九章 転戦

第七十七回 漢の劉聰は兗州城を計る

 劉淵りゅうえんから賞賜を拝受した劉聰りゅうそうは諸将を集めて軍議を開いた。

常山郡じょうざんぐんを落としたからには、幽州ゆうしゅう冀州きしゅう右臂みぎひじを斬り落としたようなもの、勝勢に乗じて軍勢を進め、幽冀ゆうきの地を呑んで西北の英雄を招き寄せれば天下に横行できよう」

 劉聰の言葉に張賓ちょうひんが反論する。

「幽冀の地をすぐさま奪いに行くわけには参りません。新たに収めた山西さんせいは安定しておらず、幽冀のごとき遠地を奪ったところで維持できません。また、幽州摠官ゆうしゅうそうかん王浚おうしゅんは知恵が深く、従う将帥は勇にして兵卒は強く、強敵と観て誤りありません。古より『遠くと交わり近くを攻める』と申します。兗州えんしゅう山東さんとうにあって吾らと境を接し、東には瑯琊ろうやがあって西は鉅鹿きょろくに近く、北は厥固けつこに走って南は互郷ごきょうにつづき、近くは徐州じょしゅう泗水しすい沿岸、遠くは淮水わいすいを渡って長江流域に到ります。まさに四通八達しつうはったつの地と言えます。よって、まずは兗州を押さえねばなりません。鉅鹿、常山、兗州の三大郡は鼎足ていそくの如く、奪えば東北の幽冀を狙うによく、河南かなんや果ては洛陽らくようへの進出も望めましょう」

▼厥固と互郷は地名と思われるが、不詳。「厥固」は『通俗』では「厥園けつえん」だが該当する地名が見当たらず『後傳』に従う。『梁書りょうしょ蘭欽らんきん傳に「(蘭欽は)又た其の大將の柴集さいしゅう及び襄城太守じょうじょうたいしゅ高宣こうせん、別將の范思念はんしねん鄭承宗ていしょうそう等を破る。仍りて厥固 、張龍ちょうりゅう、子城を攻めて未だ拔かざるに,魏の彭城ほうじょうの守將の楊目ようもくは子の孝邕こうようを遣わし、輕兵を率いて來援せしむ。欽は逆擊して之を走らす」という文がある。これより推して襄城と彭城の間にあるとすれば、兗州より南にあたるのでやはり意味は通じない。

 廖全りょうぜんが言う。

「吾は左國城さこくじょうに入った後にさまざまな土地を巡って旧臣たちを訪ねましたが、各地で刺史太守の良否を問うたところ、『仁徳で知られるのは劉琨りゅうこん劉弘りゅうこう陶侃とうかん、雄略で知られるのは王浚、張軌ちょうき苟晞こうき』と誰もが申しておりました。これらの者どもは権謀深遠にして知識は老練、勇は英布えいふ彭越ほうえつに近く、謀は張良ちょうりょう陳平ちんぺいに次ぎましょう。兗州の刺史はその一人の苟晞です。元は司馬冏しばけい齊王せいおう)の参軍さんぐんであり、司馬冏が司馬倫しばりん趙王ちょうおう)を殺して朝権を握ったため、将才を見込んで旧鎮を委ねたのです。くみやすい敵ではありません。他の地を襲うのがよろしいのではないでしょうか」

完卿かんけい(廖全、完卿は字)の言は甚だよい。ただ、隣接していない地を攻めれば兵士は遠路に疲れ、本拠と軍勢の連繋も円滑にいかぬ。それに軍勢は順序により進むことを貴ぶ。蚕が桑の葉を食むように、一葉を食い尽くして次の葉にかかる。軍勢もそのように進んで後背に敵を残さぬものだ」

 聞いた廖全は手を打って笑う。

「軍師の高見は吾らの及ぶところではありません。しかし、まだ申し上げたいことがあります。苟晞は先に樂房がくぼうを常山の救援に遣わしました。その後、兗州では厳戒態勢を敷いておりましょう。さらに、晋の朝権は司馬冏の掌中にあり、山東はその本拠地、苟晞はその腹心です。兗州を攻めれば苟晞は洛陽に救援を求め、援軍が大挙して遣わされましょう。この点も考慮して軍勢を出されるのがよろしいでしょう」

