七章 齊王司馬冏の台頭

第五十八回 趙王司馬倫は政を秉りて位を簒う

 辛酉かのととりの歳にあたる永寧えいねい元年(三〇一年)、蜀の趙廞ちょうきん孫秀そんしゅうに激せられてついに叛乱を起こし、数郡を陥れた。さらに流賊の李特りとくと結んで晋朝に敵対する姿勢を露わにする。

 洛陽にはその旨を伝える飛報が矢継ぎ早に奏上された。

 この時、朝権はすべて趙王ちょうおう司馬倫しばりんと孫秀に握られており、朝臣たちは目を伏せて意見を言う者もない。孫秀にはもとより異志があり、蜀を救う手立てを何も講じなかった。

河内かだいの太守を務める劉頌りゅうしょうが平定を勧めたものの、趙王も孫秀と同心しており、その意見を容れない。劉頌はこれより趙王と孫秀の異心に気づいて上奏した。

「陛下が自ら万機を統べられねばなりません。天下を治めるとは器を用いるようなもの、一度傾いてしまえば、正すのは難しうございます。今の世を考えますと、政は臣下の手によっておこなわれ、法において正しいとは申せません」

 朝臣はすべて趙王への阿諛あゆ追従ついしょうを事としている。その中にあって、吏部侍郎りぶじろうに抜擢された劉頌はただ一人、趙王と孫秀の権威を畏れず心を宗室に奉げていたのである。それはつまり、この献言を用いようにも時勢が許さないことを意味していた。


 ※


 孫秀は朝廷より趙王に逆らう者がいなくなったと観て、蜀の平定を勧めなかった。

 一党の士猗しい張林ちょうりんたちとともに、まず趙王に九錫きゅうしゃくの礼を加え、その後に蜀を平定すると定めていたのである。張林は侍御史じぎょしふうして趙王に九錫を加える建議をおこなわせ、尚書省しょうしょしょうにて審議させた。その席にあって傅咸ふかん、劉頌の二人が反対の論陣を張る。

「昔、漢の天下が滅びようとした際には魏王ぎおう曹操そうそうに九錫を加えました。魏が終焉を迎えるにあたり、九錫を我が宣帝(司馬懿しばい)に加えました。これはみな一時の例外であり、慣例ではありません。漢の御世、周勃しゅうぼつが専権を振るった呂氏りょしを排斥し、霍光かくこうが宣帝を輔翼して大功を立てた際にも、九錫は加えられませんでした。どうしてこれが太平の盛典、上世の成規であり得ましょうか。公卿はよろしくこの義を精思すべきです」

 それを聞いた張林は怒って言う。

「今や趙王は賈后一党を平定して朝廷を再興した功績がおありになる。お前たちが錫命しゃくめいに反対することなど許されようか」

 そう罵ると、二人を法によって処断しようとした。それを孫秀が押し止める。

「蜀の叛乱も大臣を誅殺しようとしたことに始まる。まして劉頌と傅咸の二人は朝廷の重鎮、妄りに殺せばそしりの発端を与え、人々は恨みに思って吾らに背こう」

 張林もそれを聞いて思い止まった。しかし、余事に託して二人を地方官に任じて洛陽から逐い出してしまった。朝臣はその有様を見て懼れ、何事につけてもただ賛同するのみ、朝廷にはついに一人の忠諫を呈する者もいなくなった。

「趙王の功績は漢の周勃、陳平ちんぺいに勝り、九錫の詔があってしかるべきでございます」

 孫秀がそのように上奏すると晋帝の司馬衷しばちゅうに拒む術はなく、ついに九錫の詔命が下された。

一人の功績ではありません。孫秀もまた大功があります。その子の孫會そんかい河東公主かとうこうしゅの降嫁を御許し願います」

 勅使を迎えて趙王はそのように願い、晋帝はその願いも許すよりない。これは、孫秀が趙王に功績があり、それに報いるためであった。吉日を選んで孫會は宮城に上り、ついに公主の夫に許される駙馬都尉ふばといの位を与えられて都尉府に入った。


 ※


 趙王に与えられることとなった九錫とは、次の九つの品を言う。


天子の乗輿じょうよである太輅たいろ戎輅じゅうろ

天子の御服ぎょふくである袞冕こんべん赤舃せきせきの飾り

朝廷の台階を昇降する際に奏楽を伴う樂縣がくけん

邸宅の大門を朱漆で塗ることを許す朱戸しゅこ

朝廷の台階を自由に昇り降りすることを許す納陛のうへい

天子の護衛にあたる虎賁こほんの騎兵二百人

軍権の所在を示す斧鉞ふえつ

征伐の専断を許された証の弓矢

黒黍で醸造した香酒である秬鬯きょちょう圭瓚けいさんの祭具


これらはいずれも天子にしか許されないものであり、その使用を許すことは天子と等しい権威を認められることに他ならない。

「賈后はすでに罪を受けて陛下には皇后がおられず、不在のままにはできません」

 孫秀はそのように上奏し、その一党である尚書郎しょうしょろう羊玄ようげんの娘を皇后に冊立した。

 孫秀は生来狡猾であっても士大夫の行いを欠いた小人に過ぎず、それゆえにくみする者たちも佞人に限られ、忠良の士は朝廷から排斥されるに至る。

当然のようにその党与は時勢に迎合して権勢を求め、目指すところは私利を追うばかり、深謀遠慮をもって国政をただす者がいようはずもなかった。


 ※


 この時、許昌きょしょうに鎮守する齊王せいおう司馬冏しばけいは、趙王ちょうおうに九錫の命が下されたと聞くと、僚属の孫洵そんじゅん董艾とうがい葛旟かつよ王義おうぎたちを集めて議論した。

