インビジブル・ビジネス 5

 後藤ごとうは映画館の椅子に腰掛け、溜息を吐く。スクリーンに大写しにされているピンク映画も頭に入ってこない。


 生田目はうまくやっただろうか。

 ……あいつがよっぽどの阿呆じゃなければ、失敗する要因なんてないじゃないか。確かに金城和の能力は強力だが、単なる一般人にすぎない。特別な戦闘訓練を積んでいるわけでもないし、実践の経験もそうそうないだろう。能力の相性のいい生田目をぶつければ、実にたやすいだろう。

 もっとも、もし生田目が下手をこいたとしても、あくまであいつは捨て駒でしかない。そもそもこれは師匠いわく、裏切り者を始末するための手段を確立するための、デモンストレーションでしかないらしい。

 

 ぼーっとしているうちに上映が終わった。欠伸混じりに、席から立ち上がる。



「はい。僕も、後藤さんから……」

椅子に腰掛け、生田目なまためは語る。後藤に勧誘を受け、殺害を命じられたと。

「あたしたちと同じか。……やっぱり連中にはとっくに気づかれてたんだね」

山県やまがたは生田目を見下ろした。

「あんたが山県理真だったんだな……」

「運が悪かったね。たまたま今回、泊まらせてもらって……」

 こいつがいなければ、確実に殺せていた。それを後悔する気力すら、生田目にはなかった。

今まで黙っていた和は依然として無言のまま、生田目をまたぐように階段を上り、部屋に戻っていった。

山県もそれに続き、ふと振り返る。

「……あんたも」

「えっ?」

「いろいろ、話を聞かなきゃいけないから」

 おそるおそる、生田目は二人の後を追うように階段を上る。


 透明になっていた家具も、すべて元に戻っている。空き巣に入られたかのようにめちゃくちゃだ。そして、隅にあるのは猫の死体。

 和は壁を拳で殴った。

 直後、山県と生田目が部屋に入ってくる。

「和……」


 和は下駄箱を開け、中から土のついたスコップを取り出した。それを小脇に抱え、しゃがんでカズの身体を拾い上げる。

 椅子をずっと握りしめていたせいで、両手は真っ赤になっていた。それにまだ乾いていないカズの血が付着する。カズを抱き抱えて、玄関付近にいた生田目を押しのけつつ再び部屋から出る。

 階段を降り、庭へと降り立った。大家が植えたチューリップの咲いている花壇の傍の土に、スコップを刺す。

 五分くらい、ずっと穴を掘っていた。

 空いた穴に、そっとカズの身体を置く。

 優しく土をかぶせる。


 山県は部屋を出ていった和を追わなかった。散乱する食器や家具を片付けつつ、生田目に語る。

「逃げんなよ」

「……はい。わかってます」

 すべてが終わった、と思う。やっぱり駄目だった。僕にはなにもできなかった。これから僕はこの二人に殺されるのだろうか。もしそうでなくても、後藤は俺の失敗を許さないだろう。

「あのさ」

山県は振り返った。

「……はい」 

「最初はあたしと和も、互いに殺し合ったわけ。でも目的が一緒だと分かって、手を結んだ」

目的。【鉄風】のビートルズ暗殺計画の阻止。

「はい」

生田目には返事をすることしかできない。

「あんたは負けた。指令を失敗したんだ。そんな中ノコノコ帰っていったら、間違いなく殺されるよ」

生田目は頷いた。わかってる。そんなこと、当たり前だ。


 だからさ。山県は言った。

「あたしたちと手を組まない? 【鉄風】に反逆するの」

「……!」

「あたしだって和を殺しかけたんだよ。それでもあの子は許してくれて……あたしの話を信じてくれて……」

 生田目は血の味がする唾を飲み込んだ。山県は床に倒れた椅子を持ち上げ、あるべき場所へ戻す。椅子の角には血がついたままだ。

「和もあたしも、ビートルズ好きでさ。あんな連中のために殺されるなんて許せねーっつうか、せっかく特別な力を持ってるんだから、正しいことに使いたいっていうか」

山県は苦笑した。こんなときにも笑えるんだな、と自分でも思う。

「じゃ、じゃあ……!」

正直ビートルズに関心はない。もちろん曲はいくつか知っている。そのくらいだ。そもそも、音楽というもの事態よく知らない。とくに、外に出ていないから、こういう流行真っ只中のものは。


