第八十九回 辛冉たちは流民を追わんと欲す

 王敦おうとん羅尚らしょうに幾度となく李特りとくを除くように勧めたが、羅尚はその度に拒んで言う。

「彼は法に従って命を請うた。誅殺ちゅうさつすれば叛臣を伐った功績を捨てて忠良を殺したと言われ、民の支持を失うことになろう。それに、李特の身は吾が幕下にあり、いつでも容易く制し得よう」

 退いた王敦は辛冉しんぜんに嘆いて言う。

「羅公は我が身の勇を恃んで才を誇り、吾らの言を用いぬ。必ずや李特により害されよう。この老爺ろうやは徒に虚名のみあって大略を知らぬ。一生の名節もここで尽きるだろう」

 翌日、王敦は羅尚に辞去の挨拶をおこない、重ねて言った。

「吾は洛陽らくように戻って事の次第を報告いたします。幾度も申し上げた李特の処置をお願いいたします」

「つまり、流民が李特に従って羽翼となっており、彼は多くの兵を蓄えて容易く叛乱を引き起こせる、ということか。吾がこの成都にある限り李特を流民から引き離し、使者を遣って流民を帰農させるであろう。李特兄弟だけであれば、怖れるに足りぬ」

「そうではありません。流民たちは李特の腹心でありますが、その数は分かりません。流民を散り散りにすることは容易ですが、集まるのもまた容易いこと、李特の命を救われるのであれば、流民を蜀から追い出して留まることを許してはなりません」

「名案であるが、軽々におこなうわけにはいかぬ。緩やかに謀をおこなって徐々に蜀から故郷に還らせるのがよかろう。怒り怨みを生じては、かえって変事を引き起こす」

 その後、羅尚は李特を召し出して言う。

「吾はお前をここに留め置こうとしたが、官吏どもは吾が私心によってお前を登用したと誤解しておる。しばらくは朝議に従い、仮に流民を散じて帰農させよ。また、お前たち兄弟は緜竹めんちくの鎮守にあたれ。事がおこった際には成都に来て相談せよ。万事悪いようにはせぬ」

 李特はその命をうべなって退き、家に帰ると閻式えんしき楊褒ようほうと相談して嘆息した。

 閻式が言う。

「すでに羅公は吾らに与する心があり、その言葉にもとりはしますまい。緜竹に禍を避けるのがよろしいでしょう。成都にあっては王敦、辛冉が不測の変事を引き起こすおそれがあります」

 李譲りじょうも賛同し、流民たちを集めて言う。

「みなここを去って緜竹に行き、約束した場所に集まれ」

 流民たちはその言葉を聞いて散じ、李特とその兄弟は閻式、楊褒らとともにその日のうちに緜竹を目指して成都を発った。

 辛冉と王敦は羅尚を動かせず、計略を用いてでも李特を除くよりあるまいと考えていた折から、羅尚が李特たちを緜竹に行かせたと報せる者があった。後悔した二人は義歆ぎきん徐儉じょけんを呼ぶと嘆いて言う。

「すでに虎口を脱したとあれば、成都は久しからずして禍にかかろう。羅公は徒に齢を重ねて事に練達しておらん。何と国事を誤ったことか。吾らの言を用いないのであれば、ここにいても益はない。鎮所に帰って洛陽に使者を遣り、重ねて朝命を受けた後にふたたび事を諮るとしよう」

 それぞれに成都を離れ、自らの鎮所に帰っていった。


 ※


 辛冉は上表文を認めて洛陽に使者を送り、蜀の処分を議論して言う。

「羅尚は己の勢を誇り、諸人が『李特を誅殺して流民を蜀からえ』と進言したにも関わらず、従いませんでした。後日、李特の勢が盛んになれば、必ずや叛乱に及びましょう」

 王敦は洛陽に戻って同様に報告し、羅尚は李特の叛乱を鎮められないだろうと言った。齊王せいおう司馬冏しばけいはそれを聞き、孫恂そんじゅん董艾とうがいに対策を諮る。

 董艾が言う。

「命令文を蜀に送り、各々の府郡に命じて厳しく流民を逐わせ、さらに雍州ようしゅう梁州りょうしゅう略陽りゃくようの諸郡に人を遣わして蜀の流民を捕らえて故郷に帰らせるようにいたしましょう」

