第百二十回 劉曜と石勒は並びて兵を進む

 晋の大軍の包囲を受けて籠城する劉聰りゅうそう張賓ちょうひんたちを救うべく、平陽へいようを発した漢軍は二路に分かれて魏縣ぎけんに急いだ。劉曜りゅうよう石勒せきろくと勲功を競って軍の脚を早めたため、ほどなく魏郡の北西界にある沙麓山さろくさんに到達しようとしていた。

 前途の様子を探らせるべく放った斥候が馬を飛ばして戻ってくると、次のように告げ報せた。

「晋軍は前方の沙麓山に軍勢を送り込み、隘路を固めております。軍旗より姫澹きたん劉希りゅうきの軍勢と見受けられます。戦わずに越えることは難しそうです」

「邪魔をするなら斬り乱して軍営を踏み潰すのみよ。思案にも及ばぬ」

 劉曜はそう言うと沙麓山から五里(約2.8km)ほどの場所まで進んで軍営を置いた。

 翌日、劉曜は関心かんしん喬晞きょうきとともに一万の軍勢を率いてさらに進み、山上にある晋の軍営を仰ぎ見た。立ち並ぶ柵塁に軍旗が翻って金鼓の音が途切れることなく、厳しい警戒が布かれている。

 劉曜は軍列を整えると砲を放って鬨の声を挙げ、戦いを挑む。晋軍は応じず、巳の刻(午前十時)になった頃にようやく砲声とともに軍営の門が開き、二人の晋将が姿を現して呼ばわった。

「官兵の軍営を騒がせるお前たちはどこの賊徒か。すみやかに退けば見逃してやるぞ」

 劉曜が答える間もなく喬晞が大斧を振るって攻めかかり、姫澹も鎗を引っ提げ馬を躍らせ食い止める。二十合を過ぎぬうちに喬晞の乗馬が棹立さおだちになり、姫澹はその隙に乗じて喬晞を馬から突き落とした。


 ※


 関心が大刀を抜いた時には、すでに劉曜が馬を飛ばして姫澹に迫り、竹節ちくせつ銅鞭どうべんを打ち落とす。姫澹は鎗で鞭を受け止める。それより二人は鞭と鎗を競うこと三十合を過ぎて互いに一歩も譲らない。

▼「竹節の銅鞭」は文字通り竹のような節がある銅製の打撃用武器を言う。形状は刃のない剣に近く、通常に想像される皮革製の鞭とは別物である。

 姫澹は年若い劉曜を軽んじて己の勇をたのみ、馬を寄せて生きながら擒にせんと図る。劉曜はそれを許さず、頭を狙って雷電の如く銅鞭を振り下ろす。

 姫澹は咄嗟とっさに身を交わしたものの、銅鞭の先が額の隅をかすめて血が流れ出た。額からの血が眼に入っては戦えず、馬を返して軍営に逃げ戻る。劉曜は逃がすまいと追いすがり、晋陣からは劉希が馬を飛ばして迎え撃つ。その間に姫澹は軍営に逃げ込んだ。

 それより劉曜と劉希は戦うこと三十合を過ぎても勝敗を決さず、手強いと見た劉曜は偽って怖気づいた風を装う。劉希は侮って軽率に懐深く斬り込んだ。劉曜が狙いすましてその手元を打ち、劉希は堪らず刀を取り落とす。馬を返して逃げ戻ろうとしたところ、追いすがる劉曜が叫んで鞭を振り下ろす。

「先にお前が邪魔をしたばかりに姫澹を取り逃がした。代わりにお前は逃がさぬと決めておる。どこまでも追って擒にしてくれる」

 鞭の先が劉希の馬の尻をかすめ、愕いた馬は棹立ちになる。劉希もこれには堪らず天を仰いで落馬した。そこに劉曜が馬上から髪を引っ掴む。剛力で引き付けられた劉希の体を鞍に載せると、姫澹を追って軍営まで攻め上るべく馬頭を返した。

