第3話 後編
「これは?」
ある日、彼女は武骨な金属の塊を手にやってきた。それは彼女の手によってガシャ、と威嚇するような劈く音と共に光が瞬く。カメラの様で、どこか違っていた。
「浜辺近くの廃品置き場に捨ててあったの。多分、船かなんかで使われていたのね」
使えないから捨てられるなんてお前もかわいそうにね。と岬はその機械を優しく撫でる。それはなんだか哀れみというよりも同族に対する諦念のように聞こえた。
直してみようか、と岬が言ったのは、海が春霞で濁る春先の頃。僕らは中学二年生になった時だった。進級と同時に僕らはクラスが違って、帰る時間も合わなくなっていた。岬の隣に、傍に入れないことに伊月は焦燥と危機感を抱き始めていたとき。春の陽気でぬるい風が嫌というほどに感じ取れる、そんなよく晴れた日だった。
どうやって直すのか、という伊月の疑問に、岬は図書館に行ってみればいいんじゃない、と言った。電車少し行ったところに、近隣では大きい市立図書館がある。そこなら、僕らの欲しい情報もあるだろう、ということだった。
岬が拾ってきたそれは回光通信機といった。古い型で、金属の塊は錆てところどころ剥がれていた。僕らは放課後になると図書館に赴き、回航通信機の仕組みや構造を片っ端から探した。熱心だったのは言い出しっぺの岬だった。
伊月たちは集まっては調べた事を実践し、解剖し、試みた。最初こそ古びた機械は口を利かない人形のように頑なだったが、手をいれるごとに少しずつ通信機は本にあった通りの本来の姿を現していった。
梅雨にはまだ早い、小雨が木々の葉をしっとりと濡らす、そんな土曜日のある日のことだった。いつもの様に秘密基地に伊月は来ていたが、既に来ているはずの岬はまだ姿を見せてはいなかった。一刻、二刻と過ぎて行く。外は暖かな空気で満たされているのに対し、基地内は時が過ぎるごとに暗さと寒さが増していく。主人がいないこの場所の静寂は耳が痛いと伊月は思った。ようやく岬が来たのは三刻を過ぎようとする頃。彼女は怪我を負ってやってきた。私服から肌が見える部分には絆創膏や包帯で覆われている。片方の足は引きずり、動くたびに顔を歪ませていた。傷が増えたことに、彼女はなんでもないよ、とばかり言った。岬はいつもの定位置に座って、通信機を手繰り寄せ、伊月を見上げた。彼女の瞳には無垢にも等しいほど真っ白だった。まるで、がらんどう。怒りも、哀しみも何もない。だから問うな、と言わんとしていることだけはわかった。僕は深追いができなかった。彼女の言葉が、瞳が、それを許さなかったから。
「自転車で怪我をしたの」
白い紫陽花が蕾をつけ始めた頃、彼女はようやくそれだけ言った。それまでの岬は金属の塊に一心になっていた。彼女が通信機に深くのめり込むのに相反するように怪我が増えていた。それはひたすら自分の心をどこかに預けて、自分の身をこれ以上傷つかないように守っているように見えた。
岬の後ろに位置する窓からは柔らかな日差しが降り注ぎ、彼女のか細い肩を照らしていた。胡坐をかいて通信機を弄るその姿は赤子をあやす母親のように見える。けれど、彼女の瞳からは何かしらの感情を伺うことはできなかった。
いつだったか、ひたすらに自由でいたいのだと彼女は言っていた。親との関係になることを恐れているのだと思った。変われないのだと、そう思いたくないから、岬は極力人を避けてきた。側にいた僕にすら、何処か気を許してはいなかった。
「先についた方がこれで知らせよう」
梅雨が本格的に入る前。ようやっと通信機は本来の姿に近い風体になった。操作すればかしゃりかしゃりとリズムよく光を瞬かせる。出来上がったそれに岬は愛おしそうな眼差しを向けた。伊月は不意にどっと体の底から這い出るような嫉妬に駆られたが、対象は感情を持たない機械だった。岬のその情を、伊月は自分にも向けて欲しかった。ほんの一部でよかったのだ。それさえあれば、伊月は何だってよかった。