 張賓は言う。

「その見解は妥当だ。まず間諜を放って敵地の様子を探り、隙があれば軍を進めて一鼓に攻め破るのがよい。不意に出れば必ず隙を得られよう」

 兗州攻めが決まると、張賓たちは常山の城を修繕して晋軍の来襲に備え、りすぐりの間諜を兗州に送り込んで様子を探らせた。


 ※


 晋の兗州刺史の苟晞は屯操とんそう大将軍の樂房を遣わした後、自らも漢軍の征討に向かおうと準備を進めていた。その折からぎょうにある成都王せいとおう司馬穎しばえい)から急使があり、次のような書状が届けられた。


 青州せいしゅう督護とくご胡文郷こぶんきょうという者が州兵を率いて叛乱を起こし、刺史の華斌かひんを斬り殺して府庫の銭糧を奪い去った。

 州丞しゅうじょう王珉おうみんは豪族の田芳でんほうの家に逃げ込み、田芳は義兵を募って胡文郷を殺したものの、弟の胡文相こぶんしょう廣固山こうこさんに逃れると田芳の家を襲って焼き払うに至った。

 青州は大いに乱れておる。すみやかに軍勢を率いて平定に向かい、胡文相らが百姓を害さぬよう討ち平らげよ。


 書状を読んだ苟晞は弟の苟暉こうきと相談して言う。

「青州を乱す胡文相は疥癬かいせんの如き浅い病に過ぎぬ。漢賊を優先するべきであろう」

 そこに齊王からも書状が来て命じる。

「苟晞を青州刺史に任じるゆえ、弟の苟暉に兗州刺史を引き継がせよ」

 苟晞は兄弟二人が刺史となり、三弟の苟旿こうご臨朐りんく太守に任じられていることを悦び、ついに常山への救援より青州の平定を先にすることとした。

 苟晞は弟の苟暉に命じて言う。

「漢賊どもは必ずや常山を破るであろう。常山が破れれば樂房の軍勢は自然と戻って来よう。お前は樂房とともに城を守って漢賊を防げ」

 また、別駕従事べつがじゅうじ王賜おうしに言った。

▼別駕従事は刺史の副官と考えればよい。

「お前は苟暉、樂房を輔佐せよ。吾は軍勢を率いて青州に向かい、廣固の賊を平らげて一月の内には戻って来る。漢賊どもが攻め寄せて来れば、臨朐に使いを出して救援を求め、ともに漢賊を防げ。急があれば使いを出して吾に知らせよ。兵を返して救援に駆けつけるであろう」

 王賜が懸念を口にする。

「漢賊どもは州境に到っております。明公が青州に向かったと知れば、必ずや攻め寄せて参りましょう。明公を欠いて城を守り抜くことは難しいかと存じます。青州の叛乱を平定するのは易きこと、青州には他の者を遣わされるのがよろしいのではないでしょうか」

 苟晞はそれを拒んで言う。

「そうではない。吾が青州を手に入れようと企ててから多年に渡るも、その機会を得なかった。天は吾にこれを与えようとしており、この機を失ってはならぬ。吾が向かわねば、洛陽より別に軍勢を遣わして叛乱を平定するだけであろう。それでは青州は手に入らぬ。吾は兗州に拘泥せぬが、青州には執着しておる。お前は漢賊を畏れずただ城を堅く守っておればよい。急が迫るようであれば、吾が戻って自ら漢賊にあたろう」

 そう言うと、三千の軍勢を率いて青州に向かった。


 ※


 漢の間諜は苟晞の動向を知ると、常山に駆け戻って苟晞の青州出征を報じた。

 張賓は複数の間諜より同様の報を受けると、劉聰に願って軍勢を整え、兗州を攻め落とす準備をはじめる。王彌おうび劉霊りゅうれいの二人に各一万の兵を与えて二道より先発させ、自らは諸将とともに後詰ごづめとなって常山を発した。

 旗を引き下げ鼓を禁じ、粛々と軍を進めて兗州の州境から百里(約56km)の地点まで進む。その頃、兗州では苟暉が漢軍の進攻を知り、諸将を集めて軍議を開いていた。

 王賜がまず口を開く。

「漢賊の侵攻は予想の内にあります。幸い、兗州の城壁は整えられて守城の戦具も揃っております。急使を発して府公(苟晞)に告げ報せるとともに、軍民が協力して厳戒を敷いてお戻りになるまで守城に撤すれば、漢賊とてどうしようもありますまい」

