第六十回 諸王の兵は孫秀を討つ

 河南かなんの官府より諸王が挙兵して攻め寄せてくるという報が洛陽に伝えられた。

 趙王ちょうおう司馬倫しばりんは大いに懼れ、孫秀そんしゅう閭和りょわを召し出して言う。

「先に卿らの勧めにより朕は聖上を廃して自立に踏み切った。しかるに、朝廷は安んぜず、天位も全きを得ぬにも関わらず、諸鎮の藩王が挙兵して罪を問うという。如何すべきか」

 孫秀はわらって言う。

「懼れるには及びません。昔日、戦国の蘇秦そしん合縦策がっしょうさくを編み出して五国の軍勢を連ね、秦を侵そうとしました。しかし、秦王は一国の軍勢を率いてこれを迎え撃ち、かえって五国の軍勢を打ち破りました。その所以ゆえんは、大軍であっても将帥が多くして将士の心が一つになっていなかったがためです。諸王が軍勢を合わせて洛陽に向かったところで、それを統べる総帥を欠いては群犬がえかかってくるのに変わりありません。その一軍を痛撃して奔らせれば、みな先を争って逃げ出すのみです。各路に兵を遣わして防ぐのがよろしいでしょう。一路が敵を破れば、残りは愕き怖れて鎮所に逃げ戻りましょう。董卓とうたくは臣下の身でありながら、それを討った十八路の諸侯は十分の一の力も揮えませんでした。ましてや陛下は大朝の天子、烏合の衆など懼れるに足りません」

 その言葉を聞くと、趙王は憂いを転じて喜びとなし、ぜん将軍の閭和、将軍の蔡璜さいこうゆう将軍の張林ちょうりん司馬雅しばがに督軍を命じた。十万の兵を率いて延壽関えんじゅかんから伊闕いけつに出て、齊王の進路を阻ませる。

 また、征虜せいりょ将軍の張泓ちょうおう中堅ちゅうけん将軍の孫輔そんほ積弩せきど将軍の李儼りげん徐健じょけんには、五万の軍勢とともに鄂坂がくはんを出て長沙王の軍勢を防がせる。

 さらに、駙馬都尉ふばとい孫會そんかいに命じて士猗しい許超きょちょう伏胤ふくいんの諸上将、張衡ちょうこう卞粋べんすいとともに八万の軍勢を率い、黄橋こうきょうを出て成都王の軍勢を防がせる。

東平王とうへいおう司馬楙しばぼう、次子の司馬馥しばふく、三子の司馬虔しばけん持節じせつに任じて三軍の監督を命じた。

 楊珍ようちん太廟たいびょうに遣わして叛乱平定を祈らせるとともに、方士ほうし胡沃こよくという者を拝して太平たいへい将軍に任じ、福佑を求めて祈祷させた。密かに近侍の者に命じて仙人の扮装をさせ、往古の仙人である王子喬おうしきょうが遺した書と偽って次のような訛言かげんを流した。