 和がスコップだけを持って戻ってきた。下駄箱にそれをしまい、靴を脱ぐ。

「あ、ありがと」

部屋が片付けられているのを見て、彼女はそっとつぶやく。

 山県は事の顛末を話そうとした。生田目を仲間に加えいれれば、より計画の成功は色濃くなるはずだ。


 和は生田目をきつく睨みつけた。生田目は狼狽え、その場でうつむく。

「あ、和。あのね」

いまにも彼につかみかかりそうな和を制止するように、山県は声を上げる。

「なんで殺したんですか」

生田目が口を開く前に、和は続ける。

「猫を殺してこいって、後藤に言われたんですか」

「あ、いや……そ」

「私を殺せって言われたんですよね。なんだか知らないけど」

「あ、はい、そう……」

 和は生田目の腕をつかんだ。付着していた血が、彼のシャツの袖をかすかに汚す。

「今だったら私は、あなたの皮膚を全部ひっぺがすこともできる。ここで死ぬまで転ばせ続けることだってできる」

生田目は生気を失っていた。そうされるならそうでもいいと思った。

「でもいいです。完全に白けました。……もう超能力とか、ビートルズとか、どうでもいいや」

生田目は何も言わない。

「はやく帰ってくれませんか? 二度と私の前に現れないでください。あなたの能力の仕組みはわかったから、もう二度と負けません」

和は手を離した。彼のシャツのつかまれていたところが、タバコの火元を押し付けたように焦げて穴が空いていた。


「ねぇねぇ、和……」

タイミングを見計らって、山県はそっと目配せする。

「こいつの透明の能力、結構使えるよ。……このままだったら後藤に殺されちゃうだろうし、利用してやろうよ」

「やだよ」

「……んー。そっか」

 だよね。

 よくよく考えたら無神経だった。人畜無害そうな顔して、猫を殺すような奴だもんね……こいつに、大切な家族を奪われちゃったんだもんね……


「……僕のこと、殺さないんですか」

「殺されたい?」

和はすかさず言う。

「……いいえ」

生田目は首を振った。

「じゃあさっさと帰って。虫酸が走る」

 その言葉を最後に、和はかぶりを振った。布巾を蛇口で濡らし、汚れた床を掃除しだす。


 無言のまま、生田目は部屋から出ていった。扉の閉まる音のあと、沈黙が生まれる。

「山県……」

ふと、和が口を開いた。目線は床に向かったままだ。

「なに?」

山県は少しだけほっとする。

「ありがとね。山県がいなかったら私、あいつに殺されてたよね」

どう言えばいいのだろう。それは確かにそうだと、山県自身もそう思っている。しかし……

「これからまた、こういう連中が私たちを殺しに来るのかなぁ」

「……だろうね」

気休めなど言えるわけがなく、正直に答えるしかなかった。政治結社の中でも、【鉄風】の執念と情報収集力は桁外れらしい。


「あーあ。取り返しのつかないことしちゃってんだなぁ……変な力持ってるからって調子乗ってた。馬鹿みたいだよね」

「……で、でも。これは、あたしたちにしかできないことだよ。今みたいに、二人で力を合わせれば、どんな奴だって倒せるよ!」


 はぁ。


 和は深く溜息を吐く。

 夜が明け、部屋に日光が差し込んできた。

「山県、悪いんだけどさ、私、これから仕事なんだ」

本当は午後からだった。まだ時間に余裕はある。

「あっ、そっか。じゃあ、部屋片付けておくよ」

「いいから。今日は帰って」

「……そっか。わかった」

 山県は自分の持ち物を手に取った。

 気持ちはよくわかる。それでも正直、和を一人にしておくのは不安だった。

 和はずっと、黙々と作業を続けている。


「じゃああたし、行くね」

「うん」

「あたしなんかで申し訳ないけれど、なんだって協力するよ。……だから、これからも、よろしくね」


 ……


 バタン。


 扉が閉められる。

 窓から差し込む朝の光は、まったく温かくなかった。

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