第六十二回 成都王司馬穎は孫會と戦う

 成都王せいとおう司馬穎しばえいぎょうを発って漳河しょうかを南に渡り、黄橋こうきょうで斥候より報告を受けた。

趙王ちょうおう司馬倫しばりん)は孫會そんかいを大将として許超きょちょう士猗しいを遣わし、要害に拠って前進を阻んでおります」

「それならば、ここまで誘い出して勝負を決するのがよかろう」

 盧志ろしは防備を固め、その一方で石超せきちょう牽秀けんしゅうに命じて敵陣を攻撃するよう装わせた。それにかかった孫會が陣を出て野戦を挑む。石超、牽秀の両軍が陣形を開き、鼓が三つ鳴った後にその間から成都王が姿を現した。

 頭上には黄色のうすぎぬを張った九曲の傘蓋さんがいをさし掛けられ、両側には日月の旗幡せいはん、金爪の黄鉞こうえつ豹尾ひょうび、龍を描いたはたが並ぶ。中央の成都王は金鳳冠きんほうかんを戴いて蟒龍もうりゅう軍袍ぐんほうを纏い、五花馬ごかばに跨って手には八輪の鞭を提げている。

▼豹尾とは、儀仗ぎじょうの最後にあってその通過後に衛兵が警戒を解くことが許されると、『後漢書ごかんじょ輿服志よふくしの注に説明されている。『宋書そうしょ礼志れいしには「皮軒ひけん虎皮とらがわを以てけんつくるなり。禮記らいきに『さき士師ししあり,則ち虎皮とらがわす』とあり。乘輿じょうよの豹尾は,亦た其の義類ぎるいならんか?」との記述があり、この流れで考えると、豹皮を張った車と考えるのがよいだろう。

▼五花馬はたてがみを整えて飾った馬を意味する。

 その左右に長史ちょうしの盧志と参軍さんぐん丘統きゅうとうを筆頭とする十二人の将、石超、牽秀、陳昭ちんしょう程牧ていぼく蔡剋さいこく郭勱かくばい公師藩こうしはん公師鎮こうしちん王彦おうげん趙譲ちょうじょう董洪とうこう李毅りきが甲冑に身を固めて刀鎗を手に馬を出す。

 それに応じて趙王の軍勢から砲声が響き、軍門の旗を開いたその間から孫會が姿を現した。こちらは獬豸かいちの金冠を頭上に戴いて飛魚を縫い出したおうを着込み、その左には許超きょちょう伏胤ふくいん、右には士猗と張衡ちょうこうが並んでいる。

▼獬豸とは麒麟に似た一角獣、法の公正を象徴する神獣。

▼襖は武官が着る官服の一種、脇を縫っておらず官服より動きやすい。

「大王は何ゆえに兵を挙げて帝のいま宮闕きゅうけつを犯そうとなされるのか」

 孫會がうやうやしいしい容儀で問いかけると、成都王が応じる。

「趙王は昏暗こんあんのゆえに奸人の言に従い、諸鎮の親王を忿怒させてこの大乱を引き起こした。今、は百万の大兵と千人の良将とともに罪を問うためここに参った。すみやかに投降して無辜むこの庶人に害が及ばぬようにするがよい。この期に及んでなお頑迷にも抗うならば、罪は一族にまで及ぶであろう」

「大王は万金にも等しい身でありますれば、豪奢な殿屋でんおくに安居して栄華を楽しんでおられればよいものを、何を苦しんで甲冑をまとって戦陣に臨まれるのか。万一の蹉跌さてつに遭えば、身を保つ術さえ失われましょう。自重なさるが得策ではありますまいか」

 孫會の言葉を聞き、成都王が怒って言う。

くちばしの黄色い小賊めが敢えて妄言を吐くか。誰か馬を出してこの逆賊をとりこにせよ」

 その声に応じて居並ぶ諸将より公師鎮が刀を抜いて馬を駆る。

「成都王の驍将ぎょうしょうが勇猛であっても、兵士の隊伍は乱れておる。烏合の衆に過ぎぬ。将軍らが力を奮って一戦すれば、容易く突き崩して賊を擒にできよう」

 孫會がそう言うと、許超と士猗が馬を並べて駆け出し、許超は公師鎮と刀を交え、士猗は石超と鎗を合わせる。四将は陣頭に武勇を奮い、刀鎗は乱舞して人馬ともに勝負を争う。ただちに敵を仕留めようとする勢いに、塵沙じんさ滾々こんこんと舞い上がって天日てんじつ朦朧もうろうかすむ。それぞれ三十合を超えても勝負を決する気配もない。

