第六十五回 成都王司馬穎は職を辞して鄴城に還る

 趙王ちょうおう司馬倫しばりんうばわれた司馬衷しばちゅうの帝位が恢復されるより、国事は大小を問わず挙兵を首唱した齊王せいおう司馬冏しばけいに掌握されるようになった。

 齊王に加えて成都王せいとおう司馬穎しばえい長沙王ちょうさおう司馬乂しばがい東海王とうかいおう司馬越しばえつもそれぞれ官属を置き、多い者は四千人、少ない者でも二千人を超える。さらに、それに応じた数の武官がその官府を厳に守っていた。

 新野公しんやこう司馬歆しばきんは爵位を進めて王号を許され、それにともなって長史ちょうし司馬しばをそれぞれ一人置きたいと上奏するも、成都王が反対する。

「先代武帝の御世より藩鎮の制度では官職の新設を許しておらぬ」

 上奏をしりぞけられた司馬歆は内心にいかり、鎮所に還るにあたって齊王に告げて言う。

「近頃の時勢を観るに、成都王の配下に人が多く、誰もが側目そくもくして朝野も心を寄せております。このことは大王のお立場を危うくするおそれがございます。畏るべきものは人心、測れぬものは世情と申します。一朝に事が起これば、にわかに制し得ますまい。すみやかに鎮所に還らせるのがよろしいでしょう」

も成都王の威勢盛んなることは承知しておるが、ともに国政にあたる以上、異心はあるまいと思っておった。汝の言葉を聞くにつけ、疑心なきをえぬ。汝の孤を愛する情は肺腑はいふに刻んで忘れるまい」

 齊王はそう言い、篤く餞別して送り出したことであった。


 ※


 同じく洛陽にある長沙王は、齊王が国政をほしいままにするのを見て身を危ぶんでいた。

「早いうちに成都王と結んで身の寄り所とせねばならぬ」

 そう考えた長沙王は、成都王に告げて言った。

「今や齊王は国政を専らにし、百官はすべてその命に従っておりますが、齊王が葛旟かつよ孫洵そんじゅんの奸言に惑乱していること、趙王と何ら変わりがありません。その上、齊王の心事は公正を欠き、先に趙王と結んで淮南王わいなんおう司馬允しばいん)を死に追いやり、次いで仲を違えた趙王を滅ぼしました。その人となりはこの一事でも見え透いておりましょう。聖上と大王の仲に比して齊王は些か疎遠、大王の兵威盛んな様子を見て悦ぶはずがありません。すみやかに自安の計をなして奸策を防ぎ、後に悔いることのないようにされるのがよろしいでしょう」

▼齊王の司馬冏は武帝ぶてい司馬炎しばえんの弟である司馬攸しばゆうの子、武帝の子である晋帝の司馬衷やその弟の成都王にとって叔父の子にあたる。

 成都王はその言葉を聞いて動揺したものの、頷いて府第ふていに還っていった。府に戻ると、すぐさま盧志ろしに諮って意見を求める。

「長沙王の言葉は妄言と片付けられません。臣の観るところ、大王と齊王は両立できますまい。先の戦にあって大王は先陣切って黄河を渡り、それを潮目に洛陽は陥落いたしました。その功に並ぶ者はおりませんが、齊王の首唱した功を重んじて謙退されました。また、たとえ齊王に大王への疑心があったとしても、非常時なるがゆえに捨て置かざるを得ませんでした。今や趙王は滅びて目前に敵なく、疑心を捨て置くことはございますまい。これが禍の本となれば、民は身の落ち着け所もございません」

「齊王が孤を謀ろうとした際にはどのように身を処するべきであろうか」

「何も難しいことはございません。ただ洛陽から身を離せばよろしいのです。さすれば、齊王は意のほしいままに振舞って自ら滅び、大王のご無事は永く保たれましょう。洛陽に留まって国政を争い、不測の難を招いてはなりません。『ぎょうの王太妃が病に臥せっていると便りを受け、すみやかに還って病床にはべり、孝養を尽くすことをお許し頂きたい』と願い出て国事を齊王に委ね、『万機を統べる任は四海の望むとおり齊王に掌って頂きたい』と言えば、齊王は必ずや大王の義を感じ、輿論も『成都王には謙譲の美徳がある』と評して大王の徳を仰ぎ慕うことでしょう。その後、齊王が虐政と過ちを重ねて天人ともに怒る頃合に挙兵すれば、大功は自ら大王に帰しましょう。天道は後から挙兵した者を栄えさせ、太公望たいこうぼう紂王ちゅうおうが罪を重ねた後に挙兵するよう武王に勧めました。これと同じことです。愚見を納れられれば後に大いなるきざしがありましょう」

