第六十八回 漢主劉淵は蒲子に移る

 漢の軍勢の来襲を聞き、蒲子ほしの守将の米豹べいひょうは州府に一報もなく軍士を召集した。

「これだけの軍勢があれば、漢軍の襲来を阻めよう」

 軽率にもそう判断すると、州境の隘路に陣を布いて漢軍の到来を待ち構える。

 そこに山野を兵で覆うように漢の軍勢が進み来る。米豹は得意の大斧を手に騎乗し、州境の大路に馬を立てて声高に叫んだ。

「天朝はお前たちに左國城さこくじょうを与え、成都王せいとおう司馬穎しばえい)は上表してお前を左賢王さけんおうに封じた。これほどの大恩を受けたにも関わらず、故なく兵を起こして叛乱を起こすとは、滅亡への道を自ら選ぶか」

 漢軍からは関防かんぼうが言葉もなく刀を舞わせて襲いかかる。

 関防の白刃は風に吹かれた雪のように翻り、米豹の大斧は風塵を捲き上げる。馬を駆って悪戦すること三十余合、ようやく米豹に疲れが見えるや、関防は一刀の下に馬より斬り落とした。

 晋兵たちは主将の戦死に畏れて逃げ奔る。関防が一軍を駆って城下まで追撃すると、すでに別軍の王彌が城門を破って城を落とし、蒲子の城壁には大漢の旗が翻っていた。

 元帥の劉聰と張賓が民を安撫するべく城内に入れば、濠と城壁で堅固に守られており、邸宅は大きく宮殿かと見紛うばかり、これらはその昔に丁建陽ていけんよう呂布りょふを幕下に収めた丁原ていげん、建陽は字)が築いたものであると言う。地勢を見れば周囲の山々は峻険、湖に近く水も得やすい。張賓ちょうひんは輜重をこの地に置くと定めた。

 この城に劉淵りゅうえんを迎えるのがよいと考え、劉聰りゅうそうは左國城に使者を発する。劉淵はその要請を容れ、游光遠ゆうこうえん劉義りゅうぎに左國城の鎮守を委ね、定襄ていじょうの鎮守に崔游さいゆう胡文盛こぶんせいを置き、自らは諸葛宣于しょかつせんうたちとともに蒲子に移った。

 その到着にあたっては劉聰をはじめとする諸将が残らず出迎え、城中に迎え入れた。

「この城は都にするに相応しい規模を備えている。はしばらくここに居ることとしよう」

 劉淵はそう言い、宮室の修繕を命じた。さらに劉聰に軍令を下す。

「まず介休縣かいきゅうけんを奪い、ついで太原たいげんを攻めよ」

 諸将は相次いで蒲子を発ち、晋の間諜がその様子を知って急報を入れた。


 ※


 介休の守将である賈渾かこんは謀を善くして陣法にも深く通じ、管内の要害を知悉ちしつしていた。漢軍来襲の報に接しても色を変えず、自ら一万の軍勢を率いて迎撃に向かう。

 城を出て十里(約5.6km)も経ずに漢軍と遭遇するに至った。両軍は布陣して交戦の構えを固める。賈渾は陣頭に進み出てただした。

「先に梁王りょうおう司馬肜しばゆう)はお前たちが蜀漢の末裔であることを憐れんで滅ぼすには及ばないとし、土地を与えて王号を許した。これほどの優遇を受けたにも関わらず、天朝の間隙を突いて叛乱を起こすとは、何の道理があるというのか」

 その声に応じて劉霊りゅうれいが言う。

「この天下はすなわち吾が漢家の天下、それを司馬氏が故なく奪ったに過ぎぬ。吾らは奪われた天下を取り返そうとしているだけのこと、優遇など言うにも足りぬ。吾は大漢の先鋒、劉霊である。お前たちを諭して土地を返上させ、民が害を受けぬようにする任を帯びておる。後続する五十万の軍勢と千人の将帥は刻々と近づいている。すみやかに投降して身命を保つがいい。吾が兵と戦ってしばらく足止めできたところで益もないこと、心を入れ替えて吾らに従い、真主に抗うことをやめよ」

