十四章 晋漢大戦:終戦

第百三十二回 漢軍は兵を進む

 魏縣ぎけんの城に平陽へいようからの兵糧が入り、籠城戦で疲弊していた漢兵の士気は盛り返した。翌早朝には鐘を鳴らして諸将を軍営に召集し、軍議が開かれる。

「今や二十万の精鋭と二十人の上将が加わり、糧秣にも不足はない。しばらくこの城に拠っていれば、晋の諸侯は自ずから鎮所に帰っていくだろう。それを待って軍勢を進めれば労せず地を奪えよう」

 諸将の意見を聞いて諸葛宣于しょかつせんう張賓ちょうひん姜發きょうはつが異口同音に言う。

「逸を以って労を討つ策は理において正しい。しかし、懸念もある。晋の将兵は多い。もし吾らが軍勢を分けて地を広げれば、晋軍はこの魏縣を包囲して身動きを封じた上で各地に散った軍勢を平らげていくだろう。そうなっては兵力に事欠いて城の守りも危うくなる。晋軍が戦意を失っていないこの機に軍勢を進め、別の方策を考えさせないのが上策となるのだ」

 それを聞いた劉聰りゅうそうが問う。

「援軍が着いたとはいえ、吾らは四十万、晋軍の半ばを過ぎぬ。この兵力差で正面からあたって勝利は覚束おぼつかない。丞相じょうしょうはどのように考られるか」

 問われた諸葛宣于が口を開く。

「軍勢というものは進むことはあれど退いてはならぬものです。弱気になれば敵はかさにかかって攻め寄せてきます。ついには長駆して平陽を衝こうと考えるやも知れません。そうなっては防戦を強いられ、勝ち目はございません」

 姜發も同じて言う。

「軍勢は精鋭であればよく、多勢を要しません。勝敗はひとえに将帥の用兵によります。まずは軍勢を整えて五鹿墟ごろくきょに向かい、対峙して吾が兵威を示さねばなりません。兵力の差は丞相と軍師、それに臣にお任せ下さい。必ずや計略により戦に加わる晋軍を減らして御覧に入れます。これは曹操そうそう袁紹えんしょうを破った計略によります。御心配なさいますな」

 ついに劉聰はその言に従うことと決し、靳準きんじゅん喬昕きょうきん劉欽りゅうきんが五万の軍勢とともに魏縣の留守を預かり、姜發と劉曜りゅうよう、張賓と石勒せきろくがそれぞれ十万の軍勢を率い、劉聰と諸葛宣于は十万の中軍を率いることとした。王彌おうび劉霊りゅうれい楊龍ようりゅう廖全りょうぜんは五万の軍勢を率いて前駆となり、魏縣より一路五鹿墟を目指す。


 ※


 漢軍は五鹿墟の晋軍から三十余里の地点に到り、晋の斥候が本営に報せる。

「漢軍が西北の方角より現れて布陣しました。三つの大営を中心に三十六の軍営を置き、軍容は盛んな様子です」

 成都王せいとおう司馬穎しばえいはそれを聞いて言う。

「漢賊どもは明日には野戦を挑んでくるだろう。諸将の軍勢を十に分けて到来を待ちうけ、一斉に攻めかかるのだ。敵一人に味方三人で向かえば、破れるはずもあるまい」

 成都王の長史の盧志ろしが言う。

「漢賊と戦うにあたっては計略を設けて能を発揮させないことが肝要です。弓馬に練達した将兵が多く、正面から戦っては苦戦を強いられましょう。吾らは兵に決死の覚悟を固めさせ、はじめて敵を破る機を得られます。ゆえに緒戦は詭計を用いてでも必勝を期さねばなりません」

 陸機りくきが言う。

「先に韓陵山かんりょうさんに布陣した折には漢賊が攻め寄せて来ず、徒に心思を費やしました。その上、張賓の計略により賊の陣を攻めて敗戦を喫しました。臣は今に至るまで深く恥じておりますが、これまで雪辱の機を得ませんでした。明日、臣はふたたび一陣を布き、攻め寄せる漢賊どもを必ずや返り討ちにいたします。臣の観るところ、劉曜、石勒の二将は年若く徒に勇を誇り、知恵は未熟です。王彌、劉霊の輩は勇のみあって知略を欠きます。明日はこの四人が先鋒となって攻め寄せて参りましょう。臣の陣に入ればその内は千変万化し、猛虎の勇を誇ろうとも抜け出られません。たとえ驍勇ぎょうゆうを振るえども弓弩きゅうどを一斉に発して乗馬を射殺せば、生きながらとりことなるだけです。この四将を喪えば漢賊どもは攻め手を欠いて浮き足立ちます。そこにつけこめば失った郡縣を取り返すなど容易いこと、一挙にして河北かほくを清めて御覧に入れましょう」

▼「河北」は原文では「漠南ばくなん」とするが、塞外の意が強い。漢軍はすでに山東にあるため、改めた。

 成都王は言う。

「軍勢を会するより二ヶ月の期限が迫り、勲功は明日の一戦に懸かっておる。諸将は心を一にして力を尽くせ。漢賊を平らげた後には重賞を授けよう」

 陸機は成都王の許しを得て手配を進め、諸軍の甲冑や旌旗せいきの色を定めていった。

 翌日、成都王は諸王侯とともに将台に上がって陸機の布陣を観覧した。陸機は諸鎮の軍勢の位置を定め、軍列を整えると兵卒まで命令を徹底させる。

「隣の者と近づき過ぎるな。右顧左眄うこさべんせずただ前を見ていよ。濫りに言葉を発するな。令旗れいきを合図として東を指せば東を向き、西を指せば西を向いて方向を誤るな。隊伍を乱さず、賊が陣に攻め込んできても落ち着いておれ。軍令を違える者は軍法により処罰する」

 将兵は命に従って配置に就いた。陸機は馬に打ち跨って令旗を振るい、東西南北に陣を布き終えると、最後に四親王の軍勢を遊軍として配置を終えたことであった。

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