第百三十一回 王彌と劉曜は晋の伏兵を敗る

 成都王せいとおう司馬穎しばえい魏縣ぎけんの城に籠もる漢軍を包囲して五十余日が過ぎた。城中の兵糧は払底し、軍馬を殺して食するに至っている。平陽へいようから遣わされた劉曜りゅうよう石勒せきろくの軍勢は沙麓山さろくさん霊昌道れいしょうどうにて度々の勝利を収めるも、険隘の地に拠る晋軍に道を阻まれ、魏縣を目前にして城に到達できない。

 実に、魏縣の城は失陥直前にあり、晋陣を訪れた孫恂そんじゅんの言葉は、漢軍にとって旱天かんてん慈雨じうに等しかった。

 長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいが孫恂を支持して成都王もその意見に同じては、陸機りくきも従うよりない。ついに沙麓山と霊昌道の軍勢を呼び戻すとともに包囲を解き、五鹿墟ごろくきょに軍を移すこととなった。


 ※


 廣州こうしゅう刺史の陶侃とうかんに仕える参軍さんぐん裴憲はいけんが言う。

▼「第百九回 成都王は大いに軍兵を会す」で紹介された陶侃麾下の參軍は『後傳』『通俗』ともに「王貢おうこう皇甫盛こうほせい」となっており、裴憲の名はない。

「城の囲みを解くにあたって、諸軍は自らを顧慮するだけで友軍と協力することは難しいでしょう。そこに漢賊が精鋭をりすぐって追撃をかければ、必ずや混乱して潰走に至ります。ここは精鋭を選んで殿軍でんぐんを任せ、後顧の憂いを断つべきです」

 陸機もそのことを懸念しており、先鋒の祁弘きこう張方ちょうほうに二万の軍勢を与えて城から十里(約5.6km)の地点に埋伏させることとした。漢兵が追撃してきた際には一斉に起って逆撃するための備えである。

 さらに、武威ぶい太守の馬隆ばりゅうとその軍勢を十里(約5.6km)の外に埋伏させる。これは、祁弘と張方が漢兵と戦になった際の加勢に備える。

 それらの手配りを終えた後、晋軍は魏縣の城から退去を始めた。


 ※


 その日、城内の巡回は王彌おうびがあたっており、城壁を廻って防備を固めていた。城下の晋軍に目を転じれば、林立していた軍旗や幟幡のぼりばたが消え去ってそこここに置かれた軍営に人馬の姿がない。鼓声も兵馬の喧騒も響いてこない。

 様子がおかしいと気づくと、弟の王如おうじょを呼んで城楼から晋の本陣を窺わせた。王如はすぐさま中軍に走って告げ報せる。

「晋の軍営に人馬の気配がなく、遥か西方、およそ十里(約5.6km)ほども先に旌旗せいきの影が霞んでおります。これは平陽からの救援が到着して迎撃に出たのではありますまいか。あるいは、軍勢を引いて油断を誘い、吾らが城を出た後に帰路を断つ謀やも知れません。すぐに軍勢を出して追い討てば、輜重などを奪い取れましょう」

 報告に年若い諸将が勇みたつも、張賓ちょうひんは重ねて問う。

「晋軍が包囲を解いて去ったというのであれば、悪い話ではない。追撃をかけるには及ばぬ。しかし、理由を探った後に方策を定めることとしよう」

 すぐさま四方に間諜を走らせて道行く人や民の噂話まで集めさせた。間諜が戻って言う。

「民の噂話によれば、平陽から二路の援軍が遣わされ、晋軍は沙麓山と霊昌道に軍営を置いて防ぎ止めようとしたそうです。なお、南路から霊昌道に攻め寄せた軍勢は石勒が主帥となり、北路から沙麓山に攻め寄せた軍勢は劉曜が主帥となり、二人とも武勇に秀でて晋軍との戦を繰り返し、三十人を越える晋将が討ち取られたようです。いよいよ両軍が防備を突破しそうになったため、成都王は三方に敵を迎えることを危ぶみ、両路の軍勢を呼び戻して五鹿墟に軍勢を会し、決戦を挑もうとしていると見受けられます」

 それを聞いた王彌が勇んで言う。

「今すぐ晋軍の背後を襲って軍勢を斬り破れば計略を施す暇もあるまい。平陽からの糧秣が来れば、懼れるものなど何もない」

 張賓が止めて言う。

「不用意に追ってはならん。必ず殿軍に精鋭を置いて追撃に備えていよう。追撃したとて敵陣を破れるとは限るまい。まずは両路の援軍に人を遣わして軍を会するのが先決だ」

「晋の殿軍は必ずや張方と祁弘であろう。懼れるに足りぬ」

 王彌はそう言うと、大刀を引っ提げて馬に跳び乗り、城門を駆け抜けた。張賓は劉霊りゅうれい関防かんぼう張實ちょうじつ胡延攸こえんゆうに王彌を連れ戻すよう命じる。弟の王如もまた兄の身を心配してその後を追った。


