第七十九回 張賓は計って汲郡を取る

 漢の先鋒の王彌おうび徐玖舒じょきゅうじょが容易く討ち取れる将ではないと見てとり、関羽かんう顔良がんりょうを刺し殺した術に倣って一鎚いっついの下に打ち殺した。先にとりことした張駘ちょうたいを引き連れ、輜重を押して軍営に戻ると、劉聰りゅうそうが大喜びで出迎えて言う。

「将軍の大功はこれまでの軍功とともに竹帛ちくはくに名を残し、決して韓信かんしん彭越ほうえつに劣るものではあるまい」

 張駘を斬り殺すと、諸将を集めて曹嶷そうぎょくをどのように救い出すか議論した。

「すでに黄氏、趙氏、胡延氏の諸将を遣わして東西の谷口に道を求め、密かに救い出すよう命じております。万に一つも違えることはありますまい。吾らはこの機に汲郡きゅうぐんを陥れましょう。一軍を遣わして郭戎かくじゅう蒼山そうざんに構える軍営を攻め、兵士には口々に『大軍がお前たちの城を囲んでいるぞ』と言わせて徐玖舒と張駘の首級で晋兵をおどせば、郭戎も必ず城に戻って一家眷族を救おうと図るでしょう。その時、城門と城に向かう道を阻んで待ち受ければ、天を駆ける術があろうと逃れられますまい。曹嶷を攻める暇などありません」

 劉聰は喜びつつも曹嶷を案じて言う。

「遅れてはならぬ。谷中の将兵はまさに飢餓が極まっていよう」

 張賓ちょうひん関謹かんきん張實ちょうじつ胡延晏こえんあん王如おうじょの四将を呼んで命じる。

「お前たちは二万の軍勢を率いて汲郡の四門を塞げ。しかし、しばらくは城に攻めかかってはならぬ。城門を塞ぐ目的は郭戎を城に入れぬためと心得よ。万一、郭戎を城に入れれば、落城させるのは容易ではないぞ」

 四将は命令を受けて城に向かう。ついで関防かんぼう、王彌、劉霊りゅうれい楊興寶ようこうほうの四将に命じる。

「先鋒たちは一万の軍勢を率いて城に向かう八路の要衝を押さえよ。郭戎を擒とする任はただ四将に託す」

 四将も命令を受けて軍を発した。

 さらに、夔安きあん桃虎とうこを呼ぶと、一万の軍勢を率いて蒼山の郭戎の軍営を攻めるように命じた。


 ※


 敗兵より徐玖舒の戦死を知るや、郭戎の顔色は土気色になった。

 使いを出して東口を守る張駑ちょうどを呼び寄せ、進退を議する最中に汲郡の城から急使が駆け込んで報せる。

「漢軍が城下に攻め寄せました。早く戻って救援願います」

 それを聞いた郭戎が言う。

徐良臣じょりょうしんにも知らせよ。両谷口に軍勢を置いて徐良臣に守らせ、吾と将軍は戻って城を救わねばならぬ。さすれば蹉跌さてつを踏むことはあるまい」

 張駑が言う。

「吾が弟は漢賊のために擒とされ、徐将軍もまた害されました。まずはこの谷口を守って曹嶷を擒とし、仇に報じて恨みを晴らしましょう。どうして曹嶷を捨てられましょうか。古より、『功はなりがたく破るのは容易い。機は得がたく失い易い』と申します。目前の成功を捨ててこの機を失うことは、良策とは申せますまい」

 郭戎が言う。

「張将軍の言は一理ある。吾もまた成功を破らぬようにしてはいるが、今はここまでであろう。徐将軍はすでに亡く、城には弟の郭胡かくこがいるとはいえ、城を守り抜く才はない。将軍の一族も城内にあり、軍民は漢賊の包囲を受けて肝を破られていよう。一旦に城を失えば、ただ功を失うだけでなく累は一族に及ぶ。漢賊が汲郡にいながら曹嶷を救わない理由は、軽きを捨てて重きを図る計であり、吾らは本を忘れて末を貪る過ちを犯している。望みとおりに曹嶷を擒にしたとて、漢賊にあっては一将佐に過ぎぬ。それでも曹嶷を逃がしたくないというのであれば、将軍は徐良臣とともに谷口の警戒をつづけられよ。ただ、軍勢の半ばは下官げかんが率いて城の救援に向かわせて頂く。おっつけ糧秣を引いて将軍の許に戻って参ろう。これもまた急務であるゆえに」

 張駑は郭戎の言に理があると認め、軍勢の半ばを分かつと自らは谷口の包囲に戻った。

 郭戎は五千の軍勢を率いて汲郡の城に向かい、数里も行かぬうちに一人の漢将が大刀を手に道を塞いでいるのに出遭った。その姿は天神に似て勢は猛虎のよう、軍旗には「漢の左先鋒させんぽう王彌」と大書されている。