 苟暉はその言に従うこととし、城門を閉ざして厳しく守り、将士の妄動を禁じた。

 張賓たちが城下に攻め寄せても城からは一兵も現れず、城を囲んで日を送るだけであった。張賓も王賜の思惑を知って心中に焦りを生じる。

「ここで日を送れば、いずれは苟晞の軍勢が青州より還って窮地に陥るであろう」

 諸将に命じて城中の動静を探らせるうち、一人の不審な男が捕らえられた。

 その者は身にほしいいを付けて腰に銭を巻いており、ただの民とも思えない。さまざまに訊問すると答えが一貫せず、何か嘘を吐いている。

 張賓が怪しんで身を改めさせたところ、衣のえりから一通の書状を手に入れた。披いて見れば、苟暉が兄の苟晞に発した書状であった。

 その中に次の一文が記されていた。

「青州をまだ平定されていなくても、まずは兗州を保たれねばなりません。兄者は先に『兗州を失っても青州を失ってはならぬ』と仰っていましたが、この決断は当を得たものとは申せません」

 張賓はそれを読んで喜色を露にした。劉聰が問う。

「その書状を読んでより軍師の面に喜色がある。どのような内容であったのか」

「苟暉は無謀の将に過ぎません。ただ門を閉じて出戦せねば、兗州城の堅固に拠って易々とは陥れられますまい。城攻めとなれば民にも大きな被害が出ます。それで攻めあぐねていたところ、この書状を得て刃に血塗らず城を陥れられそうです。それゆえに喜んだのです」

 張賓はそう言うと耳語して計略を聞かせ、劉聰も喜んでそれに同じた。


 ※


 翌日、漢軍は大いに兵威を張って城に攻めかかるように見せかけ、同じことを三日に渡ってつづけた。苟暉は城壁に上がって漢軍の陣を眺め遣る。

「王、劉、関、張の諸将が城下に往来する様を見れば、何と多くの猛将がいることよ」

 そう思うといささか漢軍を畏れる心持ちとなった。

 張賓は軍営にあって兗州城を陥れる工作に余念がない。苟晞から苟暉に宛てた偽の書状を造り、字や封印を汚してわざと見えにくくする。

 その書状を頭脳明晰で能弁の士卒に与えた。

 士卒は青州がある東から兗州の城下に到ると、門に向かって呼ばわる。城内からは縄梯子を落として士卒を城中に引き上げ、苟暉がいる府第ふていに向かわせた。士卒は苟暉の前に出て言う。

それがしは苟府公より遣わされ、このように書状を持参しております」

 服に仕込んだ書状を苟暉に呈した。苟暉がひらいてみれば次のように記されていた。


 吾は兗州を発してより、手に唾して賊を平らげられようと思い、三千の軍勢を率いて青州に向かった。

 賊どもは吾が軍勢が少ないと探り出し、亡命の叛徒を糾合して党与を揃え、夜陰に乗じて城に攻め寄せてきた。州丞の王珉を殺した上に吾と敵対して降らず、臨朐から来た苟旿の軍勢とともに賊を攻めているが、まだ賊を平定できていない。

 今は堅城の下に軍勢を駐屯させており、進退も思うに任せぬ。

 間諜によれば、樂房と胡禎こていは漢賊に殺されて常山はすでに陥ったという。漢賊の勇猛は聞くとおり、典升てんしょう許戍きょじゅつとりことされ、程朽ていきゅう張牛ちょうぎゅうも斬り殺されたという。日ならずして兗州に攻め寄せて来よう。

 樂房の軍勢は覆滅して兗州の軍勢は少ない。弟は有能であるが、吾を欠いては城を守り抜くのは難しいであろう。軍勢を率いて銭糧を守りつつ青州に逃れ、胡文相を破って兗州、青州の双方を失う愚を避けよ。

 胡文相を梟首きょうしゅして廣固を平定した後、吾が洛陽に入朝して援軍を仰ぎ、しかる後に兗州を恢復しても遅くはない。吾は賢弟が職を守って群議を防ぐことを欲さぬわけではないが、事をなすには仮に已むを得ざるの便宜をおこなうことも避けられぬ。

