第六十九回 漢主劉淵は平陽に都を建つ

 漢の元熙げんき元年(三〇四年)、漢の劉淵りゅうえんは晋の太原たいげんを攻めた。守将の于明うめい何庸かようは一陣の合戦に関氏兄弟により斬り殺され、その軍勢は将帥を喪って四方に散じた。

 張賓ちょうひんは先鋒の王彌おうびを使者に立てて蒲子ほし捷報しょうほうを告げ、あわせて漢主に平陽へいようへの来駕らいがを請うこととした。王彌はその日のうちに蒲子に馳せ到って報告をおこなう。

 漢主は大いに悦び、楊龍ようりゅう李通りつう桃彪とうひょうたちに蒲子の鎮守を委ね、劉和りゅうわを城主として喬晞きょうきにその輔佐を命じた。漢主はその他の諸将とともに平陽を指して蒲子を発つ。

 劉聰はそれを聞くと軍勢を率いて城外十里(約5.6km)の地点まで迎えに出る。漢主は城に入って将士に恩賞を与え、慰労して言う。

「卿らが一戦にして平陽を奪うとは、中興の機運はすでに成ったと言ってよかろう」

 王彌、劉霊をはじめとする諸将が言う。

「この勝勢に乗じて晋陽しんようを陥れねばなりません。晋陽さえ落とせば、太行山たいこうさんの西は吾らの有に帰しましょう」

▼太行山の西とは、現在の山西省一帯を指す。

 諸葛宣于しょかつせんうが勇む諸将を諌めた。

「そうではありません。『兵は神速を貴ぶ』と申しますが、今は緩やかに進めるのがよろしい。兵法にも『甚だしく急がばその上将を喪う』と申します」

 張賓も諸葛宣于に同じて言う。

「晋陽の奪取も難しくはありませんが、吾らが大郡をつづけて奪えば、晋朝とて必ずや大軍を興して奪還を図りましょう。そうなれば、臣と諸葛丞相は晋兵に対抗すべく従軍せねばなりません。その時には防戦に追われて陛下を輔弼ほひつできますまい。目下、陛下の左右には人材が乏しく、輔翼ほよくする者を欠きます。すみやかに張掖ちょうえきに人を遣わして陳元達ちんげんたつ王伏都おうふくと崔瑋さいいを招聘し、彼らに輔翼の任を委ねれば、大事は成りましょう。この三人はみな遠謀見識に富み、王佐の才があります。往古に漢の高祖を扶けた蕭何しょうか曹参そうしんに比肩する者たちです」

 劉淵はしばらく軍議を休め、張賓がしたためた書状と金珠の幣礼へいれいを整えて趙藩ちょうはん廖全りょうぜんの二人を張掖に遣わすこととした。

「臣にも薦め挙げるべき人物がおります。酒泉しゅせん徐光じょこう程遐ていかの二人です。彼らは興運にある陛下をたすける大才があります。招聘して政事を委ねれば、臣らは軍旅ぐんりょの事に非才を尽くすことができ、彼らの助けにより国家の体制も整いましょう」

 諸葛宣于が言うと、劉淵は馬寧ばねい劉欽りゅうきんを酒泉に遣わすこととした。


 ※


 趙藩と廖全の二人は張掖の地に到り、まずは王伏都に会って漢主の意を述べ、張賓からの書状を手渡した。伏都の快諾を得ると、二人は陳元達の家に向かう。この時、陳元達はかつての棲鳳岡せいほうこうにはおらず、家にあって崔瑋、許遐きょかとともに堂上に閑談して世事を論じていた。趙藩と廖全がおとなうと、二人に上座を勧めて久闊きゅうかつじょし、その来る事情を問うた。

 趙藩は棲鳳岡を離れて十余年、左國城に兵を練った事情を述べて言う。

「今や晋朝は内に乱れております。この機に乗じて兵を出し、すでに平陽から太原に到るまでの三十余城を収め、漢主は平陽に居を移されました。このため、主命を奉じて張謀主(張賓)の書状を持参し、公に漢室を輔けて頂けるようお願いに参った次第です。何卒お受け頂けますように」