「趙王は宣帝の庶子の家柄、疎族そぞくであるにも関わらず、朝権を握ってついに九錫の栄誉を許されるまでになった。孤は陛下の弟でありながら、趙王のために洛陽をわれ、この許昌に置かれている。理によれば、孤こそが朝廷に入って陛下を輔弼ほひつするべきところを、趙王の勢威を畏れて許昌にやむなく逼塞させられ、不平を抱かずにはおられぬ。どのように処するべきか、それぞれの存念を述べよ」

 齊王が言うと、孫洵が進み出て答える。

「奪おうとするのであればまずはそれを与え、凌ごうとするのであればまずは相手を驕らせるのがよいと申します。趙王は生来凡庸、孫秀もその志は驕っております。みな富貴を求めるのみ、理を思う心はございません。悪事を積んで久しく、簒奪さんだつの志を隠して事をおこなっていないだけです。皇位をうばうに先立ってまずは九錫を加えたのでしょう。これは、殿下が聖上の近親であるためにこちらの様子を窺っているのです。すみやかに使者を遣わして美辞にて九錫加命きゅうしゃくかめいを奉賀されるのがよろしいでしょう。『趙王の盛徳は褒奨に値し、人民の仰ぎ望むところであれば、宗室もこれにて安泰となりましょう』とでも言われればよろしいのです。孫秀は所詮凡庸の才、狡猾ではあっても大略を知りません。殿下の奉賀に接し、もはや畏れるべき者はないと思い上がって早晩に簒奪を企てるでしょう。しかし、簒奪をおこなえば、諸親王、朝臣とて怒りを感じずにはいられません。その時こそ、殿下が遠近に檄文を発して諸王や勳人を召集し、趙王のとがを数えて問罪の師を起こすのです。そうすれば、一鼓いっこに孫秀をとりこにし、一たび旗を揮えば趙王を除けます。その暁には、大権は殿下に帰して余人の手に落ちることはございません。趙王の勢威盛んなこの時にあって彼と仇をなしてはなりません」

 齊王はその言葉に同じ、葛旟に礼物を持たせて使者に任じ、洛陽に入って趙王府に献上させた。

 趙王が書状を見れば、齊王はその威徳を褒め称えるばかり。

「朝野は心を寄せて人民は望みを趙王に懸けております。周公が成王を輔佐した故実とて、猶お及ぶところではございません。九錫の榮であってもまだその大功を顕すに十分ではありますまい」

 齊王の書状を読んだ趙王は大いに悦び、葛旟に重賞を与えて齊王府の将士に至るまで官職を進め、その歓心の篤さを示したのであった。


 ※


「孤が懼れる者はただ齊王のみ、今やその齊王もこのように孤を賛仰さんぎょうしておる。大事をおこなったとして、何も憂えることはあるまい」

 趙王が言うと、孫秀が応じる。

「齊王さえ抑えられれば、その余は慮るに足りません。大事をおこなう時機です」

 趙王と孫秀は内々に議を定め、吉日を選んで公卿百官に趙王府での宴会に出席するように命じた。一人として何のための宴会であるかを知る者はないが、趙王の召集であれば拒む者はいない。宴会に参じた者たちはいずれも内に入って謁見し、礼が終わった者は序列に従って坐を定める。

 孫秀は戎装じゅうそうした将士に下知して王府の門から内にある前庭両側の廊下に佇立ちょりつさせ、矢を弓につがえ、刀を鞘から抜き放たせた。百官はそれを見て怖れに色を失う。

 趙王は孫秀に命じて盃を執り、酒が一座を数巡した後に起ち上がって口を開いた。

「卿らに足労願ったのは他でもない、国家の大事に欠けるところがあればこそである」

 上座に居並ぶ王戎おうじゅう満奮ふんまん崔随さいずいなどの大官に言葉はなく、樂廣がくこうが問う。

「どのような大事でございましょうか。その旨を伺った後に議論したいと存じます」

「天子は万民の主である。至尊の地位にあって天下に令する人は、天下を駕御がぎょする才がなくてはならぬ。それでこそ国家の統治はまったきにおこなわれる。しかし、聖上は昏庸こんよう愚主ぐしゅ、国家の大事を荷う才を欠く。先帝は在りし日より和嶠わきょう衛瓘えいかん劉毅りゅうきたちに廃立を諮られたが、皇孫が聡明であるがゆえに沙汰止みとされた。その皇孫はすでに賈后に陥れられて身は殺され、先帝の望みは断たれた。さらに、賈后のために実母の楊太后を餓死に追いやって顧みず、子を毒殺されて何も手を打たなかった。汝南王じょなんおう司馬亮しばりょう)、衛瓘えいかんげて害されたことをはじめ、内廷を正すことさえできておらぬ。ましてや、万機を統べて百姓を治めるなどできようはずもない」

