十章 李特雄飛

第八十七回 姜發兄弟は関心と蜀を避く

 成都せいと趙廞ちょうきん趙王ちょうおう司馬倫しばりんせまられて叛逆を謀り、姜發きょうはつ姜飛きょうひの加勢を得るべく約束して言った。

「お前たち兄弟が願うとおり、劉氏の血を引く者を蜀の君主に推し立て、ともに尊崇しよう」

 これは趙廞にとって一時の方便、趙王の意を受けた陳摠ちんそう趙模ちょうぼ陳恂ちんじゅんたちを討ち取った後には話題にすることもなくなった。それでもなお、晋より自立する肚積もりであったがゆえに二人の才を己が臣下として使おうと企てていた。

 その姜發は趙廞の甘言に乗って青城山せいじょうさんの庵を出たことを悔いる日々を過ごしている。兄弟は劉氏の血統を蜀の君主とすることを諦めてはおらず、時には趙廞にそのことを勧めた。

「劉氏はすでに滅び、その子孫も残ってはおらぬ。安樂公あんらくこう劉禅りゅうぜん)が洛陽らくように入った後、どうして蜀に子孫が残っていようか。それでも、捜しつづけていれば正嫡せいちゃくとは言わぬまでも庶生しょせいの者くらいは見つかろう。その者を見つけた後に事を図るのがよい。事を急いては魚眼を珠玉に取り違え、偽者を推し立てて不明の忠義をおこない、世人のわらいを取らぬとも限るまい」

 その言葉を聞くと姜發は無言で席を立った。その後、弟の姜飛に語って言う。

「趙廞も所詮は匹夫、四方から流民を集める李特りとくの一党と結び、彼らを爪牙そうがの英雄、己が羽翼だとでも思っているのだろう。そして、心中では蜀に拠って自らの覇業をなさんと計っておる。吾ら兄弟が蜀漢の復興を願うあまり、あの小人めに釣り上げられたことが口惜くちおしい。久しくここに身を置いてその鷹犬ようけんとなり、獣を追う労を負うなど願い下げというものだ」

 姜飛も同じて言う。

「趙廞は愚慮ぐりょ凡庸ぼんようの才、大業をなす器ではありません。兄者とともに劉氏の血胤けついんを探し出し、一計を設けてあの匹夫を斬り殺し、蜀漢を再興するのに困難などありますまい」

「それはならん。人より大事を託され、その人を殺したとすれば不義になる。それに趙廞には張燦ちょうさん杜淑としゅく許弇きょえん衛玉えいぎょくの輩がおり、腹心を務めている。あれらの才は凡庸であるが、武辺ぶへんであることは間違いない。さらに、李庠りしょう李譲りじょうの外援もあり、思うほど簡単には事を果たせまい。良策を練った後におこなうべきであろう」


 ※


 姜發の言葉が終わると、外に訪れる客があり、長揖ちょうゆうして言う。

彦約げんやくけい(姜發、彦約は字、兄は近しい年長者への敬称)よ、一別より久しくお会いできませんでした。それがしを憶えておられるでしょうか」

 客の顔を見た姜發はいぶかしげに言う。

尊公そんこうおもてにはよくよく見覚えがありますが、どうにもお名前を思い出せません」

「某は関索かんさくの子、関心かんしんと申します。吾が父とあなたの亡父は金蘭きんらんの交わりがありました。姓名さえお忘れになるとは情けのない」

▼「金蘭の交わり」は親密な友人関係を言う。

 姜發はようやく思い出して言う。

総角あげまきを結っていた幼年に別れ、今や齢は中年となりました。それゆえに面影はあっても思い出せなかったのです。失礼の段は平にご容赦下さい。それもこれも、日月の流れの速さに功業も成し遂げられず、朝な夕なにこの身を嘆くがゆえのこと、心神ともに病みつかれて骨肉の交わりさえ忘れさせる、世情のためでもありましょう」

▼「総角」は伸ばした髪を左右に分けて耳の上で括って垂らす髪型、主に少年が結う。

 それよりしばらく、姜氏の兄弟と関心の三人は来し方行く末を思って落涙したことであった。しばらくすると、関心が涙を払って言う。

「某が幼年にして四人の兄と生き別れになった理由は、母とともに外家にあったがゆえです。家兄かけいたちは成都失陥の混乱に乗じて落ち延びたものの、直後に魏兵が成都に入り、祖父に討ち取られた龐徳ほうとくの子の龐會ほうかいめが吾が一家眷族いっかけんぞくを殺し尽くしたのです。某は奴隷に紛れて逃れ去り、魏兵たちにも見咎みとがめられずに今日まで生き延びました。聞くところ、吾が家兄は劉氏の皇子の許に集まり、漢主に推し立てて功臣のすえとともにいさおを挙げ、将相として名を知られているといいます」