 郭戎は王彌を驍将ぎょうしょうと観るや鎗をとって突きかかる。王彌が迎え撃って十数合も戦えば、郭戎は王彌に敵しがたいと覚って戦を避けた。

 軍営に逃れた郭戎は兜を変えて姿を改め、兵卒に紛れて城に向かって逃げ奔った。


 ※


 王彌は郭戎のあとを追おうとしたが、蒼山を顧みれば黒煙と炎が天を衝いている。

 晋軍が曹嶷を焼き討ちにしているかと愕いて馬頭を返し、疾風のごとく蒼山を指して馳せ向かう。谷口では果たして張駑が曹嶷の軍勢に攻めかかり、徐玖舒の仇に報いようとしていた。

 黄臣と趙染は西の谷口の伏兵を、胡延攸と趙藩は東の谷口の伏兵をそれぞれ発し、張駑と徐良臣は思わぬ伏兵に遭って混戦となる。

 この隙に曹嶷が谷口を突いて逃れることを懼れ、張駑は柴草を持った二、三百の兵を谷口に遣わし、東西の谷口に火を放って炎で曹嶷の逃げ道を塞ごうとした。

 曹嶷は谷中にあって鬨の声を聞くや、援軍が来たと叫んで軍士を励まし、谷口目がけて斬り込んでいく。晋軍が放った火は猛火となり、数百歩の位置まで炎に呑まれて紅に染まる。

「この火は谷口に近づくほど勢が増してやがる。木立に火がつきゃあ逃げ場をなくして吾らも死灰になっちまう。これだけ無茶をするってこたあ、外じゃあ援軍が戦っているに違いねえ。吾につづいて山伝いに山頂に出ろ。そうすりゃあ、焼け死ぬこたあねえぞ」

 曹嶷が叫ぶと、兵士たちはそれぞれに絶壁の藤蔦ふじつたを掴んで岩をじ登り、崖の上を目指す。わずかの間に絶壁を上りきって見下ろせば、谷中は火に覆われていた。

 曹嶷はもともと黒莽坂こくもうはんの強盗、歩戦には慣れている。刀を杖にして兵士たちを連れて山を下っていった。

 晋軍の副将である呉明ごめい呉朗ごろうの兄弟は五百の軍勢を率いて山中の険要を防いでいたが、そこに山頂より曹嶷の軍勢が姿を現す。二人は曹嶷を射殺そうと左右に弓兵を開いて前に出した。

 弓兵たちが射放った後に鎗を揃えて突きかかろうと備えたところ、背後より王彌が馳せ到る。目前に晋兵が並び、その先では横様に吹く風が煙を巻き上げる中、曹嶷率いる軍勢が危機に瀕していた。

 呉明は兵士に命じて周りに火を放たせる。

 王彌は無言で馬に鞭打って晋兵の軍列に飛び込むと矢を冒して馬を進め、呉朗は鎗を捻って突きかかる。呉朗ごときが王彌に叶うはずもなく、一刀の下に両断されて馬から斬り落とされ、愕いた馬は曹嶷の軍勢に駆け込んでいく。

 呉明は大いに愕き、頭を抱えて逃げ奔る。曹嶷はようやく危地を脱して山麓まで下りたばかりか、呉朗が乗っていた馬まで手に入れた。


 ※


 王彌はなおも晋兵を斬り散らしていたが、曹嶷は軍勢をまとめると軍営に到る道についた。そこに呉明と合流した張駑が馬を馳せて攻め寄せる。

 曹嶷が大いに怒って叫ぶ。

「小賊どもが吾らが弱っていると見て攻め寄せてきおったか。一戦して目に物見せてくれよう」

 残兵に命じて迎え撃つ構えをとらせると、呉明たちの背後から飛ぶように駆けてくる者がある。よくよく見れば、それは漢将の黄臣であった。張駑が馬を返して迎え撃つ。

 呉明が言う。

「曹嶷は谷中に三日も閉じ込められて疲れ切っており、戦って負けるはずがありません」

 そう言うや、げきを構えて突き進み、その穂先で曹嶷を突き殺そうとする。曹嶷は刀を抜いて戟を止め、五合にも及ばぬうちに呉明を斬り殺すと、晋兵の軍列に飛び込んで黄臣に加勢する。

 張駑は曹嶷の剛勇を知っており、黄臣までも相手にしては敵うまいと戦を捨てて逃げ奔る。黄臣は逃がすまいと刀を納め、弓に矢をつがえると背中を狙って一矢を放つ。

 弓音の響きとともに矢を受けた張駑は落馬した。

 晋兵たちが救おうと駆けつけたところに、黄臣と曹嶷の二人が斬りかかり、晋兵を瓜か菜のように断ち割っていく。晋兵たちはこれに愕き、四散して逃げ散った。

 その隙に乗じて張駑を擒として軍勢をまとめ、軍営目指して返そうとしたところ、前方から胡延攸が馬上に人を抱えて姿を現す。よくよく見れば、擒にした徐良臣を抱えている。

 これより諸将は合流して漢の軍営に戻り、迎える劉聰は大いに喜んだ。

 さらに勝勢に乗じ、汲郡の城まで軍勢を進めるよう王彌に命じる。

「一郡にあって六人の将を斬れば、城内に指麾する者はおりますまい。郭戎を城に入れなければ、汲郡は落としたも同然です。すみやかに軍勢を進め、城を囲んで勝敗を決しましょう」