「助けに出て成都王の軍勢を打ち破れ」

 孫會が密かにそう命じると、伏胤は馬を駆って敵陣に突きかかり、許超が公師鎮と悪戦する横合いから斬り込んでいく。公師鎮は刀を振るって伏胤の奇襲を防いだところに許超の鎗を腹に受け、もんどり打って馬上から転げ落ちた。


 ※


 趙王の軍勢は許超が勝ったと見るや一斉に攻めかかる。

「成都王を擒にせよ」

 口々にそう叫んで突き進む軍勢を前に、伏胤、張衡に迫られた石超は戦を捨てて逃げ奔る。大将が逃げ出しては軍勢も踏みとどまれない。成都王の軍勢は総崩れになって敗走していく。趙王の軍勢は逃げる敵を追い討ちに討つこと、十余里にも及んだ。

 成都王の軍勢では公師藩、王彦、牽秀たちが奮戦して殿軍でんぐんを務め、許超もようやく兵を収めた。成都王は一敗いっぱいまみれて勢いを失い、諸将と軍議して方策を諮る。

「趙王の軍勢は勢い猛々しく戦いを善くする。孤の軍勢は戦陣に慣れず、敵を見ては逃げ出して一戦に敗れてしまった。七、八千の兵を失ってさらに公師鎮まで戦死しては、しばらくぎょうに還って体制を整えるのがよいと思うが、卿らの意見を聞きたい」

「勝敗は兵家の常、どうしてこの一敗に敵を怖れて退くことがありましょうか。さらに、敵の軍勢を観るに、率いる将帥は数人に過ぎないことは明白です。大軍といっても指麾が行き届くはずはありません。我が軍勢は敵に三倍しており、孫會は豎子じゅしに過ぎず大将の器量を欠きます。先の一戦は僥倖ぎょうこうに過ぎません。必ずや彼は勝利に驕って軍事をないがしろにし、遠謀を忘れるでしょう。孫會が驕るのを待ち、計略に陥れるのです。軍を返して諸王との約を破り、世人にわらわれてはなりません」

 盧志が反対すると、兄の公師鎮を喪った公師藩もそれにつづく。

「兵には進む道はあっても退く道はありません。軍を引くなど許されないのです。吾が先鋒となって兄の仇に報いさせて頂きたい」

 成都王は二人の反対を聞いても猶予して決せず、軍議は三日に及んだ。


 ※


「一軍が北よりこちらに向かっております。およそ一万ほどかと思われます」

 斥候がそう報告すると成都王は盧志を召し、防備を固めさせる。誰とも知れぬ軍勢が到着すると、率いる将は馬より降りて軍門に歩み寄ってきた。

 盧志は来意を問うと、ついで陣内に引き入れて成都王に謁見させる。

「吾は上党じょうとう屯田郎とんでんろうを務めていた石莧せきかんの養子の石桑せきそうと申します。これなる石勒せきろくはその実子です。趙王と孫秀そんしゅうは無辜の者を陥れ、家兄である石崇せきすうの家を滅ぼして害は石莧にも及びました。怨みは深く、不倶戴天ふぐたいてんの仇敵です。大王が義兵を起こして民を救い、簒逆者さんぎゃくしゃを除こうとされていると聞き及び、一族郎党をかき集めて仇に報いるべく参上いたしました。吾らを軍勢に加えて頂けるならば、前駆となって仇に報いる所存です。たとえこの身が陣前に没しても忠魂は大王の御恩に感謝してやみませぬ」

 将の一人が涙を流して訴え、成都王は石勒に言う。

「孤の観るところ、お前の齢はまだ弱冠じゃっかんであろうに、意気いき軒昂けんこうのようだ。兄の石桑も大将の器量があり、居並ぶ十三人も好漢が揃っている。ただ、率いる兵は訓練を経ていない烏合の衆に過ぎぬ。前駆となるのは難しかろう」

 石桑が答える。

「ご安心下さい。吾らを一隊として用いて頂ければ、士卒を指麾して軍機を誤りません」

 成都王はそれを聞くと、軍政の官にある者に命じ、衣甲や糧秣を給して軍営の傍らに駐屯させた。

 ついで、陳眕ちんしんが糧秣とともに到着し、成都王はついに孫會との再戦に意を決したことであった。

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