▼王子喬とは、周の霊王れいおうの子が嵩高すうこうで登仙した仙人であるとされる。前漢の劉向りゅうきょうが著した『列仙傳れつせんでん』に記事がある。

「趙王は天に応じ、これにより天の苻瑞ふずいを賜り、国祚こくそは長久となろう」

 さらに偽って苻篆ふてんを造り、朝野をたぶらかして尽力させ、苻瑞を実にしようとした。



 齊王は成都王が挙兵したと知って東海王、新野公と議し、兵を洛陽に向けて進めていた。斥候が流星のように駆け戻って報じる。

「洛陽の軍勢は三路に分かれて前方を阻み、兵数は三十万と号しております。この先の軍勢は司馬雅が率い、陽翟源ようてきげんに兵を止めて洛陽への道を塞いでおります」

 大将の葛旟はこれを聞いて言う。

「言葉のとおりであれば、軍勢が十万を超えることはありますまい。吾が三鎮の兵で戦えば、まだ余力がございます。出鼻を挫けば打ち破れましょう」

 齊王はその献言をよしとして下知し、軍営を払って先に進むこととした。

 潁水の南岸を七十里(約40km)ほど進むと、軍営を置いて陣を構え、鼓を鳴らすこと三回、軍旗の下より齊王が自ら出馬して敵陣に向かう。

 金鳳きんほうの兜を戴いて蟠龍ばんりゅうの帯を締め、赤い楯と黒いまさかり、日月の軍旗に黄蓋こうがいの傘を立てた下に紫錦しきん征袍せいほうまとって手に銀簡ぎんかんを持ち、左に葛旟、右に董艾が付き従う。配下の長史と将帥が八名、衛毅えいき韓泰かんたい郭鎮かくちん路秀ろしゅう劉眞りゅうしん王義おうぎ張午ちょうご兪通ゆつうが序列に従って居並ぶ。左右の両翼は東海王と新野公がそれぞれの僚佐を率いて先に立ち、威風堂々いふうどうどう士気軒昂しきけんこうの様を誇示している。



 齊王は進み出ると司馬雅を指して言う。

「趙王は大義にくらく道義を踏み外し、孫秀の奸言を信じて賢良を戮し、主を廃して政事を乱している。お前たちは晋室の忠良であるにも関わらず、何ゆえに逆賊を助けて国家に背くのか」

 対する陣営より閭和、司馬雅が馬を馳せて進み出る。

「小将らは甲冑を纏うがために朝拝の礼を欠きますが、何卒御許し下さい。大王のお言葉を聞くに、まったく道理であって臣らとてそれを知らぬわけではありません。ただ、先帝は君徳を失い、先に吾が趙王は殿下とともに大義を挙げて賈后かごうを廃し、呂氏りょしわざわいを平らげられました。その功徳は莫大なものです。しかし、劉頌りゅうしょう束皙そくせきの進言により趙王はその爵位を削られることとなり、ついに趙王は先帝の昏庸こんようを嫌って太上皇たいじょうこうとして永昌宮えいしょうきゅうに老後を養わせようとされました。そうなると、天位が空位となるがゆえ、趙王が摂政となって国事を預かられただけのこと、伊尹いいんのように摂政となり、先帝が悔い改めるのを待たれているのです。簒奪さんだつ弑虐しいぎゃくたぐいではございません」

▼呂氏の禍とは、前漢の劉氏が呂后とその一族に簒奪されかかったことを指す。ここでは、賈后とその一族の専権の意で使われている。

▼劉頌と束皙が趙王を貶降へんこうを上奏したというのは虚言、九錫きゅうしゃく加命かめいに反対したに過ぎない。

「伊尹は太甲たいこうが不明であるゆえにこれを桐宮とうきゅうった。『書経しょきょう』にそのことが記されている。しかし、伊尹が即位したとは聞かぬ。お前は何者であれば妄言して孤を欺こうとするのか。さらに、聖上には皇孫がおられるにも関わらず、何ゆえにこれを後嗣に立てず子の司馬夸を太子に立てたのか。お前たち逆賊の徒はすみやかに矛を返して趙王をここに召し連れ、孫秀を誅殺ちゅうさつして九族までほろぼされる禍を免れるがよい」

「お言葉によれば大王は趙王と争って勝てるとお思いのようですが、臣の観るところ、成敗はいまだ量り難いかと存じます」

 齊王はそれを聞いて怒り、諸将を顧みて言う。

「誰かある。戦に先んじてこの賊をとりこにせよ。逆賊を助ける者を許す余地はない」

 その言葉が終わる前に葛旟が馬をあおって馳せ向かい、抜刀するや陣前を抜けて斬り込んだ。趙王の陣より裴超はいちょうが迎えるように馬を出し、軍兵を退けて刀を交わす。

 二人は悪戦すること三十余合、それでも勝敗は定まらない。齊王は裴超の勇猛が葛旟に劣らないと観て、自ら軍旗を手に麾下の諸将に下知する。

「手を袖に入れて傍観している場合ではない。葛旟と力を合わせて賊を擒とせよ」

 諸将は下知を受けて馬を馳せ、十人の上将が一斉に敵陣に斬り込んだ。さらに両翼の東海王、新野公も軍勢を率いて攻めかかる。万馬が一斉に駆け出してその勢いは山が崩れるかのよう、趙王の兵は支えきれず崩れ去り、きびすを返して逃げ奔る。

