息もできない 3

 御厨みくりやひらくはヤクザになった。

 家が貧しくて、頭も悪くて、高校には行っていない。何もできなかった。工場でも、クラブでも、工事現場でもまともに働けなかった。作業の工程を覚えることができなかったし、手を抜くための要領の良さも持ち合わせていなかった。

 競馬もパチンコも下手くそだし、楽器もできないし、漢字すらろくに読めないし、女を口説くための話題を思いつくこともできなかった。 

 理性の抑制もきかなくて、母親に暴力をふるった客の後頭部を灰皿で割った。青春のほとんどを少年院で過ごした。

 院でヤクザの息子を名乗る男と親しくなった。はじめての友だった。 

 二十二歳になって出所した。その友人のコネで彼はヤクザになることができた。

 組に入った御厨は誠実に働いた。どんな雑務も的確にこなし、いいように扱われることを肯定した。頭を下げ、手を汚した。

 

 そして今に至る。

構成員たちになぶり物にされている少年を一瞥する。気でも狂っているのだと思う。こいつらも、このガキも。

 少年を一方的にいたぶるのに飽きた彼らは、ゲラゲラ笑いながら、あえて立ち上がる猶予を与えた。

 少年は立ち上がる。その瞬間、高田たかだは膝蹴りをその身体に見舞った。弾かれるように少年の身体が飛び、再び地面に突き飛ばされる。

 再び彼は立った。顔の半分が、血と泥でめちゃくちゃになっている。

 その姿を見て、彼らは笑うのをやめた。


 彼の身体が輝いていた。比喩じゃない。

 街灯の光を、白い光彩を纏っている。そのまま彼は、ゆっくりと高田へと近づいていった。高田は構わず、少年へ殴り掛かる。

 

 奇跡が起こった、と思う。


 金属のような光沢を放つ少年の腕が、高田の手首を掴んでいた。高田はぎょっと瞳孔を見開く。少年はその手で、そのまま手首を握りしめた。高田は悲痛な叫びを上げた。いくら腕を振り回しても、その拘束は断じてほどけなかった。

 直後、彼は左脚を振り上げた。鈍重な打撃音が響き、高田はよろけた。よたよたとした足取りで後ろへ下がっていって、やがて顔を紅潮させながら嘔吐した。

 御厨はたしかに見た。彼の左脚が、一瞬にして靴や衣服ごとのを。


 完全に打ちのめされた高田を尻目に、佐藤さとうが少年に飛びかかっていった。少年は冷たい目付きで彼を睨んだ。佐藤の放った膝蹴りを、腕で受け流すでもなく、かわそうとするでもなく、ただ腹で受けた。完全に急所に入っているように見えた。

 ただ、悲痛に呻いたのは佐藤のほうで、少年は顔色一つ変えていなかった。彼の着用しているジャケットが、鉄板のように固まっていた。紛れもなく、そうとしか見えなかった。

 隙を見せた伊藤のそばへすかさず接近していった少年は、少しだけ膝を曲げたのち、伸ばした。頭突きだった。彼の前頭部が、佐藤の顎を砕く。佐藤は唇から血を流していた。

 少年の頭の額部分が金属と化している。それを見て、佐藤はその場にへたりこんだ。一切の戦意を喪失したように見える。出血の止まらない唇に手を当てる。

 化け物……


「てめぇ!」

 齋藤さいとうは地面に転がっていた鉄パイプをすかさず手に取った。それを槍投げの要領で投擲する。少年は手のひらを広げ、彼へと突き出した。

 。映像を途中で停止させたかのように、投げられたそれが宙に浮いたままそこにあった。齋藤は青ざめる。

 その直後、鉄が磁石に引き寄せられるように、鉄パイプは少年の手元にひとりでに移動した。パイプを掴んだ少年の手も、依然として鉄と化している。


 その異常な光景を目の当たりにし、齋藤は無言で両手を上げ、手のひらを顕にした。そのまま、表情を変えないままに全速力で踵を返して走り出した。少年は彼の背中を一瞥すると、興味を失ったようにそっぽを向いた。


 全身が金属になった少年が、そこに立っていた。高田も伊藤も、非現実的現実を目の当たりにして、完全に言葉を失っている。

「どうなってんだよ」

いきなり現れた少年が、鉄の怪物になってヤクザをボコボコにした──子どもの狂った空想のような事実が、目の前にあった。


 少年は元の姿に戻っていた。

明らかに、その表情には動揺があった。自分のしたことが理解できない、その涙目がそれを物語っていた。

 御厨は少年からそっと離れた。結果的に、この怪物のおかげで自分は窮地に一生を得た。それでも、感じるのは恐怖だけだった。そこから逃げ出そうと駆け出して、地面に転がった佐藤の身体につまづいて転ぶ。



 ジュングンはようやく我に帰った。

 ひどい気分だった。悪い夢を見ているような感覚だった。胃の中を泳いでいたの魚が、ついに身体を突き破って外へ出てきた。


 確かに、姉貴が言うとおり、僕は異常な力……超能力を持っていたのだ。チンピラにボコボコにされている間、ずっとそのことを考えていた。そうしたら、僕の身体は鉄になっていた。

 それからはもう無我夢中だった。肉体だけではなくて、手に触れたものや身につけているものも──ただ念じるだけで硬度と重さが突然に増した。超能力を使うという感覚が、確かにあった。

 そして、三人目の男が投げつけてきた鉄パイプ。なんの考えもなしに、反射的に手を突き出した。すると、それが空中で制止した。鉄になった自分の身体に、したのだ。

 つまり、姉貴の能力を【記憶を操る】ものとするなら、俺のこれは【鉄を操る】能力なのだろう。

 そして、もう一つ気づいたことがある。酸欠を起こして倒れそうな、自分の身体がそれを照明している。

 能力を使っている間は、息ができない。

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