第八十回 漢軍は邯鄲を攻む
「吾が兵威は大いに振るっておる。破竹の勢に乗じて中原を
張賓が言う。
「
▼龐徳の子は龐會、龐會の子の名は伝わらない。
張賓の言葉が終わる前に
「汲郡を取るにあたって
張賓が言う。
「
「先鋒を一人に限る必要はございますまい。龐氏の兄弟は二人いるのですから、旧に同じく劉将軍と二路に分かれて軍を進めたいと存じます。吾らが助け合えば、必勝を期せましょう。また、成功した暁には、功績は劉将軍のものとして頂いて異論はありません」
劉霊が言う。
「功は分けるものでも他人より譲られるものでもない。吾はすでに先鋒の任を受けておる。それをお前も得ようとは、何の道理があろうか」
王彌が言う。
「ただ国家に力を尽くすにあたって、労苦を争って褒賞を求めることなどあろうか」
傍らより
「
それを聞いた張賓が言う。
「吾が弟の言に理がある。ならば、劉子通を左路の先鋒とし、王飛豹を右路の先鋒とする。吾が弟は
その言葉を潮に諸将は順を追って軍を発していった。
※
晋では属縣からの急使が走り、漢軍が邯鄲を目指して発したことが報じられた。龐鷹は報告を聞くと僚佐を集め、軍議を開いて言う。
「今や漢賊どもは吾が州境にある。出戦するか籠城して守るか、いずれを選ぶべきか」
僚佐は口を揃えて言う。
「漢賊は
邯鄲の謀士を務める
「余人の議論など聞くに及びません。吾に一計があり、それで漢賊に対抗できましょう。漢賊を城下に迎えては守るに利がなく、洛陽からの援軍も急場の頼みとはなりません」
龐鷹が方策を問えば、張翮が答える。
「
▼「井陘」は
龐鷹は張翮の献策を容れて言う。
「それならば、参謀と吾が弟は城中に残って守りを固めよ。吾が馬服山に出向いて漢賊どもを防ごう」
すぐさま五千の軍勢を率いると馬服山に向かい、険隘の地を選んで柵を設け、漢軍の到来を待ち構えた。
※
漢の先鋒を務める劉霊、王彌が二路を進んで紫石山に近づいた頃、斥候が報せる。
「馬服山には一條の道筋があり、その他には獣道や
二将は合流して馬服山を目指すこととし、いよいよ山に差しかかる頃、前軍の急使が駆け込んで来た。
「山頂には
王彌はそれを聞いて言う。
「吾らもしばらく軍を止め、張謀士(張賓)の到来を待って軍議をおこなうのがよかろう」
「水に遭えば橋を架け、山に逢えば路を開くのが先鋒の任、敵が前を阻むのであれば、破って路を通すのが当然である」
劉霊はそう言うと鉄砲と火矢を用意させ、軍勢を率いて馬服山を抜ける路に進んだ。
砲声が一斉に響き渡り、鬨の声を挙げて山道を進んでいったところ、前方の軍営より
赤いたてがみの
「国に叛く
劉霊が罵り返す。
「大言を吐く愚か者め。お前は
龐鷹は大いに怒って刀を舞わせ、漢陣に斬り込んでいく。
劉霊もまた
まさに
◆「棋の敵手に逢っていずれも譲らぬ」は未調査。
龐鷹はにわかに勝ちがたいと見るや、一計を案じて太刀の狙いを外し、馬頭を返して逃げ奔る。劉霊はそれを誘いと思わず、その
暗に喜んで大刀を納めると、馬の
劉霊は
劉霊は罵って言う。
「
そう言うや馬に鞭して追いすがる。龐鷹は劉霊が引かぬと見て二本の箭を抜き放つ。
「この者は
そう思い定めると、ふたたび箭を
劉霊はその箭を掴み取るも、瞬きをせぬ間にもう一本の箭が眼前に迫る。首を動かしてその箭をかわすと、口にくわえて噛み止めた。
さすがの龐鷹も愕き、軍営に引き返そうと馬を返す。劉霊も今日はこれまでと山を下って陣営に馳せ戻っていく。
それを見るや、龐鷹は馬を返して劉霊の背後より力の限り矢を放つ。劉霊は弓弦の音を聞くより鞍に伏して馬を急がせ、誘き出そうと駆け逃げる。龐鷹は箭を受けて逃げ奔ったと思い込み、馬を飛ばして跟を追う。
