第八十八回 蜀の李特は謀って趙廞を殺す

 姜發きょうはつが去った後、趙廞ちょうきんは謀議の相手を失い、李特りとくの末弟の李庠りしょうを宰相府に迎えて朝夕に事を諮るようになった。

 李庠の字は玄序げんじょ、知識豊かにして騎射を善くし、驍勇ぎょうゆうは絶倫、若くして世に名を知られていた。李特と李流りりゅうはその兄、甥には李蕩りとう李雄りゆう李始りし李輔りほ李譲りじょう李堪りかんたちがいる。

 一日、李庠は李特に向かって言った。

趙益州ちょうえきしゅう(趙廞、益州は官名)の様子を観るに、諫言を容れず、もとより大業をなす器ではありません。このままにしてはいずれ成都を他人に奪われましょう」

 李特は聞いてただ頷くだけであった。

 その座にいた成都の兵の一人は古くから趙廞に従っており、このことを密かに報告した。趙廞は疑心を生じ、息子の趙瑛ちょうえいに言う。

「李特兄弟は才に秀でて性は磊落らいらく、いつまでも人の下に従っている者たちではない。かならずや蜀の内患となるであろう」

「文武の才に秀でた者は李庠だけです。李庠を除けば李特など怖れるに足りません。先の言からもその心底は見え透いております。この機に先んじて除かねばなりません」

 趙廞父子はそう言って李庠を殺すことに定めたのであった。しかし、口実が見つからず、余人に話せば事が洩れるかと懼れ、繰り延べて日一日と送っていく。

 ある時、李庠は趙廞が庶人を殺したのを見ると諌めて言った。

「古より大業をなす者は人を殺すことを喜びませんでした。主公はただ暴虐をおこなって仁徳を修められず、これでは人が心を帰することはありますまい。このままでは善き終わりを迎えることさえ難しくなりましょう」

 諫言された趙廞は喜ばず、殺そうにも諫言では罪するにもあたらず、ただ黙然とする。李庠もすぐに宰相府を退いた。また別の日、諸将を集めて宴会を開き、その座の話柄が晋朝の政事に及んだ。李庠が言う。

「ここに至って司馬氏は自ら国を乱し、朝廷には正しい士がおらず、臣下には悖逆はいぎゃくする者が多くなりました。この機に蜀に拠って尊号を称し、四方を従えるのがよろしいでしょう。上策は関中かんちゅうを奪って天下の半ばを有し、中策は蜀から荊州けいしゅう襄陽じょうように進んで中原への足がかりとし、下策は蜀の険に拠って天下の三分の一を有することです。今こそ三策のいずれかをお選びになるべき時です」

 趙廞は内心でその言葉を喜んだが、まずは李庠を殺して李特の勢いを断ち、その後に三策を選んでおこなおうと考えた。

 偽って色をなして言う。

「洛陽に聖上がおられるにも関わらず、誰が敢えて至尊の位を窺うような真似をしようか。吾にそれをおこなえと言うのか。吾が所為は本心より欲したものではなく、ただ奸党に忌憚されたがゆえに洛陽に戻って害されるのを避けるため、やむを得ずおこなったものである。いずれ奸党が除かれれば吾が本心を披瀝ひれきできる日も来よう。それゆえ、藩鎮としての任を全うするのが本意である。お前が言うところに従えば、朝廷に叛逆することになる。吾が一族を滅ぼして祭祀を絶つつもりか」

