1966年 6月30日

怪物姉弟(グエムルナンメ) 1

 たった今、イム重根ジュングンが逮捕されたとして、その罪状は拳銃の不法所持にすぎない。


 銃口を彼女へ向け、撃鉄を起こし、引き金に指をかけた時点で彼は我に返った。


 わが親友を殺したいぬい友康ともやすは乾友康であり、その母親は乾友康ではない。その母親を殺したところで乾友康を殺したことにはならないのに。拳銃を握ったことによる高揚感が精神を蝕んでいたのだ。危なかった。これであの無関係な母親を射殺していたら、僕はそれこそ奴らとじゃないか。


 もっとも、そのような思考に至る頃にはすでに弾丸は発射されていた。

 彼を常人たらしめたのは理性ではなく、運だった。ジュングンの発射した銃弾は乾の母親の頭上をかすめ、古い壁に穴を開けただけだった(そしてかすかに、彼女の髪を焦がした。それだけ)。

ただ単に彼は失敗したのだ。一線を超えるのを恐れた本能が、右手を震わせた。


 ジュングンは怯える友康の母親を尻目に、そっと玄関の引き戸を開けて外に出た。彼の父親はヤクザであるから、壁にめり込んだその弾丸を見て強盗タタキの可能性を察するだろう。

 少なくとも、息子の同級生が拳銃を持って家に上がり込んだとは思わない……。


 

 駅へと向かう道の途中、木材の積まれた空き地を見つけた。ジュングンは呆然とそれに視線を向ける。なにか違和感がある。


――あー、そうだ。

確かここに、古本屋があったんだ。


 呆然と思い出す。ここら辺には滅多に足を踏み入れなかったため確証は持てないが、確かこの土地には小ぢんまりとした古書店が建っていたはずだ。いつの間にかに潰れたのだろうか。何の前触れもなく。

 彼は足元に散らばる瓦礫をスニーカーで踏みつけつつ、その中へゆっくりと侵入した。

 足で木材を除け、その下の地面を銃口でえぐり、穴を掘る。そこへピストルを置き、土を被せる。そのあと木材を元へ戻した。

 ジュングンはむしろ自覚的に、このような杜撰な証拠隠滅を行った。人を殺さないで済んだとはいえ、そもそも警官を殴り倒して銃を奪っているのだ。見つかればただでは済まないだろう。


 そうだ。

 それでいいんだ。

 

 湧き上がる望み。

裁かれたいという欲求があった。

警官から銃を奪ったことではなく、復讐の一つも果たせず、しまいには敵に向けるべき銃口をあろうことか弱者へ向けさえした。


 最低だ。最低だ。最低だ。

指先に付着した土の冷たさを感じる。僕は、はやしはもう人間ではなくなった。人の形をしたケダモノ。


 彼はしばらく、瓦礫の上に立っていた。

安いスニーカーの底は鋭利な瓦の角の圧力を防ぎれない。足裏に何かが刺さっていく感覚が生じる。



 そのあと、電車に乗っても、交差点を歩いても、交番の前を通り過ぎても。誰も彼のことを気にも留めやしなかった。何日後、何月後、何年後。誰かがあの砂の中を暴き、拳銃を拾うのはいつになるだろう。痛く錆びた、ピストルを──


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