 逃げる者たちは互いに踏みあって多くの死者を出し、屍は地に連なって流れる血が川となった。



 趙王の軍勢は退くこと四十里(約22.4km)、陽翟源の狭隘な地形を利して要害とし、軍営を置いて馬を休める。人馬を点検してみれば、一日の戦で二万人を喪い、負傷者は一万人を超えた。

閭和が愕いて憂いを口にする。

「吾らは初陣の時より向かうところに敵なく、一月の間に羌胡きょうこを平定したというのに、今日の戦で齊王の軍勢に敗れるとは思わなんだ。一戦でこれほど斬り破られるとは。関中の軍勢が加勢すれば、どのように対抗したものであろうか」

 それを聞いた蔡璜が言う。

「諸王はみな帝室の嫡流、吾が主より先帝に近しい身であれば、吾が主が天位におられることを嫉み怨む気持ちも強かろう。死力を尽くしておるがゆえに強いのよ」

 司馬雅が口を開く。

「諸君、古より勝利は敗北の兆し、敗北は勝利の元である。この一陣を失ったとはいえ、士気はまだ高い。逆に齊王の軍勢は今日の勝利に吾らを見縊みくびり、驕る気持ちも生じたであろう。吾らが懼れていると思い込めば、心に油断も生じよう。この期に斥候を放って成都王、長沙王の軍勢を探し、不備を襲って三路より本陣を突けば、必ずや大勝を得られよう」

 閭和が賛同して言う。

「秦の章邯しょうかん項梁こうりょうを破った策略と同じものだな。張林らとともに敵に一矢報いてやろう」

 その張林は戦場に出て大敵に向かったこともなく、ただ阿諛あゆ追従ついしょうを事として重職に就いた。それゆえ、齊王の軍勢と戦って旗色悪しと観るや、閭和たちを誑かして単騎で洛陽に逃げ戻り、趙王に報告して言う。

「齊王、東海王の軍勢は将兵ともに強く、その兵勢を阻むことは難しゅうございます。一戦にして破られ、味方はすでに軍勢の半ばを失って五十里(約28km)ほども退却を余儀なくされています。ゆえに、特に援軍をお願いに参った次第です」

 趙王と孫秀は大いに愕き、人を遣わして三路の監軍を務める三子、司馬楙、司馬馥、司馬虔を呼び戻し、張泓たちを鄂坂から陽翟源に向かわせ、司馬雅と兵を合わせて齊王の軍勢を防ぐよう命じた。



 齊王が兵馬を点検したところ、ほとんど死傷した者もない。心中大いに喜び、さらに翌日には趙王の軍勢が出戦してこないと知り得たため、陣中にて宴会を開いて諸将を労った。

「司馬倫の無道に憤懣ふんまんかたなく、義旗を挙げてみれば諸兄弟の威力により一戦にして司馬倫の肝を破った。大功の成就はすでに約束されたも同然である」

 齊王がそう言うと、東海王が言う。

「この戦勝は王兄おうけいの威福によるものです。また、孫長史の良策に従って戦えば、必ず敵を破れます。これより後もその指教に従って逆賊を平らげましょうぞ」

▼王兄は同じ宗室にあって輩行はいこう、つまり世代が上の者に呼びかける二人称。

 孫洵が言う。

「いささかの勝ちを得たとはいえ、喜ぶには足りません。吾の胸中には憂いあるのみです」

「長史の憂いは何によるものか」

 東海王の問いに孫洵が答える。

「聞くところ、勝利は敗北の兆し、満ちた月は必ず欠けると申します。項燕こうえんが勝利をたのんで秦の王翦おうせんの奇策に遭ったようなことは、枚挙に暇がありません。諸殿下の軍勢を観るところ、多くは初めて会う者であり、大半は訓練を経ておらず統率も厳格ではございません。敵が奇策を弄して劣勢に陥れば、自ら怖れを生じて助け合う心はございますまい。これは大敗の原因となり得ます。これゆえ、臣は項梁を諌めた宋義そうぎのように、戦勝に浮かれて敵に不意を突かれるのではないかとの憂いを拭いきれないのです」