 そう言うと、幣礼の品とともに張賓の書状を呈した。陳元達は書状を一読して頷く。

「お二人はすでに吾と出逢って久しく、吾が心中を知らぬわけでもありますまい。生来の傲僻ごうへきゆえに今や人と接するにもんでおります。また齢も六十に近づき、心身ともに衰えて昔とは心持も違っております。張孟孫ちょうもうそん(張賓、孟孫は字)は智機明哲の人、吾が愚昧を諒解して漢主に口添えし、田夫でんぷ野人やじんが詔旨に逆らう罪を許して頂けましょう。草莽そうもうに一生を終えさせて頂ければ、実にありがたいことです」

 廖全が言う。

「本来なら漢主が張謀主とともに自らここに足を運び、先生の出廬しゅつろをお願いすべきところではありますが、新たに平陽を得た折からいまだ人心を収められていないとお考えになり、平陽を離れられないのです。決して先生を軽視したわけではございません。仁術を施して万民の苦しみを除き、すみやかに復仇の兵を起こして平定の功を挙げるを助けて頂ければ、天下万民の幸いとなりましょう。何ゆえに齢六十を過ぎずして世を捨てようとなさるのですか」

 二人は言葉を尽くして願ったものの陳元達の意志は固く、ついに諦めて平陽に帰って行った。崔瑋と許遐の二人は陳元達の底意を知らずに問う。

劉元海りゅうげんかい(劉淵、元海は字)が漢の業を起こしてその意気は旺盛であるにも関わらず、このように懇請を受けても出廬されないのですか」

 陳元達は笑って言う。

「吾は久しく元海が人に優れた器量を持ち、天下を網羅する志があると知っております。その麾下の諸将も国家を創業する才を持っており、大事の成功は目前にありましょう。今になって一使の書状により麾下に加わっては『ただ利名を欲して身の軽い者よ』と世人にわらわれるだけでなく、その言葉も聞かれず経世済民の功業も果たせません。このため、古の賢人は礼が篤く君主の心に誠がなければ、その招聘には応じなかったのです。つまり、身を高くしようとするのではなく、道義を重んじたのです。遠からず再び招聘がありましょう。その後に、お二人とともに一同して平陽に向かって麾下に加わるのも、またよいではありませんか」

 その言葉を聞いてもなお崔瑋と許遐の二人は半信半疑の様子であった。


 ※


 それから一月を過ぎずに漢主は張賓を使者として隠者を招聘する帛書はくしょを持たせ、老人を迎える四頭立ての安車あんしゃを牽き、美々しい行列を仕立てて陳元達の家に遣わした。陳元達はようやく崔瑋、許遐とともに招聘に応じ、家属を連れて王伏都の家に入ると、そこから平陽に向かった。

 郡境に入ると張實ちょうじつが騎兵を遣わして城内に知らせ、漢主は諸将とともに軍勢を率いて城外二十里(約11.2km)の地まで迎えに出た。漢主はそこでれんを降りてその到来を待つ。

 陳元達たちは近づいてその様子を見ると、車から下りて歩行して進み、遥かに離れたところで俯伏して言う。

「山野の愚夫が陛下の膝下に加わる時機を誤って安車での招聘を蒙り、さらに忝くも輦輿れんよをお運び頂いたこと、罪は万死に値いたします」

 漢主は自ら扶け起こし、その手を執って言う。

長宏ちょうこう(陳元達、長宏は字)に管仲かんちゅう樂毅がくきの才があるとは重々承知している。その名声は遠方まで知られ、礼においては自ら迎えに行くべきところであるが、軍務の多忙を如何ともしがたく、先主せんしゅ劉備りゅうび)が諸葛丞相しょかつじょうしょう諸葛亮しょかつりょう)を南陽なんように訪ねた礼を尽くせなかった。諒解して欲しい」

 陳元達も深く謝意を述べると、二人は車を並べて城に向かった。府第ふていに入ると賓客として酒宴を開いて慇懃に礼を尽くした。酒宴の最中に漢主が陳元達に問う。

「薦める者があり、は晋陽を落としてそこを都としようと思う。長宏は平陽と晋陽のいずれを都とすべきと考えるか」

「晋陽は晋国に応じる陽運があり、平陽は晋を平定する陽運があります。陛下は晋を平定する陽にあたられます。晋陽を都としてはなりません。平陽を都となさるのがよろしいでしょう」

 この一言によって漢主は平陽を都とすることに意を決したことであった。

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