俺に突然、彼女が出来た。

なかった崎

出会いは突然に。

 帰路の電車の中、俺は無心で揺られていた。いつものラッシュの時間じゃないからか、余裕で座れた。普段なら帰路で座れたら内心で大喜びしている所だが、今はそんなことは微塵も思わなかった。もしかしたら、口も半開きだったかもしれない。あぁ、最寄り駅に着いてしまった。帰宅にこんなに心が重いのも始めてかもしれない。そりゃ、仕事で疲れて気分がよろしくない時もあったけど、帰宅さえすれば後は自由だ。ゲームしたりテレビ眺めたり、趣味のボトルシップに没頭したり……。はぁ、と溜め息を吐きながら重い体を持ち上げて駅へ降り立った。朝夕の通勤ラッシュ時はホームから落ちるのではないか、と思うくらい人でごった返しているのに今はがらんとしている。それもそうか、まだ日も高いしな。真っ直ぐ自宅のマンションへ向かう事は正直言って、嫌だった。でも、それ以外にやることがない。寄り道する気分でもなかったし、ゲームセンターへ行ったとしても、昼間は上手い人が多くて下手な俺は居るだけ邪魔になるだろう。ましてやこんな重い気分でゲームなんかやりたくない。結局、重い足取りでも真っ直ぐ帰るしかないのだ。


「…………」


 人間、絶句する時は口を開けるんだな、と他人事のように思った。目の前の状況が理解できない。なんで、どうして、俺の部屋の前に裸の女が座ってるんだ。しかも、ドアに凭れて。更に行儀の悪い事に立て膝まで突いてる。なんなんだ、こりゃ。彼女は俺に気付いたのか、ゆっくりとこちらを向いた。少しつり上がった目、筋の通った鼻、唇は少し薄い。なんというか、俺のタイプだ。いやいや、そういう事じゃない!


「やっと帰ってきたか、待ってたんだぜ。」


男らしい喋り方。なんなんだ、この人は。


「よろしくな!」


元気よく挨拶してるが、俺の疑問は解消される事は愚か増える一方だ。しかし、こんな状況を誰かに見られて通報でもされたら不味い。ただでさえ会社をクビになったんだ。その上、犯罪者の汚名を着せられるなんて堪ったもんじゃない。


「あの、退いてくれませんか」


混乱しているとは思えないほど冷静な声が出た自分に驚く。いや、コレは自分の癖なのかもしれない。俺は他人に感情や考えをあまり主張したことが無い。感情をぶつけて何とかなるなら、俺のリストラだってひっくり返ったかもしれない。だが、実際はどうだろうか。俺がドンだけ泣こう喚こうが、会社の決定には従うしかない。だから俺は……。


「退いたぞ」


そんな俺の思考をぶったぎ切るかのように彼女の声が耳に届いた。それだけではない。マンションの廊下に反響している。……なんなんだこいつは。俺はゆっくりとポケットから鍵を取り出すと穴に差込みロックを外した。次の瞬間、俺の部屋の扉を開けたのは俺ではなく彼女だった。しかも、彼女は俺の体を突き飛ばして、部屋の中に入ってしまった。そのまま扉はバタンと音を立てて閉まる。俺は別に倒れもしなったし、ぶつかって少し痛いな程度だったから動こうと思えばいつでも動けた。でも、その閉じた扉を見つめたまま動くことが出来なかった。理由?そんなの明白だ。度重なる出来事に脳の処理が追いつかなくなったのだ。


「……なんで入ってこないんだ?ここ、お前の部屋だろ?」


 どれ位の時間が経ったかわからない。突然、彼女が扉を少し開いて俺の様子を伺ってきた。そうだ、そこは俺の部屋だ。何で俺より先に俺以外の人間が部屋に居るんだ。そう思うと、自然と俺の脚は部屋の中へと向かった。


「……お前、スーツ似合わねぇな」


玄関で腰を下ろして靴を脱ぐ俺の背中側から彼女の声が聞こえてくる。うるさい、煩い、五月蝿い。そんなの俺だってわかってる。身長163cm、更に短足胴長、なで肩で胸板がないので俺がスーツを着ると、どうみてもスーツに着られている様にしか見えないのだ。そのせいで就職活動じゃ苦労したんだ。今更、見ず知らずの奴に言われる事じゃない。全く、今日はなんなんだ。