 その言葉が終わる前に斥候が報告する。

「長沙王の軍勢が到着されました」

 それを聞いて齊王は大いに喜び、自ら陣営を出て迎える。長沙王の司馬乂は陣営に入り、相見の礼を終えると主席に連なって時候の挨拶を済ませる。

それより齊王が昨日の戦を語り終えると、長沙王が言った。

「孤の軍勢は鄂坂にて賊将の張泓、孫輔に先を阻まれ、決戦を挑もうと夜半に斥候を放ったところ、趙王が張泓たちを召還したと報告を受けました。理由を探ったところ、司馬雅たちが陽翟源で齊王の軍勢に破れ、その救援に向かったとのことでした。そのため、孤もそのあとを追って夜に昼を継いでここに来たわけです」

 齊王が長沙王に言う。

「王弟もこれより大いに敵と戦われるがよろしかろう」

 東海王がそれを諌めて言う。

「吾らはにわかに挙兵し、軍勢の多くが新来の衆であれば、いまだ行軍にも慣れておりません。先ほど孫長史が言われたように、ここに集って以来、連日の戦や行軍を経験しておりません。王兄がここに来られたことで、ようやく緊張を解けます」

 長沙王が言う。

「このような事態であれば、妄りに緊張を解いてはならぬ。孤の軍勢も新たに召募した者が多い。ただ孫長史の指教に従って大事をなすだけである」

 孫洵が進み出て言う。

「臣は実に知識ちしき愚鄙ぐひ、献策も許されぬ身でありますが、兵は規律を重んじます。規律があってはじめて勝利を収められるのです。三王がこの地におられ、成都王は許超のために黄橋にて防ぎ止められているとのことです。賊軍の策に嵌って一軍が劣勢に陥れば、士気を沮喪そそうすることは必定です。吾らが急ぎ進んで許超の軍勢を破れば、成都王の軍勢の士気もあがり、大功を収めるにも速やかに進められましょう。そのためにも、ここに主盟の人を立てて総帥に任じ、全軍の指麾を委ねて緩急を問わず従い、違背を許さないことが肝要です。指麾に背いた者は軍律により処断して軍功があれば賞をおこなう。このようにすれば六軍は粛然として号令も厳格におこなわれましょう。そのようであれば、敵に向かって勝てないということはございません。一人を挙げて盟主とされるのがよろしいでしょう。その決定に従わない者があれば、臣が先に成敗して違背の罪を正しましょう」

 長沙王、東海王、新野公も道理と思い、揃って言った。

「長史の高見に従いましょう。この盟主には齊王をいて余人はおりますまい」

 孫洵は抗弁して言う。

「さきほどの言は、吾が主を盟主とするための言ではございません」

 長沙王は反駁する。

「そうではない。齊王は年長であり、かつこの挙兵の首唱者でもある。義において盟主となるのを辞することはできぬ。長史はその輔佐にあたって兵卒を調練して進退させて頂きたい」

 ついに孫洵がうべなって言う。

「大王が盟主に推挙された以上、すみやかに事をおこなわねばなりません。張泓は歴戦の将帥、詭計を用いるおそれがあります。軍勢を三つの陣営に分け、齊王は中陣を率い、長沙王と新野公は左陣を率い、東海王と瑯琊王は右陣を率い、昼夜交替で当番を定めて巡検をおこない、賊兵が一陣を犯せば二陣がすみやかに救い、指麾に従わない者は斬首して号令を厳格におこなえば、賊兵は吾らに手出しできません。軍令が発された以上、すみやかにおこなって刻限に遅れてはなりません。これが用兵の基本です」

 齊王たちは孫洵の指示を受けて陣営を引き払い、三つに分かれて新たな陣営を定めた。ようよう陣営を定め終わった頃、張方が率いる河間王の軍勢が到着した。齊王は張方を迎えて慰労し、一陣の指麾を委ねて先鋒せんぽう都救応使ときゅうおうしに任じた。

