第七十六回 漢兵は常山を奪い取る

 張賓ちょうひんは城攻めの用意を整えると軍士に下知し、一半は軍営に止まって不測の事態に備えさせ、一半を東南隅より攻めかからせた。

 程朽ていきゅう張牛ちょうぎゅうは漢軍が東南隅に集中して攻め寄せてくるのを見るや、精鋭をすぐって東南の二門にあて、西北には民を置いてただ礫石を投げて守らせるのみとした。

 城壁の上下で両軍が相争うも城壁の上から強弩を撃ち下ろす晋軍に利があり、漢軍はおびただしい死傷者を出した。

 やがて日も暮れかかって旗色も見分けが付かなくなった頃合となり、張賓は軍士に命じて大砲を載せた車十五台を押し出させる。

 城下に近づくと城壁を狙って一斉に撃ち放ち、その砲弾が城壁を破壊する轟音は四方数十里に響き渡った。

▼ここで使用された「大砲」は初出となる前回七十五回の原文では「襄陽じょうよう大砲」と記される。由来は元が南宋の襄陽を破った際に用いた回回砲かいかいほうと推測される。いわば巨大な投石機であるが、当然、晋代に使用された記録はない。

 程朽はその轟音を聞くや、弓兵きゅうへい五百人を率いて城壁に駆け上がる。西の城壁に数箇所の崩落が起こり、すでに漢軍の士卒が蟻のように集って草束と砂袋を積み上げていた。弓兵に命じて雨のように矢を射かけ、民に命じて礫石をなげうたせる。

 漢軍もこれには苦しみ、弓箭や礫石を受けて追い落とされる者が絶えず、数百人の死傷者を出した。それでも踏みとどまり、斃れる者を踏み越えて屍を楯に攻め寄せる。

 程朽は危ういと見て使いを出し、北門で漢軍に備える張牛に救援を求めた。

「常山の北壁は堅牢、賊とてここを破れるとは思っておらぬ。ただ吾らを釘付けにするために攻めるふりをしているだけのこと、吾に代わってここを守っておれ」

 張牛は士卒にそう言うや、五百の兵を率いて飛ぶように西門に向かう。西門に到るや否や、一斉に矢を放って漢軍を射竦めた。

 漢軍も新手の到来を潮に兵を引き、張賓は士卒を多く損なったために軍を収めるよう命じる。

 この日の戦はそれまでとなった。


 ※


 程朽が城を保った功績は莫大なものであると張牛は感じ入ったが、当の程朽は喜色もなく淡々と言う。

「功績と呼ぶには及ぶまい。漢賊が退いたとはいえ、それは日が暮れたからに過ぎぬ。城壁の数箇所が破られており、明日には劉聰りゅうそうが大軍を率いて攻め寄せるであろう。その時、本当の危機に瀕することとなる。計略を練り上げて漢賊の陣営を破らねば、常山を守り抜くことは難しい」

「明公の仰るとおり、今や城壁は破られ、良策を用いねば多勢に敵しえません。一計がありますが、吾ら二人はわずかでも城を離れるわけにはいきません。甥の張廉才ちょうれんさい牙将がしょう劉雄りゅうゆうに計略をおこなわせましょう。二人に二千の兵士を与えて城外に送り出します。城外では城河の上流にせきを造って流れを止め、劉聰が自ら攻め寄せてくれば砲声を合図に決壊させるのです。二人は大水に乗じて漢賊に攻めかかり、吾らが城内より打って出れば、劉聰をとりこにできましょう」

 程朽もこの計略に同じ、張牛は張廉才と劉雄を呼んで策を伝える。

 それから二人は夜陰に乗じて城外に出て、上流で河に堰を造ると幾ばくもせず水位は一丈(3.11m)を超えるに至った。二人は万端の準備を整えて合図の砲声を待ち構える。


 ※


 軍営に戻った張賓に劉聰が言う。

「今日の一計は果たして狙いとおりであったが、晋兵の弓箭に退けられて数百の死傷者を出すに終わった。大功を目前にして実に惜しいことであったが、明日には一斉に軍を発して攻めかかり、この城を落とせよう。二度目の失敗は許されぬ。吾が陣頭に立って敵にあたり、城壁を修繕する暇を与えるまい」

 張賓は一礼して戦具を整えると、翌早朝より関防かんぼう黄臣こうしん張實ちょうじつの三将に命じて城外に兵を置き、城内から突出する敵に備えさせた。それ以外の将士は劉聰に従って城壁に攻めかかる。

 城内の張牛と程朽も自ら城壁に上がって防戦の指麾をとった。劉聰は自ら軍士に下知して鋤鍬すきくわで城壁を掘り崩すように命じ、時はいつしか午の刻(正午)に近づいていた。

 頃合よしと見て取り、張牛が砲声を放つ。

 それを聞いた張廉才と劉雄の二人は堰を決して水を放った。上流で堰き止められていた河水は流れ下りつつ両岸を浸し、水位はにわかに四、五尺(約1.2~1.5m)にまで至る。河中の水位は一丈(3.11m)もの高さになり、海嘯かいしょうの勢で下流に襲いかかった。

