第百十三回 陸機は陣を操る

 漢の諸将は張賓ちょうひんとともに陸機りくき韓陵山かんりょうさんの麓に布いた陣を見据えている。東西南北の四陣が中央の一陣を守る配置がなされていた。

 東を守る陣では、軍士は緑のさく軍袍ぐんほうを身につけて騎兵は青鹿毛あおかげの馬を揃え、陣上に龍を描いた緑旗を翻して五行の東方とうほう木気もくきなぞらえている。

 陣頭には三人の将帥が並び、軍令を伝える号旗は青色、主帥は青州せいしゅう刺史の苟晞こうきが務めているらしい。その苟晞は青銅の鎧に緑の戎衣じゅうい翡翠色ひすいいろの帯を締めて碧色あおいろの兜から青いひもを垂らし、青龍旗の画戟がげきを手に騎兵と同じく青鹿毛の馬に打ち跨っていた。

 その左右を夏陽かよう高潤こうじゅんが固め、その他に副将十人、軍勢は四万二千ほどである。

 西を守る陣の軍士、騎兵、軍旗はいずれも白一色、軍旗には白虎が描かれて五行の西方せいほう金気きんきに擬える。陣頭の主帥は涼州りょうしゅう刺史の張軌ちょうき、左右を固めるのは北宮純ほくきゅうじゅん令孤亜れいこあであった。

 南を守る陣の軍士、騎兵、軍旗はいずれも赤一色、軍旗には朱雀が描かれて五行の南方なんぽう火気かきに擬える。陣頭の主帥は廣州こうしゅう刺史の陶侃とうかん、左右を固めるのは朱伺しゅし呉寄ごきであった。

 北を守る陣の軍士、騎兵、軍旗はいずれも黒一色、軍旗には玄武が描かれて五行の北方ほっぽう水気すいきに擬える。陣頭の主帥は并州へいしゅう刺史の劉琨りゅうこん、左右を固めるのは姫澹きたん劉希りゅうきであった。

 いずれも東の陣と同じく副将十人、四万二千の軍勢を率いている。

 これらに囲まれて中央の陣がある。

 四陣の中央の一陣の軍士、騎兵、軍旗はいずれも黄一色、軍旗には勾陳こうちん螣蛇とうだが描かれて五行の中央ちゅうおう土気どきに擬える。陣頭には五人の将帥が並び、主帥は盟主を務める成都王せいとおう司馬穎しばえい、左右を固めるのは盧志ろし和演わえん石超せきちょう牽秀けんしゅうの四将、周囲の四陣より多い五万の軍勢を配している。

▼勾陳は土を司る神、螣蛇は翼を持たず空を飛ぶ蛇、ともに十二天将の一つ。

▼これらの五陣が前回の「五方」に相当する。


 ※


 さらに四方を固める陣の角に四陣が置かれる。

 東南角に布かれた陣の軍士はいずれも紫の軍袍と藍の幘に鉄鎧と赤い兜を身につけ、陣上の軍旗は青の絹幟が三本、紫の幟が四本、その七本の幟にかく木蛟もくこうこう金龍きんりゅうてい土貉どらくぼう日兎じつとしん月狐げつこ火虎かこ水豹すいひょう東南方とうなんほう七宿の形が描かれている。

 陣頭に立つ主帥、幽州ゆうしゅう総管そうかん王浚おうしゅんだけは紅い幘と青い軍袍に鉄兜を身に纏って藍色の号旗を手にしており、その左右を胡矩こく王昌おうしょうとこれも十人の副将が固める。

 西南角に布かれた陣の騎兵はいずれも紫の軍袍に銀の鎧、白馬に紫の纓を垂らしている。陣上の軍旗は紫の幟が三本、白幟が四本、それらの上にはけい木狼もくろうろう金狗きんく土雉とちぼう日雞じつけいひつ月烏げつう火候かこうしん水猿すいえん西南方せいなんほう七宿の形が描かれている。

 陣頭に立つ主帥、揚州ようしゅう刺史の陳敏ちんびんも軍士と同じ戎装じゅうそうを身に纏い、その左右を夏文盛かぶんせい夏文華かぶんかとこれも十人の副将が固めている。

 西北角に布かれた陣の軍士は黒一色の戎装に鎧と軍靴だけが白い。陣上の軍旗は白幟三本に黒幟四本、それらの上には木犴ぼくかんぎゅう金牛きんぎゅうじょ土蝠とふくきょ日鼠じつそ月燕げつえんしつ火猪かちょへき水獝すいゆ西北方せいほくほうの七宿の形が描かれている。

 陣頭に立つ主帥は順陽じゅんよう太守の張光ちょうこう、その左右を晋邈しんばく息援そくえんとこれも十人の副将が固めている。

 東北角に布かれた陣の軍士は藍の軍袍と黒鉄の鎧を着込み、陣上には黒幟三本、藍幟四本、それらの上にはせい木獬ぼくかい金羊きんようりゅう土獐どしょうせい日馬じつばちょう月鹿げつろくよく火蛇かだしん水蚓すいいん東北方とうほくほうの七宿の形が描かれている。