 姫澹の姿はすでになく、劉曜は左右の兵士に劉希を縛り上げさせて自ら攻め上ろうとしたものの、晋兵は軍営から木石を投げ落として進ませない。

 歯噛みしたところで詮方せんかたなく、擒とした劉希を引き立てて軍営に戻ったことであった。

 姫澹は初陣の劉曜に手傷を負わされて侮り難く思い、その後はただ軍営を守って戦を避け、沙麓山の両陣はこれよりしばらく膠着状態に入った。


 ※


 一方、南路を進む石勒は道すがら晋の属縣を下してさらに兵糧を集め、魏郡の西界にあたる霊昌河の河畔に到った。河畔から十里(約5.6km)ほどの地に軍営を置いて様子を探らせると、斥候が戻って告げ報せる。

「河の対岸では新たに柵塁を設けて防備を固めており、眼を盗んで渡ることは難しそうです」

「それならば一戦して押し通るよりあるまい」

 石勒はそう言うと戦の準備を命じて河畔まで軍勢を出した。

 晋陣に向かい合ったとはいえ、間に河があっては戦にならない。いかだを捜しても見つからず渡る術がない。それより三日を空しく過ごすこととなり、先を急ぐ石勒は煩悶しつつも後軍の到着を待つよりなかった。

 四日目に軍師の姜發きょうはつが到着し、石勒は霊昌河の防備を詳しく語る。それを聞いた姜發が言う。

「明日、現地に行って地形を見定めた上で策を定めます。しばらくご放念下さい」

 その日は軍勢を休ませ、翌日には石勒とともに河畔に向かった。上流から下流まで見て回り、一つ頷くと軍営に戻る。姜發は汲桑きゅうそう夔安きあん桃豹とうひょう郭黒略かくこくりゃく張曀僕ちょういつぼくら八将を呼んで言う。

各々方おのおのがたは上流にて数百の大筏を造れ。吾らが下流で砲声を三つ立てつづけに挙げれば、押し流して河を下るのだ。先陣切って対岸に上がった者には重賞を与える」

 また、劉徴りゅうちょう劉寶りゅうほう趙鹿ちょうろく王楊おうようの四将を召して言う。

「八将とは別に筏を造れ。筏ができれば夜陰に乗じて敵陣の前に敷きつめよ」

 さらに、胡延模こえんぼ支屈六しくつりく張越ちょうえつ孔豚こうとん呉豫ごよ劉膺りゅうようの六将に命じる。

「胡延模は輜重を西岸に並べて晋兵を釣る餌をけ。その後、四将の筏が敷きつめられれば、軍勢を筏に上げて攻め寄せるかのように見せかけよ。何としても晋兵を戦場に誘き出すのだ」

▼ここで輜重を西岸に置いていることから、設定では霊昌河は南北に流れており、東岸の先に魏縣があると分かる。

 最後に、石勒に向き直って言う。

「石都督は姜飛きょうひとともに精鋭を率いて西岸に埋伏されよ。晋兵が六将の挑発に応じれば、一斉に起って打ち破るのです。晋兵たちが伏兵を懼れて退こうとした時、三つ続けて砲声を挙げ、汲桑たちの筏を上流から放たせます。晋兵たちに抗う術はなく、必ずや東岸に上がれましょう」

 姜發の指示を受けた諸将はそれぞれの任に向かった。


 ※


 それより二日の後、汲桑たち八将と劉徴たち四将の筏が出来上がったという報告が入った。姜發は諸将に作戦の開始を命じる。

 まずは劉徴たち六将が夜陰に乗じて筏で橋を造り上げる。支屈六たちが筏を踏んで押し寄せる形を見せれば、晋兵たちは夜を徹して防備を固めた。漢兵たちは鬨の声を挙げても筏を渡ることなく、そのまま夜明けを迎える。

