勝手にしやがれ 3

「ひとり暮らししてるとさぁ、魚介ってあんまり食えないんだよねぇ面倒くさくてさぁ。まぁ金はあるよ? 私金持ってっからさぁ、大卒だし? まぁ大卒ですから? 資格もいっぱい持ってるし? 金はあんだけどよぉ、料理はなぁ、金持っててもやんなきゃなんないから。あー誰か家事だけやってくんねぇかなぁ? 結婚はしたくない! 別に結婚はしたくねぇんだよー、けどさぁ……」


 和は左手に持った箸で焼きホタテを殻から外そうとするも、垂らした醤油の滑りと貝柱がそれを阻む。ハイボールのジョッキを握る力が増す。

「箸にかかる摩擦を強くすれば」

ぼそりと山県が呟く。

「天才ですねてめぇは!」

和は能力を発動し、箸に摩擦をかけた。二本でがっしりとホタテの身をグリップし、みごと殻と分離させる。

和は海鮮の風味を味わいつつ、すぐさまジョッキを空にする。ゴトン、とそれをテーブルに叩きつけ、喚く。

「あー、くそ、痛てぇーっ。まだ痛むよこれ。首だぜ首。首にハサミグサーッって。よく生きてたよ本当に。思い出しただけで怖ぇーよバカ」

山県は熱燗の瓶を握って手を暖める。

「ごめんよ。本当にすまなかった! この通り!」

わざとテーブルに額をぶつけ、山県は頭を下げた。このやりとりは三回目だ。

「ごめんで済んだらよぉ、ポリ公はいらんのじゃ」

「ごめんって」

「だから君は何も悪くないよ」

「え?」

「ケッ。権力の犬! 税金泥棒! 良い気になりやがって。……ちくしょう! 警察の野郎!」

「わっ」

和は新たに運ばれてきた焼酎にシークヮーサーを絞ったあと椅子から立ち上がった。

「殺す! 警察全員殺す! 巡査も駐在も殺す! 駅員も殺す! 自衛隊も殺す! なんなら消防士も殺す!」

和は高校生の頃に万引きの冤罪をかけられた思い出を回想しているのだ。もちろん山県には妄言にしか聞こえない。アナーキーだね。

 さんざん叫んだのち、和はふらふらと着席した。テーブルに突っ伏して、山県の方へ首を向ける。

「ねぇ山県」

何、と向き直る。こんなやばい酔い方をするやつだとは思わなかった。

「私酒癖悪くて、とんでもないこと言っちゃうかもしれないけど……明日には忘れてね。今日言うことは全部嘘だから」

「うん。わかってる」

支離滅裂だし。

和の放つ熱気で眼鏡が曇ってきた。


「知ってる? シークヮーサー飲めばねー、シークヮーサー飲めばねー、二日酔いしないんだよ。シークヮーサーさえ飲めば……」

 和はシークヮーサー割りを飲み干したあと、すっと席を立った。

「ちょっと、帳消しにしてきまーす」

「え?」

「ロカンタンみてーによー!」

「いってらっしゃい」

彼女はトイレに駆け込んで行った。吐いても酔いは帳消しにはならない。


 山県には、金城和という人間がさらにわからなくなった。酒飲みっぽい口ぶりだったわりにジョッキ二杯くらいでベロベロに酔うし、そのくせ加減も知らないらしくあの体たらくだ。あの様子だと、酒で失敗した経験は一度や二度では収まらないだろう。それにしても凄まじい溺れっぷりだ。能力を暴発させて店をめちゃくちゃにしたりしなければいいけど……眼鏡をジャージの袖口で拭きながらホッケの塩焼きを割り箸でつついていると、肩に手を乗せられた。振り向く。


 和──ではなかった。

隣の席にいた、三十代後半くらいの、仕事帰りであろうかスーツを着た男だった。褐色で脂ぎった顔は朗らかな表情で、それでいて挑発的な目付きをしている。

「お姉ちゃん、さっきの子友達? とんでもない酔い方してたね」

肌に直に着たジャケットのジッパーを、胸毛が見えそうな位置まで開けている。

「良ければこのあとさ、おじさんと飲み直さない?」

男はズイと顔を近づけてくる。山県はそれを手で軽く払いのける。

「やめて」

「痛っ。なんだよ、冷たいんじゃないの」

そしてすぐさま、手元の湯呑みに触れる。中身にはまだ手をつけていない。

「近づかないで」

 なんで話しかけてくるの?

