第六十回 諸王の兵は孫秀を討つ
「先に卿らの勧めにより朕は聖上を廃して自立に踏み切った。しかるに、朝廷は安んぜず、天位も全きを得ぬにも関わらず、諸鎮の藩王が挙兵して罪を問うという。如何すべきか」
孫秀は
「懼れるには及びません。昔日、戦国の
その言葉を聞くと、趙王は憂いを転じて喜びとなし、
また、
さらに、
▼王子喬とは、周の
「趙王は天に応じ、これにより天の
さらに偽って
※
齊王は成都王が挙兵したと知って東海王、新野公と議し、兵を洛陽に向けて進めていた。斥候が流星のように駆け戻って報じる。
「洛陽の軍勢は三路に分かれて前方を阻み、兵数は三十万と号しております。この先の軍勢は司馬雅が率い、
大将の葛旟はこれを聞いて言う。
「言葉のとおりであれば、軍勢が十万を超えることはありますまい。吾が三鎮の兵で戦えば、まだ余力がございます。出鼻を挫けば打ち破れましょう」
齊王はその献言をよしとして下知し、軍営を払って先に進むこととした。
潁水の南岸を七十里(約40km)ほど進むと、軍営を置いて陣を構え、鼓を鳴らすこと三回、軍旗の下より齊王が自ら出馬して敵陣に向かう。
※
齊王は進み出ると司馬雅を指して言う。
「趙王は大義に
対する陣営より閭和、司馬雅が馬を馳せて進み出る。
「小将らは甲冑を纏うがために朝拝の礼を欠きますが、何卒御許し下さい。大王のお言葉を聞くに、まったく道理であって臣らとてそれを知らぬわけではありません。ただ、先帝は君徳を失い、先に吾が趙王は殿下とともに大義を挙げて
▼呂氏の禍とは、前漢の劉氏が呂后とその一族に簒奪されかかったことを指す。ここでは、賈后とその一族の専権の意で使われている。
▼劉頌と束皙が趙王を
「伊尹は
「お言葉によれば大王は趙王と争って勝てるとお思いのようですが、臣の観るところ、成敗はいまだ量り難いかと存じます」
齊王はそれを聞いて怒り、諸将を顧みて言う。
「誰かある。戦に先んじてこの賊を
その言葉が終わる前に葛旟が馬を
二人は悪戦すること三十余合、それでも勝敗は定まらない。齊王は裴超の勇猛が葛旟に劣らないと観て、自ら軍旗を手に麾下の諸将に下知する。
「手を袖に入れて傍観している場合ではない。葛旟と力を合わせて賊を擒とせよ」
諸将は下知を受けて馬を馳せ、十人の上将が一斉に敵陣に斬り込んだ。さらに両翼の東海王、新野公も軍勢を率いて攻めかかる。万馬が一斉に駆け出してその勢いは山が崩れるかのよう、趙王の兵は支えきれず崩れ去り、
逃げる者たちは互いに踏みあって多くの死者を出し、屍は地に連なって流れる血が川となった。
※
趙王の軍勢は退くこと四十里(約22.4km)、陽翟源の狭隘な地形を利して要害とし、軍営を置いて馬を休める。人馬を点検してみれば、一日の戦で二万人を喪い、負傷者は一万人を超えた。
閭和が愕いて憂いを口にする。
「吾らは初陣の時より向かうところに敵なく、一月の間に
それを聞いた蔡璜が言う。
「諸王はみな帝室の嫡流、吾が主より先帝に近しい身であれば、吾が主が天位におられることを嫉み怨む気持ちも強かろう。死力を尽くしておるがゆえに強いのよ」
司馬雅が口を開く。
「諸君、古より勝利は敗北の兆し、敗北は勝利の元である。この一陣を失ったとはいえ、士気はまだ高い。逆に齊王の軍勢は今日の勝利に吾らを
閭和が賛同して言う。
「秦の
その張林は戦場に出て大敵に向かったこともなく、ただ
「齊王、東海王の軍勢は将兵ともに強く、その兵勢を阻むことは難しゅうございます。一戦にして破られ、味方はすでに軍勢の半ばを失って五十里(約28km)ほども退却を余儀なくされています。ゆえに、特に援軍をお願いに参った次第です」
趙王と孫秀は大いに愕き、人を遣わして三路の監軍を務める三子、司馬楙、司馬馥、司馬虔を呼び戻し、張泓たちを鄂坂から陽翟源に向かわせ、司馬雅と兵を合わせて齊王の軍勢を防ぐよう命じた。
※
齊王が兵馬を点検したところ、ほとんど死傷した者もない。心中大いに喜び、さらに翌日には趙王の軍勢が出戦してこないと知り得たため、陣中にて宴会を開いて諸将を労った。
「司馬倫の無道に
齊王がそう言うと、東海王が言う。
「この戦勝は
▼王兄は同じ宗室にあって
孫洵が言う。
「いささかの勝ちを得たとはいえ、喜ぶには足りません。吾の胸中には憂いあるのみです」
「長史の憂いは何によるものか」
東海王の問いに孫洵が答える。
「聞くところ、勝利は敗北の兆し、満ちた月は必ず欠けると申します。
その言葉が終わる前に斥候が報告する。
