インビジブル・ビジネス 2

 生田目なまため上幸かみゆきは出されたステーキにナイフを向けつつ、後藤ごとうしゅんの話に耳を傾ける。なかなか切れない。洋食屋に来たのは初めてだった。

「逆だ。ナイフは右、フォークは左」

「あっ、そうか、すみません……」

おどおどしつつ、彼は食器を持ち替える。

「そんなこともわからないのか」

「初めてなんです。こんなちゃんとしたお店……」

後藤は小さく笑う。

「この仕事さえこなせれば、毎日行けるさ」

生田目はステーキを口に運びつつ、考える。突然現れたこの後藤という男。僕は彼を信用していいのだろうか? 怪しいビジネスや新興宗教の勧誘なのかもしれない。見ず知らずの自分の元をいきなり尋ねてきて、ここら辺の地域で一番の高級店へ連れていった。そして、『ある仕事』を紹介してきた。

「我々はお前の持つ特殊な『能力』のことについて知っている。そこでだ……」

 後藤は実に真剣な目付きで語りだした。ビートルズの来日公演の一日目。お前を含め、十人の超能力者を日本武道館に潜入させ……メンバーを暗殺する。


「万が一失敗しても、報酬は間違いなく支払われる。この作戦を実行したという事実そのものが重要なんだ。まぁ、できれば成功してほしいがな」

 生田目はうつむく。そんな馬鹿な。ビートルズを殺して何になるっていうんだ。というか、そんなこと無理に決まってるじゃないか。

「すみません……僕には、無理です」

後藤は笑った。

「まさか。君の能力ほど暗殺に向いているものなんてそうそうないぜ。君を見つけたときなんて思わず膝を打ったものな」

 この男は、なぜ僕の秘密の力について知っているのだろう。生まれたときから備わっていた。不気味がられるのが怖くて、誰にも言っていない。そして、その力を使って悪いことをしたり、金を稼いだり、気に食わない奴を痛めつけたりなんて一度もしたことなかった。いくらでもできるのに。それをするだけの度量が、僕にはなかった。

「それでも! すみません後藤さん、お断りします……荷が重いんです、そういうことは……」

 後藤は目の色を変えた。

「それは困る」

「えっ」

「お前は計画について今、知ってしまったよな?」

 本能的に危険を察知した。この男は、やはり選択権など与えないつもりだ。目的は知らないが、見ず知らずの男を犯罪に加担させようとしている人間が正常であるはずがないのだ。おまけに、なぜか僕の能力についても認知している。逃げなければ、と思う。椅子から立ち上がった。

 超能力を──

 

 生田目は顔をしかめた。作動しない。いつものように能力を使おうと思っても、自身の身体に一切の変化が訪れない。後藤は呆れたように鼻で笑った。

「ここでは能力は使えないよ」

「え?」

「このレストランの店内……それが我々のテリトリーなんだ。ほんの備えだよ」

 まぁ席に戻れよ、と後藤は椅子を指し示した。為す術もなく、生田目は席へ戻った。


 結局、悪魔の契約を交わしてしまった。失敗しても奉仕は払うと、この男は語った。なら当日も、身を潜めて仕事をしている素振りをすればいい。

「期待しているよ」



 ある意味、天命なのかもしれない。人とは違う、自分だけの特別な能力を得た生まれたのに、なにもできなかった。そんな僕が、はじめて目的を持ってなにかを実行する。

 思えば、自分はこれまで誰かの役に立ったことがあっただろうか。大学受験にも失敗し、仕事も続かず。学生運動の熱にも乗れず。今ではなにもせずに実家に閉じこもっているばかり。家族は必要以上に僕に優しい。なにもしない、ただそこにいるだけの僕を軽蔑したりせず、生活を共にしてくれる。

