第百二十一回 劉曜は再び沙麓関を撃つ

 晋軍は劉聰りゅうそうが率いる漢軍を魏縣ぎけんの城に囲み、平陽へいようからの救援があると知った成都王せいとおう司馬穎しばえいは軍勢を分けて来援を阻むこととした。一方、城を囲む本軍は、一刻も早く城を陥れるべく陸機りくきとともに知略を尽くしていた。

 陸機は漢軍が寡兵であることから一計を案じ、諸王侯に命じて軍勢を輪番として六門に攻めかかる時間を定め、車輪のように廻らせて漢兵に休息の暇を与えない攻勢に出た。

 晋軍はそれぞれの部隊が一日に一刻(約半時間)を戦うばかりであったが、寡兵の漢軍は休む間もなく攻め立てられ、疲労が日々積み重なっていく。

 一方の張賓ちょうひんは城上で休みもとらず守禦の策を尽くし、晋の将兵を苦しめる。晋軍の攻勢は十日ほどもつづいたが、死傷者ばかり増えて城は小揺るぎもせず、諸王侯が陸機に訴え出た。

「どのように攻めたてても堅城が相手では徒に兵を損なうばかり、味方の死傷者は毎日数え切れぬほどです。これでは士気が上がりません。元帥におかれてはそろそろ別に良策を案じて頂きたいものです」

 諸王侯にそう言われては、陸機を庇護ひごする成都王も無視はできない。各軍勢の主帥を集めて軍議を開き、協議をおこなうととした。


 ※


 軍議の席では衆議紛々として方策は一決を見ず、その間に早馬があって沙麓山さろくさんからの報告が行われた。

「漢将の劉曜りゅうようが攻め寄せ、それを阻まんと兵を出したところ、劉希りゅうき将軍をはじめとする驍将ぎょうしょう数人が生きながらとりことされました。姫澹きたん将軍は劉曜の銅鞭に額を割られたものの、死を決して堅守しておられます。特に救援の軍勢を乞うべくまかしました」

 諸王侯は互いに目を見交わすだけで誰も言葉を発さない。ようやく豫州よしゅう刺史の劉喬りゅうきょうが進み出て言う。

「すみやかに救援を送るべきです。遅らせてはなりません。臣の麾下に馮奕ふうえき包廷ほうていという勇猛の士がおります。かつて徐羅子じょらしという山賊がおり、牛の戦いを素手で引き分けるほどの剛力を誇って近隣の民は無欄悪虎ぶらんあくこと呼び、その一党には黄横こうおうという者があって近隣の郡縣を侵し、斑手虎はんしゅこと呼ばれておりました。二将はこれらを擒として一党五千人を投降させたものです。それゆえ、この両将を沙麓の救援に向かわせれば、必ずや劉曜、曹嶷そうぎょくを擒とできましょう。この二人を喪えば、漢賊が多勢であったとて再び沙麓山を仰ぎ見ることはできますまい」

▼「無欄悪虎」の「欄」は「檻」を意味し、「檻から出た悪虎」を意味する綽名と思えばよい。

▼「斑手虎」は「前足が斑になった虎」の意、見た目からの綽名であろう。

 成都王はその言をれて二将に二万の軍勢を与えると、沙麓山の救援に遣わした。この二人が軍を発する前に、霊昌河れいしょうかからの早馬が駆け込む。

 成都王は使者を迎え入れて事の次第を問い、使者が答えて言う。

「漢の歩将の汲桑きゅうそう夔安きあんたちが決死で岸上に攻めかかり、さらに石勒せきろくまでも矢を冒して攻め込んで参りました。副将の甄玄しんげん巣升そうしょうは討ち取られ、弓欽きゅうきん将軍は戦死されて丁乾ていけんも生きながら擒とされ、皮初ひしょ将軍は左腿に傷を負って敗戦のやむなきに至り、霊昌河の柵塁を捨てて霊昌道れいしょうどうに陣を移されました。漢兵はすでに河を渡って攻め寄せており、救援の軍勢が遅れれば味方の寡兵では支えきれません。陣を破られれば由々ゆゆしき事態となりましょう」