黒縁メガネかけてジャージ着てるから?

化粧もろくにしてないし、髪も伸ばしっぱなしだから?

なんでも言うこと聞きそうな顔してるから?

 だから何?


 湯呑みから手を離す。それは瞬時に、目視するのもはばからない速度で男の顔面に引き寄せられていった。中の緑茶は遠心力でこぼれない。湯呑みの縁がちょうど男の眼球へとめり込んでいき、彼は短く呻く。

「げっ。痛てぇ、ちょっ、痛て、痛いです。なにこれ」

「帰って」

 ひとりでに顔面に引き寄せられていく湯呑みを外そうと掴んで引っ張ろうとするも、男にはどうにもならない。

「待って、怖い怖い怖い、どうなってんのこれ」

引力は次第に増していく。男は振り返り、周囲に現状を伝えようとする。

「ねぇちょっとこれヤバい。取れない。こいつ」

山県はそっと声をかけた。

「あたしはもっとひどいこともできる。やめてあげるから、今すぐどっか消えて。あの子が帰ってくる前に」

山県が能力を解除するまで、引力の増加は止まらない。男は激しく頭を振り、両手を挙げた。 

 彼女はしばらく待ってから、指を鳴らした。湯呑みが男の顔から中身をこぼしながら床に落下し、音を立てる。縁のあたりに粘液が付着している。

耳まで真っ赤に染めた男は、うらめしそうな目付きで山県を睨みつけながら席をあとにしていった。その背中を眺めつつ、彼女はすっかり冷めた熱燗を飲み干した。

 こういうこと、本当はよくないんだけどね。

超能力者は、いつ、どこで、誰が潜んでいるか分からない。できるだけ正体を隠し、できる限りまで自分の能力を明かさないのがセオリーだ。このことがバレたら(記憶を覗かれるだろうし、絶対に隠し通せないけど)またドクターにどやされる。でもまぁ、ホタテを食べるために能力を発動するよりは……マシでしょ?


 ここで、おまたせー、と和が戻ってきた。心無しか、顔の赤みが若干引いている。個室に入ったついでか、今まで頭に巻いていたヘアバンドを取って髪をはだけさせていた。薄茶色の髪が店内の白熱灯に反射する。

 和は床に落ちていた湯呑みに気づき、拾い上げた。落ちてたよ、とそれをテーブルの上へ戻す。

「気づかなかった」

山県は白々しく言う。

「まったくもー、酔ってんじゃないの」

「かもね」

それはお前だろ! 彼女は笑った。山県は正常だった。酒は好きではあるのだが、和のようには気持ちよく酔えない体質だった。あまり吐き気がしたり頭が痛くなったりはしないのだが、その分めちゃくちゃ眠くなる。ああいうあからさまな酔い方のできる和が少し羨ましかった。


 それから二人で閉店間際まで飲み明かした。

 出会って間もない二人が、被害者と加害者の二人が、一瞬にして映画とか仕事とかセックスの話題でゲラゲラ笑い合うような関係になった。山県はとてもうれしかった。文学的な形容表現は思いつかない。とにかく、うれしかった。新しい友達ができた。

「山県ってさぁ、どこに住んでんの」

「阿佐ヶ谷」

「山の手じゃねぇのか! 終電ないでしょ」

時刻は午前一時を回る。


「あー、そうだね」

山県は顎が外れそうなほどの欠伸をかましつつ答える。

「眠い?」

「うん。もう、無理……」

突発的な眠気に抵抗しかねる。

「じゃあさ、うち泊まってく? 池袋だから、こっから歩ってすぐ」

「あー、ありがと。助かる!」

少しも迷わず、山県は頷く。暖まった両手で彼女の手を挟み込むように握った。

「明日……いや。もう今日か。仕事午後からだから……」


 終電を逃したことなんて、今まで一度もなかった。山県には、それがとても耽美なことに思えた。ふらふらとした足取りで、真夜中の路地を少しずつ歩む。

「二年前からタバコやめてさぁ……猫飼ったんだよ猫。ほんとかわいくてね……」

「おー、いいね、猫……」

「ところで先月フランス行ってきたんだけど、飛行機がさぁ……」

「飛行機がどうしたの?」

「そういえば山県は新幹線って乗ったことある?」

「ない。高いし」



 明日には忘れてね。

今日言うことは全部嘘だから。

そういえば、和はそんなこと言ってたな。

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