第百三十回 劉曜と石勒は魏城に入る

 沙麓山さろくさんで晋軍と対峙をつづける劉曜りゅうようは、張軌ちょうきたちが軍営を引き払って軍を返したとは露知らず、諸将を集めて軍議を開いていた。

「晋軍に道を阻まれ、糧秣を魏縣ぎけんに届けられぬ。霊昌道れいしょうどう石勒せきろくも晋軍に阻まれているとあれば、糧秣は枯渇し、城内は飢えに苦しんでいよう。晋の軍営に向かう獣道を探し出してでも晋軍を破らねばならん」

 曹嶷そうぎょくが言う。

「沙麓山の晋兵は多い。そう簡単にゃあいきませんや。軍師の到着を待って奇計を按じてもらうのがいいんじゃねえですかい」

 劉曜が言う。

「その通りだが、猶予して攻めを控えれば敵は吾が怯んだと士気を高めよう。軍師が到着されるまでに一戦する時間はまだある」

 そう言って出陣の準備を始めたところ、斥候が戻って報告する。

「晋軍は昨夜のうちに陣を引き払って軍を返したようです。理由は分かりません」

 劉曜が言う。

「これは魏縣で何かがあったに違いあるまい。太子が城を出られ、追撃に向かったのではないか。急ぎ追うべきであろう」

 関心かんしんが諫めて言う。

「軽率に動いてはなりません。張軌の識見は高く、麾下の部将は勇猛です。さらに、姫澹きたん夏庠かしょうが輔佐しています。軍を引くにあたって備えを欠くはずがありません。まずは斥候を放って実情を探り、それなら追うのがよいでしょう」

 劉曜はその言に従って間諜を四方に放った。そこに早馬が報じる。

「軍師が率いる後軍が到着いたしました」

 劉曜は諸将を率いて五里(約2.8km)ほども離れた場所で出迎え、ともに軍営に入った。


 ※


 劉曜は前後の戦を報告し、諸葛宣于しょかつせんうが言う。

「殿下の英武をもって大事のならざることをうれえられるには及びません」

 劉曜は謙退して言う。

「これは軍師の威徳によるものであり、小将は僥倖ぎょうこうを得たに過ぎません。しかし、糧秣を魏縣に入れることもできず、恥じ入るばかりです」

「指し当たりの戦況はどのようなものですか」

「理由は分かりませんが、昨夜には夜陰に乗じて沙麓山の軍営から晋兵の姿が消えました。追撃しようとしましたが、軍師が到着されたのでまだ軍勢を発してはおりません」

「逃げる敵を追っても無益です。晋の主帥が度々利を失って大敗に及ばぬかと懼れ、軍勢を呼び戻したに過ぎません。思うに、晋軍は一処に会して戦おうというのでしょう」

 その言葉が終わらぬうちに間諜が報告する。

「晋の軍勢は五鹿墟ごろくきょに会して迎え撃つつもりのようです」

 諸葛宣于は笑って言う。

「糧秣を引いて沙麓山を越え、魏縣の危機を救った後であれば、晋軍と戦うなど容易いことです。すみやかに沙麓山を押さえ、軍勢を先に進めましょう」

 劉曜はその言に従って軍勢を山上の晋陣跡に移した。翌早朝、諸葛宣于は諸将を集めて言う。

「一軍を先行させて敵兵が道を阻んでいるかを探り、その後に軍勢を発して下さい」

 劉曜が言う。

「城内はすでに窮しており、一刻も早く魏縣に向かわねばなりません。吾と関継忠かんけいちゅう(関心、継忠は字)が先駆となって敵の有無を探る。孔世魯こうせいろ孔萇こうちょう、世魯は字)と廖鳳起りょうほうき廖翀りょうちゅう、鳳起は字)は後につづけ。曹子高そうしこう(曹嶷、子高は字)と諸将は糧秣を護衛し、喬旿きょうご兄弟は丞相じょうしょうを輔佐せよ。野戦であれば晋軍など懼れるに足りぬ」

 諸葛宣于も異論なく、漢の軍勢は一時に出立した。


 ※


 霊昌道れいしょうどうの晋陣に対する石勒であったが、新たに加勢に来た青州せいしゅう刺史の苟晞こうきは緒戦に敗北を喫したためか、数日を経ても出戦してくる気配がない。

 石勒は姜發きょうはつに言う。

「吾らはここで足止めされて進めずにいる。城内の者たちは旱天かんてん慈雨じうの如く、糧秣を待ち詫びていよう。しかし、三鎮の軍勢が加勢に加わり、苟晞は計略に長じている。いつになればこの糧秣を魏縣に運びこめるのだろうか」

「虎穴に入らねば虎児は得られません。犠牲をいとわず正攻法の戦を繰り返して苟晞に計略を疑わせず、その後、夜陰に乗じて敵の軍営を焼き払えば斬り抜けられましょう。無為に日を送れば、大事を誤らぬとも限りません」

「苦難に挑まねば人の上に立つことはできぬ。存忠そんちゅう(姜發、存忠は字)の言う通りであろう。存忠は火計の準備を整えよ。吾は晋の軍営を攻め、その後に計略を定めよう」

 そう言って出戦の準備を始めたところ、斥候が駆け込んで報じる。

「晋兵はすでに陣を払って退き、軍営はもぬけからです」

 それを聞いた姜發が言う。

「晋軍の主帥はしばしば将兵を損なったがゆえ、軍勢を会して魏縣の城外を堅く守り、吾らの糧秣を阻んで城内に入れないつもりでしょう」

「すぐさま軍勢を発して後を追う。それならば城内の望みを繋げよう」

「前後の道を断たれるようなことがあれば、糧秣が足手まといになって満足に戦えますまい」

「吾が前駆となって姜存義きょうそんぎ(姜飛、存義は字)が殿軍でんぐんとなれば、懼れるに足りぬ」

「将軍の見立てが正しいでしょう。劉王子(劉曜)が向かった北路には沙麓山の険があり、一夫が守れば万夫も通れぬといいます。聞くところ、沙麓山を守る晋兵と戦ってたびたび勝利を収めたといいますが、すぐさま山を越えることはできますまい。先行して魏縣の危急を救わねばなりません」

 ついに軍勢を三つに分け、夔安きあんに五千の軍勢を与えて郷導きょうどうに任じ、その後について軍勢を発したことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る