した。

 唇の半分が動かない。付近にあったカーブミラーを見上げ、自身の姿を見る。火村は言葉を失った。

 突き刺さったネジを起点とするように、顔面の右半分が錆ついたような……金属と化していた。それに触れていた右手も同じように鉄錆が侵食している。そうこうしているうちに右手が全く動かなくなった。頬を人差し指で触れる形のまま、蝋で固められたかのように、がっちりと固定されている。金属の侵食は今も進行しているようだった。

 火村は正気を失わない。

 自由の効く左手で生身のままの首筋に触れ、次に鉄錆と化した頬に触れる。一瞬のうちに皮膚は元通りになる。

 彼は立ち止まった。道路の中央に仁王立ちになる。そして、口を開く。

「おい、誰だか知らないけど……お前の能力は俺には効かないぞ」少なくとも、この距離では。何か、物質の状態を変化させる系統の能力であれば、無効化することができる。火村は高を括った。

 唐突に声を張り上げた火村に、近くを歩いていた背広を着た男がさりげなく怪訝な視線を向けた。されど、彼は動じない。

 しばらく動きはなかった。火村はそこに立ち続ける。身体にもそれ以上異変は生じない。

 背後で金属音が聞こえた。彼はそれと同時に振り返る。先程すれ違った通行人の男。その顔が目の前にあった。表情は気を失ったように虚ろで、眉間にボルトが打ち込まれたように突き刺さり、その周囲には鉄錆が広がっている。


 男は腕を突き出した。その手の甲にはどういうわけか、錆びた刃が伸びていた。皮膚と一体化したそれの先端で、火村の下腹部を狙った。

 火村はとっさに背後へ飛び、男の攻撃をいなす。シャツの縫い目に刃が引っかかり、ボタンが弾け飛んだ。ボコボコと湯が沸騰するような音が聞こえた。それと同時に、男の身体の鉄錆が全身へと広がっていく。

 この男は攻撃者本人ではない、火村は推論する。さっき俺が受けた攻撃、突然に顔から生じたネジと、この男の眉間に打ち込まれたボルト。

 恐らく、遠隔的に金属片を寄生させる。そういう仕組みの能力だ。を食らうと、時間経過で全身が鉄錆に侵されていく。そしてどこかに隠れて自分を狙っているやつは、金属を寄生させた対象をある程度意のままに操ることができる。

 男の顔面はすでに鉄錆で覆われてしまって、表情の変化などは読み取れなかった。皮膚と一体化した鉄錆まみれの背広、その胸のあたりが隆起した。なにかが決壊するような音と共に背広を突き破って表れた突起、それの先端は火村に向いていた。拳銃の銃口に見える。


 火村は素早く瞬きした。男の体内から生成された拳銃のようなもの。それは実際に発砲することは可能なのだろうか。

 こんなときに限って、この路地を誰も通りがからない。火村は両手を挙げた。

「……分かった。お前には勝てない」

 できるだけ大きな声で言った。この男と意思疎通することは不可能だろうから、近くに襲撃者本人がいることを願った。反応はなかったが、その銃が発砲されることもない。

 古びた鉄像の様相と化した背広の男と火村の睨み合いが続く。彼はここで車でも通りかかって、こいつを跳ね飛ばしてくれることを期待した。されど、そこまで運には味方されないようだった。冷や汗を拭うこともままならず、目がしみた。

「俺の知ってることなら全部話すよ。……だから、攻撃を中断してくれないか。えっと」

 今自分を襲撃している人間の正体について、確証は持てないが憶測することはできた。『金属を操る』といえば、ヤクザの成り上がりの……有名人だ。


「い、イム重根ジュングンだろ? なんであんたが、俺たちの金を……」

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