第3話 鍵のないドア 前編

 『重大報告

  お昼休憩に女子トイレへ集合されたし

  いえーい、聞いて驚くな二人とも~~~!』


 妙なテンションのメッセージが、菜穗から私たち三人の仲良しLINEに放り込まれたのは、腹の虫も鳴り始めた四限目のことだった。

 即座に、驚いてるパンダと猫のスタンプが私と栞奈かんなのと二つ押される。対する菜穂からは、ふんぞり返っているハムスターのスタンプが返ってくる。

 どういうことか教えるように促すも、菜穂は『あとであとで』とはぐらかすだけ。そして、メッセージとスタンプの入り乱れた会話を、机の下でコソコソと繰り広げているうちに四限目は終わっていた。

 実に得るもののなかった一時間。でも多分、中だるみ真っ最中の高二なんてこんなもの。

 そして私たちはもちろん、チャイムが鳴った瞬間に立ち上がり、女子トイレへ駆け込んだ。

「で、どういうことよ。あれだけ騒いで大したことなかったら怒るよ。あんた前科あるんだから」

 長い髪をシュシュでまとめ直しながら、栞奈が思いっきり顔をしかめる。少しキツめの細い目は、不信感を少しも隠さない。

 対する菜穂は、余裕たっぷりに人差し指をくるくる回す。ついでに、小さなポニーテールがぴょこぴょこ跳ねる。

「ふっふっふっ、今度の今度は本物なのだ~!」

「やけにカッコつけるじゃん、菜穂」

 続く台詞は私。私と栞奈の焦れったい視線にさらされて、菜穂はひときわ得意げに胸を張った。

「なんとなんと! 東江大学の男の子たちと合コン取り付けちゃったあ!」

 一瞬間があった。そして次の瞬間、悲鳴のような歓声があがる。

「マジ!?」

「まじまじ~! 超まじ~!」

「あんたサイコー!」

「菜穂すごーい!」

「いえい、菜穂様と呼ぶのだっ」

 そろって黄色い声の一員となりながらも、私は一抹の不安を覚えていた。そんなことして大丈夫なんだろうか? 年中彼氏募集中の二人にくっついて、他校の男子学生と遊んだことは何回かある。でも、それとはレベルが違う気がする。

 そんなことをグルグル考えながら、私だって〝大学生〟という響きに心惹かれていたのもまた事実。まだ知らない大人の世界へのドアは突如として私たちの前に現れて、薄く隙間を開けて待っている。

「あさって金曜日の夕方から! もちろんみんな行くよねー!? もう三人行きますって言ってあるんだから!」

「当然!」

 菜穂の言葉に私たちは声を合わせる。

 こういう時、結局私は断らない。最後には興味の方が勝ってしまうし、それになにより、断るなんて空気の読めない行動をするのは、〝普通〟じゃない。

「年上カレシのチャンス! みんな、気合い入れてこ~!」

「どうしよ、いい服がないよー。ねえ菜穂に藍、今日の放課後服見に行こ」

「いいけど、でもそこは制服じゃん? ザ!じょしこーせー的な」

「藍さすがあざとい」

「菜穂ほどじゃないと思うな」

「確かに」

「ええ~! みんなひどーい!」

 他愛もない話を、わいわいぎゃーぎゃー言い合って大笑いする。そんな何の変哲もない輪に、違和感なく混ざれている自分を確認してほっとする。――そして、その安堵さえも気取られないように、私はヘラヘラと安っぽい笑顔を貼り付ける。

 その時、女子トイレの入り口で賑やかな笑い声がしたかと思うと、数人の女子の集団の姿が見えた。しかし私たちが手洗い場の前で陣取っているのに気付くと、中をチラリとのぞいただけで、背を向けて去って行った。

 それを見送って、ふいに栞奈がため息をつく。

「金曜日が待ち遠しいなあ。はあー午後の授業めんど」

 私はそれに応戦することにする。

「栞奈はどうせ授業中爪みがきしてるだけじゃん」

「そういう藍だって寝てるだけでしょ、さっきだってLINE来るまで爆睡だったじゃん」

 そう言われて、私はエヘヘと頭に手をやる。

「バレてたか。でも先生からは多分わかんないよ、直立不動で寝るの特技だから」

「わかってても高田は注意しないでしょ」

「それっ、国語の時間って睡眠時間だよね~」

 睡眠時間というほどいつも寝てるわけじゃない。今日はたまたま、昨日深夜までアガサ・クリスティを読みふけってしまったせいで眠いのだ。

 そんな、適当に合わせただけの私の話に、なぜかこの時は栞奈が食いついてきた。

「でも藍って、いっつも寝てるくせに国語の点数良いよね」

「確かに! コツとかある? 実はめっちゃ本読んでます的な?」

 菜穂の「本読んでます」という言葉には、若干の蔑みの色が混じる。

 この子はそういう子だ。陰キャラのガリ勉くんより、大人しい読書少女より、カレシ作って化粧してキラキラしている女子高生が一番偉いのだと、そう本気で思っている。

 だから私は、間髪入れずにわざとらしく片手を振る。

「ないない! 私活字アレルギーだから。コツはねえ……天性の才能ってヤツ?」

「なにそれ、なんかムカツクう」

「うそうそ、最近やけに勘が冴えまくっててさ。てきとーに丸つけてるだけ、なーんにも考えてないし」

 ヘラヘラ笑った私に、栞奈がパチンと指を鳴らす。

「それアレだ、そのうち幸運のより戻しが一気に来るやつ」

「そーなの! 今に私は赤点を取るのです、シクシク」

 そして私は哀れっぽく泣き真似をして、結果、無事に二人の爆笑を取って終わった。

 その後、私たちはかなり遅れたお昼ご飯のために食堂に出かけていく。そして戻ってきた教室で私は、隠し持った小説をカバンのよりいっそう深くに押し込んだ。


 ――とんだ嘘つきだ、私は。


 心の中ではずっと、そんな冷めた声が聞こえている。

 けれど、本なんて読まないと言ってしまうことへの抵抗はとっくに消えた。所々話をごまかしたって、もはや罪悪感すらない。

 例え読書のせいで寝不足だろうと、みんなの前での私は、本なんて読まないちょっと不真面目な女の子なのだ。

 だって私は普通だから。皆と同じ、勉強や読書よりも遊ぶことが大好きな女の子。キラキラしたイマドキの女子高生が最強と信じて疑わない、普通の女の子。

 だから私は、今日も上手に〝普通〟を生きる。

 もう幼い頃の私のように、不思議の国を夢見たりなんてしないのだ。

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