 すぐさま腹心の費遠ひえん、許弇、張燦、衛玉に命じて捕らえさせ、大臣を愚惑して叛乱の大逆をそそのかした大逆たいぎゃく不道ふどうの罪により斬刑に処した。

 李特は李庠の刑死を知ると、深く怨んで必ずや仇を討つと心に決めたが、にわかに趙廞に叛いたところで勝ち目はなく、歯を喰いしばって隠忍いんにんしたのであった。


 ※


 趙廞は、李庠を斬刑に処したと李特が聞けば必ずや変事が生じるであろうと懼れた。

 李特に親軍しんぐん都統ととうの官を授けてその心を安んじようとし、その他の李氏の者たちにもそれぞれ官職を授けた後、李特を召し出して慰める。

▼親軍都統という官職は晋代にない。別軍の指揮官という程度の意であろう。

「吾はげてお前の弟を殺したが、彼は自らの才を恃んで非法をも顧みず、如何ともしようがなかった。たびたび妄言しては是非もない。しかし、それゆえにこそ吾とお前は身を安んじることができた。もし彼を放っておけば、ついに事を誤って吾らは一族もろとも滅んだことであろう。彼を殺した理由はほかにはない。お前は弟を一人殺されたが、三族を滅ぼされるよりはましであろう。よくよくそのことを思って怨みに思ってはならぬ」

 李特は趙廞の言葉が己を愚弄していると悟り、内心では怒り狂っていた。しかし、面には表さずその場をやり過ごす。帰って弟の李流と甥の李譲にはこう言った。

「趙廞にくみした理由は、吾ら一族が尽力して彼奴かやつを助け、事をなさしめようとしたがゆえのこと、今となっては吾らの強盛を憎み、中でも李庠は文武の才に恵まれていたために、晋朝に忠節を尽くすかの如く偽って斬刑に処した。それどころか、空言を吐いて吾を欺こうとまでしおった。この仇に報いぬわけにはいかぬ。しかし、趙廞の勢威は強く、如何ともしがたい。また、蜀を去ろうとしても、やすやすとは出て行かすまい。久しく彼奴の許に身を置いては、いずれその害毒を蒙って一族を滅ぼされよう。どのように身を処するべきであろうか」

 李流が言う。

「趙廞の老賊は徳も謀もありません。どうして大事をなすことができましょう。今までは姜發、姜飛の二人が力を尽くしていただけのこと、二人が去ってしまえば羽翼をがれた鳥のようなものです。徒に威を以って人を制したところで、行き着く先は滅亡しかありません。彼奴を除くことなど、さほどの難事ではないでしょう」

 その時、李特に従っている閻式えんしきが進み出て言う。

「今は彼奴は強くて吾らは弱く、彼奴は多くて吾らは少ない。謀ろうとしても易々とは参りません。ただ、事は迅速におこなうがよく、事前に知られぬようにせねばなりません。明日、流民の頭目とうもく二十人を選び出して内に鎧を着せ、各々利刀を隠して外は衣でおおい、宰相府の傍らに潜ませた上で謁見を請うのです。さらに、流民を率いて成都の城内に待機させておき、趙廞の党与が軍勢を連れてくれば、宰相府の前で防いで入れないようにします。その手配りさえすれば、府内で杜淑、許弇の輩を六、七人も斬り殺すだけのこと、ご懸念には及びますまい。彼奴は千軍万馬の敵でもなく、言うに足りません。甸長でんちょう(李特)は身に利剣を帯びて宰相府に入り、人が集まる前に堂上に上がり、拝礼すると見せかけて彼奴を斬り殺すのです。趙廞を殺すなど容易いことです」

 その謀に従い、李特の一族から李流、李輔、李譲、李國りこく、李蕩、李雄、李文りぶん李恭りきょう李超りちょう李攀りはんの十人に加え、流民の頭目たちから上官晶じょうかんしょう任道じんどう任回じんかい蹇碩けんせき蹇順けんじゅん王辛おうしん羅淮らわい趙粛ちょうしゅく文斌ぶんぴん厳檉げんてい厳楡げんゆの十一人、都合二十一人がそれぞれに装束を調えて宰相府の周りに伏せた。また、閻式、楊褒ようほうの二人は流民を率いて成都の街中に潜み、鬨の声が挙がるのを合図に、流民たちが宰相府に突入することと定められた。