「……」


「……」


八畳一間のワンルームマンション。そこに置かれた一人用の机に俺と彼女は向かい合って座っている。勿論、会話は無い。話題もないし、俺はそもそも人と話す気分じゃない。だがしかし、ずっと裸で居られても困るので俺のTシャツとズボンを貸した。残念ながら俺の部屋に女物の衣類はない。下着なんて以ての外だ。だから仕方なく彼女は俺のトランクスを履いて貰った。やはり、違和感があるのだろう、不思議な表情を浮かべていた。ブラジャーは着けてない。代わりになるような物もない。しかし、彼女は気にしてない様子だった。


「なぁ」


長い長い沈黙の後、彼女が口を開いた。俺は時計に目をやる。嘘だろ、まだ帰ってきてから15分しか経っていない。俺には三時間くらい経った気がする。


「お前さぁ、なんかあったでしょ?話してみ?」


いや、話してみ?じゃないよ。何で見ず知らずの女に身の上話をしなきゃいけないんだ。


「話すと楽になるだろ?俺でいいなら話聞くしさ」


話しただけで楽になるなら俺は壁に向かってずっと文句を言ってるだろう。それよりも、彼女の一人称が『俺』なことが一番気になった。


「なんであんたに話さないといけないんだよ」


「理由は無ぇ。だがよぉ、お前の表情、暗くて辛気臭ぇ。なんかあったんだろなってすぐわかる。あと全身から負のオーラってのかな、よくねぇ物が滲み出てる。正直、見てらんねぇんだよ」


「見てられないなら出ていけよ。服は返さなくていいから」


そうだ、出て行けばいい。俺と彼女は今日初めて顔を合わせたんだ。態々俺の話を聞く必要性はないし、俺のことが見てられないなら見る必要もない。俺ならば間違いなく出て行く。


「は?ヤダよ、身寄りないし」


ちょっと待て。彼女の発言に俺は耳を疑った。身寄りの無い女性が裸で俺の部屋の前に倒れてて、俺はその女を自宅へ(不本意だが)入れてしまったことになる。


 俺の脳内という狭い個室で俺という複数の人間が会議を始める。彼女を放り出して、部屋に閉じ籠る。ロックを掛ければ入ってもこれない。いやダメだ。部屋の前で大声出されれば俺が悪者になる。じゃあどうする?警察に連絡するか?そうだ、そうしよう。裸で居たのだし、何かしらの事件に遭遇している可能性は非常に高い。とすればだ、そういった事は専門家に任せるのが一番だ。俺は携帯電話を取り出すと、警察に連絡する為に110と押した。通話ボタンを押そうとした瞬間、机の向かい側から手が伸びてきて、俺の携帯電話を奪い取った。


「何処に電話するつもりだ?」


「警察」


「無駄だよ。事件性が無いからとか、痴情の縺れは民事だとかで相手にしてくんねぇよ」


じゃあどうする?俺に残された選択肢は何かあるか?再び脳内会議が始まった。色んな議論が飛び交ったがそもそも前提が確定していなかった。


「……一体、君は何者なんだ?」


そう、俺は彼女が何者か知らない。帰って来てみれば部屋の前に居た謎の女だ。今解っている事は彼女に身寄りがないということだけだ。俺の問い掛けに彼女は少し首を傾げた。


「……んー、わかんね」


「は?」


俺の反応は、自分でも間抜けだな、と思うほどの声だった。表情も恐らく呆けているだろう事が簡単に予想できる。


「わかんねぇもんはわかんねぇよ。うん。わからん」


なんでわからないのにそんなに堂々としてるんだこの女は。俺は謎を解くために質問をすることにした。


「名前は?」


「瓦井……んー……瓦井……」


彼女の名字だろう『かわらい』と繰り返し言うがその後が続かない。


「保険証とか免許証とかパスポートとか身分証明書の類いになるものは?」


「無ぇ。免許は取ってねぇし、海外に行ったこともねぇし、行くつもりもねぇからパスポートは作ってねぇし、そもそも服すら無かったって事忘れてねぇか?」


つまり手掛かりになりそうな物はゼロと。しかし、何故こいつはこんなに偉そうなんだ。


仕方が無い。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるだ。質問攻めにするしかないだろう。


「年齢は?」


女性に年齢を尋ねるのは失礼とかいうが、そんなもん知ったこっちゃ無い。それに目の前の女に対しては失礼とか色々通り越しているのだ。


「おう、それならわかるぞ。25歳だ」


俺より年上じゃないか。しかも2つも。


「今年は何年?」


「西暦は2015年。和暦は平成27年。因みに今日は7月1日」


「その辺はわかるのか」


「みたいだ」


なるほど、彼女は記憶喪失らしい。


 一般に記憶喪失と呼ばれる症状は広義で扱うと記憶を失う症状が見られた場合すべてに当てはまる。しかし、記憶喪失にはいくつ物種類があり、例えば原因が精神的なモノか外傷的なモノかでも区別されるし、記憶を失っている期間、新しい記憶の蓄積のされ方、過去の記憶の思い出し方などでも種類が変わってくる。その辺りは大学で人間学部心理学専攻を卒業した俺だからそよくわかる。詳しく知るためにもう少し聞いてみよう。俺は医者じゃないが目の前の女が気になる。それに、追い出そうと思えばいつでも追い出せるのだから。