 翌日、漢兵たちは気勢を挙げて河を渡るように見せかけ、さらに胡延模は輜重車を河原に押し出していかにも渡河の準備を進めているように見せた。

 晋将の皮初ひしょは報告を聞いて弓欽きゅうきん丁乾ていけんと軍議を開いて言う。

「漢賊どもは魏縣の兵糧が尽きるかと懼れ、大軍を恃んで押し渡ろうとしているようだ。吾らは河岸に拠って戦えばよい。どれほどの大軍であろうと、こちらの岸にはたどりつけまい」

 二将もそれに同じてただ弓隊を岸に並べて漢兵の襲来に備え、鳴りを潜めて様子を見守らせた。

 漢兵たちはわざと矢を冒して筏を踏み渡り、晋の副将の甄玄しんげん巣升そうしょうは弓隊に矢を射放たせる。漢兵たちは矢を射かけられてもしばらく留まろうとしたが、ついに対岸に逃げ戻った。

 巣升は大いにわらって言う。

「漢賊どもが逃げ散っていくぞ。この機に乗じて攻めかかり、陣を踏み破るのだ。陣を崩せば漢賊どもは畏れて逃げ去ろう」

 自ら先頭に立って筏に跳び乗ると漢兵の後を追い、丁乾は下知して言う。

「巣升だけでは漢賊どもに囲まれよう。お前たちも出戦して敵を蹴散らせ」

 晋兵たちは一斉に筏に向かい、対岸近くにいた漢将の呉豫ごよたちも筏を捨てて逃げ出した。

 それを見た丁乾が言う。

「漢賊どもを蹴散らして糧秣を奪い取った者にこの戦の殊勲を与える」

 甄玄と巣升はそれを聞くと、輜重を守る漢兵の矢を冒して攻め進む。輜重を守る漢兵たちもついに逃げ散り、丁乾と弓欽は筏を渡って輜重を奪い取った。

 陣に引き上げようとしたその時、続けざまに三つの砲声が上がると、左右の堰堤えんていから漢兵たちが湧き出した。

 先頭に立つ漢将は獲物に襲いかかる虎の勢いで飛び出して叫ぶ。

「晋将どもよ、すみやかに馬から下りて投降すれば命ばかりは助けてやるぞ」

 甄玄は押し止めようと怯まず鎗を握り直したが、その時にはすでに石勒の一刀を浴びて両断されていた。仇に報いんと巣升が斬りかかるも、姜飛と鎗を交えると一、二合の間に胸を刺し貫かれる。

 弓欽と丁乾の両将が攻め寄せようとするも、支屈六、王楊、胡延模たちの軍勢が蜂の群のように周囲を取り囲むと、鎗先を揃えて前を阻む。さしもの両将も敵する術なく、馬を返さざるを得ない。

 石勒と姜飛が追いすがろうとしたものの、筏上には晋陣より放たれる矢が雨のように降り注ぎ、さすがの漢将たちも引き下がるよりない。

 一連の戦もようやく水入りとなったかに思われた。


 ※


 その時、上流より汲桑が率いる大筏が河面を埋めて流れ下ってきた。

 大筏が河に架けられた筏の橋にぶつかって止まると、漢兵たちが晋陣目がけて殺到する。晋兵も筏に出て防ごうとしたが、漢兵の先頭に立つのは歩戦に熟れた汲桑と夔安の両将、よく似た大斧を手に金甲を着込んだ姿は門神もんしんの如く、揺れる筏を物ともせず晋兵に斬りかかる。

▼「門神」は唐代以降は太宗たいそう李世民りせいみんに仕えた秦叔宝しんしゅくほう尉遅敬徳うつちけいとくとされるが、南北朝時代は神荼しんと鬱塁うつるいという神が描かれていた。さらに遡ると、桃の枝や虎の絵であったとされる。いずれも魔除けとして門に飾られ、邪気を家に入れないという。