 ※


 王彌が五、六里(2.8~3.3km)も馬を駆けたところでにわかに砲声が響き、殿軍を率いる張方の軍勢が攻め寄せてきた。

 張方は軍列を布くと陣頭に立って叫ぶ。

「そこの賊徒は王彌か。餓死するところで命を拾ったにも関わらず、死期を待ちかねて命を捨てにきたのか」

 王彌は無言で大刀を抜きつれると一文字に斬りかかる。張方が迎え撃って十合もせぬうちに王如が駆けつけて王彌に加勢した。晋陣からは林成りんせい馬瞻ばせん刁黙ちょうもく呂朗りょろうが攻めかかり、張方を含む五将が漢の二将を包囲する。

 そこに劉霊、関防、張實、胡延攸の四将が斬り込む。

 敵味方が紛々ふんぷんと入り混じる戦場には、晋軍より新手の祁弘、王昌おうしょう孫緯そんい高柔こうじゅう王申おうしんも加勢に入る。さらに河間王かかんおう司馬顒しばぎょう)の部将の郅輔しつほ張輔ちょうほも軍勢を率いて攻め寄せてくる。

 漢の諸将が万夫不当の勇将といえども多勢に囲まれてはいずれ力尽きるのが理の当然、猛然と攻め寄せる晋軍により徐々に追い詰められていった。


 ※


 晋軍が退いた沙麓山を踏み越えて糧秣を運ぶ劉曜は、先頭に立っていよいよ魏縣の城に近づきつつあった。行く手を見れば風塵ふうじんが舞って日をおおい、天まで響く鬨の声と刀鎗を打ち交わす音が響く。

 劉曜は叫んで言う。

「あれは晋軍が吾が軍を襲っているのではないか。今すぐ行って加勢するぞ」

 曹嶷そうぎょくが押し止めて言う。

都督ととくはこの辺の地理を知らねえ。加勢に向かうんなら俺に任せな」

 劉曜はそれも耳に入らぬ様子で馬を躍らせ一散に馬を駆る。気づいた祁弘が鎗を振るって食い止めた。

 劉曜が怒り狂って叫ぶ。

「吾が馬前を阻むとは何様のつもりか。沙麓山で晋将二十人を討ち取った劉曜を知らぬのか」

「吾は漳水しょうすい河畔で漢兵三万を打ち取った祁将軍だ。馬丁ばていのような小童など知るはずもない」

 劉曜はさらに怒って銅鞭どうべんを振り上げ、祁弘は鎗を捻って迎え撃つ。たちまち戦は二十余合を超え、劉曜は火を噴くかと思うほどに目を見開いて祁弘を睨み、祁弘は煙が生じるかと思うほどに歯を喰いしばって銅鞭を押し返す。

 さらに二十余合を過ぎようとした時、劉曜の後を追う関心かんしんと曹嶷が追いついてきた。そこに晋将の王昌と孫緯が軍勢を率いて斬り込み、あたりは乱戦の巷と化して彼我が入り乱れる。


 ※


 祁弘は馬を返して晋陣に引き上げ、劉曜は馬をって張方の軍勢に斬り込んでいく。

 斬り止めようとした林成は銅鞭の一撃を受けて馬下に落ち、晋兵の軍列が乱れたつ。劉曜と王彌はその隙を見逃さず、逃げ崩れる晋兵を追って馬を駆る。二里(約1.1km)ほども追い討ったところで新たな砲声が挙がり、馬隆の伏兵が襲いかかった。

 関防が背後から叫んで言う。

「すでに日も暮れようとしている。ひとまず晋兵を捨てて城に返せ」

 これにより王彌と劉曜もようやく馬を返し、一同は援軍と合流して城に引き上げた。

 五里(約2.8km)ほども行くうちに左手に一軍が姿を現した。黄昏たそがれ時にあって形勢は朦朧としているが、旌旗が十余里ほどもつづいている。

 劉曜、王彌、関防たちはそれぞれ刀鎗を手にその到来を待ち受けた。目前まで近づいて見れば、郷導きょうどう夔安きあんが先頭に立つ石勒の軍勢であった。安心した一向はついに軍を合わせてともに魏縣の城に入る。

 劉曜と石勒は平陽からの糧秣を講武場に集めてその任を終えた。

 王彌と劉霊は劉聰りゅうそうの許に復命ふくめいに向かい、あわせて劉曜、姜發きょうはつ姜飛きょうひ、石勒、汲桑きゅうそうの到着を報告する。劉聰と張賓は喜んで迎えに出ようとし、諸葛宣于しょかつせんうが止めて言う。

「諸将を休息させ、明日早朝に謁見されるのがよいでしょう」

「親戚友人に久しく会えねば恨みに思うのが人情、ようやく顔を合わせられるようになったというのに、遅らせる理由はない。まして明日を待つ必要もないことだ」

 劉聰は軍営に篝火かがりびを焚いて昼のように照らし、劉曜、石勒たちと顔を合わせた。

 諸葛宣于は宴席の用意をして迎え入れ、ともに深更しんこうまで盃を交わした後、ようやくそれぞれの宿舎に入ったことであった。

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