八章 蜀漢再興
第六十七回 劉淵は左國城に漢を継ぐ
父の
「晋主は
劉聰が言うと、
「洛陽の府庫が空しかろうと藩鎮の諸王は隠然たる勢力を保っており、にわかに河南までは出兵できません。吾らがいる西から順に地を奪っていくのがよろしいでしょう。いまだ晋国に国運を揺るがす変事はなく、危亡の際を窺うのであれば今しばらく時をお待ちになるべきです」
劉聰はさらに言い募る。
「晋国の変事は甚だしいものがあり、軍師がご存知ないだけです。洛陽の宮中では真夜中より世を徹して鬼が
劉聰の熱弁を受け、
「そこまで仰るのであれば、急ぎ挙兵いたしましょう。しかし、挙兵に先立って漢の国号を建てて名分を明かにし、号令を天下に伝えねばなりません」
一人として反対する者はなく、張賓は奥に入って劉淵に諸将の意見を報告する。
「
「晋国は大いに乱れ、怪妖変異が頻発しております。また、蜀では
「事を
胡延晏が進み出て言う。
「往時とは世が異なり、王業と覇業はそれぞれ進む道が異なるものです」
劉淵を説得するに至らぬうち、
▼劉理の子に劉義の名は伝わらない。
劉淵は大いに喜んで問う。
「ここまでどのようにして来たのか」
「吾が関山、関河を捜していたところ、『関氏の者たちは
劉義はそう言うと涙を流して止まない。諸将は進み出て言う。
「皇孫の言は道理です。今まさに漢の国号を建てず、いつ功業を恢復できましょうか」
劉義とともに左國城に到った関山も言う。
「晋の形勢を見聞するに、諸親王は殺戮を繰り返して賢良の朝士が
諸葛宣于も諸将とともに一斉に即位の
※
劉淵と
「蜀漢が滅んだ後、
諸将は一同に慶賀して言う。
「老大王のほかに大王(劉淵)の心を定めて事を決し得る者はございません」
劉宣は諸将に当日の役を割り当て、壇を築いて台を造り、翌日にはみずから諸将とともに劉淵を
「殿下は
劉宣はそう言って拒み、劉聰も進み出て言う。
「それほど辞退されるのであれば、後主の正統に近い劉義を建てましょう」
▼劉理は劉淵の兄であるため、子の劉義は長幼の序により血統が劉禅と近いことになる。
「吾が父が存命であっても左賢王のように復仇はできますまい。また、
劉義はそう言って厳しく拒み、ただ劉淵に即位を勧める。
拒んだところで衆将が許さないと劉淵は思い、ついに壇上で天地を祭って
陛上に坐して諸将の礼を受け、詔を下して五部の官属を署して政体を整える。境内に大赦をおこない、皇父の
▼神主は位牌に相当するものと思えばよい。
※
ついで漢の朝廷に百官が置かれ、主な官職は次のように定められた。
また、劉淵の二人の子は、劉聰を皇太子として大将軍、
戦没した
▼史実では劉和が皇太子とされた。
漢王となった劉淵は百官を定めて
▼遠遊冠とは、天子や諸王が正装の際に戴く冠を言う。
さらに吉日を選んで挙兵することと定められた。
「
▼『後傳』では「涇陽を目指す」となっているが、
劉淵が諸将に言うと、張賓がそれにつづく。
「定襄を抜いた後は南に進んで
諸将もその策に同意し、太子となった劉聰、字は玄明を
平晋大元帥 劉聰
謀主 張賓
左先鋒 王彌
右先鋒 劉霊
折衝将軍 関防、胡延攸
左軍 趙染、胡延晏
中軍 黄臣、張實
右軍 張敬、関謹
救応使 廖全、楊龍
後軍 王如、李珪
粮料使 趙概、胡延顥、樊榮
護軍 楊興寶
ついに十五万の漢軍が
定襄の守将である
劉聰は百姓を安撫した後、左國城に使者を遣わして
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