 ※


 翌日早朝、李特は文官の装束を着込み、王角おうかく李棋りきが率いる従者をともなって宰相府に向かい、門前で伺候しこうに来た旨を伝えさせる。

 すでに趙廞は府堂に上がって政務にあたっており、周囲には杜淑と許弇がいるばかり、その二人も内兵房ないへいぼうにあって銭糧を点検していた。

▼「内兵房」は兵器や兵糧を管理する部署の意と解される。府堂の脇の別室にいると考えるのがよい。

李甸長りでんちょうがご指示を仰ぎに参られました」

 来客を告げる官吏の声とともに府内に入った李特は、王角と李棋の二人を引き連れて堂に上がり、一揖いちゆうする。趙廞が席を立って答礼すると、頃合を見計らった李特は剣を抜いて斬りつけた。

 趙廞が身を離そうとすると、李特は袖を掴んで逃げるを許さず、肋骨のあたりを刺し貫く。趙廞は叫び声を挙げて地に倒れ伏す。声を聞いた杜淑、許弇が駆けつけたものの、趙廞はすでに斬り殺されていた。

 李特は叫んで言う。

「趙廞は残虐不仁、忠良の者を罪なくして殺した。それがしは弟の仇に報いるため、趙廞を斬り殺した。お前たちの中で従う者はここに来て、有徳の者を選んで成都の主を定めよ。逆らう者は洛陽に行って報告し、天子に従うがいい。お前たちはどうするか」

 杜淑、許弇は李特を捕らえようとしたが、府内では寸鉄を帯びることも許されておらず、やむなく手近の椅子を取って李特を罵る。

「お前は無宿の流民、吾が主に厚遇されて親軍の職まで許されたというのに、恩を忘れて主公をしいした。これほどの重罪を犯してなお妄言を吐くか」

 言うが早いか椅子を振り上げ、李特の頭を目がけて打ち下ろす。李特は斬り捨てようとしたが、刀が短くその身に及ばない。

 それを見た王角と李棋の二人が堂上に駆け上がり、後ろから許弇を斬り殺す。

 杜淑は背を向けて府門に奔り、費適ひてきに行き合って叫んだ。

「李特が叛乱を起こし、府公が斬り殺された」

 そのまま奔って府門を出ようとしたが、門を出ぬうちに前から来た李譲に斬り殺される。

 費適はすぐさま別の門から走り出て兄の費遠に告げ報せ、費遠は張燦ちょうさん衛玉えいぎょく阮邙げんぼうたちを呼び集め、軍勢とともに府に入ろうと押しかける。

 その頃には流民の頭目の上官晶たち十一人が府門を守っており、費遠たちとの斬り合いになった。兵士が多くては狭い門を抜けられず、府内から李特、李棋、王角も駆けつけて府門を守り、一兵たりとも入らせない。

 その鬨の声を聞き、市中に潜む楊褒と閻式はそれぞれ五千の流民をまとめ、府門に攻め寄せた。張燦は後ろに回って攻め寄せる流民を迎え、四つ辻で戦に入る。

 李雄、李流と流民の頭目を合わせた二十余人が府門から勢いよく斬り出し、府門の前には兵士の屍が累々と重なった。

 府門の先の四つ辻では、上官晶が張燦と戦って斬り殺し、ついで阮邙が鎗を捻って突きかかるも、背後から蹇碩の一突きを受けて命を落とす。

 衛玉と費遠は形勢悪しと見てとって、東に逃れるべく囲みを衝いた。

 その行く手を流民を率いた李譲が阻む。必死の費遠は勇を奮って斬り進み、大刀で李譲の鎗先を斬り落とす。李譲が怯んで後ろに下がり、勢いを得た費遠はかさにかかって追い立てた。そこに李雄が突っ込んで、衛玉の首を一刀に飛ばすと返す刀で費遠に斬りかかる。

