第七十回 韓橛は金龍城を建つ

 陳元達ちんげんたつの献言により、漢主かんしゅ劉淵りゅうえん平陽へいようを都とすることと定めた。

 官吏たちが占って日を選び、宮室の造営にかかる。しばらくして一切の計画が定まったものの平陽の城墻じょうしょうが攻め易いことを嫌い、劉淵は旧城をこぼって新たに城を築くことを命じた。しかし、難攻不落を第一とするがゆえ、縄張りが意に叶わず三ヶ月が過ぎて礎石そせきの一つも置けていない。

▼「縄張り」は築城の際の設計工程にあたる。

 漢主はこれに悩んで次のような高札こうさつを掲げ、良工を募集させるととした。

「この城の縄張りを定めた者には、賞として五城の兵馬の官に任じる」

▼原文は「五城兵馬を授く」であるが、官位を授けると考えて「五城の兵馬の官」とした。城の防衛にあたる軍勢の指揮官と考えればよい。

 これに韓橛かんけつという工匠が応じた。

 そもそも、この韓橛という者はその身に父母なく、養母を韓嫗かんおうという。韓嫗は齢五十になっても寡婦で子がなく、貧賎にして朝夕の食にも事欠く身であった。

 ある時、城外の田圃にでて野菜を採っていると、芹菜せりなの中から大きな卵を拾った。何の卵であるかは分からなかったが、色が美しかったため、懐中に入れて持ち帰った。

 時は盛夏の時期にあったが卵は冷たく、懐中に置けば団扇うちわを遣うまでもない。韓嫗は喜んでいつも卵を懐中に置くようになり、一月が過ぎる頃に卵を割って嬰児えいじが出てきた。


 ※


 子がなかった韓嫗は喜んで怪しむこともなく育てたが、その子は粥を除くと何も口にしない。四年が過ぎた頃には十五、六歳かと見紛みまがうまでに成長し、その性は聡明であった。卵を橛樁けつとうの傍らより拾ったため、母の姓を継いで韓橛と名づけた。

▼「橛樁」はともに木の杭を意味する。菜園の柵と考えるのがよい。

 漢主が良工を募っていると聞き、韓橛はその母に言う。

「吾は久しく撫養の恩を蒙ったものの、報いる術もありません。今、新主は重賞を捨てて良工を求めておられると聞きます。吾は募集に応じて百金を手に入れ、母上に御恩をお返ししたいと思います。吾とともに城に登って下さい」

 韓嫗は韓橛が常人ではないと知っていたため、疑うこともなくともに城に向かい、漢主との謁見に及んだ。

「お前は童子に過ぎないのに、どうして大城を築けようか。そもそも何者か」

 漢主の問いに韓橛が答える。

「この郡で生まれ、姓名を韓橛と申します。官吏となることは望みませんが、百金を賜って老母に捧げ、余生を養いたいと存じます」

 漢主はその様子が常の童子と異なるため、その言を信じた。工匠こうしょうの監に任じて大城の造営を任せようとしたが、韓橛は断って言う。

「臣が先に石灰で地を画し、その上にせんを置いた縄張りの通りに城を築けば、すみやかに城を築けましょう」

▼「磚」は築城などに使われる日干し煉瓦を言う。

 漢主はわらって許し、韓橛は韓嫗に言う。

「詔を奉じてこの城を築かねばなりません。母上は吾の跡に石灰を撒いて目印として下さい」

 韓嫗が頷くと、韓橛は体を伸ばして地上に伏せる。その姿はたちまちに変じて大蛇となり、悠々と地を這って進む。韓嫗はそれでも怖れず石灰を取ってその跡につづき、蛇が屈曲して進むとおりに撒いて縄張りを定めていった。

 それに従って工匠たちは築城を始め、数ヶ月を経ずして城の形が出来上がった。

 要害であるかを試してみれば、防備が堅固で攻めにくい。漢主は城の完成を喜んだものの、韓橛が妖怪であることを嫌い、韓嫗に賞として金百両(約3.7kg)を与えて蛇は山中の穴に投げ捨てさせた。しばらくはその尾が数尺ほど見えていたものの、次第に穴から水が溢れ出てきた。

 その報告を受けた漢主が怪しんで穴まで行くと、そこにはただ池があって蛇の姿は見えない。漢主はその池を金龍池きんりゅうちと名づけ、城もまた金龍城きんりゅうじょうと呼ばれるようになった。


 ※


 文武の百官は百霊の佑助により金龍の瑞祥を得たと賀を奉り、漢主も祝宴を開いて城の完成を慶賀した。宴席に居並ぶ百官に天下を治める道を問うと、陳元達が答えて言う。

「臣の聞くところ、『臣に師たる者は王者となり、師に友たる者は覇者となる』と言います。陛下は広い度量により群議に諮って明決に断じ、良策を選んで従われるのがよろしいでしょう。臣らの非才では採るべきところがないやも知れませんが、忠節を尽くすことでいささか政事の助けとなることもございましょう」