▼先鋒都救応使は晋代の官職にない。救援にあたる遊軍と考えればよい。



 張方は齊王の傍らに陣営を定めたが、時に狂風がにわかに吹き寄せて陣前の旗竿を倒そうとした。張方は自らその旗竿を掴んで支えると、齊王の陣営に入って言う。

「明日には賊軍が現れましょう。陣営を整えて待ちうけねばなりますまい」

 傍らに控える孫徇が言う。

「いや、今夜にはこの陣営に攻め寄せて参りましょう。明日を待ってはおれません」

 すぐさま将帥を招集して下知をおこなう。

「葛旟は五千の兵を率いて陣営の左に伏せ、董艾は同じくして陣営の右に伏せよ。劉眞と張午は一万の兵を率いて齊王をお守りするため、陣営の背後に伏せよ。衛毅と韓泰は八千の兵を率いて陣営前方左側の暗所に伏せよ。路秀ろしゅうと王義もまた同じくして陣営前方右側の暗所に伏せよ。郭鎮と兪通は吾とともに余衆を率いて陣営幕舎の背後に伏せよ。賊軍が吾が陣営に攻め込み、もぬけからと知れば備えを覚ってすぐさま引き返そうとするであろう。その混乱に乗じて吾らが砲声を挙げる。砲声を聞けば四面の伏兵は一斉に斬り込め。必ずや大勝を博することができよう。張方将軍は軍勢を率いて不測の事態に備え、敵将に勇猛な者がいれば、すみやかに馳せつけてこれを討ち取って頂きたい」

 孫洵が手配を終えると、諸将は指示に従って配置についた。さらに使者を遣わして左右の二陣とも密かに示し合わせる。長沙王と東海王は齊王の陣営から砲声が聞こえれば、軍勢を出して加勢することに定めた。

 左右の二陣は夜を徹して大いに篝火かがりびを焚き、賊軍が攻め寄せないように備える。齊王の陣営ではすべての人馬が伏兵となり、陣内にはただ灯火だけを残していた。



 時は遡って長沙王が齊王と会する前日の夜半、趙王の将である司馬雅、閭和、蔡璜たちは潁陰えいいんの戦で一陣を破られて陽翟源に駐屯していたが、相談して言う。

「長沙王の軍勢は張泓により鄂坂で防ぎ止められ、成都王の軍勢は孫會、許超、士猗、伏胤たちにより黄橋に防ぎ止められ、ともに洛陽に進めずにいる。それにも関わらず、この伊闕だけは一敗地に塗れてわらわれるとは口惜しいことだ。齊王の陣営を脅かして先の恥だけでも雪ごうではないか」

 密かに斥候を遣わして齊王の動静を窺い、その懈怠けたいを待って奇襲しようと備えるところ、斥候が報告に現れた。

「張林は先に洛陽に逃げ戻り、王上(趙王)を驚かせたがために鄂坂より張泓を呼び返し、援軍としてこちらに向かわせたとのことです。今夜中には到着いたしましょう」

 司馬雅はそれを聞くと大いに喜び、宴席を設けてその到着を待ち構える。しばらくすると、張泓、孫輔、李儼、徐健の軍勢が到着した。司馬雅たちは一斉に出て迎え、相見の礼を終えると宴を張って酒を数行させる。

 その席で張泓が齊王の動静を問い、司馬雅が答える。

「齊王の将には葛旟を筆頭に王義、董艾などがおり、さらに東海王、瑯琊王がその助けとなっておる。吾は裴超とともに葛旟を食い止めたが、生半なまなかの敵ではない。ましてや二王の軍勢が両翼を務めて競い進めば、吾が軍勢では支えきれぬ。そのために先に一敗を喫したのだ。齊王の軍勢の力量を知り、斥候を出して様子を窺っていたものの、数日前には長沙王の軍勢も到着したと聞く。それゆえ、小計があってもいまだおこなってはおらぬ」

 それを聞いた張泓も言う。

「洛陽からの召還が一日遅ければ、吾は必ずや長沙王の軍勢を破っていたであろうに、兵を引いて長沙王を自由にしたことが悔やまれてならぬ。明日を待ち、一計を案じて齊王の軍勢を破るがよかろう」

 その夜は揃って人馬を休めることに決したことであった。

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