 それを聞いた姜發は喜んで言う。

「吾は蜀漢を復興したい一心を趙廞に付け込まれ、徒に力を労しました。しかし、蜀の民は劉氏の旧主を慕って懐いてはおりません。劉淵りゅうえんなる者が晋に叛乱を起こしたと聞き及び、蜀にあって内応をなして漢王の業を恢復しようかとも思いましたが、左賢王さけんおうの劉淵が皇子であるとは知りませんでした。先に劉淵が上将を洛陽に入朝させた折も、使者は姓名を胡延攸こえんゆうと名乗っており、魏氏の子弟とは思いもよりません。今、冀北きほくの諸郡が打ち破られるまで、皇子が漢業の恢復を図られているとは知らず、吾らは徒に時を送って平生の志を表すことさえできませんでした。これからどうすればよいでしょうか」

 関心は言う。

「実はそのことで訪ねて参ったのです。先に家兄の関継遠かんけいえん関河かんか、継遠は字)が遺臣の子弟を捜すために平陽へいようより蜀に入りました。その際、吾が家眷かけんはともに平陽に旅立ちました。某は病みついておりましたので後から向かうことにしたのですが、『この機会に姜氏の兄弟を捜してくれ』と申し付けられ、あなた方の行方を尋ねてここにおられると知り、ともに功業を立てるべくお訪ねした次第なのです」

 姜氏の兄弟は大いに喜び、姜發が約して言う。

「それならば、賢弟けんていは先に家に帰って待っていて下さい。吾は家眷を集めた後に向かいます」

 その後、姜氏の兄弟は関継忠かんけいちゅう(関心、継忠は字)とともに商人に姿を変え、夜陰に乗じて姿を消した。間道かんどうから葭萌関かぼうかんを経て平陽を目指したのである。

 姿を変えたのは、姿を消したと知った趙廞が追手をかけることを懼れたからであった。

 三人は漢中かんちゅうから西の天水てんすいを経て河州かしゅうに逃れ、大回りして北の上郡じょうぐんから太原たいげんを目指した。

▼『後傳』、『通俗』ともに三人の経路は「上郡、河州、太原」の順に進んだと記すが、上郡は長安ちょうあんの北、河州は長安の西、太原は長安から黄河を越えて北東にあるため、解しがたい。追手を振り切るために太原の反対にある河州に向かい、そこから北の上郡を経て太原に向かったと解して改めた。なお、河州は北魏が置いた枹罕鎮ほうかんちんにはじまり、晋代にはない。


 ※


 翌日、趙廞は午後になっても姜發が宰相府に入らないことを怪しみ、使いを出して呼び出したが、使者が帰って告げ報せる。

「姜家の兄弟は昨夜のうちに姿を消しました。第宅ていたくに人はおらず、門が閉ざされております」

 趙廞はそれを聞くと左右の手を失ったかのように驚いて言う。

「昨日、姜發は故郷の縁者を招いたと聞く。そこで身を脱する謀をなしたのであろう。早馬を四路に飛ばせばまだ追いつけよう。はやく李緜竹りめんちく(李特、緜竹は官名)を呼んで来い」

 使いが駆け出すと、ほどなく李特が入って来た。

「姜發兄弟が昨夜から姿を消した。まだ遠くへは行っておらぬ。追手を出して連れ戻そうと思うが、この計はいかがであろうか」

 李特は内心で蜀を我が物にしようと考えていたが、姜發兄弟が趙廞の左右にあるがゆえにはばかって身を慎んでいた。これ幸いと趙廞を欺いて言う。

「姜家の兄弟を主公は手厚く遇されていました。それは重々承知しておりますが、彼の心はあくまで劉氏にあり、ゆえに主公の命に従わなかったのです。それならば、彼を連れ戻したとしても、主公のために尽力することはありますまい。そのうえ、劉氏の一族を見つければ、すぐさま敵ともなりましょう。今や姜氏兄弟の事は成ろうとしており、追手をかけても無益なことです。たとえ連れ戻したとしても、いわゆる『虎を養って身の守りとする』ようなもので、吉と出るか凶と出るかは分かりません」

 趙廞はついに李特の進言を納れ、姜發に追手をかけることを諦めたことであった。

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