 費遠は怖れて囲みを破り、常俊じょうしゅんが守る少城しょうじょうに逃げ込んだ。常俊は孤立を恐れて使いを出し、梁州りょうしゅう羅尚らしょうに投降を願い出た。

 流民たちはついに趙廞の邸宅に押し入って子の趙瑛をはじめとする一族を皆殺しにし、李特は趙廞の屍を八つ裂きにして郊外になげうち、李庠の仇に報いた。


 ※


 翌日、李特は諸人を集めて言う。

「趙廞を殺して成都を奪った。すぐに兵を遣わして辺りの属縣をも下すべきであろう。さらに進んで隣郡を落とせば、西蜀の覇王ともなれよう」

 楊褒が諌めて言う。

「時機尚早というものです。まだ晋は天下を一統の下に治めており、軍勢も部将も多く揃っております。晋と戦って生き延びることは難しいのです。また、吾らは遠来の流民、蜀の人々に恩恵を与えたこともなく、民も従いはしますまい。周囲の少城や廣漢こうかんの地はみな晋の領地であり、守兵を置いて防備を固めておりましょう。そこに吾らを討伐する晋軍が入れば、自ら滅亡を招くようなものです」

「今や虎の背に乗ったようなもので、いまさら下りることはできぬ。どうすればよいか」

「しばらくは成都を守り、趙廞の首級をはこに入れて洛陽に送り、自ら罪を請うのです。そもそも趙廞は晋の叛臣、その首級を受ければ朝廷も叛臣を誅した功を認めて官職を与えざるを得ません。この間に民に恩沢を与えて心を攬り、しかる後に事をおこなうのがよいでしょう」

 李特は楊褒の言葉に従い、能弁の王角を洛陽に遣わして上奏させることとした。


 ※


「趙廞が朝命に叛いて蜀の覇王にならんと図り、臣李特たちを招こうとしましたが、それに従わなかったことを怨みに思って臣の弟である府中ふちゅう護軍ごぐんの李庠を罪なくして殺し、臣は怒りに堪えず衆人を糾合して国賊を討ち果たしました。逆党五人の首級と合わせて宮闕きゅうけつに献上させて頂きます。臣は天朝に帰順して専断の罪をお受けするべくお待ちしております」

 楊褒は辞を尽くして上奏文を認め、王角は洛陽に上がって上奏をおこなった。晋帝の司馬衷しばちゅうは廷臣を集めてどうするべきか議論させる。王衍おうえんが進み出て言う。

「李特は流民の頭目です。もともと趙廞と結んでいなければ、弟の李庠が殺されるはずもありません。趙廞を殺したのも別の事情があったのでしょう。軍勢を発して罪を問うべきです。妄りに罪を許してはなりません」

 御史ぎょし馮該ふうがいが王衍に反駁して言う。

「趙廞は造反して朝命を拒み、辺境を守る大臣を妄りに殺しました。李特がそれを誅殺したというのに、功績を認めずかえって罪することは許されません。李特に軍勢を差し向ければ、かえって激発させるだけです。ただ官職を与えて國恩に浴さしめるのがよろしいでしょう。その際に兵権を奪ってしまえば、叛乱しようにもできますまい」

 朝議は馮該の意見に従う者が多く、ついに李特を宣威せんい将軍に任じて長樂侯ちょうらくこうに封じ、李流を奮威ふんい将軍に任じて武陽侯ぶようこうに封じ、成都に近い緜竹めんちくの鎮守を命じてその軍勢は成都にある刺史の指示に従うことと定めた。

 また、詔を下して梁州の羅尚を成都の刺史に任じ、西戎校尉せいじゅうこうい平西へいせい将軍の職をかねて趙廞の部下たちを合わせ、さらに李特の流民たちも指麾下に置くように命じる。

 羅尚は詔を受けると即日に軍勢を率いて成都に向かい、その配下の牙門がもん将軍の王敦おうとん上庸都尉じょうようとい義歆ぎきんがそれぞれ七千の軍勢を率いて輔佐を務めることとなった。

