第七十回 韓橛は金龍城を建つ
官吏たちが占って日を選び、宮室の造営にかかる。しばらくして一切の計画が定まったものの平陽の
▼「縄張り」は築城の際の設計工程にあたる。
漢主はこれに悩んで次のような
「この城の縄張りを定めた者には、賞として五城の兵馬の官に任じる」
▼原文は「五城兵馬を授く」であるが、官位を授けると考えて「五城の兵馬の官」とした。城の防衛にあたる軍勢の指揮官と考えればよい。
これに
そもそも、この韓橛という者はその身に父母なく、養母を
ある時、城外の田圃にでて野菜を採っていると、
時は盛夏の時期にあったが卵は冷たく、懐中に置けば
※
子がなかった韓嫗は喜んで怪しむこともなく育てたが、その子は粥を除くと何も口にしない。四年が過ぎた頃には十五、六歳かと
▼「橛樁」はともに木の杭を意味する。菜園の柵と考えるのがよい。
漢主が良工を募っていると聞き、韓橛はその母に言う。
「吾は久しく撫養の恩を蒙ったものの、報いる術もありません。今、新主は重賞を捨てて良工を求めておられると聞きます。吾は募集に応じて百金を手に入れ、母上に御恩をお返ししたいと思います。吾とともに城に登って下さい」
韓嫗は韓橛が常人ではないと知っていたため、疑うこともなくともに城に向かい、漢主との謁見に及んだ。
「お前は童子に過ぎないのに、どうして大城を築けようか。そもそも何者か」
漢主の問いに韓橛が答える。
「この郡で生まれ、姓名を韓橛と申します。官吏となることは望みませんが、百金を賜って老母に捧げ、余生を養いたいと存じます」
漢主はその様子が常の童子と異なるため、その言を信じた。
「臣が先に石灰で地を画し、その上に
▼「磚」は築城などに使われる日干し煉瓦を言う。
漢主は
「詔を奉じてこの城を築かねばなりません。母上は吾の跡に石灰を撒いて目印として下さい」
韓嫗が頷くと、韓橛は体を伸ばして地上に伏せる。その姿はたちまちに変じて大蛇となり、悠々と地を這って進む。韓嫗はそれでも怖れず石灰を取ってその跡につづき、蛇が屈曲して進むとおりに撒いて縄張りを定めていった。
それに従って工匠たちは築城を始め、数ヶ月を経ずして城の形が出来上がった。
要害であるかを試してみれば、防備が堅固で攻めにくい。漢主は城の完成を喜んだものの、韓橛が妖怪であることを嫌い、韓嫗に賞として金百両(約3.7kg)を与えて蛇は山中の穴に投げ捨てさせた。しばらくはその尾が数尺ほど見えていたものの、次第に穴から水が溢れ出てきた。
その報告を受けた漢主が怪しんで穴まで行くと、そこにはただ池があって蛇の姿は見えない。漢主はその池を
※
文武の百官は百霊の佑助により金龍の瑞祥を得たと賀を奉り、漢主も祝宴を開いて城の完成を慶賀した。宴席に居並ぶ百官に天下を治める道を問うと、陳元達が答えて言う。
「臣の聞くところ、『臣に師たる者は王者となり、師に友たる者は覇者となる』と言います。陛下は広い度量により群議に諮って明決に断じ、良策を選んで従われるのがよろしいでしょう。臣らの非才では採るべきところがないやも知れませんが、忠節を尽くすことでいささか政事の助けとなることもございましょう」
「漢の高祖は諫言に従うこと流れる水のようであり、それにより天下を統一なされました。また、武帝は
漢主は二人の献言に感じ入り、さらに陳元達の人となりの高尚なるを知って宰相に任じたいと思ったものの、新参であることから言い出さなかった。
その一方、陳元達には国政に参与することを命じ、崔瑋と許遐を
▼諮議大夫の官は晋代にない。通常、各府に諮議参軍という顧問の官が置かれた。ここでは国政に関する顧問の官であると考えればよい。
▼行軍都尉の官は晋代にない。『
※
この時、
市にて聞き込んでも村落で問うても、徐光に似る者さえおらず、途方に暮れていた。その時、一人の
馬寧がその樵に近づいて問う。
「吾に旧友があり、名を徐光という。以前はこの地に住んでいたが今は行方知れずになっている。彼について何か知るところがないか。教えてくれれば礼は弾もう」
「近頃は渓谷や山中に入って柴を採っているが、身長八尺(約2.5m)はあろうかという髯が長くて切れ長の目の男が林間で読書しているのを見たことがある。故郷を問うと酒泉だという。しかし、姓名は知らない」
樵の答えを聞いて馬寧が言う。
「その人が徐光に違いない。そこまで連れて行ってくれ。謝礼は支払う」
樵を先頭に馬寧と劉欽は山中に分け入り、しばらくすると草庵が見えてきた。
一同は馬を下りて草庵に近づく。人声を聴いた徐光が庵から出ると、そこには馬寧が立っていた。徐光は一つ笑って一同を草庵に招じ入れ、
「漢主の命を奉じて
劉欽はそう言うと
徐光が言う。
「吾はこの意を久しく忘れておりません。ただ、
そう言うと、酒を薦めて宴会となった。
宴が果てると馬寧と劉欽に促され、
徐光と程遐の二人は到着するや漢主に謁見する。漢主は賓客の礼でもてなし、
▼資政大夫は晋代の官にない。諮議大夫と同じく国政に参与する官であると考えればよい。
翌日、劉聰が謁見して進軍の許しを請い、百官に進退を諮れば徐光が進み出て言う。
「天下を
漢主はその献言を納れ、日を選んで軍勢を進めると決したことであった。
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