何処まで見えるか試してみよう、と彼女は言った。傾いた陽が沿線沿いを歩く伊月の影を、長く夕焼けに染まったアスファルトに象る。近くを走る線路からは市内から帰宅ラッシュの電車がフェンスを隔ててガタガタと揺れてきたのが見えた。目先の方向へと向かう電車の纏い風に煽られて、髪がくしゃくしゃになって伊月の影は電車の陰に混じって見えなくなった。最後の車両が横を通り過ぎて、静けさを取り戻しかけると、伊月はばっと勢いよく後ろを振り返った。
その先には、秘密基地からチカ、と何か光っているのが見えた。一度瞬くと、二度三度と続く。遠目から見えたそれは、私はここだ、と言っているようだった。通信機には信号があるらしかったが、僕らは結局それを使わなかった。ただかしゃかしゃと何度も瞬かせた。
ここにいる、僕は、私はここにいる。そう報せるだけだったが、伊月にとってそれは気持ちが通じ合ったようで、それだけだったのに十分だと思えた。
〇
蝉が見えぬ木々から夏を感じる音を奏でる。じとりと額を汗が伝う。遠くから祭囃子が聞こえてくる。それらが遠い日の夏夜を脳裏に掠めさせた。町内には道沿いに等間隔に飾られた提灯が風に揺らめく。毎年世間が夏休みとしているこの時期には、地元では有名な祭りがおこなわれていた。
伊月がこの町に戻ってきて、そして社会人になってから初めての祭りだった。最後に来たのはたしか中学だったか。祭りのざわめきにいつしかの記憶が少しずつ浮上する。金木犀が脳裏にちらつく。祭の暗がりの中、君が振り返って僕に話かける。そして。その先を思い出そうとしたその瞬間、後ろからよぉと聞き覚えのある声が聞こえた。
「久しぶりだな」と彼は言った。彼は小学生の時からの同級生だった。この街は小さいから、古くからの知り合いたちがよく集う。
久しぶり、と伊月も返す。社会人になってから知り合いに会う頻度は減ったが、まれに会うことはあった。
この街に戻ってきていたんだな。俺もそうなんだ、と彼は言う。やっぱ地元の方が安心、てーか気楽でいいな。と。
そう、と伊月も返す。彼とは高校卒業以来だった。気になってどんなだったか思い出そうとするが、高校生活の最初の頃は正直覚えていない。多分忙しかったのではなかろうか。高校生活はそこそこ地味に過ごして、伊月は大学進学を機に街を離れた。離れなければいけなかった。あの頃はそれだけしか頭になかった。何だかとてつもなく辛かった。思い出してはいけないと、そう自分を戒めていた。見覚えのない記憶の空白。そこに何かがあると、自分の何かが訴えるが、伊月にはてんで検討がつかなかった。
近々同窓会を開くんだ、と彼は言った。中学の同級生で近所の広めの店を借りて。楽しそうだ、と僕はほほ笑んだ。でも僕はいいかな、と返す。
「きっと岬は来てくれないだろうからさ。今忙しいみたいなんだ。落ち着いたらその時は行くよ」
僕の言葉に彼はなんとも不思議そうな顔をした。
「岬って、あの氷の女王の岬か? 小五で転校してきた?」
何を言っているのだろう、と僕の方も首をかしげる心臓がドクンドクンと大きく音を立てて鼓動を打つ。次第に息苦しくなっていく。そうに決まっているじゃないか、と僕は視線下に向けながら言う。自分の声が何故だか震えた。自分の声なのにどうしてそうなるのだかわからなかった。
再び顔を上げると、彼は気の毒そうな顔をしていた。僕の頭が警報を鳴らす。これは駄目だ。聞きたくない。知りたくない。やめてくれ。わかって仕舞えば、もう戻れなくなる。
そんな思いとは裏腹に、彼は不躾にも言葉を続けた。決定的な言葉を、僕に打ち付けた。
「岬の事は残念だったな。お前、すげぇ執心だったもんな」