 陣頭に立つ主帥は雍州ようしゅう刺史の劉沈りゅうちん、その左右を衙博がはく皇甫澹こうほたんが固めている。

▼星宿と並んで記されている動物を星禽せいきんと言い、七宿に配される木金土日月火水の七曜を冠される。通常、「角木蛟」のように記されるが、『通俗』では「角、木蛟」と記載されているため、上記のように記載した。

▼この四陣が前回の「四維」に相当し、それぞれが七宿を描いた軍旗を掲げて「二十八宿」を揃えている。


 ※


 東西南北と中央に布かれた陣、その四隅を固める陣で都合九陣、それに止まらず、東西二陣と北、それに西南、東北、東南の六つの陣には後詰ごづめまで置かれていた。

 東陣の後ろの一陣では、河間王かかんおうの嗣子である司馬暉しばきが主帥となり、金の甲冑に黄袍を着込んで黄馬に打ち跨り、陣上に黄色の軍旗を翻している。

 その傍らには輔佐にあたる刁黙ちょうもく馬瞻ばせんが馬を立てている。左翼の将帥を郅輔しつほ席薳せきえんが務め、緑の軍袍と幘を身につけて緑色の軍旗を掲げている。

 その軍勢は二万ほどもおり、みな緑一色の戎装に身を包んでいるのは東方とうほう甲寅こういん春木しゅんぼく震方しんほうの気に擬えている。

 右翼の将帥は呂朗りょろう林成りんせいが務め、青の軍袍と幘を身につけて青色の軍旗を掲げている。その軍勢もまた二万、青一色の戎装に身を包んでいるのは東方とうほう乙卯いつぼう春木しゅんぼく巽方そんほうの気に擬えている。これらの軍勢は東陣に呼応して動くべく備えていた。

 西陣の後ろの一陣では、長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいが主帥となり、これも金の戎装を身に纏って陣上に黄色の軍旗を翻している。輔佐にあたる王豺おうさい王瑚おうこがその傍らに馬を立てる。

 左翼の将帥は上官己じょうかんき宋洪そうこうが務め、銀の甲冑と白い軍袍に身を包み、白馬に打ち跨っている。陣頭には白い軍旗を掲げる二万の軍勢であった。これは西方せいほう庚申こうしん秋金しゅうきん兌方だほうの気に擬えている。

 右翼の将帥は皇甫商こうほしょう陳珍ちんちんが務め、白い軍袍と幘に水銀の甲冑を着込んで陣上には白い旗を掲げる。率いる二万の軍勢も白一色の戎装に身を包み、西方せいほう辛酉しんゆう秋金しゅうきん乾方けんほうの気に擬えている。

 これらの軍勢は西陣に呼応して動くべく備える。

 南陣の後ろの一陣では、東海王とうかいおう司馬越しばえつが主帥となり、金の鳳兜ほうとう瑣甲さこう赫黄せきこうの軍袍を身に纏って黄馬に打ち跨り、陣上に黄色の軍旗を翻している。輔佐にあたる王豹おうひょう王秉おうへいがその傍らに馬を立てる。

 左翼の将帥は何倫かりん宋冑そうちゅうが務め、赤い幘に朱の纓を垂らして紅い軍袍を身に纏い、渾紅の馬に打ち跨っている。陣上には紅い軍旗を翻し、二万の軍勢も同じく紅い戎装に身を包んでいる。

 右翼の将帥は施雄しゆう周凱しゅうがいが務め、赤の軍袍を着込んで紅のたてがみの馬に打ち跨り、陣上には赤い旗を翻している。その軍勢も同じく二万、全員が赤い甲冑を着込んでいる。南方丙午丁巳の離方に応じており、南陣と呼応するべく備えている。

 北陣の後ろの一陣では、瑯琊王ろうやおうの嗣子である司馬睿しばえいが主帥となり、金の豸冠ちかんを戴いて金甲を身に纏い、黄驃馬こうひょうばに打ち跨って陣上には杏黄きょうこうの軍旗を翻している。輔佐にあたる段雄だんゆう伏尚ふくしょうがその傍らに馬を立てる。

 左翼の将帥は龔同きょうどう計明けいめいが務め、鉄兜に緑の軍袍を着込み、黒馬に打ち跨っている。陣頭には青色の軍旗を掲げた二万の軍勢を率い、戎装はすべて緑の幘に黒絹に統一されている。

 右翼の将帥は潘仁はんじん史恭しきょうが務め、赤い巾と黒衣を身に纏って青馬に打ち跨り、鷲を描いた軍機を掲げる二万の軍勢を率いている。北方ほっぽう甲子こうし丁亥ていがいの水木の変化に応じ、北陣と呼応すべく備える。