「長沙王の軍勢が到着されました」
それを聞いて齊王は大いに喜び、自ら陣営を出て迎える。長沙王の司馬乂は陣営に入り、相見の礼を終えると主席に連なって時候の挨拶を済ませる。
それより齊王が昨日の戦を語り終えると、長沙王が言った。
「孤の軍勢は鄂坂にて賊将の張泓、孫輔に先を阻まれ、決戦を挑もうと夜半に斥候を放ったところ、趙王が張泓たちを召還したと報告を受けました。理由を探ったところ、司馬雅たちが陽翟源で齊王の軍勢に破れ、その救援に向かったとのことでした。そのため、孤もその
齊王が長沙王に言う。
「王弟もこれより大いに敵と戦われるがよろしかろう」
東海王がそれを諌めて言う。
「吾らはにわかに挙兵し、軍勢の多くが新来の衆であれば、いまだ行軍にも慣れておりません。先ほど孫長史が言われたように、ここに集って以来、連日の戦や行軍を経験しておりません。王兄がここに来られたことで、ようやく緊張を解けます」
長沙王が言う。
「このような事態であれば、妄りに緊張を解いてはならぬ。孤の軍勢も新たに召募した者が多い。ただ孫長史の指教に従って大事をなすだけである」
孫洵が進み出て言う。
「臣は実に
長沙王、東海王、新野公も道理と思い、揃って言った。
「長史の高見に従いましょう。この盟主には齊王を
孫洵は抗弁して言う。
「さきほどの言は、吾が主を盟主とするための言ではございません」
長沙王は反駁する。
「そうではない。齊王は年長であり、かつこの挙兵の首唱者でもある。義において盟主となるのを辞することはできぬ。長史はその輔佐にあたって兵卒を調練して進退させて頂きたい」
ついに孫洵が
「大王が盟主に推挙された以上、すみやかに事をおこなわねばなりません。張泓は歴戦の将帥、詭計を用いる
齊王たちは孫洵の指示を受けて陣営を引き払い、三つに分かれて新たな陣営を定めた。ようよう陣営を定め終わった頃、張方が率いる河間王の軍勢が到着した。齊王は張方を迎えて慰労し、一陣の指麾を委ねて
▼先鋒都救応使は晋代の官職にない。救援にあたる遊軍と考えればよい。
※
張方は齊王の傍らに陣営を定めたが、時に狂風がにわかに吹き寄せて陣前の旗竿を倒そうとした。張方は自らその旗竿を掴んで支えると、齊王の陣営に入って言う。
「明日には賊軍が現れましょう。陣営を整えて待ちうけねばなりますまい」
傍らに控える孫徇が言う。
「いや、今夜にはこの陣営に攻め寄せて参りましょう。明日を待ってはおれません」
すぐさま将帥を招集して下知をおこなう。
「葛旟は五千の兵を率いて陣営の左に伏せ、董艾は同じくして陣営の右に伏せよ。劉眞と張午は一万の兵を率いて齊王をお守りするため、陣営の背後に伏せよ。衛毅と韓泰は八千の兵を率いて陣営前方左側の暗所に伏せよ。
孫洵が手配を終えると、諸将は指示に従って配置についた。さらに使者を遣わして左右の二陣とも密かに示し合わせる。長沙王と東海王は齊王の陣営から砲声が聞こえれば、軍勢を出して加勢することに定めた。
左右の二陣は夜を徹して大いに
※
時は遡って長沙王が齊王と会する前日の夜半、趙王の将である司馬雅、閭和、蔡璜たちは
「長沙王の軍勢は張泓により鄂坂で防ぎ止められ、成都王の軍勢は孫會、許超、士猗、伏胤たちにより黄橋に防ぎ止められ、ともに洛陽に進めずにいる。それにも関わらず、この伊闕だけは一敗地に塗れて
密かに斥候を遣わして齊王の動静を窺い、その
「張林は先に洛陽に逃げ戻り、王上(趙王)を驚かせたがために鄂坂より張泓を呼び返し、援軍としてこちらに向かわせたとのことです。今夜中には到着いたしましょう」
司馬雅はそれを聞くと大いに喜び、宴席を設けてその到着を待ち構える。しばらくすると、張泓、孫輔、李儼、徐健の軍勢が到着した。司馬雅たちは一斉に出て迎え、相見の礼を終えると宴を張って酒を数行させる。
その席で張泓が齊王の動静を問い、司馬雅が答える。
「齊王の将には葛旟を筆頭に王義、董艾などがおり、さらに東海王、瑯琊王がその助けとなっておる。吾は裴超とともに葛旟を食い止めたが、
それを聞いた張泓も言う。
「洛陽からの召還が一日遅ければ、吾は必ずや長沙王の軍勢を破っていたであろうに、兵を引いて長沙王を自由にしたことが悔やまれてならぬ。明日を待ち、一計を案じて齊王の軍勢を破るがよかろう」
その夜は揃って人馬を休めることに決したことであった。
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