「両親は?」


「わかんね」


「出身は?」


「標準語で喋る所だろうなぁ」


「卒業した学校は?」


「わかんね」


ふむ。俺は紙と鉛筆を鞄の中から取り出すと、そこに数式を書いた。6x+3y=201 x+y=40 簡単な連立方程式だ。


「解いてみて」


「ん」


彼女は素直に解き始めた。きちんと代入法で解いている。最終的に彼女が出した答えはx=27 y=13である。正解だ。


「西暦1945年に起こった出来事を答えて」


「第二次世界大戦終結。日本の敗戦って答えたほうが良かったか?」


「どっちでも正解だよ」


そんな風に途中からクイズ大会になりつつも、聞きたい事は聞けた。彼女は知識は失っていないのだ。分類として当て嵌めるならば全生活史健忘か系統的健忘だろう。彼女は自分自身とその周囲の記憶が曖昧だ。尤も彼女自身は曖昧な部分はわからないとキッパリ言っていたが。結局のところ、彼女自身の事は名前すら満足にわからなかった。


「俺は自分の事話したんだ、次はお前の番だよ。」


彼女は言う。先っきまでよりかは心なしか優しく聞こえた。


「……。俺は怒流湯 勝」


一呼吸おいて俺は自己紹介をした。ぬるゆまさる。名前はまだいい。問題はこの苗字だ。誰一人として初めて正しく読めたヤツは居なかったし、画数も少なくない。文字のバランスも難しい。なぜ俺の祖先はこんな苗字を名乗ろうと思ったのか。


「で、勝さんよ、今日は何があっただ?」


結局、そこに帰って来るのか。適当にはぐらかそうか、と思ったが彼女に言われたことを思い出した。表情、オーラ。どうせはぐらかした所でそれを指摘されて振り出しに戻るだけだ。そうだ、どうせどうにもならない。ならば壁に話すのも知らない女に話すのも変わらないのではないか。俺はゆっくりと口を開いた。


「会社をクビになった」


俺はゲームセンターの店員の社員をしていた。どうすればインカムが伸びるか考え、筐体のメンテナンスは念入りにし、プレイヤーがプレイしやすい環境を考えて、配置も提案したし、日々一生懸命仕事した。しかし店の売り上げは落ちる一方。ゲーム会社への支払いもあり、本社は俺の仕事先の閉店を決めた。閉店は今月末。しかし、それに先立って俺の解雇が言い渡された。理由は俺の提案した通りにしたが売り上げが伸びなかったからと理不尽極まり無い理由だった。