 さらに巴西太守はせいたいしゅ徐儉じょけん廣漢太守こうかんたいしゅ辛冉しんぜんも加わり、これらもそれぞれ七千の軍勢を率いて臨機に事に処するように命じられた。これは、李特が不測の変事を引き起こした際の備えである。


 ※


 成都にも勅使が遣わされて李特も詔を受け、軍勢を手放して緜竹に赴かせる朝命に不安を覚えていた。さらに、羅尚が軍勢を率いて成都に入り、李特の軍勢もその麾下に従うという噂を聞くと、憤って諸人に言う。

「険要の地を閉ざして羅尚を境内に入れるまい」

 閻式が諌めて言う。

「いけません。吾らは民心を得ていないがゆえ、洛陽に上奏をおこなったのです。それにも関わらず、この期に及んで詔を受けずに官兵を拒めば、当初の計画も水の泡です。朝廷がこの地に王敦を遣わしたのは、上庸、巴郡はぐん、廣漢と連絡して事態に処するためです。これは吾らが変事を起こさぬかと警戒している証拠、北の梁州だけでなく、東北の上庸、西の巴郡、廣漢も吾らの敵です。その上、少城の常俊と費遠も羅尚に下りました。今は妄りに動いてはなりません」

 李譲が怒って言う。

「それならば吾らは大人しく緜竹に行くほかにない。二度とこの成都を得られぬではないか」

 閻式は笑って言う。

「そうではありません。吾は先に羅尚が襄陽にいる折にその心底を探ったところ、その性は貪鄙どんひにして阿諛あゆを好んで剛直を忌む人柄です。襄陽の郷人は『羅尚が愛する者は邪でなければすなわち佞、羅尚が憎む者は忠でなければすなわち正』と言っておりました。また、その家は産業を営み、物を売って利益を掻き集めておりました。それゆえ、まいないを拒むことがありません。百貨を積んで富を極めてもまだ飽き足りない様子、このような者は欲に眼が眩んで偏狭な心で事に処するものです。つまり、その知は暗く、あざむすかすには与し易い相手なのです。成都の府庫から寶物を選び出して能弁の使者に持たせ、中途まで迎えに行かせて賂を贈れば、羅尚は珍寶に眼が眩んで喜びの色を表しましょう。賂を受け取れば、金銀を尽くしてその左右を買収するのです。そうすれば、恩に報いようと吾らを厚遇し、親しむようになりましょう。その心底を知り尽くした後に民心をってしまえば、どのような謀も思うがままにおこなえます」

 李特はその言葉に従い、楊褒を使者に立てて途中まで出迎えさせ、李特の書状と合わせて羅尚に珍寶を献上させた。

 羅尚は賂を受けて大いに喜び、楊褒を召し出して趙廞を殺した始末を問う。

 楊褒は能弁をふるってその応対は流れる水のよう、趙廞の罪のみを言って李特の過ちを覆い隠す。羅尚はその言葉を信じ込んで言う。

「まことに趙廞の罪は重い。お前の主は国に功績がある。今、吾ははじめて蜀に入った。礼物を受けては蜀の人々の耳目を動かして外聞がよくあるまい」

「『羅公は久しく高位にある御人であれば、敬意を尽くさねばならぬ』と李甸長は申しておりました。これが他の方であれば、礼物など送りません。その心を察して頂き、何卒お受け頂けますように」

 ついに羅尚は礼物を受け、ついで楊褒に問う。

「どうしてお前たちは主を甸長と呼ぶのか」

「流民たちは食糧を求めて蜀に入り、みな山を開いて地を耕すことを生業とし、各々がその畝を分けております。しかし、土地をめぐる争いが跡を絶ちません。それゆえ、李特を甸長として争いの仲裁を任せているだけのことです」