劉霊は誘うように馬を馳せて曲がりくねった谷間に到り、馬を停めて死角に潜むと背後の様子を窺った。
龐鷹は計略とも知らず、馬に鞭して道を急ぎ、死角に潜む劉霊を通り過ぎる。劉霊が背後に姿を現すと、急いで馬頭を返そうとする。
劉霊は
龐鷹は落馬もせずに馬を馳せて逃げ戻る。劉霊が矛を構えなおすと、その背はすでに十余歩も先に離れている。大いに怒ってその背を追うも、龐鷹は山頂の軍営まで逃げ戻って柵を閉ざした。
劉霊も半ばまで追い上ったものの、軍営からは木石を投げ下ろし、どうにも柵門までは進めそうもない。
怒りを抑えて馬を返し、山の麓まで駆け戻っていった。
※
加勢に来た王彌と行き会うと、劉霊は口を歪めて負け惜しみを言う。
「飛豹がもう少し早く来ておれば、龐鷹の賊めを擒としていたであろうに」
二人して山麓に戻って軍営を置き、その日はそこで夜を明かしたことであった。
翌早朝には劉聰が率いる大軍とともに張賓も到着し、劉霊は昨日の戦いを論じて龐鷹の武芸が高く優れていると評した。
張賓が言う。
「吾が探ったところ、龐兄弟は許戌、典升、張牛、徐玖舒の輩に過ぎず、計略に陥れるのは容易い、ただ参軍の張翮は謀略に長けており、並の計略では見破られよう」
劉聰が問う。
「それならば、どのように邯鄲を陥れるのか」
張賓が答えて言う。
「この馬服山は険阻とはいえ
その時、
「龐鷹の賊を城に帰さず、帰路で釘付けにしてもよいのではありますまいか。願わくば吾が馬を引いて紫石山を越え、邯鄲への路に柵を連ねて塞ぎたく存じます。背後より大軍が攻め寄せれば挟撃して擒にできましょう」
張賓が賞して言う。
「
諸将はそれぞれに張賓の命令を受け、軍勢を率いて軍営より発していった。
王彌、関河、楊興寶たちは兵を督して道を拓き、
三人は喜んで言う。
「ここから先なら車馬を通すのも難しくはない」
軍士に命じて軍営を整えるとともに、張賓に報告させた。張賓も大いに喜んで言う。
「それならば龐鷹を擒とすることも容易かろう」
「お前たち二人は五千の軍勢を率いて山を越え、馬服山の麓から十里(約5.6km)のところで道の左に埋伏せよ。また、関防と
命令を受けた諸将は軍勢を整えてそれぞれの持ち場に向かった。
※
翌日、劉霊が馬服山に着いてから五日目に龐鷹は山上の柵を固め終わり、城に使いを立てようと考えていた。ちょうどその時、間諜が戻って報せる。
「漢賊どもがこの間に
龐鷹は大いに愕いて言う。
「この賊どもはそこまで詭計を弄するか。それならば柵を捨てて城に戻り、漢賊を防ぐよりない。ただ、計略ならば険要の地を捨てるに等しい。どうしたものか」
思案しているところに城からの急使が駆け込んで書状を呈する。開いて見れば龐鷂の筆跡に間違いない。
書状には次のように記されていた。
「賊兵はすでに間道より郡境に入り、その軍容ははなはだ盛んで城は厳しく囲まれております。賊将どもは詭計が多く、容易には打ち破れません。馬服山の麓を包囲されては糧秣がつづかず、窮地に陥る
読み終わった龐鷹は居並ぶ将佐に言う。
「漢賊どもが郡境を越えたならば、ここに拠っても無益である。
その夜の
「本営に報じよ。龐鷹は柵を捨てて城に向かった。吾は進んで龐鷹の跟を追う」
そう言うと砲声を鳴らして先に進んでいく。
その砲声を合図に攻め上った胡延晏、胡延攸の兄弟が柵に着くと敵の影も形もない。柵を閉ざす関鎖を切り落とすと、柵外にいた劉霊と軍勢を合わせて山を下り、ともに龐鷹を追って進んでいった。
※
張賓は劉霊からの報告を聞き、張實、趙染、
「すぐに軍を発して先行する諸将を助け、龐鷹を追って邯鄲の城に入らせるな」
張實たちは軍勢を整えると風のように馬服山を去って龐鷹の跟を追う。
