第百二十三回 夏庠は計って劉曜を囲む

 魏縣ぎけんの城に籠城する劉聰りゅうそうを救うべく糧秣を携えて先を急ぐ劉曜りゅうようであったが、沙麓山さろくさんの麓で晋将の姫澹きたんに阻まれて数日が過ぎようとしていた。

 心中いよいよ焦燥に駆られて幾度となく晋の軍営を攻めるも、姫澹と包廷ほうていは劉曜の驍勇ぎょうゆうを畏れて出戦しない。それでも近づく漢兵には木石を投げ落として矢で射竦いすくめ、漢軍を近づけない。

 数日に渡る戦いで貯えた木石もそろそろ尽きようとしていた。さらに、漢将たちは手を休めず輪番を定めて攻め寄せ、休む暇を与えない。姫澹と包廷はその猛攻に圧され、どのように対処すべきか懊悩していた。

 そこに斥候が馳せ戻って告げる。

「順陽の軍勢三万が加勢に到着いたしました」

 包廷は喜んで迎えに出た。

 援軍を指揮する周并しゅうへいは軍営に入り、相見そうけんの礼を終えると軍議の席に着く。姫澹がまず口を開いた。

「吾らはこれまでに幾度となく強敵に出遭ってきたが、劉曜のような猛将は初めてだ。つねに銅鞭どうべんを手にその威をほしいままに振るっておる。両公が加勢に来られたとはいえ、野戦の勝敗を争うことは避け、ひたすらに軍営を守って魏縣に入れぬことを旨とすべきであろう」

 夏庠かしょうが言う。

「これまで拾い集めた噂と将軍の言によれば、劉曜は勇猛であっても無謀な将に過ぎません。ゆえに力ではなく計略により破るならば、難敵というほどではありません」


 ※


 翌日、夏庠たちは軍営を堅固に守らせて自ら沙麓山の山林に分け入り、地形を検分した。軍営の西の山谷を抜けて漢陣の背後に出る獣道があることが分かり、夏庠は道をよくよく調べた上で軍営に戻って軍議を開く。

 夏庠が言う。

「劉曜は尋常ならざる猛将、ただ軍営を守るだけでは勝ちを得られません。そこで、劉曜を陥れる一計を案じました。今夜、四更よんこう(午前二時)の頃に周将軍(周并)は毛申もうしん蔡義さいぎ胡才こさい王敬おうけいの四将と五千の軍勢を率い、西の谷口の北にある樹林の茂みに伏せて下さい。姫将軍(姫澹)は呉新ごしん李奉りほう石欽せききん余明よめいの四将と同じく五千の軍勢を率いて西の谷口の南にある隘路と窪地に潜んで下さい。包将軍(包廷)は軍営を守り、楊正ようせい馬程ばていの二将は吾と行動をともにして下さい。五更ごこう(午前四時)の頃、吾は一軍を率いて西の谷口に入って北を目指します。劉曜は、狙いが輜重を焼き払うことにあると思い込み、全力で防ごうとするでしょう。その時、敗れたように見せかけて劉曜を谷中に誘い込みます。その後は砲声を合図に伏兵を起こして退路を断てば、もはや籠の中の鳥も同じ、吾ら三人に敵うはずもありません。擒となるか屍となるかは劉曜の運次第となるでしょう」

「この計略であれば、必ずや劉曜を陥れて漢賊を退けることができよう。吾らが夏公に出遭えたのも大晋の福徳によるものであろう」

 姫澹たちはそう言って賛同し、各々準備を整えて伏処に向かい、合図の砲声を待つばかりとなった。


 ※


 翌日、劉曜が晋の軍営に攻め寄せようとした矢先に斥候が駆け戻って報じる。

「晋将の夏庠が一万ほどの軍勢を率いて軍営を発し、西の谷に入りました。密かに間道かんどうを抜けて糧秣を襲おうとしているように見受けられます」

 劉曜はそれを聞くと支雄しゆう刁膺ちょうように二万の軍勢で東路を守らせ、自らは三万の軍勢を率いて西谷の入口に向かった。劉曜が駆けつけた時には、すでに夏庠の軍勢が谷を抜け出てきている。谷口の前に陣を布いて迎え撃つ構えをとると、谷口を抜け出た夏庠が陣頭に姿を現した。

