スローターハウス404 2

「現金輸送車だ」

蟻坂ありさかアキラは言った。


「どうして?」

猪野いの朱里しゅりは言った。


「狙うのは東芝のボーナス。それを根こそぎ手に入れるんだ」

木橋きはしえいは言った。


「その金には保険がかかってる」

蟻坂アキラは言った。


「じゃあつまり、それを私たちが奪っても、社員たちがお金を貰いそびれることはない」

猪野朱里は言った。


「そう。誰も傷つけず、誰も損させず。後世には、史上もっとも可憐な強奪事件として語られる」

木橋永は言った。


「俺たちはもう働きアリなんかじゃない」

蟻坂アキラは言った。


「むしろ何万匹ものアリをいっぺんにペロっと平らげるような」

蟻坂アキラは言った。


「アリクイだ。俺たちはオオアリクイになるんだよ」

蟻坂アキラは言った。

「今度は、俺たちが」





 何度試してもどうにもならなかった。

 鍵すらかかっていない部屋から、文字通り一歩も外に出ることができない。


 半狂乱になるのをどうにか免れた遊剛ゆうごうは、やっとのことで状況を把握した。あの扉から部屋の外に出ようとすると、どういうわけか気がついたら部屋の中にいる。どういう根拠なのか、理解のしようがないが、そうとしか言えない。瞬間移動するみたいに、部屋の中央──畳の上に戻されてしまう。本日二度目の非現実だ。新しい世界へようこそ……


 遊剛は机の下にしまわれた椅子を担ぎ(右手で持ち上げ、肩の上にやっとのことで乗せる)、窓に近づいた。一瞬息をついたのち、それを目の前に思い切り振り下ろす。椅子の脚が窓に当たってヒビが入った。一撃で割れるのかと思いきや、やはり片腕の力ではたいした威力は出せないようだった。窓一つ割れねぇ……。


 遊剛はそれを三回反復した。

 三回目に椅子の脚の角を窓に当てた時、甲高い破裂音が響いた。やっと割れた。破片を踏まないように靴を履いておけばよかったと、彼は自身の至らなさを自戒した。

 とりあえず、窓は破れた。ただ、四階から飛び降りて、はたして平気なんだろうか……下はアスファルトだし、間違いなく無傷では済まないだろう。布団かなにかを使って、衝撃を緩和できるか?


 そんなことを考えていたのもつかの間、遊剛の視界が一瞬途絶えた。その直後、やっぱり彼は、畳の上、部屋の中央に立っていた。担いでいたはずの椅子の重さも消え失せている。それもそのはずで、その椅子はテーブルの下にしまわれていて、そこから動かした形跡すらなかった。そして、窓もヒビひとつ入っていない。もちろん、床にガラスの破片なんて一欠片も落ちていない。


 。窓を破壊したという事実そのものがなかったことになっている。凹んだピンポン玉がひとりでに元の形に戻るように、この部屋という空間そのものが得体の知れない力によって。遊剛が部屋から出ようとすると、気がついたら元いた位置にいる。ガラスを割っても、気がついたら傷一つついていない状態に戻っている。


 一体なにが起こっているんだ。遊剛は再び玄関の扉を開けて外へ出てみた。やはり結果は変わらず、さも当然のように部屋の中にいる。扉を開けた形跡すら残っていない。すべて元に戻っている。


「ふざけんな!」

 誰に聞かせるというわけでもなく、遊剛は叫んだ。

 狭い部屋の中をめちゃくちゃに歩き回ったのち、そばに見つけた写真立てを掴む。それを衝動のままに壁に投げつける。勢いよく当たり、鈍い音を立てる。

 そして、彼は部屋の中央に立っていた。手には何も持っていない。投げつけたはずの写真立ては、さも当然のように机の上に乗っている。

 また戻った。


 鼓動が加速する。これは一体どういうことだ。いかなる現象が、俺の身に起きているのだ。何か行動を起こすたびに時間が巻き戻る。やったことがなかったことになる。夢でも見ているのかと思う。

 足元に目を向ける。そこには爆散したセールスマンの死体がある。それを足の先でおそるおそる触れてみる。何も起こらない。遊剛はしゃがみ、それをじっと見つめる。赤黒い、人間の残骸。かろうじて原型をとどめている腕の部分に手を触れ、持ち上げてみる。冷えた血が指先にまとわりつくのを嫌悪しつつ、それを観察する。この死体には、手を触れてもなにも起こらないようだ。

 部屋から出ようとするほか、窓を割ったり、写真立てを壁に投げつけたりしたら【巻き戻り】が起きた。この現象には、なにか法則性があるのだろう。それを暴くことができれば脱出することができる。遊剛はそれを信じた。


 どれくらい時間が経過したか分からない。とにかく、一刻も早くこの部屋から、彼女の罠から逃げ出さなければ。これはシュリが仕掛けたものなのだろうか。一体、どんな手を使って……



 超能力?