▼「霊昌道」は霊昌河の渡しから魏縣に向かう大道を指すと考えるのがよい。

 成都王は半刻(一時間)ほども無言であった。劉弘りゅうこうが進み出て言う。

「討ち取られた上将たちは千人万人の軍勢に対しても易々とは討ち取られぬ勇将でしたが、それを討ち取るほどの賊徒であるならば、もはや味方に敵し得る将帥はおりますまい」

 それを聞いた滎陽けいよう太守の李矩りくが冷笑を浮かべて駁する。

劉荊州りゅうけいしゅう(劉弘、荊州は官名)よ、賊の兵威を褒めて大国の将帥を軽んじるとは何事か」

 ついで諸王侯に向き直る。

「臣が麾下に夏雲かうん雷霈らいはいの二将があり、ともにその威は万軍を圧して力は千鈞せんきんをよく挙げます。彼らを霊昌の救援に送れば、石勒、汲桑を擒にするなど容易いこと、掌をかえすようなものです。ましてやただ先に進ませないだけであれば誤りのあろうはずもありません」

 諸王侯はその言葉を聞いて愁眉しゅうびを開く。成都王が二将を召し出して下賜品を与えると、陸機が傍らより訓令して言う。

「ただ戦を避けて過ちを犯さぬように慎め」

 夏雲と雷霈は成都王の幕舎を退くと副将の郭芝かくし江覇こうは蹇韜けんとう張皮ちょうひと二万の軍勢を引き連れ、軍を二つに分けると霊昌道を指して出発する。

 時はすでに深更しんこうに及ぼうとしていたが、星夜を冒してひたすらに道を急いだ。

▼「深更」は真夜中の意。


 ※


 それに先んじて出発した馮奕と包廷は沙麓山に到着していた。姫澹は額の傷を布で包んで二将を出迎え、相見そうけんの礼を終えると軍議となった。姫澹が言う。

「漢将の劉曜はまだ弱冠に過ぎぬが万夫不当の勇があり、老練の将帥であっても端倪たんげいすべからざるものがある。さらに、左右には曹嶷、関心といった勇将が控えており、野戦ではくみし易い相手ではない。漢賊を阻む方策を論じれば、ただこの軍営を守って野戦を避けるのが上策であろう。劉曜の目的は勝つことではなく、魏縣に兵糧を送り込むことであるがゆえ、戦を避けて軍営を守るだけでも翼を持たぬ劉曜の目的は叶わぬ。日を稼ぎさえすれば本軍が城を抜き、劉曜は戦意を沮喪そそうして退かざるを得ぬ。その時に背後を突いて追い討てば、完勝を得られよう」

 姫澹の方策を聞いて包廷がいきり立つ。

「卿は劉曜、曹嶷を虎のように畏れておるな。吾より見れば漢賊など犬羊にも等しい。生きながら擒とせずにおくものか」

「そうではない。吾らは軍営を出ぬ間は過ちを犯さなかったが、野戦に遅れを取って敗北を喫した。野戦は漢賊どもの得手、敵の長所と競ってはならぬ」

 馮奕もついに口を開いた。

「このように賊を畏れてただ守勢に回ってばかりでは、大国の将帥たるものの戦とは言えぬ。それでは、どのようにして国のために軍功を立てるというのか。吾らには吾らの遣り様がある。卿の指南はしばらく無用、重ねての助言は煩わさぬ」

 そう言い切ると、馮奕と包廷はそれぞれの軍勢に還って休息を取った。


 ※


 翌日、劉曜は早朝より晋の軍営に攻め寄せた。漢兵の挙げる鬨の声が沙麓山の木々を揺らすなか、先頭に立つ支雄しゆう刁膺ちょうようは掛け声を挙げつつ山道を駆け登っていく。

 山道に入って一里(約560m)もせぬ間に砲声が天に響いて馬蹄ばていの揚げる塵埃じんあいが前方の木々を蔽いはじめる。遥か先を見遣れば晋の軍営は大きく門を開き、騎兵の逆落としが始まっていた。支雄と刁膺は思わぬ事態に軍勢を返し、麓まで退く。