 許遐きょか崔瑋さいいも進み出て言う。

「漢の高祖は諫言に従うこと流れる水のようであり、それにより天下を統一なされました。また、武帝は汲黯きゅうあんの上奏に従って漢の治世をたかからしめられました。もし人主が淫乱な行いをすれば、天神の佑助ゆうじょは得られません。この理をお忘れにならなければ、天下統一の大事であっても労せずして成ろうかと愚考いたします」

 漢主は二人の献言に感じ入り、さらに陳元達の人となりの高尚なるを知って宰相に任じたいと思ったものの、新参であることから言い出さなかった。

 諸葛宣于しょかつせんう張賓ちょうひんはそれを知り、上奏して左丞相さじょうしょう劉宣りゅうせん左賢王さけんおう大単于だいぜんうとして五部の大惣戎だいそうじゅうとし、左國城さこくじょうの鎮守を委ねることとした。代わって左國城の鎮守にあたっていた劉義りゅうぎ游光遠ゆうこうえんを平陽に召し出す。

 その一方、陳元達には国政に参与することを命じ、崔瑋と許遐を諮議大夫しぎたいふに、王伏都おうふくと行軍都尉こうぐんといに任じた。

▼諮議大夫の官は晋代にない。通常、各府に諮議参軍という顧問の官が置かれた。ここでは国政に関する顧問の官であると考えればよい。

▼行軍都尉の官は晋代にない。『晋書しんじょ職官志しょくかんしに「元帝げんてい司馬睿しばえい)の晉王と為るや,以って參軍を奉車都尉ほうしゃといと為し ,掾屬えんぞく駙馬都尉ふばといと為し ,行參軍舍人こうさんぐんしゃじん騎都尉きといと為す」とあり、参軍、掾屬、舎人を都尉としている。この都尉はそれに近く、行軍の際の責任者というほどの意味であろう。


 ※


 この時、劉欽りゅうきん馬寧ばねいの二人は徐光じょこうを招聘すべく酒泉郡しゅせんぐんにあったが、その家に着くと姿はなく、行先を知る者もなかった。数日かけて郡内で行方を探ったものの、手がかりもない。

 市にて聞き込んでも村落で問うても、徐光に似る者さえおらず、途方に暮れていた。その時、一人のきこりが柴を下ろして木陰で休んでいた。

 馬寧がその樵に近づいて問う。

「吾に旧友があり、名を徐光という。以前はこの地に住んでいたが今は行方知れずになっている。彼について何か知るところがないか。教えてくれれば礼は弾もう」

「近頃は渓谷や山中に入って柴を採っているが、身長八尺(約2.5m)はあろうかという髯が長くて切れ長の目の男が林間で読書しているのを見たことがある。故郷を問うと酒泉だという。しかし、姓名は知らない」

 樵の答えを聞いて馬寧が言う。

「その人が徐光に違いない。そこまで連れて行ってくれ。謝礼は支払う」

 樵を先頭に馬寧と劉欽は山中に分け入り、しばらくすると草庵が見えてきた。

 一同は馬を下りて草庵に近づく。人声を聴いた徐光が庵から出ると、そこには馬寧が立っていた。徐光は一つ笑って一同を草庵に招じ入れ、久闊きゅうかつじょす。

「漢主の命を奉じて薄礼はくれい賜物たまわりものを持参いたしました」

 劉欽はそう言うと幣礼へいれいの品を進め、あわせて諸葛宣于の書状を呈した。

 徐光が言う。

「吾はこの意を久しく忘れておりません。ただ、駑馬どばの歩みは千里駒せんりくに並べぬと思って今日まで来たところ、将軍にご足労をおかけしてしまいました。謹んで漢主の招聘に従いましょう」

 そう言うと、酒を薦めて宴会となった。

 宴が果てると馬寧と劉欽に促され、程遐ていかも呼んで一同に平陽を指して酒泉を発つ。平陽の城下に着くと、漢主は慌しく諸葛宣于、張賓、胡延攸こえんゆうたちに命じて城外に迎えに行かせ、自らは城門の外でその到着を待ち受けた。

 徐光と程遐の二人は到着するや漢主に謁見する。漢主は賓客の礼でもてなし、資政大夫しせいたいふの官に任じてその日の謁見を終えた。

▼資政大夫は晋代の官にない。諮議大夫と同じく国政に参与する官であると考えればよい。

 翌日、劉聰が謁見して進軍の許しを請い、百官に進退を諮れば徐光が進み出て言う。

「天下を兼併けんぺいせんと図られるならば、必ずや幽州ゆうしゅう燕州えんしゅうの地より興って西北の英勇を麾下に収め、それより進んで齊魯せいろかすめてその兵糧に拠り、汝水じょすいから洛陽に向かえば、晋の君臣をことごとくとりことして天下を統一できましょう」

 漢主はその献言を納れ、日を選んで軍勢を進めると決したことであった。

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