「はぁ!?クソじゃねぇか!」


彼女は俺の話を聞いて怒りを露にする。


「お前は寧ろ会社に貢献したんだろ!何でお前がクビなんだよ!」


「入社2年目だし下っ端だからだろ」


基本的にクビを切られるのはしたっぱからだ。俺より無能だと思える上司や本社勤務の連中は、俺より高い給料を貰ってノウノウとしている。


「お前ぇは腹立たねぇのかよ!」


彼女は声を荒げる。腹が立たない訳がない。だが、俺が何を言おうと結果は変わらない。社会とはそういうものだし、企業とはそういうものだ。


「悔しくはねぇのか!?俺だったら悔しくて仕方ないね!」


彼女はまるで自分の事のように憤っている。なんなんだ、ほんとに。しかし、俺には彼女が代わりに怒ってくれている様に思えて、なんだな心が軽くなった様な気がした。


「で、こっからどうすんだよ」


「は?」


「これからの生活だよ!仕事無くなったんだから収入もなくなる。当然だろ。そしたら生活の事も考えなきゃいけねぇだろ」


彼女の言う通りだ。しかし、俺は解雇された事がショックでそのまで頭が回っていなかったのか、その事をまるで考えていなかった。


「その様子だとこれっぽっちも考えてなかった見てぇだなぁ。まぁ、仕方ねぇか。ショックだもんなぁ」


彼女は机に右肘をつくとそのまま頬杖する。首を少し傾げた角度が絶妙に俺の心を擽る。


「なぁ、〆日と配布日はいつだ?」


「は?」


俺はさっきから彼女の問い掛けにこうとしか答えていない気がする。しかし、彼女の問いが唐突なのも間違いない。


「だから、〆日と給料の支払日だよ」


「月末〆の翌月25日支払いだけど……」


「そして今日は?」


「7月1日」


「つまりだ、今月は1週間くらい前に給料が入ったばかりってわけだ。そして、そのクソ会社がちょっとでも給料支払いでマトモな面があれば今月末も入る。つまり2ヶ月は生活できるわけだ」


「まぁ、そうだけど」


「仮に給料が払われなかった訴えちまえよ!勝てるぞ!」


「ははは……」


力なくだが笑えた。彼女から笑う元気を貰ったのかも知れない。彼女はなんというかパワフルだ。得体の知れない女なのに、何故か俺は気を許し始めていた。


「気持ちを切り替えろったって無理だろうな。暫くは好きにすりゃあいいんじゃねぇの?」


「そうだな」


「飯は任せとけ、料理には自信がある」


「そうか。……ん?」


まて、そのまま流しそうになったがこの会話どこかおかしくないか?まさか、この女……。


「お前、まさかここに住むつもりか?」


「だっていくアテもねぇし。身分証もないし、仕事も出来ねぇ。住所不定無職だ」


胸を張って言うことでも無いだろうに。


「待てよ。お前がここで生活するなら金の事計算し直しじゃねぇか!」


一人で暮らすのと二人で暮らすのとじゃかなり違う。食費は単純に2倍掛かると思っていい。光熱費だって嵩む。そうすると2ヶ月は大丈夫なんて余裕こいた事いってられない。更に相手は身分証も持ってない。定職は愚かバイトすら難しいだろう。なんてこった、今すぐ追い出すべきだ。


「出ていけよ。俺にはもう一人人間を養うなんて余裕は無い。それにさっき言ったばっかりだが、会社をクビになったんだ、余計に無理だ」


そうだ、今の俺に人を養う余裕なんてない。無理だ。一人でも、割りと路頭に迷ってると言うのに。一人でも、この先どうすればいいのかわからないのに。もしかしたら俺は考えてなかったのではなく、無意識に考えないようにしていたのかも知れない。


「だーっもう!んだてめぇ!男だろうが!考えも行動もせずに無理だって決め付けやがって!この部屋にあるあれはなんだ!」


彼女は部屋の片隅を指差した。底には黒い箱、もといパーソナルコンピューターが佇んでいた。それもデスクトップタイプだ。学生時代にオンラインゲームにハマった時にバイト台を貯めて買った当時としてはなかなかの高スペックの物だ。尤も、最近は時間も取れなくて電源をつけることも稀になり、昨日に何週間、下手をすれば何ヵ月ぶり位に起動した物だ。


「パソコンがどうかしたのか?」


「部屋にパソコンがあるって事は、ネットが繋がってるって事だよなぁ?」


彼女の言うことは尤もだ。インターネットにアクセス出来ないパソコンなんて、わさび抜きの寿司みたいな物だ。出来ることは確かにあるが、物足りないというか、文章ファイルをつくるだとか表計算して云々だとか、その程度はネット接続は必要ないが、それだとわざわざ高いデスクトップタイプにせずに安いノートパソコンでいい。彼女の言う通り、この部屋はインターネットに接続されている。


「そしてあれはなんだ!お前の努力の結晶だろう!」


次に彼女が指差したのはテレビ台の上に飾られたボトルシップだ。瓶の中に船の模型が詰まったそれは俺の趣味の1つであり、作成にはかなりの情熱を注いでいた。


 ボトルシップとは瓶の様な口の小さな容器の中に、口よりも大きな模型が入っている物だ。シップとは言うものの船以外の模型も見られる。作り方は二つ。バラバラに分解された模型を容器の中で組み立てる方法と、予め組み立てておいた模型を底を切り取った容器の中に入れて底を接着する方法だ。後者は偽ボトルシップとも言われる事があり、非常に簡単に出来るがその道の人からは邪道と言われやすいし、そもそも安価な物が多い。俺が情熱を燃やしているのは前者であり、更に彼女が指を指すそれは俺の力作だった。少し前から戦艦ブームが起こり、船舶関連の物が世に出回るようになった。そのお陰で、船の模型が安くなり俺も買いやすくなった。そのお陰かはわからないが、戦艦長門の模型が定価の半分以下の値段で手に入り、都合のいい瓶もあったので、早番の日は仕事が終わって帰ってきてから、遅番の日は仕事に行く前に少しずつコツコツと作り上げていったものだ。