 どのように処するのかは自ら定めよ。


 漢軍の多勢と勇猛を見て畏れを懐いた折から、この書状を得た苟暉は再び軍議を開いて言う。

「今、府公より書状があり、『兗州を捨てて青州にて合流し、ともに胡文相を平定せよ』との仰せである。吾はこれに従って城より退いて漢賊の術中に陥ることを避けようと思う。兗州の城を堅守したところで、府公の救援を欠いては守り切れぬであろう」

 王賜が愕いて反論した。

「軍に将となれば君命をも受けないものです。将軍は君命によりこの城を守られているのです。理においては心を尽くして力を励まし、敵を退けるより道はございません。一通の書状を信じて大郡を棄てるとは、不忠と言われても抗弁できますまい。その上、府公は詔を奉じて青州の小賊を平定に向かわれました。城内城外の民は王師おうしを歓迎しておりましょう。どうして小賊ごときを吾らの主敵とする理がありましょう。さらに言えば、青州と兗州は隣接しております。青州より軍を返して兗州を救わず、かえって将軍に兗州を棄てるよう命じるなどという議論はありません。その書状は偽造されたものではありますまいか」

 苟暉は王賜の意見を聞くと逡巡して決さず、軍士たちの意見を問うこととした。


 ※


 軍士たちは漢軍の勇猛を目にして怖気づいており、戦を避けようと王賜を責めて言う。

「府公の書状にどのような偽りがありましょうか。一郡の軍勢で三十万の漢賊を防ぐなど、到底及ぶものではありません。明日、王別駕が自ら城を出て率先して漢賊を退け、その強弱を試みられればよろしかろう。もし漢賊を破られるようであれば、府公の言も聞くに及ばず、吾らも別駕の下知に従って城を守りましょう」

 苟暉もその言葉を聞いて王賜に言う。

「別駕よ、軍士はこのように言っておるが」

 王賜も妄りに返答すれば軍士の憎しみを一身に受けることになると懼れ、黙して応じない。

 苟暉は軍士に向かって問いかけた。

「各々はどう思うか」

「府公がおられれば、その下知に従います。今は将軍が城主となられたのですから、将軍の下知に従います。将軍が城に止まって守られるのであれば、ここに止まります。将軍がこの城から出られるのであれば、ともにこの城を出ます。将軍が別駕に委ねられるのであれば、言うまでもなく別駕に従いましょう」

 この時、府の判官はんがんである周匄しゅうかいが進み出て言う。

「王別駕の論は正理の大義、金玉の言ではありますが、軍士の心は書状に惑わされて懈怠けたいしており、城を守り抜くことは難しいでしょう。ここは軍士の意に任せるよりありますまい」

 苟暉の意は青州に向かうと決していたが、王賜がその心中を悟らず正論で論難されては恥をかくと思い、軍士たちに問うたのであった。

 麾下の佐僚が口々に言う。

「すでに常山、鉅鹿の二郡は軍民ともに害されました。その数は数万に止まりますまい。許将軍、典将軍の功名も失われました。苟府公はそれを考えられた上で、兗州一郡では漢賊に敵し得ないと察して仮にその鋭鋒を避け、洛陽からの救援を仰いだ後に軍功を立てようとお考えなのでしょう。これは民を愛して軍士の命を惜しまれる心によるものであり、迷妄を執って一城の全員が命を落としては、名も空しいだけです。仮に青州に逃れて府公にまみえたとすれば、ともに漢賊を破ることに疑念の余地などございますまい」

 苟暉はその意見に従い、府庫の銭糧を集めた車輿しゃよと軍民を率いると、夜陰に乗じて東門から青州を目指す途についた。


 ※


 漢軍の哨戒兵はその様子を知るや、中軍に馳せて告げ報せる。

 諸将は苟暉の背を襲って銭糧を奪おうと勇み立ったが、張賓が禁じて言う。

「苟暉は詐略にかかって城を捨て、吾らは城攻めに費やす数十万の糧秣を省いた。命ばかりは見逃してやるのがよかろう」

 諸将はそれを聞くと、頷いて従った。

 翌日、軍勢を率いて城下に臨むと、百姓が香花を供えて軍勢を出迎え、漢軍の入城を出迎えた。劉聰は大いに喜んで民への掠奪一切を禁じ、兗州の城内では平日のように市が立って鶏犬すらも愕くことがない。老若男女ことごとく喜び、漢軍を父母のように慕ったことであった。

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