 晋軍の先頭に立つ二将のうち、包廷が叫んで言う。

「無知の逆賊、羌族きょうぞくの下僕ども、さっさと退いて命ばかりは持ち帰れ。さもなくば、漳水しょうすいでの戦の如く首級を地に並べることになるぞ」

 劉曜はそれを聞いて呵呵かか大笑たいしょうする。

「晋のいぬは世間を知らぬと見える。吾がこれより教えてくれよう。さっさと洛陽らくように逃げ戻って防備を整えるがよい。もっとも、天は吾が大漢に応じて人心もしたがっておるゆえ、万に一つも守り抜けることはあるまいが」

 馮奕はその言葉を聞いて怒り心頭に達し、長鎗を捻って馬をち、漢の軍列に斬り込んで劉曜に迫る。すぐさま脇から曹嶷が大斧を振るって襲いかかり、二人は軍勢を退けると手に唾して刃を交わす。

 斧刃が轟とともに往けば鎗先が風をいて戻り、二、三十合を超えても曹嶷の大斧に疲れは見えず、馮奕の長鎗に乱れはない。五、六十合に至るも互いに譲らず戦の黒白こくびゃくようとして知れなかった。

 包廷は馮奕の失を懼れ、大刀を抜きつれると馬に鞭して加勢に向かう。漢陣の劉曜はそれを見て怒りを発し、竹節ちくせつ銅鞭どうべんを振るって斬り止める。

 二人の戦は三十合を過ぎてなおつづき、互いに一手の疎漏そろうもなく、ただひたすらに互いの首級を付け狙う。包廷は若輩の劉曜を侮っていたにも関わらず、己と技量を比べて互角に戦うのに怒り、一計を案じて策を案じる。

拖刀法たとうほうで不意を突き、斬り殺してくれよう」

▼「拖刀法」の拖は「引きずる」の意、刀を引いて退き逃れ、跡を追う敵の不意を突く計略を言う。

 そこで振りかぶった一刀の狙いを外し、馬とともに逃れ往くかの如く装った。劉曜は逃がすまいとその背について追いすがる。包廷は肩越しに劉曜を見ると、急に馬を停めてその到来を待ち構える。

 劉曜は包廷が計略を企てていると知るがゆえ、銅鞭を握り直して馬を寄せる。包廷は狙いすまして身を翻し、一刀を下から斬り上げた。

 劉曜が大喝する。

「狗めの詭計如きで吾を討ち取れようか」

 一打を振るって刀を止め、つづく二打目で打ち落とす。

 包廷は刀を取り落とすや馬を返して逃げ去らんと図り、銅鞭の三打目がその背に落ちかかる。切っ先が背をかすめれば、衝撃に口より血を吐きながらもそれを堪えて走り去る。

 劉曜は山上の軍営に逃げ戻った包廷を追わず、馬を返して馮奕と戦う曹嶷の加勢に向かった。


 ※


 この時、包廷が逃げ去ったと見るや、加勢に駆けつけた晋の副将の章龍しょうりゅうが劉曜の背後を狙って忍び寄る。

 関心が叫んで言う。

「賊が後より狙っていますぞ。注意されよ」

 叫んだものの声は届かず、関心は青龍刀せいりゅうとうを鞍に架けると弓矢を執り、章龍の頸を狙って一箭を射放つ。矢は狙いを違えず頸に突き立ち、もんどり打って落馬した。

▼原文では関心が大刀で章龍を斬り殺したこととなっているが、明らかに関心より章龍の方が劉曜に近く理に合わない。よって、矢で射止めたことに改めた。

 章龍が射殺されて劉曜と関心が加勢に駆けつけてくるのを見ると、馮奕はついに曹嶷を打ち捨てて馬を返した。

 劉曜がその背に叫んで言う。

「賊徒よ逃げるな。お前が天に昇れず地を走る身である限り、どこまでも追ってやる」

 劉曜は馬に鞭して追いすがり、近づく姿を顧みた馮奕は馬頭を返して迎え撃つ。五合にならぬうちに曹嶷が駆けつけ、逃れようとした馮奕は銅鞭を頭上に受け、満面を血に染めて馬下に事切れた。

 さいの地でその名を知られた勇将の馮奕もついに沙麓山に落命したことであった。

 馮奕の戦死に、踏み止まっていた晋兵も総崩れとなり、漢兵は逃げるを追って軍営に攻め上る。軍営では姫澹が指示して敗兵を収め、木石を打ち落として道を阻んだ。

 漢兵たちもこれには手もなく軍を返し、山道を下ったことであった。

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