 張廉才と劉雄の二人は二千の軍勢とともに河に沿って駆け下る。河水の轟音は万馬が狂奔したかのようであった。


 ※


 にわかに襲いかかる大水に漢軍の将士は愕き、押し流されて溺れる者が多く出た。劉聰、張賓もみな流れに呑まれて濠に陥り、浮沈しつつ流されていく。

 そこに上流から張廉才と劉雄が攻めかかり、城内からは張牛、程朽、程灼ていしゃくが打って出る。

 漢将たちは大水に襲われてにわかに応じ得ず、晋の将兵は金の甲冑を纏った漢将が水中から岸辺に上がる姿を捉え、劉聰であろうと察して馬を馳せる。

 劉聰の傍らにある張賓が叫ぶ。

「賊が元帥を狙っておる。誰か守り参らせよ」

 程灼が劉聰に攻めかかろうとするも、水が深くて近寄れない。遠間より一矢に射殺さんと弓矢を執れば、矢をつがえるより前に一人の漢将が駆け寄って大喝した。

「賊めが無礼をなすか。この楊興寶ようこうほうの眼前で、やれるものならやってみよ」

 程灼が顧みれば、その姿は馬にも乗らず全身濡れ鼠のような有様、匹夫の軍卒と侮り、鎗を捻って突きかかる。晋兵たちが鬨の声を挙げるなか、程灼はいよいよ力を奮って鎗を振るうも、ついに楊興寶の大鎚が程灼の馬頭を捉えて打ち倒した。

 その勢いに二人はともに流れに落ち込んでしまう。

 楊興寶は岸に上がろうと土を掴むが、すでに水勢により数丈も押し流されている。程灼は馬と甲冑の重さで溺死した。ようやく岸に上がると、大音声で軍士を叱りつける。

「さっさと元帥をお救いせよ」

 軍士たちは一斉に岸より下りて劉聰を救い上げようと試みるも、流れが速くてなかなか引き上げられない。ついに一人が河中に入って劉聰を救い、岸に押し上げた。

 張牛はそれを見るや、馬を飛ばして馳せ向かい、前を阻む李瓚りさんと道を争う。その隙に軍士たちは張賓をも岸に救い上げる。大水に襲われた馬たちはまだ立ち上がれない。

 張牛は李瓚を棄てて劉聰を擒にしようと襲いかかる。

 駆けつけた楊興寶が張牛を防ぐも、片足を深みにとられてそこに張牛の鎗が突き込まれる。楊興寶は鎗先を腕に受け、大鎚を引いて逃げ奔った。

 これは張牛に己を追わせてその隙に劉聰と張賓を逃がそうという目論見であったが、張牛は楊興寶には目もくれず、劉聰と張賓の二人を狙って斬りかかる。


 ※


 泥濘でいねいに脚をとられた馬を棄てて二人を追い詰める張牛に、張賓が刀を抜いて斬りかかる。

 張賓の危機を見るや王彌おうびは馬を飛ばして救いに向かい、それを晋将の劉雄が食い止める。劉雄は王彌に敵しえず、たちまち劣勢になるも張廉才が加勢して食い下がる。

 王彌は劉聰の危機に焦りながらも二人の晋将を斬り破れない。

 そこに関謹かんきんが城を巡って馳せ到り、張牛が劉聰を追い詰めようとしている様子を目にした。関謹は王彌に目もくれず張牛目掛けて馬を駆り、大音声に叫んで言う。

「吾が元帥に無礼するな。関将軍が推参なり」

 張牛が顧みれば、紫の面に長い鬚の漢将が青龍せいりゅうの大刀を手に凄まじい勢いで駆け寄ってくる。張牛はその姿を見るや、劉聰と張賓を捨てて迎え撃つ。十合にもならぬうちに張牛の力は関謹に及ばず、馬を返して逃げ奔っていく。

 張賓が関謹に叫んだ。

「この者を除けば常山の城は落ちたも同じぞ」

 聞いた関謹は馬を返して張牛のあとに追いすがる。

 劉聰は張牛に追い詰められた怒りに堪えず、王彌が張廉才と劉雄を相手に戦っているのを見るや、号呼して馬を駆り、劉雄を馬上より斬り落とす。

 張廉才は怯まず王彌に対し、王彌は目を怒らせて大喝する。

「匹夫めが、この王彌を知らぬか。許戌きょじゅつでさえを懼れ、幼児を抱くように典升てんしょうを擒にした吾が、お前如きに及ばぬはずもなかろうが」

 王彌が馬を寄せると、張廉才は擒にしようと手を伸ばす。そこをかえって王彌の虎臂こびに絡めとられた。右手に張廉才を引っ提げた王彌は軍士たちの間にその体を投げ捨て、縛り上げるように命じる。漢兵たちは寄って集って張廉才を縛り上げ、陣に引っ立てていく。