 張賓もそう言い、王彌、胡延攸、黄臣、趙染は軍勢を駆って城下に攻め寄せる。

 諸将は郭戎を城に入れないことが今日の戦功第一と知っており、城下に攻め寄せる姿は狩に向かう兵たちが獲物を争っているような有様であった。

 郭戎を捕らえるのが誰になるのか、それは張賓にも分からぬことであった。


 ※


 郭戎は王彌に破れた後、兜を変えて様子を改め、漢軍の手を逃れるとひたすら城を目指して奔った。

 漢将たちが何としても郭戎を捕らえようと調べ上げたが、その姿は見つからない。関防たちをはじめとする諸将が城下に集まって様子を見ていたところ、一人の斥候が密かに城壁の下に近づき、城壁上の晋兵に呼びかけて城に入ろうとしている。

 関防がよくよく見てみれば、その衣袍いほうは士卒の物に見えない。馳せ向かいながら大音声に叫んで言う。

「賊徒郭戎、逃れて城に逃げ込もうというのか。吾は許戌を擒とした関蕩寇とうこう将軍である。お前は吾を知っているか」

▼「蕩寇将軍」は『晋書しんしょ索靖さくせい傳に「元康げんこう中,西戎せいじゅう反叛はんはんし,靖を拜して大將軍だいしょうぐん梁王りょうおうゆう左司馬さしばとし,蕩寇將軍を加う。粟邑ぞくゆうに兵をたむろし,賊を擊って之を敗る」とあり、晋代にも用いられた雑号の一つである。

 郭戎は城を巡って走り去り、西門の下に到って呼びかける。

「吾は郭参軍である。城を守り抜くためにここに来た。早く門を開けよ」

 四、五声も呼ぶ頃には弟の郭胡が駆けつけ、軍士に命じて門を開かせる。

 軍士たちが門を開いた時、漢将の張實、楊興寶、胡延攸、関防が一斉に駆けつけた。関防は郭戎を見知っており、馬に鞭打ち刀を振るって跟を追い、郭戎はふたたび城を廻って逃げ奔る。

 晋兵は漢将が城門外に駆けつけているとは知らず、城門を開いて郭戎を招じ入れる。

「郭参軍、はやく城にお入り下さい」

 胡延攸と楊興寶が城門に向かうと、晋兵たちは急いで門を閉ざそうとする。楊興寶が飛ぶように走って城門に大鎚を叩きつけ、門を支える晋兵たちが倒れ伏す。

 すぐさま漢兵たちがくように城内に入り込み、城中の者たちは慌て騒いで自ら踏み合い、命を落とす者が数え切れぬほどであった。

 郭胡が城壁より見れば、兄の姿はなく漢兵たちが城内に満ちている。これでは敵しようもなく、家眷かけんを捨てて身一つで西門より城を抜けて奔った。


 ※


 関防は郭戎を逃がすまいと追いかけ、南門でついに追いついた。

 郭戎はここを先途せんどと思い定め、身を翻して関防を迎え撃つ。関防は馬を寄せて追い迫り、猛声一喝するや偃月えんげつ大刀だいとうを拝み打ちに頭上より振り下ろす。

 郭戎は頭頂から肩にかけてを両断され、馬下に絶命した。

 郭胡は密かにこの様子を窺い、千驚万懼せんきょうばんく魂魄こんばくは天地の外に飛び散じ、涕を流して逃げ去っていった。

 関謹は兄が郭戎を斬る姿に自らの無功を恥じていたところ、遥かな先に十余人の従者を連れて南に向かう一団を見つけた。おそらくは落ち延びていく郭胡であろうと察し、独り笑うとくつわを緩めて追いかける。

 郭胡は城から三、四里(1.5~2.2km)も離れたところでようやく轡を緩め、汲郡の城から天を衝く黒煙を眺め遣る。その子や従者たちも泣きながら城を見つめていた。

 郭胡もつくづくと城を眺めて言う。

「今となっては城内の者たちは残らず殺されただろう。吾が眷族けんぞくも残らず漢賊に陥った。何ということであろうか」

 しばらく嘆いていたところ、後ろから一人の将が風のように駆けつけてくる。

 蚕のように太い眉毛に紫の面、三つの牙に長い鬚、青龍せいりゅうの大刀を手に熊虎のような猛威を発し、ただ見るだけでも恐ろしい猛将である。郭胡は一目見るなり愕き叫び、何とか逃れようと馬を拍って逃げ奔る。

 関謹は大音声に叫んで言う。

「逆賊ども、どこに逃げるつもりか。馬を止めて吾を怒らせるな」

 郭胡たちは後も顧みず、馬に鞭打って逃げ奔る。関謹はその背に追いつくや猛声一喝、手の動きに応じて郭胡の首は馬下に転がり落ちた。

 その頃、諸将は兵を収め、張賓は火を消して殺戮を禁じていた。ついに汲郡はことごとく漢軍により平らげられたことであった。

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