 朝議もそのように定まり、羅尚、辛冉、徐儉、および雍州、梁州と秦隴しんろうの六郡に詔を下した。官人たちは文書を伝えてついに蜀まで送り届けた。

 徐儉、辛冉たちは高札こうさつを各地に掲げて次のように命じる。

「流民たちの故郷である秦隴の地は豊作がつづいておる。官府より各々すみやかに旅装を調えて故郷に還るように命じる。ふたたび蜀に入って騒がすことを禁じる」

 流民たちはその高札を見るや、李特、閻式、楊褒たちのところに来て相談した。

 李特が言う。

「みなの意はどのようなものか。蜀を去るにしても、留まるにしても、まずはそれぞれの存念を聞きたい」

 楊褒が進み出て言う。

「古来より天下に繁華の地ありといえども、成都の花錦城かきんじょうに過ぎるものはありません。しかし、このような高札が出て故郷に還るように責めたてられております。吾らは久しく故郷を離れ、すでに生活のもといを失っております。余財があったとしても、どうして故郷まで帰りつくことができましょうか。この蜀に居を構えて生計を立て、ようやく安逸を得ました。物生ものなりの悪い故郷を離れて蜀の地で生計を立てられるようになったにも関わらず、また故郷に帰っては窮乏した暮らしに逆戻りするだけです」

 李譲りじょうが言う。

「仮に還りたい者がいたとすれば、すでに前年に還っていることでしょう。故郷に還りたい者など、もはやここにはいないのです。今や他に謀はなく、ただ礼物を備えて羅公の方便を買い求めるよりありますまい。『この時節は川水がみなぎって道も険阻です。川に落ちれば命を喪いましょう。その上、今年はまだ収穫に及んでおらず、田作を止めて今年の収穫を失うわけにも参りません。願わくば、明公の御力にて天恩を開き、数万の生命をお救い下さい』と願えば、羅尚は必ずや吾らを救おうと計らうでしょう」

 諸人は喜んで金銀を集め、任回じんかいを使いとして羅尚の許に向かわせた。

 羅尚はその言葉を信じて任回に言う。

「吾はもとよりお前たちを蜀から逐おうと望んではおらん。これは辛公が朝廷に上奏した結果であろう。しかし、勅命であれば、吾一人でどうにかできるものではない。お前の言葉のとおり、八月の収穫を終えた後には蜀を離れるようにせよ」

 任回は喜んで恩を謝し、李特の許に戻っていった。


 ※


 羅尚は流民たちに八月まで蜀に留まることを許したとしても、諸郡の官人たちがすぐにも流民たちを逐うだろうと考え、洛陽に上奏して八月を限りとするように願い出た。

「羅尚の上奏は理解できん。余人を成都に遣わしてその身を召還し、詮議して罪を明かにするべきであろう」

 朝議ではそのような意見が出たものの、先年に蜀に入って李特から多くのまいないを贈られた侍御史じぎょし馮該ふうがいが李特に加担しており、齊王に謁見して進言する。

「先に趙王ちょうおう司馬倫しばりん)が趙廞ちょうきんを召還しようとした折、彼は成都に拠って叛乱し、官軍は戦って一度も勝たずに蜀の地を失いそうになりました。李特は趙廞を斬ってその罪を正し、功績を認めないとしても叛乱を起こしたわけではありません。羅尚は惻隠そくいんじょうをもって秋まで流民たちが蜀に留まれるよう願い出ました。それを受けて朝廷が羅尚を更迭して罪を問うたとあっては、流民たちは羅尚の罪は自分たちを憐れんだことによると思い込み、趙廞の時のように蜀に拠って叛乱する虞があります。これでは流民たちを激発させているのに変わりありません。羅尚の上奏を許して詔を下して頂ければ、吾は詔をもって蜀に向かい、秋まで流民が留まることを許して朝廷の恩沢を施し、適宜に処して御覧に入れます」

 齊王はもとより明察を欠き、馮該の言葉を信じて蜀に遣わすこととした。

 馮該は命を奉じて蜀に入り、まず人を緜竹の李特の許に遣わして相見そうけんを求めた。自ら行っては変事に遭うかと懼れ、李徳は病と称して代理の李譲を遣わすこととした。

 李譲は金銀珠寶を持参して馮該を出迎え、賂を受け取った馮該は喜んで李譲に言う。

「お前の叔父がここに来ないのは病ではなく、吾に他意はないかと疑ったのであろう。吾は何の異心もない」

 そう言うと、李譲を緜竹に還らせた。その後、蜀の各地に高札を掲げて次のように命じる。

「六郡の流民はみな李特の下知に従い、命に背いて罪を得ぬようにせよ。また、李特たちは期限を過ぎてこの地に留まってはならない。秋の収穫を収めた後、ことごとく蜀を発って故郷に還れ。有司もまた期限に先立って流民たちを逐ってはならぬ」

 その一方、李特は趙廞を誅殺する才があり、任用するに堪える者である、と洛陽に報告したことであった。

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