第5話

 崖伝いに徒歩で数キロ歩き、ようやく小さな河に辿り着いた。赤土の上には僅かに草が生え、小さな黄色い花が咲いている。

 紫外線はまだ強いが、砂漠ほどではない。持ち出せた携帯食料は少ないが、水さえ確保できれば、徒歩でも当初の目的地である湖まで辿り着けるだろう。

『イービル』は無機物を溶かした物質で砂を固め巣を作る。岩場を選べば、遭遇する心配は無かった。

 重い装備を外し、セロは素手に汲んだ水で顔を洗った。

「使って下さい、冷えてないけど」

 顔を上げると、相変わらずの無表情で白髪のシンがタオルを手にしていた。

「ありがとう……だがもう、私は上官でも何でも無い。湖までは行動を共にするつもりだが、その後の事は、何もしてやれないんだ。悪性の癌で、いつまで生きられるかも解らないしね。望みは薄いが、噂で聞いた過去の脱走者が隠れ暮らす集落が実在すれば……」

「集落は、実在します。それに、少尉は死なない」

「……?」

「本隊には『イービル』システムに反対する組織があって、大佐は内密に荷担しているんです。集落は、その組織に守られている。俺は少尉を送り届けて、裁判も受けられず銃殺になるところを助けてくれたアドミル大佐に、恩を返さなくちゃならない」

 水場に辿り着くまで忘れていた疑問が、再びセロの思考を混乱させる。

「シン、おまえは何を知っているんだ? なぜアドミルは私を助けようとする? 死なないとは、どういうことだ?」

「生き残れたら、伝えて欲しいと言われました。少尉の弟さんが『害虫駆除部隊』に志願したのは、『イービル』の髄液採取の為だったそうです。死ぬ前に採取した髄液は後日、陸路でゴミを運ぶ業者に回収して貰い重篤な病気を患う患者に使用されました」

「まさか……その患者って……」

「合成獣『イービル』の髄液は、驚異的な細胞再生力を持つ薬になるそうです。たとえば、癌に冒された内臓を生命に関わるほど除去しても元通り再生してしまうほど……。つまり少尉、あなたの病気は、ほぼ完治しているんです。でも、この話を大佐は、どうしても伝えることが出来なかった。言えばあなたが苦しむと解っていたから。真実を伝える機会がないまま、少尉は部隊に志願して配属が決まってしまった……。俺を助けたのは、助けられなかった弟さんの代わりでもあると言ってました」

 セロの胸に、いい知れない感情がわき上がった。

 アドミルに対する愛と感謝、申し訳なさ。脳裏に浮かぶ弟の面影と、命を失わずに済んだ目の前の少年。

 自分の行いに対する後悔。

 膝をつき、両腕で震える肩を抑えたが、堪えきれず涙があふれた。

「『イービル』の餌に選ばれるのは、社会で疎まれるゴミのような人間だから、処分は世の中のためだと上層部は考えている。腐った木を切り倒しても、病気にかかった根は森を全て腐らせるからダメだって、アドミル大佐は言いました。森を腐らせないように、何年かかろうとシステムを変えてみせるそうです。だから、生きて見届けて欲しいと伝えてくれ。そう、伝言を頼まれたんです」

 ただ嗚咽をあげ続けるセロの背を、ザキが叩いた。

「行こうぜ、隊長。少なくとも俺たちは、まだしばらく生きられるって事だ。群れ一つ退治したんだ、少しは大佐の役に立てたかもしれねぇぜ?」

 セロは立ち上がると、支えようとしたザキとシンの手を振り払う。

「シン、集落の位置を出せ。出発する」


 その眼にはもう、死は映っていなかった。




終わり

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