CHAPTER② 汚れなき死闘

1968年 12月10日

愛、革命、閃光

一度でも 我に頭を下げさせし

人みな死ねと いのりてしこと


 ──石川啄木『一握の砂』


 雨が降っていた。


 ハンドルを握る手の震えが止まらない。雨と汗でずっしりと湿ったグローブが重く、冷たい。

 発作にも近い緊張感、バイクに乗ったまま、国分寺の街道に吐瀉物をぶちまけてしまいそうなほどの。

 それが全身を縛る。いっそこのままタイヤがスリップして、脊髄を砕いて死ねれば……そんなことさえ思った。朱里しゅりの作ったこのもろとも、消し飛んでしまえれば。


 ラジオのノイズじみた雑音がエンジン音と混ざって聞こえる。バイクに掛けていた布のカバーだ。それを今、後ろに引きずって走っている。ざざざざ、ざざざざざ──

 不運にも。

 この時に限って、カバーの端がバイクの部品に引っかかって外れなくなった。いくら引っ張っても取れなかった。パニックになりながら、マッチの火で布を焦そうともした。そんな時間なんてなかった。天罰? まさか。信仰なんて捨てたよ。ロザリオも、木橋きはしのやつにあげてしまったよ。


 だから蟻坂ありさかアキラは、布を引きずったままの白バイにまたがった。

 

 府中ふちゅう刑務所通りに入った。後戻りはできないことを改めて知る。このまま目的の現金輸送車を見つけられなかったら? 何も持たずに彼らの元に帰って行ったら?

 朱里も木橋もそれを咎めたりしないだろう。笑って許して、俺のことを褒めたたえてくれさえするだろう。

 でも、そうしたら、もう、明日はない。


 泥だらけの車輪が回る。全身から滲み出る汗と雨で冷える身体が震える。蟻坂アキラは前を見る。


 黒いセドリックの背後が見えた。ナンバープレート睨む。何度も暗記した、あの番号。

 あの現金輸送車だった。


 後方に走る白バイを発見したのか、セドリックはスピードを落とした。それに回り込むように、バイクを走らせる。セドリックの目の前に停車し、降りる。足がおぼつかない。アスファルトを踏みにじるように、前へ。


 車の窓が開けられる。そこから一人の男が顔を乗り出した。

「どうしたんだ」

 蟻坂アキラはすかさず答える。

「車に……ダイナマイトが! あー、過激派の仕掛けたダイナマイトが仕掛けられているとの……」

「え?」

 男は怪訝な目つきで彼を見下ろす。

 しまった、蟻坂アキラの視界から色彩が消えていく。何やってんだ、何やってんだ、何やってんだ……


「この車にダイナマイトが仕掛けられているとの通報がありました! 巣鴨の支店長宅も爆破されました!」

 蟻坂アキラは声を張りあげる。

 舞台上の役者は、シナリオを遂行しなくてはならない。何が起こっても、最後まで。

「車の下を調べます!」

 否が応に、蟻坂アキラはセドリックの下にしゃがみ込んだ。頬にアスファルトが当たる。生暖かい温度を感じる。鼓動が加速する。這いつくばったまま、ジャケットの内側に隠していた発煙筒を取り出し、それを握りしめる。目に映るのは車体下の土に汚れた機械構造だけだ。


 発煙筒に点火。

 深く息を。

 閃光。


「あった! ……ダイナマイトだ!!」


 蟻坂アキラが出せる、最大の声量だった。瞬時に立ちあがり、車窓に向かって叫ぶ。

「早く逃げて! ばっ、爆発するぞ!!」

 声は届いた。ドアが弾かれたように押し開けられ、中から四人の男たちが出てくる。頭に両手を当てて、逃げ去っていく。


 灰色の煙が曇天に登る。

 空いた運転席に、蟻坂アキラは飛び乗った。

 キーは刺さったままだ。それを回し、ハンドルを握る。


 バックミラーに、置き去りにしたオートバイと取り残された男たちの姿が映る。


 

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