宙ぶらりんな何かが、ぱきりと音を立て落っこちる。がらがらと崩れ去っていく感覚。自分の聴覚が彼の言葉を音として拾う。最初言葉を認識できなかった。けれどその音に、伊月は懐かしさと寂しさを、押し寄せる波の様な感情を覚えずにはいられなかった。音を反芻する。それは伊月の脳に徐々に浸透していき、形ある言葉として輪郭を得た。理解、した。
夏夜のむさ苦しい熱気と、取り残された様に感じる喪失感。忙しなく鳴く蝉の音が離れていく。それらが伊月の感覚を撫で終わる頃には、思い出していた。
「そうか。そう、だったな」
ごめん、間違えた。と取り繕えば、しっかりしろよ、と返される。ぼんやりとその風景から自分を切り離して、伊月は心の底から自分が空っぽになる感覚を味わっていた。
ああ、知りたく、なかったなぁ。
彼とはいつの間にか分かれていた。記憶が飛んでいたことに、伊月は自嘲気味に笑った。なんてご都合のいい頭をしているのだろうと。
信じたくなかった。思い知りたくなかった。岬がいなくなったこと。もう会えないこと。……君がこの世界に存在しないこと。それは伊月の世界が壊れ、死んでいくことと同じだったから。王国の主がいなくなる。金木犀の君。君が僕の生きる意味だった。
そして伊月は思い出す。これまで過ごしてきた数年間。岬がいない色褪せた世界を。
岬はこの町を去ってから、一年と少しで亡くなった。原因は事故だった、と聞いている。伊月はその日の事を、そのままそっくり思い出す。
真っ白い雪。初雪がその年に降った寒々とした日だった。来るはずのメールが来なかった。一日中メールが来ていないか確認していた。その日は授業も何もかもどうでもよかった。ふと目に入ったテレビのニュースで、君がいなくなったことを知ったんだ。
その日から、伊月は自分をしまい込んだ。都合の良い妄想と薄っぺらい現実をひたすら繰り返して、過去に自分を遠ざけた。
僕は憶えている。きっとこれは死んでも忘れないだろう。
全部思い出すと、伊月は走り出していた。確かめなくてはと思った。あの時の約束を。それでもやっぱり信じたかった。スマートフォンの画面が光る。止めていた自転車に乗る。スマートフォンは光り続ける。いつか見た回光通信機のように瞬き続ける。ああ、あの場所に。岬は待っている。
○
「親は選べないから、せめてなりたいものくらいはさ」
自由でいたいんだよね。となんとなしに話す岬に、伊月は息を飲んだことを覚えている。中学三年生の八月、夏休み真っ只中。日中の暑さがぶり返すような夏夜だった。
「私は旅人になりたいんだ。これからの私を探しに行きたい。
女の子って搾取され続ける生き物なんだって、そんなの嫌だからさ。どこにも行けないなんて、何にもなれないなんて、それってなんで生まれてきたんだか分からないじゃない」
だから、旅人。岬は呟く。彼女にとっての自由の象徴。
女の子はみんな旅人なんだ、と言う。それはいつだったか彼女が言っていた言葉だった。
「なんだってなれるし、今あることが全てじゃないって、私は証明したい」
だからさ、と岬は振り返る。
「ここで、お別れだよ」
後ろをついていくだけの伊月に、彼女の言葉はざっくりと冷酷に刺さる。じっとりとした風がそよいで、雲一つない夜空に浮かぶ今宵の月灯りの方が、よっぽど暖かいと感じた。
岬が街を離れる最後の日曜の夜。丁度その日は近所で夏祭りが行われていた。岬は少し渋ったが、最後だから、と伊月は岬を連れ出した。会場に着くと祭り特有の熱気に、人々の騒めきが重なって、見るもの全てが夢のように輝いて見えた。
ここは優しい世界だね、と彼女は言った。私とは大違い、と。
「でもなくなれなんて言わないよ。みんな不幸になれなんて言えないよ」
