第六十三回 盧志と石勒は孫會を大いに敗る

 成都王せいとおう司馬穎しばえいは、盧志ろしを召して方策を諮った。

陳眕ちんしんが到着して石勒せきろくの義兵も加わり、の意は孫會そんかいと再戦すると決した。長史ちょうしには孫會を破る計略があろう。どのようにすれば大功を立てられるであろうか」

「一計がございます。ただ、諸将は先の敗戦により敵を怖れておりますから、石勒を召して協議するのがよいでしょう。石勒が先手となることをうべなえば、間違いなく成功いたします」

 石勒と石桑せきそうが参上すると、盧志が二人に問う。

「お前たち二人を一陣の大将にしようと思うが、この地は初めてであろうから、地理をよく知るまい。ついては、吾が将に石超せきちょう和演わえんという者がいる。この二人に五千の精鋭を与えてお前たちの郷導きょうどうを務めさせよう。密かに間道かんどうを抜けて孫會の軍営に向かい、防備の有無を問わず陣中に斬り込んで火を放て。吾は大軍を率いて大道より呼応する。この計略がなれば、お前たちを重く用いてやろう」

 二人はうべなって退くと士卒に下知して用意を整え、日が落ちるのを待った。

 刻限になると、石超、和演とともにばいを含んで出発する。盧志はまた牽秀けんしゅう王彦おうげん、陳眕、董洪とうこうに命じて言う。

「それぞれ一万の軍勢を率い、大路から密かに敵陣に近づき、火が起こるのを合図に一斉に斬り込め」

 さらに、趙譲ちょうじょう郭勱かくばい公師藩こうしはんを呼んで命じる。

「お前たちはそれぞれ一万の軍勢を率い、後詰ごづめになって後につづけ」

 手配りを終えると自らは成都王の御前に出て言う。

「敵陣を抜いて大功を立てたいと存じます」

「暗夜に必勝は期し難い。先発した者たちの報告を待ち、夜明けを待って軍を進めよ」

「孫會は豎子じゅしに過ぎません。奇襲を受ければとりこになることを懼れ、軍営を捨てて逃げ奔ります。大王が自ら陣頭に立って将士を督励されれば、この一戦で洛陽らくようまでの道は開け、殊勲は大王のものとなりましょう」

 盧志がそう勧めると成都王もついに従い、陳昭ちんしょう蔡剋さいこく李毅りき程牧ていぼくに命じ、軍勢と糧秣を引いて黄橋こうきょうまで軍を進めることとなった。


 ※


 成都王の軍勢を一戦に破った孫會は勝利を己の功と誇っていた。そのため、さらに進んでその軍営を討つなど思いもよらず、まして間道から敵が進み来るとは考えてはいない。ただ大路の防備を固めるように命じるだけであった。

 毎日午後になれば諸将と宴会を開いて酒を呑み、深夜までの宴会が連日のように開かれる。軍士たちもそれに倣って昼から酒を呑むまでになっていた。

 伏胤ふくいんが憂えて諫言する。

「主帥はこの重任にあたり軍勢を律して敵を破ることを思われず、兵士に放縦を許して宴会ばかり開いておられること、誠に解しがたいところです。不備の際に奇襲を受ければ、大きな害を被りましょう」

「司馬穎の軍勢は一戦して大敗を喫し、三十四里(約19km)も退いた。虎のように吾らを畏れて何事もできまい。卿の憂慮は杞憂きゆうというものである」

 伏胤の諫言を孫會は意に介さない。

「成都王の長史を務める盧志は洛中らくちゅう二十四友にじゅうしゆうに数えられ、余人に抜きん出た智謀を謳われております。張茂先ちょうもせん張華ちょうか、茂先は字)もその意見を重んじておりました。無能であるはずがございません」

「先の戦を観れば、成都王は左右に将帥を並べておったが、吾が陣より二、三人の将が出るや陣営を蹂躙じゅうりんされて将卒を喪った。智者がいても将帥に人を得ねば何事もなせぬ。吾は期するところがあってこのようにしておる。諫言は無用である」