 その勢いに晋兵たちは押し戻され、さらに対岸からは石勒、姜飛が軍勢を率いて攻め寄せる。

 漢兵の怒号と晋兵の悲鳴が重なり、晋兵の屍が次々と水に落ちて下流に流されていく。丁乾と弓欽も防ぎきれず、ついに軍勢とともに岸上に逃げ戻った。

 晋兵でこの一戦に死する者は六、七千にも上り、河の両岸に連なった筏のそこここに晋兵の屍が並ぶ有様であった。

 晋兵が岸上に退いても漢兵は退かず、汲桑、夔安、郭黒略、張曀僕、桃豹、冀保きほたち六将は二将ずつ三手に分かれて晋陣に斬り込むべくさらに進む。

 晋陣の皮初が戦況を見て言う。

「岸上に上がった者のうち、兜を戴いた六人が賊将だ。押っ取り囲んで斬り殺せ」

 下知を受けた晋兵たちが六将を囲んで斬りかかるも、汲桑たちの勇にあたる者なく、嵐に吹き散らされた落ち葉のように逃げ散っていく。

 筏の上にある石勒は対岸の晋陣で騒ぎが起こっているのを聞きつけた。

「汲桑たちが乱れに乗じて斬り込んだに違いない。多勢に取り囲まれては万一のこともあろう」

 そう考えると、馬に鞭して筏上を馳せ、瞬く間に岸上に跳び上がった。

 晋陣で指麾を取っていた皮初は逃げ散る兵を叱咤しったしつつ汲桑に戦いを挑んでいた。汲桑は落ち着き払って大斧を振りかざすと、馬頭を狙って振り下ろす。その一撃に皮初は人馬もろとも横ざまに倒れ伏した。

 汲桑はさらに進んで皮初の首級を挙げようとする。そこに丁乾が駆けつけて汲桑を阻み、その間に皮初は身を翻して後陣に逃げ込んだ。

 汲桑は丁乾を打ち捨てて皮初を追うも、丁乾は逃がさずその背を狙って鎗を突く。

「賊よ、命は貰ったぞ」

 叫んだ声は丁乾ならぬ石勒のもの、丁乾はもはや汲桑どころではなく石勒の一刀を避けるのが精一杯、馬頭を返して石勒に向き合わざるを得ない。十合もせぬうちに皮初を見失った汲桑が駆け戻り、背後より大斧を振るって斬りかかる。

 丁乾は前後に敵を受けてついに石勒に生きながら擒とされた。それを見た弓欽が丁乾を奪い返そうと馬を馳せるや、石勒に追いついた姜飛が進み出て言う。

「こやつは吾が頂こう」

 わずかに刃を交えたところで汲桑が駆け寄り、乗馬の脚を切り払う。弓欽はたまらず地に投げ出され、姜飛は馬上から一刀を斬り下ろして首級を挙げた。

 馬を換えた皮初がようやく後陣から駆け出すと、すでに晋兵の軍列は総崩れの様相を呈している。

 激怒した皮初が大喝する。

粗忽者そこつものどもめが、漢賊などわずか十四、五人ばかり、吾らの多勢であれば全身の毛を抜いても人が余るというものだ。斬り散らされて逃げ惑う奴があるか。取り囲んでなますにせよ」

 皮初が戻って晋兵も落ち着きを取り戻し、軍列を組みなおそうと試みる。

 そこに晋兵に紛れた張曀僕が鎗を突きかけ、皮初の左腿を刺し通した。さすがの皮初もこれには堪らず、ついに馬を返して逃げ去った。

 皮初を失った晋兵はいよいよ乱れて逃げはじめ、石勒は対岸の軍勢を差し招いて追撃に入ろうとした。しかし、すでに天は暮れかかって軍旗の色も分からなくなり、軍勢を東岸に渡らせて晋陣の柵塁に収め、この日は休息することとした。

 それより皮初は三十里(約16.8km)ほど退いた地点で敗兵を収めて霊昌道れいしょうどうに陣を布きなおし、魏縣の本営に使いを出して救援を求めたことであった。

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