第六十四回 諸王は趙王司馬倫と孫秀を誅す
「
その報告を聞くと、趙王は驚愕して顔色は死人のようになり、半時(一時間)ばかり無言であった。ようやく口を開いて問う。
「
「張泓と路始は軍勢とともに
趙王は嘆く。
「当初から従う旧将がつづけて討たれ、もはや幾人も残っておらぬ。大事は
趙王が嘆く最中、
「
それを聞いて孫秀も顔色を失い、趙王は涙を流して恐れに体を震わせるのみであった。その時、砲声がつづけて響いた。何事かと騒ぐうちに士卒が駆け込んで言う。
「成都王の兵が到着し、守門五城の兵馬は各々門を閉ざして厳戒を布いております」
それを聞いて趙王は孫秀と軍議を開いた。
「到着したのは成都王の軍勢だけです。精鋭を選んで野戦を挑み、すみやかに退けねばなりません。この一軍を退ければ、諸王は怖れて洛陽に近寄りますまい。さらに、各地に詔を下して勤皇の兵を召集するのです。兵さえ集まれば諸王の軍勢など容易く破れましょう。すみやかに退けて軍民を安堵させることが肝要です」
伏胤の言に趙王も同意して詔を下そうとした。そこに兵が駆け込んで言う。
「
趙王は
「孤は執政の身にあって権は人主に等しく、それ以上に求めるものなどなかった。卿らも栄達して及ぶ者はおらなんだ。それにも関わらず、何ゆえに孤を誤らせて聖上を廃し、この危難を呼び寄せたのか。旧将はみな戦没して還らず、誰が孤のために力を尽くして戦うというのか。孤は道を誤ってしまった。これほどの大軍に城を囲まれ、どうするというのだ」
「往時の過ちを悔いても及びません。為すべきことを諮って目下の危難を凌ぎ、その後に正道に立ち返られればよろしいのです。三部の司馬を遣わして民より兵を募り、城壁に上げて守らせましょう。洛陽の城壁は堅固、にわかに落城することはありません。持久して日を送れば敵は糧秣を欠いて飢餓に陥ります。そうなれば、諸王の軍勢など烏合の衆に同じ、心は離れて内より変を生じましょう。その時に謀を用いれば容易く打ち破れるはずです」
▼三部の司馬とは、
趙王の嘆きに孫秀が策を勧めるも、伏胤は呟く。
「この策はあたるまい。諸王はすでに心を合わせて大事を誓っていよう。糧秣を欠くことなどありえぬ」
孫秀がしたり顔で応じる。
「そうではない。鶏の群を飼っておれば、一日として互いに
趙王は孫秀の献策に従い、
※
諸王の兵が洛陽を囲んで一月を超え、騒然とした城中には安らぐ日もない。
叛乱を懼れた孫秀が軍士に手厚く褒賞を与えたため、倉庫の銭穀は失われて糧秣を欠くに至った。そこで、百官の家より穀物を供出させて軍士に給することとした。後日に弁償すると約して帳簿を作り、そこに
軍士たちはこの機に乗じて民家の米穀は言うに及ばず、鶏犬に至るまでを奪っていった。これより百姓の餓死する者は数え切れず、屍骸が道を塞いだ。財産を奪われた百官も深く怨み、城を抜けて齊王の軍勢に逃げ込もうと時機を窺う者ばかりとなった。
「思うに、六王の軍勢が洛陽を囲むのは、趙王と孫秀の罪を問うために過ぎぬ。城中の百官も万民もあずかり知らぬことだ。それにも関わらず、彼らと等しく困苦を受け、一日を過ごすにも一年を過ごしたように感じる。戦死や餓死する者が巷に溢れ、この城を永く保つことは難しい。ましてや、齊王をはじめとする諸王の怒りに触れれば、無事ではいられぬ。二公はどのように思っておられるか」
王催が言う。
「内に糧食を欠き、外に救援はない。失陥は
趙泉も王催に同じて言う。
「事ここに至っては、奸人とともに死する不明を避けるべく図るよりあるまい」
「満城の人々は趙王と孫秀を怨んで人心は離れているが、害を加えられぬかと畏れて従っているに過ぎぬ。一人が首唱すれば、同心しない者はあるまい。今や吾が三部は兵馬の権を握っており、
王催は趙泉につづいて策を述べ、王輿が口を開く。
「公の言は吾が意に等しい。城が破られれば、玉石を選ばず焼かれるであろう」
三人は意見が定まり、趙泉が提案する。
「事をおこなうにも衛士の心が分からぬ。吾が命を棄てて彼らの心を探ってみよう」
趙泉が
「ただ将帥のご命令に従います。一人として叛く者はおりません」
衛士たちの声が巷に響くと、趙泉はついに命を下した。
「孫秀の府に向かい、身柄を拘束しろ」
進むうちに従う者が加わり、到着する頃には数万人に上った。
※
衛士を先頭とする人々は一斉に府門に押し入り、遮る者を斬り殺して父子だけでなく一族郎党から奴僕に至るまですべて捕らえた。
趙泉は城門を開いて諸王の軍勢を迎え入れ、諸王はたちまち宮城に入って趙王と太子の
孫秀は日ごろの怨みにより
齊王、成都王の命令により、逆党の中心にいた伏胤、
▼「蔡璜」は『通俗』『後傳』ともに「蔡墳」であるが、誤りと見て改めた。
齊王は百官とともに
趙王は王号を奪われて庶人に
「王らにどうして罪があろう。孫秀、趙王が妄りに不道をなしたがゆえのことである。朕が再び天日の光を見て位に復り得たのは、諸王の大功によるものである」
晋帝は諸王を慰撫してそう言い、齊王を
成都王は
河間王は鎮所に留まっていたが、五千戸の増邑を賜わり、部将の張方は
長沙王は
※
成都王は石勒の功績を上表して官職を授けられるよう願ったものの、大臣には反対が多い。
「石勒は上党で成長して胡人の習俗に親しんでおり、その心中は知れたものではない。官職に任じて朝廷に置くのはよろしくない」
多くの大臣はそう考え、朝議は紛糾して決さない。
それでも成都王は石勒を登用したく思い、
石勒は命を受けて孫秀、司馬夸の首級を携えていき、すでに洛陽が陥落したことを示した。張泓と路始はなお投降せず、石桑は十二将を率いて山中を捜索し、営塁を見つけて攻めかかった。
二戦したところで路始は
成都王は大いに喜び、張泓を刑戮した功績として金千両(37.3kg)、采絹千疋を
石勒が上書して恩を謝すると、朝廷より勅があって上党の守備の官に任じられた。あわせて張泓が率いていた一万の軍勢と糧秣を与えられ、上党に戻るように命が下る。
石勒は喜ばなかったが、石桑がそれを
「吾らの意は晋朝にありません。
石勒は石桑の言に従い、成都王に辞して上党に還っていった。
齊王は上奏して王輿、王催、趙泉、李儀の四人が百姓の命を救った功績を賞し、それぞれを
これによりまったく時勢は一新されるに至ったことであった。
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