 伏胤が口にした懸念を孫會は一笑に付した。退いた伏胤は士猗しいに言う。

「大王は孫會を将帥に任じられたが、一勝を得るや驕って忠言も耳に入らぬ。このままであれば、必ずや成都王の謀に陥って破られよう。それがしと将軍は常に国事を重んじねばならぬ。思うに、成都王は夜襲を企てるだろう。軍勢を整えて備えを増し、危難に際して敵を防がねばなるまい」

 士猗も同意し、二人は軍規を引き締めて防備を固めにかかった。


 ※


 その夜、二更にこう(午後十時)にもなって将卒の誰もが寝静まろうとしていた頃、人馬の声を聞いた士猗は急いで身を起こした。

 すぐに成都王の軍勢が到着し、砲声が挙がるや石超、和演、石勒、石桑の四隊が斬り込んでくる。伏胤と士猗は予め備えており、軍勢を率いて迎え撃った。

 それ以外の将帥は身に甲冑を帯びず馬に鞍を付ける暇もなく、ただ愕き怖れて逃げ奔る。

 成都王の軍勢は逃げる敵に勢いづき、鬨の声を挙げて追撃する。逃げる趙王の軍勢からは悲鳴と哭声こくせいが挙がるのみ、石勒に従う郭黒略かくこくりゃく支屈六しくつりく劉徴りゅうちょう趙鹿ちょうろくが放った火は勢いを得て黒煙を天に揚げ、炎が周辺十里(約5.6km)を照らし出す。

 後詰の王彦と牽秀も、燃え上がる炎を見るや軍勢を駆って斬り込んでいく。

 許超が燃え上がる陣中に踏み留まって和演を防ぐところに、大力の牽秀が斬り込んでくる。許超は和演を捨てて牽秀の前を阻み、二人は戦うこと三十余合に至るも勝敗を決さない。

 そこに一人の猛将が走り出るや、一斧で許超の乗馬の脚を斬り飛ばす。倒れる馬から投げ出された許超は、王彦、董洪により生きながら擒にされた。


 ※


 許超が落馬したのを見るや士猗は馬を返して逃げ奔る。しかし、趙譲、郭勱、公師藩の三将が行く手を阻んで逃がさない。

 士猗はただ数合戦っただけで馬頭を転じ、伏胤が率いる中軍を指して奔る。それより二十歩を行かないうちに一人の若い将が大刀を振るって前を阻んだ。その将が甲高い声を挙げて叫ぶ。

「石勒ここにあり、順逆を知らぬ賊徒めがまだ降伏せずに逃げ延びるつもりか」

 士猗は年若いと見て侮り、鎗を捻って突きかかった。前を阻む石勒も大刀を振るって迎え撃つ。その刃先は天上の花が風に舞うように自在に動き、士猗の目を奪う。鎗先の乱れを突いて一刀の下に馬より斬り落とした。

 石勒に従う張曀僕ちょういつぼくが馬から飛び降りて首級を挙げ、身を翻して馬に上がると石勒とともに中軍目指して馬腹を拍つ。

 二人は孫秀の子である孫會の首級を挙げて仇を討とうと勇み立つ。

 孫會、伏胤は許超が討たれたと見るや愕き怖れて戦意をなくし、軍営から逃れて大路に出た。そこで張衡ちょうこうと出会い、軍営の背後の間道から洛陽を指して落ち延びていった。

 趙王の軍士たちは主帥の姿を見失い、同じく洛陽に逃げ奔っていく。

 石勒は後詰の兵と合流して鬨の声を挙げ、逃げ行く軍勢を追ってさらに進む。

 その頃には成都王も到着して戦況を知り、勝勢を駆って洛陽に進むよう下知した。諸将は石勒の軍を追うように軍を進める。

 趙王の兵士たちが湶水こうすいを渡りにかかったところ、背後を石勒の軍勢に襲われた。水に落ちる者は数知れず、溺死者で水の流れが止まるほどであった。

 成都王は夜を徹して洛陽に向かい、ついにその四門を囲む。

 洛陽から伊闕いけつに使者を遣わして齊王せいおう司馬冏しばけいに報告すると、大いに喜んで諸王とともに軍営を発ち、洛陽に軍勢を進めたことであった。

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