悲喜交々含んで私なんだろうからさ。そういって彼女はふらりと祭りの大通りから外れた道に足を向けた。もうこの世界には耐えられないとでも言うように、雑踏から目を逸らす岬に、伊月はついていくことしかできなかった。
なんで人は忘れるのだと思う? と彼女は僕に問う。電灯が遠感覚にぽつぽつと並ぶ、暗がりの道を歩きながらのことだった。
その時の僕はない頭をひねったが、何の答えも出なかった。その様子に、彼女は小さく笑って、本当はね、 という。
「忘れたくないんだよ。憶えておきたいの。でも、両方は無理だから、私は一つ置いていくよ」
貴方がくれた思い出と、思いを。持って行っては辛いだけだろうから、と。
白い言葉。その言葉に、置いていかれるのだ、と伊月は察する。足元が崩れて、道端に座り込んでしまう。
旅人に、灰色は不要だから。あっては離れがたいだけだから。彼女は自分を選んだ。ずっと欲しかったものの為に、僕を置いていく。
先を歩いていた岬は少し道を戻って、彼女はしゃがむことなく伊月の手に自分のそれを重ねた。
「おもいをひとつ、おもいでをひとつ置いて、私は行くね」
彼女にとって、居場所は何処だっただろう。僕はどんな存在だっただろう。
白い頬に、丈の短いスカートから覗く傷だらけの脚。あの春の日から、彼女の傷は増えることはなく、けれど、減ることもなかった。
真上の電灯の灯りが彼女に惜しげもなく照らし、僕に影を作る。彼女はこんな時でも美しかった。決して決して、折れるものかと。その細い体にいっぱい溜め込んで。強くて弱い彼女は僕に強く笑いかけた。
「大丈夫よ。大丈夫だわ」
自身に言い聞かせる様に、岬は言う。
「信じれば、それは叶うの。だから私は言い続けるし、信じ続けるわ」
凛とした声音。それは僕の鼓膜を震わせる。見上げる僕に、彼女は笑いかけた。ぎゅっと手に込めた力が強くなる。君の事は、と続ける。
「君は救いにはなったけれど、ソレが全てになるわけじゃないんだ」
傷だらけの彼女はそう言って僕の手を離した。
「それが」
伊月の呼びかけに、歩きだした彼女はピタリと動きを止めた。
「それが君にとって必要なことなら、僕は待とう。待ってるから、帰ってきて。ずっと待っているから。必ず」
あの場所で待っているから。お願いだから。引き留める資格を持たない僕は、只々祈るように何度もそれを繰り返した。
それに対して、愛しい彼女は振り返って曖昧に微笑むだけだった。
そうして岬はこの町からいなくなった。
●
走る、走る。手足を賢明に動かして、ただひたすらに君のいる場所に向かう。本数の少なくなった電車が伊月の横を通り過ぎていく。思い出すのはきれいな夕焼け。それと瞬く光。眼前には回光通信機の信号が闇夜を切りとるように点滅している。
ああ、彼女はいるのだ。
これは夢ではない、と伊月は確信する。僕に居場所を知らせている。ここにいる、私はここにいる。そうだ、僕もここにいるよ。ここにいるんだ。叫びたかったが、喉から出るのは空ぶった咳だけだった。あそこに岬がいる。
変わらぬ場所で、あの頃のように。
「あなたは優しいから、待っていてくれると思った」
たどり着いたその先に、いつも根城にしていたあの部屋に、岬はひっそりと佇んでいた。廃墟となった、昔のガラクタの、その中心で。
久しぶりに訪れたそこはあちこちにガタが来ていて、十分な年月が経ったのだと実感させた。この街が世の中の好景気に乗って作られた、結局は捨てられた建物は近々取り壊されることが決まっている。灰色のコンクリートの塊は死んだようにひっそりとしていた。
枠組みだけの窓の外からは離れた街の明かりが見える。ぼうぼうと燃えるような明るさだった。
「待っててくれてありがとう。もう待たなくて良いんだよ。私はもう」
白く映る彼女はあいもかわらず美しい。あの頃とちっともかわらず。涙で濡れた頰がきらりとひかる。