 成都王は盧志の献策を喜び、その策をおこなおうとした矢先に来客を受けた。

 その客は漢の劉淵りゅうえんの子で姓名を劉聰りゅうそうといい、人質として洛陽に滞在する身であった。劉聰は成都王に愛されており、その訪問は珍しいことではない。

「齊王には大王を斥ける心があると聞き及びましたため、決断が遅れては害を蒙られるおそれもあろうかと万一を思い、馳せ参じて申し上げる次第です。齊王は必ずや大王と隙を生じて国政を争うこととなりましょう。臣の父は左國城さこくじょうにあり、匈奴きょうど五部の支配を御許しいただければ大王のお役に立つはずです」

 成都王はその言を親愛の表れと感じ、上表して劉淵を左賢王さけんおうに任じ、匈奴五部の支配を許した。劉淵は大いに喜び、その臣の胡延攸こえんゆうを入朝させて謝意を述べ、かねて方物を献上して劉聰の帰国を許されるよう願った。

▼後漢に降った南匈奴は南北左右中の五部に分けられて山西各所への散居を命じられた。そのため、匈奴五部と呼ばれる。


 ※


 成都王が劉聰の帰国を決めかねているところ、にわかに報告が入った。

「齊王の命により東瀛公とうえいこう司馬騰しばとう幽州総管ゆうしゅうそうかん王浚おうしゅんが軍勢を発する支度をはじめたとのことです。出兵の目的が何であるかは分かりません」

 成都王は衆人を召して評議を開いたが、諸説紛々として方策が立たない。この時、劉聰もその場にあって事情を知り、成都王に次のように言った。

「大王の功高く威重きにより齊王が忌憚きたんの心を懐いて久しくなります。思うに、大王を謀って権を奪おうとしているのでしょう。失敗すれば、司馬騰、王浚の軍勢により大王を凌ごうという考えと観ます。そのため、二人に命を下して軍勢を整えさせているのでしょう」

「それが事実であれば、どのように処するべきであろうか」

「御心配には及びません。臣が左國城に戻って匈奴五部の軍勢を掌握し、情勢を観て大王のために出兵いたしましょう。果たして観るとおりであれば、大王の下知に従って二人を中途に食い止めます。五部の精兵があれば、司馬騰、王浚の首など日を限って大王の軍門に懸けて御覧に入れましょう」

 成都王は劉聰の画策を信じ込み、密かに劉聰、胡延攸に言った。

「ともに左國城に還って五部の兵を整えよ」

 盧志も賛同して言う。

「興奮した百人は冷静な一人に及ばず、劉聰の言は正鵠せいこくを射ておりましょう。ただし、遠くの水では近くの火を救えないとも言います。すみやかに王太妃に孝養を尽くすという理由で辞去されるのがよろしいでしょう。これで方策は万全となります」

 盧志の言葉が終わらぬうちに、長沙王の使いが駆け込んで来て言う。

「聞き及ぶところ、齊王が上奏を行い、『成都王は功に比して官職が軽く、太傅たいふの官に進めて頂きたい』と願い出たとのことです。これはすべて葛旟たちの策略により、大王から兵権を奪おうとするものです」

 それを聞いた盧志が成都王に勧める。

「愚見のとおりです。齊王が大王より奪おうとしたところで権柄を齊王に譲って鄴に還れば、何ら害を被ることはありません。他に手立てはございますまい」

 成都王は盧志に命じて上奏文を起草させ、鄴への帰還を願い出た。その文は哀切を極めて王太妃の病に侍することを願い、かねて齊王の功徳を讃えて万機を掌るように勧めていた。

 齊王は大いに喜んで次の詔を下すよう晋帝に願い出る。

「成都王に九錫きゅうしゃくを加えて故郷に錦を飾る栄をなさしめ、母太妃の病が癒えた後はふたたび入朝して国政に参与せよ」

 晋帝はそれに従い、送別の宴を開いて餞別するよう齊王に命じた。

 成都王は上表して九錫を辞退し、趙王を討った功臣への加封を願い出る。また、水運の便により黄河沿岸に集積した穀物を漕運そううんして潁陰えいいん陽翟ようてきなど戦場となった土地の飢民を救い、黄橋こうきょうで戦没した士卒を祀り、陣没した公師鎮こうしちん兪通ゆつうに追贈して子孫に恩恵があるよう、あわせて願った。

 この恩恵により遠近の士民は成都王の徳澤とくたくに感じて欽慕し、齊王さえも甚だ敬意を加えたのであった。

 これらはすべて盧志が画策した愚者をたぶらかして驕らせる術であり、栄誉を買って衆心を集める策であるとは、誰も思い至らないことであった。

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