 劉曜が叫んで言う。

「吾らの軍営を襲おうとするお前は何者か。劉希りゅうき馮奕ふうえき章龍しょうりゅうの末路を知らぬわけでもあるまい。得失を知るならば、軍営を撤して吾らを魏縣に入れ、準備万端を整えた上で十八路の諸王侯とともに雌雄を決するのが大丈夫だいじょうふというものであろう。強いて妨げるつもりであれば、この銅鞭で目に物を見せてくれよう」

 それを聞いた夏庠が言う。

いやしい胡賊こぞくめが。無名の下将を欺く口上を聞かせてくれるな。知恵のある者であれば、吾が名を聞いた途端に逃げ去って余生を保とうと願うというのに、愚かなお前は脚を動かさず無駄に口を動かすばかりか。無知むち蒙昧もうまいも甚だしい」

 罵言を浴びた劉曜は怒り狂って馬を馳せ、銅鞭を振るって襲いかかる。

 夏庠は鎗を捻って迎え撃ち、三十合も過ぎた頃に鎗先を外したように見せかけ、谷を指して逃げ奔る。その姿は巧みに劉曜を畏れて逃げ出したように偽装され、まだ若い劉曜は怒りのままに疑念も抱かず後を追う。


 ※


 踏み込んだ谷道は樹木が茂って昼なお暗く、さすがの劉曜も馬を停めて様子を探る。聞けども嗅げども道の先には伏兵がいる気配なく、ふたたび馬に鞭して走り出す。

 数里も行かぬうちに、先につづく道は細く曲がりくねり、その先で夏庠の姿を見失った。

 この時、ついに劉曜も計略に気づいて馬頭を返し、時を同じくして砲声が響き渡る。北の茂みに潜む周并と四人の副将は弓兵に命じて雨のように矢を射かけた。阻む軍勢を蹴散らして道を戻ろうとした劉曜も矢雨の中では進めない。

 矢による死傷を避けるべく南を指して逃げ去った。谷の出口に到るまでもなく、行く先に晋の軍勢が列を成して阻む。

 陣頭に立つ姫澹が叫んで言う。

「小賊劉曜、早く馬より下りて縛につけ。さすればお前に受けた鞭の怨みも許してやろう。この谷の出口はすべて塞がれ、守る軍勢は強弓ごうきゅう硬弩こうどの弓兵ばかり、翼があっても逃げられぬ。北口を周并が塞いでいるのは知ってのとおり、夏将軍(夏庠)も大軍を率いて谷を迂回し、お前の背後に回っている。降伏するか抵抗するか、早く決めるがよい」

「鞭を喰らって死に損なったいぬが大口を叩くな。この劉曜は稀代の大丈夫、たとえ百万の軍勢であってもこの竹節銅鞭には藁草を刈るようなものだ。大言と思うならば、腕に覚えのある者を出して試みよ。お前も身を隠して戦いを避けることを望むわけではあるまい。さっさとかかって来るがよい」

「吾はお前を生きながら擒とするのみ、世迷言よまいごとに付き合って籠の中の鳥に等しいお前と武勇を競うなど愚かしい。お前の余命は須臾しゅゆの間に過ぎぬ。好きなように騒ぐといい」

 劉曜は憤激して銅鞭を振り上げ、真一文字に姫澹に向かう。晋兵が一斉に弩弓を放って矢雨を降らせ、南口と同じく近づくことを許さない。

 副将を務める岐顔ぎがんという者が叫んで劉曜に言う。

「南口は道幅が狭い上に晋兵に塞がれています。北口に向かわれるべきです。北口には救援の兵も来ておりましょう。それならば晋兵を内外より挟撃して斬り抜けられます」

 劉曜はその言葉に従い、馬頭を返して北に奔り、姫澹は逃がすまいと軍勢を出して前を阻む。

 劉曜が陣頭に立って晋兵を防ぐところ、晋の副将の呉新が攻め寄せた。劉曜は銅鞭を振るって新手を薙ぎ払い、漢兵も後につづいて攻めかかる。

 晋兵は次々と打ち倒されて見る間に死者が百人を超える。呉新も銅鞭で打ち殺され、つづいて攻め寄せた石欽せききんは腕を断たれて逃げ去った。

 姫澹は劉曜のあまりの勇猛に怖れを抱き、ついに兵を引いて去るに任せたことであった。

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