龐鷹は箭のように一直線に城を目指すも、十里(約5.6km)ほど進んで大道に近づいたところで、にわかに砲声が鳴り響いた。馬を止めて前方を見れば、立ち並ぶ軍旗の下に一人の漢将が現れ、刀を手に馬を躍らせて大音声に言う。
「そこにいるのは龐凌霄であろう。お前は利害を知る者と聞き及んでいる。事ここに及んで、なお馬から下りて吾らとともに功名をなそうとは思わぬか。漢軍に典升を擒にした王彌将軍ありと耳にしたことはないか」
「狂胡めが妄言を抜かす。天朝の官将を冒涜するとは身の程を知るがよい」
龐鷹はそう罵ると、馬を馳せて刀を舞わせ、道を阻む漢軍に斬り込んでいく。
王彌も刀を抜いて迎え撃ち、二人の戦いは一進一退、左に馳せれば右に突いて閃光のよう、たちまち三十余合に及ぶ。それでもなお勝敗は決さず、龐鷹はすぐにも敵を斬り殺して城に向かおうと怒りも荒々しく、王彌は半歩も城に近づけるまいと横ざまに道を阻んで逃がさない。
そこに八十斤(約47kg)の
龐鷹が刀を振るって斬り殺そうとするや、楊興寶は大喝して言う。
「お前に楊将軍の大鎚を止められるか」
王彌と龐鷹が刀を交えるその間に、楊興寶が横ざまから打ちかけ、龐鷹は刀でもって支えようとするものの、ともすれば劣勢に追い込まれる。城に急ぐ龐鷹は戦を捨てて左に逃れ、馬を拍って走り抜けた。
その先にはまた一人の歩将が大斧を手に飛ぶように躍り出る。
「漢軍に汲郡を落とした夔将軍ありと聞き知らねえか。王先鋒とともにお前の到来を待ちかねておったぞ。よもやここから逃れられると思っておるまいな。早く下馬して縛につけや」
周りを囲まれたと悟った龐鷹は取り乱し、左の間道へ逃げ奔る。王彌たちは何を思ったかその跟を追わず、龐鷹は追手がないと知って轡を緩める。
その先を五里(約2.8km)も行かないうちに砲声が鳴り響く。慌てて馬を正したところ、五千ばかりの鉄騎が左右一字に開いて攻め寄せてきた。
その軍旗には金字で「
※
中央に馬を立てる関防は声を烈しくして言う。
「お前の父の
威風あたりを払う関防が大刀を手にしているのを見て、龐鷹は右の
わずかに離れたかと思った時、ふたたび砲声が響いて五千ばかりの軍勢が姿を現した。軍旗には関防と同じく金字で「五虎名臣の
中央の漢将は刀を手に馬を横ざまに立てて道を阻み、待ち構えている。龐鷹に戦う心はないものの、何とか切り抜けて城に戻ろうと、刀を舞わせて斬りかかる。関謹はそれを迎え撃ち、二人の刀が幾度となく斬り結ばれて馬は幾度も入れ替わる。
まだ十合にならぬうちに、さらに一軍が攻め寄せてきた。漢将は赤い瞼に虎の
「賊めが、逃げるを止めよ」
龐鷹がそちらを見れば、軍旗には「
張實もその跟を追わず、龐鷹はそこから南につづく道に逃れた。
その先に翻る軍旗を見れば、「胡延、原姓は魏、蜀に附いて再び羌を興す」の十文字が大書されている。その下には
漢将たちに追い込まれたと覚った龐鷹は左に折れて東に逃れ、胡延兄弟を振り切ったかと安心したところ、関防が先の場所に留まっているのを見て引き返し、麦畑の中を進んでいく。
そこに
関防は麻哈では龐鷹を阻み得ないと思い、軍勢を率いて道を塞いでいたが、その様子を見ると刀を抜いて道を遮り、静かに言う。
「賊将、逃げるのを止めよ。鷹という名であっても翼がなくてはどうしようもあるまい。凌霄という字であっても
「吾は賊の言には従わぬ。軍旗からお前が
関防はそれを聞くと大いに怒り、偃月大刀を車輪に回して陣から飛び出していく。
龐鷹も精神を奮い立たせて平生の武勇を奮い、斬り結んで一歩も譲らない。二人は互いに喉首を
龐鷹は大いに愕き、戦を捨てて逃げ奔っていく。それでも関防はその跟を追わず軍を留めて見送ったことであった。
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