「そういうことであれば、お前の主もよく民を治めることができよう。謹んで法を守り、公に奉じるようにすれば、吾はお前たちを守って官職も与えてやろう。疑心に囚われぬようにせよ」

 羅尚はそう言うと、楊褒に重賞を与えて成都に戻らせた。


 ※


 楊褒は戻ると羅尚が礼物を受けて満悦したこと、さらにその言葉を李特に告げる。

 李特の心は落ち着いて官軍を防ぐ謀を捨て、ただ羅尚たちに賂を贈ることのみ考える。食事を入れる籠や菓子折りに金銀を入れて差し入れと称し、李特は閻式とともに自ら駅に行って羅尚を出迎えた。羅尚は李特の人柄を見て礼を知る有能の者と思い、賓客の礼により応接する。

 席を与えて問いかけた。

「甸長が自ら来られたということは、何か重要な話があるのであろう。理に適うことであれば、吾は聞き入れてやるつもりだ」

「某の出自は略陽りゃくようの旧族、父は魏の牙門将軍となって寧羌校尉ねいきょうこういまで進みました。その後、戦乱により食糧を求めて蜀に入ったのです。某に従う者たちは、みな外郡から蜀に逃れて生き延びようとした百姓であって兵士ではありません。窮谷きゅうこくに集まって荒れた岡を耕し、生き延びようとする者たちです。朝廷はそのことをお知りにならず、乱を起こそうとしていると誤解して故郷に還らせようとされました。しかし、彼らの旧業はすでに失われており、還ったところで余命を繋げません。それゆえに蜀の地に身を落ち着け、ともに蜀郡の籍帳に名を記してこの地の民となっております。先に趙益州(趙廞)が叛逆した際、吾らも与するように命じられました。某の弟の李庠は朝禄を食む身でありますので、それに従わずついに殺されました。その上、流民たちを皆殺しにして某の一族を滅ぼそうとしていると聞き及び、ついに衆を合わせて叛臣を誅殺し、上奏して朝廷に罪を請うたのです。しかし、朝廷は某の罪を御赦しになるだけでなく、あまつさえ官職を賜って長樂侯にまで封じて頂きましたものの、どこに勤めればよいのかご指示がありません。願わくば、明公の許で働かせていただき、人々の嫌疑より免れられれば、これに過ぎる幸甚はございません」

「容易いこと、お前は成都の帥府に留まり、弟の李流は三千の兵を率いて涪江ふこうの鎮守にあたり、李譲は五千の兵を率いて剣閣けんかくの鎮守にあたれ。その他の兵士はみな幕府に属して参軍さんぐん徐輦じょれんの指麾に従え」

 李特はそれを聞き、思惑から外れるために答えない。閻式が代わって言う。

「明公の御許しを頂き、深く感謝いたします」

 李特も恩を謝して拝礼すると、退出していった。

 羅尚は李特を連れて成都城に入り、その府に留めおくこととした。ついで、辛冉、徐健、王敦たちも成都に入り、謁見が終わると李特の兄弟も進み出て官職を拝受した。

 王敦と辛冉は李特兄弟の人物を観るに、人品に優れて応対爽やかであったため、密かに言う。

「心に小さからざる望みを秘めており、人の下風に立つ輩ではあるまい。久しからずして必ずや乱を起こすであろう」

 また、羅尚にも次のように言った。

「李特の姿は英気えいき凛々りんりんとしており、兄弟の数人も尋常の者ではありません。今や吾らの軍勢がここにあり、李特の軍勢は霧散しております。趙益州(趙廞)と沈副判ちんふくはん沈璣ちんき、副判は官名)を殺した罪を数え、全員を捕らえて斬刑に処し、後患を断つべきです」

 羅尚は従わずに言う。

「吾はすでに蜀に入った。李特が叛乱すればすみやかに平定するだけのこと、籠の中の鳥を殺して威を誇る必要もあるまい」

 それゆえ、諸将もみだりに李特を誅殺できず、空しく日を送ったことであった。

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