 賈渾は怒って三叉みつまた鋼叉こうさを引っ提げ、漢軍に斬り込んだ。劉霊は鎗を捻ってその前を阻む。賈渾の眉は獅子のように逆立ち、劉霊の眼が虎のような怒気を孕む。

 二人の悪戦が四十合を超えてつづくところ、唐突に介休の城下より砲声の響きが聞こえた。賈渾が何事かと思う間もなく、軍士が報告に走り出る。

「漢の王彌が城を急襲しております」

 その報告を聞いた賈渾は手を乱して劉霊の鎗を防ぎ損ない、ついに馬より刺し落とされる。すぐさま喬晞きょうきが馬を飛ばして首級を挙げる。賈渾の軍勢はその戦死を見て投降した。


 ※


 喬晞は首級を掲げて介休の東門に向かい、守兵に向かって叫ぶ。

「大将はすでに討ち取られたぞ」

 門兵たちは畏れて城門を開き、喬晞は諸将に無断で入城して賈渾の府に向かった。

 賈渾の妻は宗氏そうしといい、その容姿の美しさで知られていた。喬晞はその姿を見て心を奪われ、己が物にせんと腕を取る。宗氏は性貞烈であったが腕を取られては逃れようもなく、媚語びごで欺いて腕を放させた。

 解放されるや宗氏は奔って椅子を手に罵る。

「お前は卑しい羌族きょうぞくの狗の身を忘れ、大晋の忠臣の妻を陵辱しようと言うのか」

 そう言うや椅子でもって喬晞を打ち、罵ってやまない。喬晞は怒って剣を抜き、宗氏を捕らえてその口を斬って殺し、男女老少を問わず賈渾の一族を皆殺しにした。


 ※


 その頃、劉霊と関防かんぼうは西門を開いて官府に入り、殺掠を禁じる高札こうさつを掲げていた。そこに軍士が喬晞の行いを報告し、それを聞いた劉霊と関防は怒って言う。

「国を建てるには人心をもといとせねばならん。介休を陥れても殺戮をおこなっては人心を得られぬ。喬晞を斬って軍士の戒めとするよりあるまい」

 二人の忿怒を諸将が止めた。

「強敵を前に上将を斬るとは不祥です。元帥(劉聰)と謀主(張賓)に処遇を委ねましょう」

 関防は喬晞を捕らえて収監し、早馬を飛ばして一報を入れた後は元帥である劉聰の到着を待つこととした。報告に接した劉聰の怒りは激しい。

「喬晞は裨将ひしょうとして寸尺すんしゃくの功も建てず、初めて晋地に入るや濫りに守臣の家を滅ぼした。このような振る舞いで人心など得られるものか。劉霊と張賓が殺すに及ばぬというのであれば、いまさら刑戮は加えぬが、同じ轍を踏んでは天の怒りに触れることとなろう。軍にあることは許さぬ。すぐさま蒲子に送り還せ」

▼裨将は主将を補佐する副将を意味する。

 劉聰と張賓が後軍を率いて介休に入ると喬晞は入れ替わりに蒲子に戻され、頓首とんしゅ、つまりひざまづいて頭で地を打って劉淵に謝罪した。

「お前は無辜むこの者を酷害した。天がこれを知れば相応の報いがあろう」

 喬晞は慙愧ざんきして止まず、また頓首すると退いたことであった。

「軍勢が山西に入ってすでにいくつかの城を陥れ、席捲の勢いでさらに地を広げている。この勢より観て大事は必ずや成し遂げられよう。丞相は多能の身、幸いにこの地にあってまだそれほど仕事はない。ここに宮殿を造る指麾をして欲しい。壮麗な宮殿を造って近隣の州郡に示し、大漢の威光を示さねばならぬ」