「気が狂う様な時間だった、なんて言わないさ。君に会えたから、それだけでもう良いんだ」
こつこつと床を鳴らして岬に近づく。彼女はピクリとも動かない。そっと触れた彼女の手は冷たかった。冷水に晒したような冷たさはこの気候には気持ちいい。
握ろうとした僕の手は彼女の手をすり抜けた。半透明なのは、岬の手だった。それを見て、岬は静かにうつむいた。空の手。何もつかめはしない。彼女はすぐそこにいるのに。神様がいるとしたら、なんて仕打ちをしてくれるんだろうかと、伊月は思った。
「でも、ずっと待って居たんだ。狂おしい程の時間を、君がいなくなってから。
毎日がつまらなくて仕方なかった。
どこへ行ったって他の女の子話したってちっとも楽しくない。
君を見つめたときの、あの一瞬胸に過る苦しさがない。
まるで海の底に沈んだような、切なさや息ができなくて泣きたくなるほどの愛おしさがなかった。
君だけだったんだ」
あの時よりも老いた腕を彼女の身体に伸ばす。それは簡単にすり抜けて空回った。
「祭が終わるよ」
遠くで響くお囃子の音。打ち上がった花火の残像。それら全てこの世にいない彼女を彩る。
大好きだった。それは今も変わらないのに。
今年最後の花火が弾けた。夏が終わる。君がいなくなる。
そんなの。
「……なんてやりきれない」
やり場のない暴力に似た感情を押し込めるように、伊月は手に力を込めた。
僕がいつまでも君の記憶に残るといい。消えないで、甘い香り。僕はずっと思い出す。来年の今日も、そのまた次も、金木犀が香るかぎり、僕はいつも思い出す。ねぇだってそうだろう?
初恋、なんて。
消えないものだ。ずっとずっと残るんだ。甘いだけの痛みを残して。かきむしりたくなるほどの淡くゆるい何か。金木犀の甘い香り。まるで呪いみたいじゃないか。
「どうか、どうか」
伊月は願わずにはいられなかった。手の平を自分の顔に押し付ける。目の前の彼女に祈るように、そっと。
「この一瞬が永遠になればいい」
その為なら僕は命だって投げ出そう。君と共にいけるのなら。
「だめだよ」
鈴が転がるように、廃墟に岬の声が響く。
「君はまだこっちに来ちゃだめだ」
うつむいた顔を上げると、凛と佇む岬がいた。
ああ、彼女のその意志の強い瞳のなんと美しいことか。
だめだといわれてしまった。
でも、だって。
「だってずっと好きだったんだ」
胸を焦がす何か。これは、恋だ。もはや叶わぬ惨めな恋なのだ。
「君が幸せならよかったんだ。僕が置いていけぼりになろうと、君さえ幸せなら」
嘘だと言って欲しかった。死んだことなんて嘘だって言って欲しかった。でも、本当は。
「いっちゃ嫌だった。そばにいて欲しかった」
目頭が熱くなって、世界がぼやけていく。十四歳の僕が動き始めた。二十七歳の僕は、それにひたすら同調することしかできなかった。美しい日々は幕を閉じる。
青春は終わる。誰にでも、等しく。
「遅いんだよ、馬鹿」
やっと本音聞けたよ、と君は言う。
いつだったか、後輩が言っていた言葉を思い出す。ああ、待ってくれなかったよ。彼女は行ってしまう。
岬はあの、似合わないにや、とした表情をもってさよならといった。
あのときより大人になった岬に、やはり似合わないと思った。
岬は旅人になる。
今度こそ本当の、そして永遠の。
僕を連れていってはくれないんだ。
「今度こそ、本当に」
さよなら。
金木犀は、香りだけ残して消えて行った。
●
もうすぐ金木犀の時期がやってくる。今年も来年もあの香りが何処かにいる。旅人になったあの子のように、いつの間にかふらりと姿あらわしている。いなくなった君のこと。僕はいつまでも憶いだす。
金木犀の旅人 若槻きいろ @wakatukiiro
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