1969年 1月20日
スローターハウス404 1
目の前で男が内蔵を撒き散らして爆発した。戦争の記録映像みたいに。
「ヒムラーなの?」
ぼそっと呟いてから、彼女は扉の外に向かって、飼い犬を呼ぶような声で発した。
「ヒムラー、そこにいるの!? 出てきて!」
遊剛の知らない名前を、シュリはしきりに叫ぶ。
「この子を殺しちゃ駄目! 計画通りやって!」
血と内蔵の匂い。
アウトローぶって、高校もやめて、ビリヤードで稼いで、ヤクザにも会って、大麻吸ったこともある。
でもそんなんじゃぜんぜん駄目なんだ。本当は俺は、心優しい気弱な未成年なんだよ。彼女にふられたばっかりの、ハイテンポな音楽とかわいい動物が好きな、ただの……
足元がおぼつかなくなった。遊剛は受け身を取ろうとして、もうそのための腕がないことに気づく。畳にぶつかって、脳が揺さぶられた。視界が幕を降ろす。黒く塗りつぶされる。
「なんのつもりなの! あの人は誰!?」
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ。びっくりした?」
「正気なの? この血! どうするわけ」
「だってしょーがないじゃん。大丈夫だよ。こいつ、気を失ってるだけ」
「面白いと思ってんの!? これで失敗したらあんたのせいだから」
「そんな怒んなよシュリ。
「ふざけるのも大概にして」
「お前こそ落ち着けって。平気だよ。
「このクソガキ……四人目のくせに、調子乗りすぎだから。やっぱりあんたは能力貰ったりするべきじゃなかったんだよ。アキラも後悔してるだろうね」
「あ? お前何様のつもりだよ。蟻坂は俺を信頼して超能力をくれたんだよ。てめぇみたいな役立たずだけじゃ不安だから俺を仲間に加えたんだろうが」
「いい加減に……」
「お? やるのか、こんなところで内ゲバか? お前もこの男みてぇにしてやろうか!」
「はぁ……わかったよ。私が悪うござんした。あんたと違って大人だから、ここで折れてあげる。……早く持ち場について」
「お前こそちゃんと集中しとけよ。お前の能力はほんとこれくらいしか取り柄がねぇんだから……」
「あとで覚えてろよ」
遊剛は目を覚ました。
シュリの部屋。気がついたら、また眠ってしまっていたらしい。彼女には本当に悪いことをした。
道端でくたばってたところを助けてもらって、手当までしてもらって。いくら頭を下げても下げきれない。
で、それからどうしたんだっけ。
彼女と少しだけ仲良くなれて、彼女が起こした偉大なる現金強奪事件の話を聞いて、タンスの中に敷き詰められたそれの戦利品を見せてもらって……
あれ?
何かがおかしい。そのあと何が起こったんだっけ。たしか、セールスの男がやってきて、いかがわしい商品を彼女に売りつけようとして……
そして、その男が内蔵を撒き散らして死んだ。爆発したんだ。地雷を踏んだみたいに。
あれ?
それがあまりに怖くて、俺はぶっ倒れた。
そうだ。それが正しい記憶。思い出した。
思い出した。
遊剛は左手で頬を叩き、数回瞬きをする。ここはどこにでもあるアパートの四階のワンルーム。隣の部屋には普通に人が住んでいる。それなのに、この部屋の畳にはぐちゃぐちゃになった男の死体がへばりついているのだ。そして、シュリはどこにもいない。トイレにも、ベランダにもいない。玄関口にあった彼女のスニーカーと窓際にかけてあったベージュのダッフルコートもなくなっている。
つまり彼女は、俺を置いてここから立ち去った。三億円事件の犯行メンバーであるシュリは、俺に罪を着せるという計画を実行し始めたのだ。
遊剛は明瞭になってきた頭で、なるべく床の死体を見ないように(見てるだけで腕に湿疹が広がりそう)壁を見つめながら考える。
彼女の計画に添えば……もうじきこの部屋に警察がやってくる。そして、俺を現金強奪犯……および殺人犯として逮捕する。俺は半狂乱になりつつ、こう供述する。
「違う! 俺はやってない! この金は俺のものではないし、この男は突然爆発したんだ! 俺は何もしてない!!」
その後パトカーで連行され、精神鑑定を受ける。脳に異常なしと判断された俺は、あえなく刑務所にぶちこまれる。凶悪犯として、三億円事件の関係者として。
なるほど、と思う。
突然乱入してきたこの男も、罠の内だったのだ。ともすれば、シュリは相当な熱演を成し遂げたといえる。本当に悪質なセールスにたぶらかされているようにしか思えなかった。俺なんかよりずっと頭がいいはずなのに、そんなことありえないのに。
俺は彼女をどこか侮っていたのだ。じっさいのところ、彼女は、俺なんかより何枚も何枚も上手だったのに。もしかしたら、はじめから彼女たちの手の内だったのかもしれない。ヤクザに腕を切られて路上にぶっ倒れるというところから。そこからすでに、シナリオは進行してたりして。
この男はどのような仕組みで爆裂したのだろう。SFみたいな小型の時限式爆弾があって、タイミングを見計らって彼女か仲間がそれを起爆したのか。それとも……
ここで遊剛は思考を振り切った。
そんなことよりまず、ここから逃げなければ。
思えば、あまりにも出来すぎていたのだ。どん底のさなかに突然女の子が現れて、救ってくれる。そこから始まる新たなストーリー。ボーイ・ミーツ・ガール。バーーカ!! そんなわけあるか。俺は一体、何を期待してたんだ。
彼は靴を履きつつ、ドアノブに手をかけ、回した。監禁するために何かしら細工がしてあって扉が開かない、なんてことはなかった。夕暮れの差す光が玄関口に照り、遊剛はその中へ飛び込む。
階段を駆け下り、できるだけ遠くに逃げた──つもりだった。
しかし、彼はまだ部屋の中にいる。足には靴なんて履いてないし、畳の上には男の爆殺死体が転がっているし、隅に積み上げられた雑多な物や書籍の詰め込まれた本棚も見える。そして、襖の中には五百円札が敷き詰められている。すべてそのままだ。
遊剛は無心で、部屋から出るべく玄関まで走った。そして、ドアノブをひねって外へ出る。
視界に映ったのは、ガラスの窓とカーテンと襖。足元には畳。玄関に向かう。靴を履く。扉を開ける。行き着いた先は部屋の中、畳の上。
大きく深呼吸する。いったん目を閉じて、数秒そのまま肩の力を抜いてみる。
目を開けた。そしてそのまま、ゆっくり靴を履いて、彼女の靴べらを勝手に使って丁寧に履いて、靴紐も縛り直して、握手するみたいにがっしりとドアノブを握って、扉を押し開ける。外の風景が見えた。アパートの四階から団地が見える。部屋と部屋を繋げる共用スペースのコンクリートが見える。隣の403号室の住人のものと思わしき掃除用具が見える。
遊剛は玄関から一歩、右足を踏み出した。
そして、左足は畳を踏んでいた。
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