 ほどなく諸将も劉聰の周囲に集まって軍営に退くように勧めると、劉聰が言う。

「張牛と程朽が城を出ぬことを懼れておったが、今やこの水攻めを恃みに城を出て吾らと勝敗を争っておる。ゆえに容易く三将まで討ち取ることを得たのだ。残るは張牛一人、各々力を尽くして道を阻み、城門を奪って残党が城に帰るのを許すな」

 下知に従って漢軍は一斉に城に攻め寄せていった。


 ※


 関謹に追われる張牛は振り切ろうと北門の外を巡って西門に馬を駆ける。

 関謹は追いすがって入城する隙を与えず、ついに張牛は関謹に向き直る。五合ばかり戦ったところで、関謹の大喝一声、斬り下ろした大刀が張牛の頭を両断した。

 張牛は馬より落ちて左右の副将四人も愕いて逃げ奔る。

 関謹は勢いに乗じて敵を追い、敗兵たちが城壁の欠け落ちたところから城に入るのを見るや、馬をって城壁に駆け登る。張牛の副将たちが行く手を阻むも、二人まで斬り殺すと残りの二人は逃げ奔る。

 関謹がふたたび城壁を登ると、兵民が礫石や鎗でもって防ぎにかかる。矢石を冒して馬を出し、あたるを幸い草芥そうかいのように斬り払うと、兵民ともに逃げ奔っていった。それでも副将たちは諦めず、城壁上の道に人数を集めて陣を布き、城内につづく道を塞ぎ止める。

 関謹は咆哮ほうこうするや突きかかり、陣中に斬り込むと五人の副将を瞬く間に両断した。この有様を見て晋兵たちは恐れ戦き、陣を崩して逃げ散っていく。

 余人は関謹が一人で城に攻め入っているとは知らず、それぞれ城門に攻め寄せていた。

 関謹が西門に来てみれば、門の内に大木を立て並べて道を塞ぎ、漢兵が通り抜ける隙間もない。ついで北門に出るとかんぬきを切り開き、漢兵を城内に差し招く。

 この時、王彌は東門に攻め寄せていたが、いつの間にやら漢兵が城内に入って城壁に漢の旌旗せいきが翻っていた。

 城壁の上から兵士が言う。

「すでに城内に入りました。東門の内側は大木で塞がれています。北門より入城して下さい」

「吾が身は先鋒でありながら株を守って東門を攻め続け、兎を逃してしまったわ。大功を余人に奪われるとは腹立たしい」

 王彌は怒って言うと、軍勢を率いて北門に向かった。


 ※


 東門より北門に向かう道すがら、洛陽らくように落ち延びようとする程朽に出遭う。

 王彌は馬を拍って前を阻み、程朽も刀を抜いて応戦するが、十合にも及ばず擒とされた。王彌は喜んで言う。

「元帥をお救いできなかったとはいえ、城を打ち破って劉雄を斬り、張廉才と程朽を擒とした。これを戦功ということにしておこう」

 言うと、軍勢とともに城内に入り、府第ふていに向かって擒とした程朽を劉聰に披露する。

「程朽と張牛の二人にはずいぶん苦しめられ、多くの兵馬を損なった。程朽を取り逃がしては戦死した者たちの忠魂を怒らせたであろう。先鋒が程朽を生擒した功績は大きい」

 劉聰の褒辞ほうじに王彌は謙遜して言う。

「臣は張牛が殿下を襲おうとした際、お救いに向かおうとしましたが張廉才たちに阻まれて駆けつけられませんでした。どうして功績を誇ることなどできましょうか」

「薪を抜いては釜も沸かないという。お前の功績はよくよく承知しておる」

 王彌は劉聰の言葉に大いに喜び、拝謝して退いた。

 張賓は高札こうさつを掲げて兵民に次のように命じる。

「守将の家の眷族けんぞくへの侵擾しんじょうの一切を禁じる」

 これにより、軍士たちは城中の民の財産を侵すことなく、民は安堵して以前の落ち着きを取り戻した。また、漢の民となることを望む者も多くあった。

 劉聰は軍政を張賓に命じて自ら軍勢を点検すると、鉅鹿、常山の戦で八千余人の兵を喪っている。上将では樊榮はんえい胡文盛こぶんせいの二将が戦没し、諸将は流涕りゅうていしてやまなかった。

 劉聰は擒とした張廉才と程朽を血祭りにし、血をそそいで戦没者の霊を祭る。

 また、張賓たちは樊榮、胡文盛の亡骸なきがらを収め、常山郡の図籍とせきとともに平陽に送って捷報しょうほうを報せた。

 その後、諸将を郡下の各縣に遣わして略地を進め、風を望んで帰順するものが半ばを過ぎる。帰順しない者たちも漢軍の到来を見れば土地を捨てて逃げ出し、瞬く間に一郡ことごとく漢に従うこととなった。

 漢主かんしゅ劉淵りゅうえんは捷報を得て大いに悦び、使者を遣わして常山に賞賜をもたらし、六軍の将士を労ったことであった。

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