 それだから駄目なんだと思う。そんなの、飼い犬と同じじゃないか。だから後藤との面会から帰ってきたあと、家族はみんないたく喜んだ。

「あの人と、どんな相談してきたの?」

「仕事を任されたんだ。僕が適任らしくて」

とくに疑いの目も持たずに、母親は賞賛してくれた。

「へぇ、よかったじゃん。上幸もやっと立派な社会人だ。どんな仕事なの?」

超能力を用いてのビートルズの暗殺、とは当然言えない。

「コンサートの警備だよ。定職につけたわけではないんだ」

「それでも十分! ほんとよかった。上幸が働いてくれて」

 その日は家族全員、僕と両親と祖母と兄貴とでパーティを開催した。僕はそれほどまでに、彼らの喜びのハードルを下げてしまっていたのだ。まったく情けなくなった。


 決行の日をビクビクしながら待ち構えていると、その日から二週間近くも早く、後藤が再び尋ねてきた。この前と同じレストランに案内され、彼は足早に語った。

「生田目。とんでもないことが起きた」

後藤の口ぶりに、すこしだけ安堵を覚えた。なにかアクシデントが発生して、このおぞましい暗殺計画は中止となった。そう後藤が語るのを期待した。

 しかし、そんなことはなかった。

「至急仕事を頼まれてほしいんだ」

後藤は鞄から二枚の写真を取り出した。それをテーブルの上にそっと置く。それには二人の女が映っていた。

「こっちは金城かねしろなご。そして、この眼鏡かけてるほうが……山県やまがた理真りま。お前には、明日までにこの二人を始末してもらいたい」

 始末。事務連絡的な口調で、顔色も変えずに後藤はそんな言葉を用いた。

「始末……っていうと、殺すってことですか」

ああそうだ、と彼は頷く。

「できるわけがありません! そんな、人殺しなんて……」

人殺し、という語を人前で発することがはばかられ、無意識のうちに小声になる。

「周りを気にする必要はない。ここには我々の組織の人間しかいない」

ゾッとした。やはり僕は、踏み入れてはならない世界になんの考えもなしに首を突っ込んでしまったのだ。

「この二人もお前と同じ、我々が雇った超能力者なのだが……あろうことか我々を裏切ろうと画策しているようなんだ。リスクは早いうちに処理せねばならない」

「それって……」

不明点が多すぎて、何から尋ねればいいかわからない。

「このことは本来門外不出なのだが、この仕事を任せる君には特別に口外しよう……君たち十人の様子は、決行日まで我々が絶えず監視している」

「え?」

どうやって。

「千里眼っていうのがあるだろ? そういう能力を持った人間が、組織にいる」

 そうか。

 この話を持ちかけられた時点で、すでに詰んでいたのだ。逃げ場はない。

「不審な動きを見せたらすぐさまこちらで始末する流れだったんだ。ただ、この金城和はハナからこちらの計画を破綻させる目的で我々に近づいてきた」

 相槌を打つことしかできない。

「それだけならまだいいんだが、不穏因子はもう一人いた。それが山県理真。その二人は出会って、共闘関係を結んでしまったんだ。……失望したよ。山県やまがた一雄かずおの娘だっていうのに。意思の強いやつだと思ったんだがなぁ」

「山県一雄って、あの、宗教の……?」

「あー、そうだ。よく知ってるな」

「ま、まぁ」

うちの両親がその信者だ。


 突然聞き覚えのある名前を出されてとっさに反応してしまったが、それはこの件とあまり関係がないはずだ。

「話が逸れました。……待ってください。いくらなんでも、僕に人殺しは」

見ず知らずの女性二人を殺すなんて。想像しただけでめまいがしそうだった。

「なんだよ。ビートルズは殺せて、一般人は殺せないのか?」

「いや、それは……」

「お前の能力ほど暗殺に向いてる能力はないんだよ、言っただろ? 組織もお前を一目置いてるんだ。だからこうして秘密も話してやって。高いメシだって食わせてやって」

目の前に置かれたステーキは湯気を放つばかりで、一切手をつけられなかった。

「もちろんズブの素人に投げっぱなしにはしないよ。我々が丁重に手ほどきをしてやる」

拒否権はない?

「もちろん一日で二人を片付ける必要はない。山県理真は実家が実家だからガードが硬いからな。とりあえず、お前が始末しなければならないのは金城和だ」

 なにも答えられない。

「やつの住んでるマンションも特定したんだ。お前の能力なら忍び込めるだろ? そして奴が帰ってくるまでずっとそこにいろ。奴が部屋に入ってきたら、こいつでそっと首筋を一撃」

 いつの間にか後藤は刃物を持っていた。普段目にするものよりふた周りほど大きい、刃先の鋭い大きな包丁だった。それの鞘を抜き取り、こちらに突きつけてくる。

「俺の私物の牛刀。これを貸してやる」

「牛刀……?」

 刃物のぎらめきに物怖じした。いきなり凶器が取り出されたというのに、周囲の客やウエイトレスはそれに一切の反応を示さない。


「これはお前にしかできない仕事なんだ。みんなお前のことを信頼している。その期待に、応えてくれないか……?」

 僕は、生田目上幸は、それを受け取ってしまった。僕にしかできない仕事。

 もしこの誘い、いや命令を拒絶したら、こいつらは間違いなく家族に危害を加えるだろう。これ以上、家族に迷惑はかけられない。

「やります」

牛刀をそっとバッグにしまう。後藤は握手に応じてきた。震える手で、それに答える。

「もちろん、成功したら報酬を与える」

もちろん、失敗したら罰を与える……

 なんて無情なんだろう。仕事ビジネスって、こんなものなのかな。

 ごめんね、金城和さんと山県理真さん。僕には僕の、仕事がある。

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