 そうか、そうだ。シュリは超能力者なのだ。随分前のことだが、俺と花山園子ハナゾノ金城かねしろ先生とで喫茶店でコーヒーを飲んだことを思い出す。そのときの先生の言葉。その日、先生は顔に生傷をたくさんつけて俺たちの前に現れたのだ。俺とハナゾノはびっくりして、彼女を質問攻めにした。

「な、なな、な、ななご先生、そ、そ、その顔……」

俺はともかくとして、ハナゾノの動転っぷりは記憶に新しい。昨日まではなんともなかったのに、いきなり傷だらけになっていたのだから、無理もない。そんな彼女の気持ちもよそに──いや、金城先生のことだから、むしろハナゾノ(と俺)を心配させまいと、あえてひょうひょうとふるまっていたのだろう、と今なら思う──先生は笑った。

「昨日ちょっと敵に襲われてね、いつもは秒で返り討ちにしてやるんだけど、ちょっと厄介な能力を持ってて……」

これが金城先生の『持ちネタ』だった。彼女はカウンセラーとしての仕事をしつつ、超能力を使って裏社会での戦いに身を投じている。……そういう設定の冗談をよく俺たちに聞かせてくれた。それが結構ディテールに富んでいるので、先生は本業をこなしつつSF作家でも目指しているのだろうと俺は踏んでいた。

「どういう敵だったんです?」

俺があえてその話題に乗る素振りを見せると、ハナゾノは苦笑した。それがいつもの、三人での会話を盛り上げる定型だった。

「簡単に言うと……鉄人間。あいつは鉄を操る能力を持ってる。自分の身体を鉄にしたり、触れたものをなんでも鉄に変えたり」

「そりゃ強そうですね。倒せたんですか」

ハナゾノは俺たちの話を聞いてただ笑うばかりだ。

「いやぁ。かなり追い詰めたんだけど、逃がしちゃった。奴はヤクザで、仲間もいるからね」

「ふーん。ヤクザと戦ってるんだ。やっぱ先生はすげぇなぁ……」

「で、で、で、で、でも、せ、先生の、の、の、能力なら」

ハナゾノは脳内でその超能力戦をイメージしてみているみたいだ。ちなみに、先生の能力は摩擦を操ることらしい。大きくしたりなくしたり。地面にものを固定したり、滑らせたりと、場所を活かした戦い方が得意らしい。という設定。

「そーなんだよ。私の能力の弱点をつかれちゃって。連中、私に関する情報データを持ってたみたいで」

先生は溜息を吐きつつ、コーヒーを啜った。

「ヤクザに個人情報握られてるんですか。怖いな」

「あー、そうだ。というかあれだよ。遊剛くんが通ってるビリヤード場あるじゃん。そこに関わってる組だよ」

 その言葉に、ハナゾノは本気でドキッとしたみたいだった。まさか、と思う。長らくあのバーに通いつめて掛けビリヤードをプレイしてきたが、暴力団員らしき人間と遭遇したことはなかった。むしろあそこにいたのは、失業者とか、フーテンとか、薬物中毒者とか、俺みたいに社会からドロップアウトした連中ばかりだった。社会不適合者に違いはないのだが、そういうアウトローとは住む次元の違う連中だ。負け組たちの賭場。

「そりゃ恐ろしいや。ヤクザでさえ超能力を使う時代かぁ」

「だから、二人とも気をつけて。今の東京では、いつそういうのに巻き込まれてもおかしくないから。もしものことがあったらすぐ言ってね。私が助けてあげるから」

 そこからはもう先生のペースだった。彼女の語る超能力談義があまりに面白くて、俺もハナゾノも、彼女の顔の傷について追求することなどすっかり忘れていた。いつものように、コーヒーを飲んで、ケーキを食べて、家に帰った。



 遊剛は金城和の言葉を反芻した。先生の言うことは正しかった。超能力者は実在する。本当なら本当って言ってくれよ。冗談みたいな口調で話すから、真に受けられなかったじゃないか。

 人間を爆発させたり、部屋に閉じ込めたり。シュリはそういう能力を持っているのだ。


 だとすれば対処は可能だ。

「どんな強い能力でもね、必ず弱点があるんだよ。どんなに頭のいい学者も、どんなに屈強な格闘家も、どんなに凶悪なテロリストも。みんな必ずメシ食ったりトイレ行ったりするのと同じで」

彼女は確かに、こんなことを言っていたから。

「って、昔仲良かった友達が言ってたんだ」

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