第五十九回 齊王司馬冏は孫秀らを誅さんと図る

 司馬衷しばちゅうが退位を強いられた後、許昌きょしょうに鎮する齊王せいおう司馬冏しばけいの許には洛陽らくようにある与党や婚家よりそのことを急報する書状が寄せられた。

「位を退けられた後、聖上は宮中に幽閉されて趙王ちょうおう司馬倫しばりん)の臣妾しんしょうと異なるところがありません」

 そう記された書状を見るや、齊王は滂沱ぼうだと涙を流して言った。

「司馬倫、不仁の老賊めが。庶族のさらに末流でありながら、吾が武帝ぶてい司馬炎しばえん)の事業をうばうとは。これを忍ぶというのであれば、何を忍べぬことがあろうか」

 すぐさま孫洵そんじゅん董艾とうがい葛旟かつよを召して事を議する。

「聖上にどのような過ちがあったというのか。司馬倫は故なく退位を強いただけでなく、さらにその位をぬすんで吾ら親王を塵芥じんかいのように目しておる。吾が兄弟の誰もが老賊に及ばぬとでも思っておるのか」

 齊王の言葉に対し、董艾が進み出て論じる。

「趙王の悪事はすべて孫秀そんしゅうと共謀しております。吾らは先よりこの事を知り、それゆえに『彼から身を離してその悪事を見逃されるように』と申し上げたのです。今や趙王の悪事は成りました。怒られるにも及びますまい。火急に兵を募って征討の準備を整えるのです。さらに、司馬倫と孫秀の異謀を防ぐため、能言の使者を諸王に発して檄文げきぶんもたらし、順をもって逆を討つよう諸王に説かねばなりません。事がなれば、その功績は齊の桓公かんこう、晋の文公ぶんこうにも劣りますまい」

「親王は数多あまたおれども、誰と共に事を諮るべきであろうか」

 齊王が問うと、孫洵が答える。

河間かかん成都せいと東海とうかい瑯琊ろうやの諸王はみな共に諮るに足りましょう」

 趙王の罪過を責める檄文を書きあげると、諸王を糾合すべく使者が各地に遣わされる。使者はまずぎょうの城に入って成都王に檄文を奉じた。


 ※


 成都王の司馬穎しばえいは書状を読むと、即刻に長史ちょうし盧志ろし参軍さんぐんと司馬を務める和演わえん蔡剋さいこく王彦おうげん鄭琰ていえん、衛将を務める石超せきちょう牽秀けんしゅう董洪とうこう趙譲ちょうじょう程収ていしゅう李毅りき郭勱かくばい公師藩こうしはんたちを召して評議する。

▼参軍は各部局の長、司馬は軍事を総括する。衛将は護衛を率いる将帥というほどに解すればよい。

「齊王より檄文が届き、趙王が聖上を廃して天位を簒ったと難じ、これより兵を会して共に叛逆者を討つべしとの意趣である。の思うところ、趙王の行いは不道であり、理によれば罪を問うべきであろう。しかし、齊王に賛同しようにも兵は少なく、力が及ばぬ懸念がある。齊王にくみしないとしても、鄴に坐して事の成敗を傍観する理はあるまい。卿らの存念は如何か」

 盧志が言う。

「大王が義によって反逆者を討とうとなされれば、精勇の士は召さずして自ら参じましょう。官司に命じて豪傑を募る高札こうさつを掲げさせれば、応じる者は数え切れますまい。すみやかに隷下の郡縣に命じて糧秣を整えることです。義旗を掲げて諸王が会合すれば、たちどころに反逆者を平定できます。躊躇している場合ではございません」

 成都王はその言葉に従い、諸将を郡縣に遣わして兵を募り糧秣を集め、一旬いちじゅん(十日)の間に三万余の兵士を揃えた。新旧の軍勢はあわせて六万に上り、石超、牽秀たちに命じて日夜練兵し、挙兵の合図を待つこととなった。


 ※


 許昌を発って関中かんちゅうに入った使者は、河間王の司馬顒しばぎょうに檄文を奉じた。

 司馬顒も檄文を見ると長史の李含りがん、参軍の房陽ぼうよう、属将の衙博がはく驍将ぎょうしょう張方ちょうほう郅輔しつほ、牙将の張輔ちょうほ席薳せきえん刁黙ちょうもく呂朗りょろう馬瞻ばせん郭偉かくいたちを集めて評議する。

「齊王より檄文が届けられ、孤と兵を合わせて趙王を討たんとのことである。しかし、趙王はすでに位を簒って朝野はこれを畏れておる。京師の将兵は多く、糧秣も積まれて防禦は堅い。やすやすと平定できまい。さらに、趙王からも書状があり、『すみやかに洛陽に入ってともに政事に参与して欲しい。その際には皇太弟こうたいていの地位を約する』とのことである。いずれに与するべきか、にわかに決し難い。卿らの見解はどうであろうか」