 東北陣の後ろの一陣では、范陽王はんようおう司馬彪しばひょうが主帥となり、金の鎧と紫金の兜に身を包み、軍袍と馬はいずれも黄色、陣上には柳黄の旗を翻している。

 左翼の将帥は王曠おうこう扈慶こけいが務め、生鉄の兜に藍色の軍服を着込み、黒馬に打ち跨って陣頭には藍い旗を掲げている。二万の軍勢はすべて藍の戎装に身を包む。

 右翼の将帥は周侲しゅうしん黎廣れいこうが務め、朱の藤兜とうとうと飛魚を描いた黒衣に身を包み、黒虎を描いた軍旗を掲げている。手下の軍勢はこれも二万、みな黒一色の戎装に身を包んでいる。甲子と丁丑ていちゅうの水土の変化に応じ、中軍の救援を担っている。

 東南陣の後ろの一陣では、南陽王なんようおう司馬模しばぼが主帥となり、金の甲冑とあかい軍服に身を包み、陣上には黄色い軍旗を翻している。

▼『後傳』『通俗』ともに東南陣の後ろの一陣は主帥の名を欠く。しかし、これまでの配置と左右翼の将帥から、南陽王の司馬模であると推測されるため、改めた。

 左翼の将帥は卞勝べんしょう齊成せいせいが務め、青い巾と黄色い軍服に銅の鎧を身に纏い、陣頭には緑の軍旗を掲げている。その軍勢二万はすべて緑の戎装に身を包んでいる。

 右翼の将帥は岑紳しんしん席盛せきせいが務め、朱の甲冑を着込んで赤馬に打ち跨り、二万の軍勢は黄色の軍服と紅い鎧に身を包んでいる。甲辰こうしん丁巳ていしの火土の変化に応じ、敵が中軍に攻めかかれば西陣、東北陣とともに防備にあたる。

 これが陸機が布いた十六所を合して一陣となす陣法であった。


 ※


 劉聰は諸将とともに晋軍の陣を眺めていたが、陣の周囲は五十里(約28km)を越えるにも関わらず、連絡が行き届いて混乱したところはない。関、張、黄、趙の諸将を顧みて言う。

「陸機は四代の将家にして江東こうとうの俊傑とうたわれるが、その名は虚名ではないらしい」

 それを聞いて張賓が言う。

「元帥はこの陣法をご存知ですか」

「これは渾天こんてんの陣であろう」

「正しくは、混元こんげん一気いっきの陣と申します。東南西北、中央を五星に擬えて陣を配し、これを五方と呼びます。四隅には二十七宿に擬えた陣を置いてこれを四維と言います。外に重なる六軍を六位として六甲、六丁に分け、混じった気、純粋な気、変化する気を補っています。五方は純粋な気にあたり、四維は混じった気にあたり、六位は変化する気にあたります。それらを総じて混元一気の陣と呼ぶ所以です。渾天の陣であれば、両儀りょうぎ四象ししょうを備えるものですが、これらを欠いては渾天の陣とは申せません」

▼「両儀」は陰陽、あるいは天地を指す。

▼「四象」は「青竜、朱雀、白虎、玄武」の四神、あるいは易の「老陽、老陰、少陰、少陽」を指す。ただし、陸機が布いた五方の陣は四神を、中央の陣は勾陳と螣蛇の軍旗を掲げている。よって四神とは考えられない。ここでは「老陽、老陰、少陰、少陽」を指すと解される。

「軍勢は多く将帥は驍勇ぎょうゆう、元帥の陸機は陣法に通じておる。果たしてこの陣を打ち破れるであろうか」

「兵は精鋭であればよく、多勢を求めません。陸機の陣は完全とは言いがたく、付け込むのは難しくありません。ただ、陣中に踏み込んだ後に変化されると軍勢を損なうおそれがあります。吾らも陣を布いて晋軍を誘い込み、そこで討ち果たすべきでしょう。それが必勝の策というものです」

「晋軍も陣を破る方法は案じていよう」

「問題ありません。吾らの布く陣はかつて諸葛丞相しょかつじょうしょう諸葛亮しょかつりょう、丞相は官名)が用いた八陣の法によります。八門はちもん金鎖きんさの異名を持つ陣は数十万の軍勢にも匹敵します。臣は幼い頃から密かにこれを学んでおりますが、残念ながら丞相より口伝を授けられておらず、玄妙の奥義にまでは到っておりませんでした。しかし、かつて姜公きょうこう姜維きょうい)がこの術を子の姜發きょうはつに伝授する際、臣も伝授を受けることができました。姜公の言によれば、この陣は八卦はっけに従って布陣するだけであるが、敵が陣内に入れば六十四卦の変化により窮まることがなく、乱そうとしても乱れず、動かそうとしても動かず、陣中から逃れることはできず、味方がその害を受けることはないと言われました」

「晋の将兵は強い。陣内に閉じ込めるだけでは破ったとは言えぬ」

「秘法には玄妙の理があり、陣内には白虎、玄武、青龍、朱雀、勾陳、螣蛇の神変があり、尋常の知では理解できません。晋軍は多勢、まともに戦ってはすりつぶされかねません。陣法を競うように持ち込んで将士の心を怯ませれば、軽率に出戦もできますまい」

 劉聰はその言に従い、諸将とともに高台を降りてそれぞれ軍勢を率い、張賓からの布陣の下知を待ち受けたことであった。

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