 劉淵が言うと、指名された諸葛宣于が諫めて言う。

「陛下は鳳のように起って龍のように飛び、ついに天命を受けられましょう。しかし、晋はまだ中原を支配しております。この地に都を建てては、中原を恢復して漢業を継ぐことなどできましょうか。蒲子は中原から遠く離れた辺境に過ぎず、都を置いてはなりません。それゆえ、宮殿を造営しても浪費にしかならないのです。臣の観るところ、五年を経ずして必ずや洛陽を陥落させることができましょう。宮殿の造営はそれまでお待ち下さい。また、行宮あんぐうを置かれるのであれば、平陽へいようを奪ってそこに建てるのがよろしいでしょう。平陽の地勢は興隆の気が横溢し、時に紅紫の気が立ち登っております。さらに、山河の固を帯びた晋の要地であり、陶唐とうとうの旧都でもあります。劉氏は火徳により堯帝ぎょうていを継いで中原の王となりました。上は天象に合致し、下に瑞祥を表すのが帝王の業というものです。晋が平陽に大軍を置いていないことは、実に天が漢氏を助けるというものでありましょう」

 この言葉により、宮殿造営の詔は取りやめとなった。


 ※


 その後、介休に駐屯する軍勢に使者を遣わし、平陽、晋陽の攻略を命じた。劉聰は介休で軍令を受けるや平陽に向けて軍を進める。平陽の守将は于禁うきんの孫にあたる于明うめい、字を昭遠しょうえんという者であった。生来聡明ではあったが、遠大な志を欠いた。

▼于禁の子は于圭うけいと伝わり、孫の名は伝わらない。

 その副将を務める何庸かようという者は驍勇絶倫で知られる。

 于明は漢の軍勢が平陽に向かっているとの報告を受け、何庸に方策を諮った。

「古より『水が出れば土を積んで防ぎ、兵が来れば将が立ち向かう』と申します。すみやかに軍勢を整えて州境を固め、城下に敵を迎えて百姓を驚かせないことです」

 何庸が言うと、于明は戎装に身を包み、一万の軍勢を率いて城を出た。七里(約4km)ほど進んだところで、于明は布陣して漢軍の到来を待ち構えることとした。

 到来した漢軍も于明の陣を見ると進軍を止めて布陣を終える。何庸は甲冑に身を包んで手に鉄槊てつさくを提げ、陣頭に進み出るや大音声で叫ぶ。

「お前たちは漢の臣と称するのであれば、大礼を知っていよう。先に天朝はお前たちが引き起こした涇陽けいようでの殺戮をお赦しになった。その命を救った恩に報いようともせず、叛逆して内地を侵し、法に触れようというのか」

 張賓が進み出て言い返す。

「涇陽での和睦は吾らが兵を練って力を蓄える時間を稼ぐ方便に過ぎぬ。今や吾が大軍は五十万、将帥は三千人、兵糧は山のように積まれ、戦馬は雲のように揃っている。吾らが大漢の業の恢復を図っていることは知っていよう。時勢を知る者であれば、すみやかに投降して封侯の位を保つがよい。少しでも抗うのであれば、無駄に生命を喪うことになろう」

 何庸は大いに怒り、馬を駆って槊を舞わせ、張賓目がけて打ちかかる。そこに関防が大刀を提げて馬を馳せ、横ざまに斬りかかる。何庸も槊を振るって大刀を防ぎ、二人一往一来して戦うこと二、三十合、いまだ勝負を決さない。

 于明は何庸が関防に悪戦するのを見るや、刀を振るって加勢に出る。漢軍からは関謹かんきんが横あいから馬を馳せて于明の背後に回り、一刀にその首を打ち落とした。

 何庸も于明の死を見て心に恐れ、馬腹を蹴って逃げ奔る。関防がその背後に追いすがって大喝一声すると、何庸も馬を返して向き直る。その時、関防の手が刀を抜いたと見るや、何庸は首からうなじにかけてを両断され、馬下に命を落としたことであった。

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