「この情報化社会だ、仕事はネットでも求人が出てる。で、お前は出先が器用で真面目で努力家だ!お前に向いた仕事は探せば見つかる!」


そうかもしれない。だが、今の俺は疲れきっている。賞金を出すからボトルシップを作ってくれと言われても断るだろう。だからだろうか、口から出てくるのはマイナスな言葉ばかりだ。


「でも……」


ほら、また否定の言葉が飛び出して来た。


「だから言っただろうが、今はゆっくりしろって。ゆっくりしたくねぇなら仕事を探せ。その気力がねぇなら適当に過ごせ。誰も怒りゃしねぇ。だってそうだろ?怒る筈のお前ぇの上司はもう上司じゃねぇし。それでもなんか言ってきたら俺が訴えてやる!」


「訴えるって……。身分証もないのにどうやって訴えるんだよ」


「そんなもんは知らん!その時に調べる!」


よくここまで開き直れるもんだ。何故だ、何故そこまで自信を持てるんだ。彼女だって不安だろう、だって彼女は自分の事すらよくわかってない筈なのに。でも、とても前向きで、とても力強くて、なんだか俺には眩しかった。直視できないくらいに。だから俺は俯いた。彼女から目を背ける為に。


「……はぁ」


ため息。彼女のものだ。次に足音。見てられないと言っていたし、彼女は部屋を出ていくのかも知れない。きっとそうだ。知らない男の為にこれだけ言葉をかけただけでも立派だ。ここで投げ出しても誰も何も言わないし、言えないだろう。何しろ当の本人の俺が何も言わないし言えないのだから。


 次の瞬間、俺の背中に柔らかさと温かさが同時にのし掛かってきた。


「何やってんの」


相変わらず、口からでる言葉は冷静だった。頭はパニックでパンクしそうだってのに。


「抱き付いてる」


そんなのわかってんだよ。そんな答えを求めてんじゃないだよ。なんで、どうして、このタイミングで、俺に抱き付いてくるんだよ。もうわけわかんねぇよ!


「お前は人一倍努力家で、真面目で、だから仕事も手を抜かないし、いろんな事に全力だったんだろ。でも結果はクビ。辛いよなぁ、苦しいよなぁ。そう言うときは泣いていいんだぜ」


彼女が耳元で囁く言葉が、耳を通して俺の中へ入ってくる。彼女の言うことに否定も反論もしない。しかし、俺は泣かなかった。だって泣いたって変わらないから。でも、1つだけわかったことがある。人ってあったかいってことだ。彼女の温かさは何処から来るんだろう。俺はこの短い時間に、彼女と言う得体の知れない女に興味を持ち始めていた。


「ありがと」


気が付けば俺は彼女に感謝の言葉を述べていた。


「ん」


彼女はゆっくりと俺から離れると、立ち上がった。伸びをしているのだろううーんと言う体を伸ばすときの声がする。


「じゃ、俺は行くわ。元気でな、勝」


は?なんだなんだ、どう言うことだ。


「行くって何処へだよ」


「わからん。アテも無ぇ」


「アテも無いのになんで出て行くんだよ。ワケわからん」


「仕方ねぇだろ。お前が俺を住まわせたくないってんだから。部屋の主がそういってんだ。だったら出てくしかねぇだろ。その先は外で考えりゃいいし」


驚くほどのプラス思考。いや、これはプラス思考と呼べるのだろうか。確かに彼女ならば生きていくことはできるかもしれない。しかし、しかしだ。


「身寄りも無い、身分証もない。そんな奴を外に放り出せるか!」


「ほ?なんだ、お前案外優しいんだな、もっと冷たいヤツかと思ってた」


「俺はこれから暫く好きに生活する」


そうだ、仕事もしなくていい。いつテレビを見るかも、何をするかもとりあえずは自由だ。先の事は考えなきゃいけないけど、今はとりあえずそれでいいだろう。だから。


「だから、お前も好きに生活していい」


「おう、なら此処に住まわせてもらうぜ。これからよろしくな!」


こうしてリストラされたばかりのニートの俺と、正体不明の謎の女性との同棲生活がスタートした。

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俺に突然、彼女が出来た。 なかった崎 @kyo-tank

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