 張方が進み出て言う。

「趙王が大王に朝権を分かつことを許すのであれば、軍勢を率いて洛陽に向かい、趙王を助けて齊王を退ければ、大権は大王の手に委ねられましょう。齊王に従って阿衡あこうの大任を失うようなことになってはつまりません」

「孤も本心では齊王に与したくはない。先に洛陽におった時には、孤が聖上と疎遠であるため、随分と軽んじられたものだ。さらに、『関中は要地であれば、余人に代えるにかず』と上奏して聖上がそれを聞き入れられたがゆえ、孤はまいないを配って思い止まらせた。卿が言うところに従い、趙王に与することとするか」

 長史の李含が進み出て反駁する。

「大王は誤っておられます。趙王が大王に皇太弟を許すと言うのは、叛逆をおこなうにあたって大王に餌を与え、討伐の意を削ごうとするものです。趙王は位を簒った後、長子の司馬夸しばかを太子に立てており、大王を皇太弟とするつもりはありますまい。かつ、天下の親王、臣宰しんさいの誰もが趙王の叛逆と孫秀の奸悪を憎んでおります。齊王が挙兵して罪を問うとすれば、その理は公論も認めるところでしょう。大王が論じておられるところは、畢竟ひっきょう、私事に過ぎません。公論の認めるところに私事で抗したところで、成敗は明らかです。さらに、淮南王わいなんおう司馬允しばいん)は趙王に与して莫大の功績を挙げましたが、ついに謀られて死にました。大王は何らの徳を施しておられません。趙王が軽々に信任することはありますまい。洛陽に兵を向けるおつもりがないにしても、まずは兵を出して諸王に意を同じくする態度を示し、行軍を緩やかにおこなえばよいのです。坐して諸王の成功を見て、後悔しても及びません」

 ついに河間王は李含の言葉に従い、張方を大将として呂朗、刁黙を副将に添え、馬瞻、郭偉を後詰ごづめとする三万の軍勢を洛陽に近い関中の東に駐屯させ、情勢を窺うこととした。


 ※


 湘陰しょういんに向かった使者は、長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいに謁見して檄文を奉じた。

▼湘陰は長沙を意味すると考えればよい。

 司馬乂は長史の何勗かきょく親軍しんぐん将軍の皇甫商こうほしょう王瑚おうこ宋洪そうこう王矩おうく陳眕ちんしん上官己じょうかんきたちを集めて評議し、火急に挙兵して猶予はならないと議論が定まると、長沙王もそれに同意した。すぐさま郡縣に命じて兵を募り糧秣を集め、旬日しゅんじつの間に出陣の用意を整える。

 長沙王はさらに諸王に使者を遣わして書状を送り、期を定めて軍を会し、洛陽に向かって国難を鎮めることを申し出る。齊王は大いに悦んで兵を進め、潁陰えいいんに軍営を置いて諸王の軍勢の到着を待った。

▼潁陰は潁水えいすいの南岸の意。

 新野公しんやこう司馬歆しばきんがほどなく到り、齊王は悦んで言う。

「早くも援軍が到着するとは、これは大事が成る吉兆である」

 人を遣わして新野公の軍勢を寨に入れ、相見の礼を終えると新野公が言う。

「吾が職位は軽く地は狭いものの、王の檄文により些少の人馬を集めて麾下に参じ、ともに逆賊司馬倫を討って朝廷の難を鎮め、聖上を位にかえし申し上げたいと存じます」

「賢弟の心は日月の光にも及ばぬ忠と称するに足りよう」

 齊王はそう言って労うと、さらに諸王の到着を待つ。数日の間に、東海王の司馬越しばえつ、瑯琊王の司馬睿しばえいも到着し、兵威は大いに振るった。

 拱手傍観きょうしゅぼうかんに撤していた河間王の司馬顒はこれを知って悔い、李含を呼んで協議する。

「先に長史の善言を納れずに大計を失ってしまった。聞くところ、諸鎮が軍勢を発して逆賊を討つべく会したという。長沙王もまた書状で出兵を促している。事が成った後、義旗がこちらを指して国難に赴かない罪を鳴らせば、どのように対処すべきか」

「まだ遅くはございません。急ぎ檄を発して出兵するのがよいでしょう。張方たちは先に進んでおります。関中から洛陽への道は遠く賊徒が跋扈ばっこしており、大王は城を離れるわけに参りません。それゆえ、張方たちを先発させたと言えば、禍を転じて福となせましょう」

 李含の言葉を聞いて河間王は喜び、席薳に書状を与えて命じる。

「先に発した張方は滞留して様子を窺っておる。すみやかに軍を進め、機会に遅れぬよう告げよ」

 指示を受けた張方は、齊王と合流すべく軍を進める。齊王は成都王に使者を遣わし、期日を定めて三路より一斉に洛陽に攻め向かうと宣言したことであった。

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