 樂廣はさらに問う。

悍妻かんさい、悪子は法において問題とはできません。また、賈后は諸人のために誤られ、令徳を損なったのは本心によるものではございますまい。さらに、今や大王の威徳により聖上の及ばぬところは補われ、自ら万機を統べられているわけではありません。そうであれば、何も問題とはなりますまい。それにも関わらず、百官を召集して議論されようとしているのは、どのようなことでありましょうか。つまびらかにお聞かせ頂きたく存じます」

「先帝の遺詔がここにある。『後日、太子の司馬衷が昏庸にして天下を治められないようであれば、卿らは別に賢明なる主を擁して社稷しゃしょくを安んぜよ。百姓を誤ることなかれ』と記されておる。孤は先帝の遺命により伊尹いいん霍光かくこうの故事をおこなって聖上を閑宮かんきゅうに安置し、有徳者を選んで至尊の位に即けようと考えておる。諸公卿はこの議をどのように考えるか」

 尚書令しょうしょれい束皙そくせき衛尉卿えいいけい荀組じゅんそ員外郎いんがいろう王堪おうかんが席より進み出て諌める。

「大王のお考えには誤りがあります。昔、太甲たいこうは不明にして典礼を怠り棄てたがゆえ、伊尹は桐宮とうきゅうって過ちを悔い改めさせました。漢の昌邑王しょうゆうおうは即位から二十七日の間に過ちを犯すこと三千條を超え、霍光は太廟たいびょうに報告して廃位をおこないました。たとえ聖上が昏懦こんだであっても、二人のような罪過を犯したわけではございません。一旦に廃立をおこなえば、諸王は内心に服さず軍勢を起こして洛陽を目指しましょう。そのような事態に立ち至れば九廟を愕かせて禍は百官に及び、上は宮城を震わせて下は百姓を損ないます。国家の不利益となりましょう。そのことを精思して頂きとう存じます」

 趙王は諫言を聞くと怒りの色を表して言う。

「お前たちは聖上に過ちがないと思っているのか。母をしいし子を殺し、叔父を滅ぼし弟を誅し、功臣を族滅した。これ以上の罪過があるものか。そのうえ、天下は吾が司馬氏の天下である。お前たち無駄飯喰らいの庸臣ようしんどもは、上は君をただし国を救う能なく、下は乱を定め民を安んじる義を欠いておろう。先に孤が賈午かご賈謐かひつ郭彰かくしょうらを誅殺しなければ、賈氏は呂氏と同じく国家に禍をもたらしたであろう。それにも関わらず、お前たちはいささかの忠節を表すこともなく、徒に爵禄を貪ってへつらいおもねるのみではなかったか」

 趙王が怒気に任せてそうなじると、王の将兵は目を配って白刃を抜き放ち、下知がかかれば三人に斬りかかりそうな様子である。百官は閉口して一言を発する者もない。

「臣子として君父の過ちを指弾することはできません。大王の裁定に一任いたします」

 ようやくそのように言うと、後ずさってそれぞれに散じ、眉をひそめて帰途に就いた。


 ※


 翌日、趙王は張泓ちょうおう許超きょちょう士猗しいに命じて軍勢を朝廷の各門に列ね、孫秀は張林ちょうりん張衡ちょうこうの二人に命じて殿上にも兵士を並ばせる。自らは甲兵三百人を率いて剣を帯びたまま宮に入った。晋帝に請うて詔を下し、文武百官を朝廷に召集する。

「一人でも参集しない者があれば、斬首する」

 号令は峻厳を極め、百官は一人残らず序列のとおり朝堂に立ち並んだ。その班列を前にした趙王は、剣を按じて群臣に宣言する。

「司馬衷は昏愚にして大位に堪えず、孤はまさに先帝の遺旨を奉じて太廟に報告し、太上皇たいじょうこうとして養老宮ようろうきゅうに移すこととする」

 晋帝の不徳を数える詔を「効天冊詔こうてんさつしょう」と称して孫秀が声高に読み上げると、侍衛の将軍である許超と士猗が晋帝を抱えて殿上より下ろし、天子の証の璽綬じじゅ袞冕こんべんを奪い取る。その後は臣下とともに北面して立たされた。

 司馬衷は滂沱ぼうだと涙を流し、群臣もその様子を見て悲傷の心を感じずにはいられない。

 趙王は左右の武士に命じて司馬衷を輦輿れんよに乗せ、皇后羊氏とともに西宮に移した。その西宮は腹心の張衡が率いる兵により厳重に監視されている。

 司馬衷を乗せた輦輿が動き出した時、尚書しょうしょ和郁わいく瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい侍郎じろう陸機りくきだけが大哭だいこくしながら輦輿に随って西宮まで送り出し、三人を除く百官はただ見送るのみ、今日まで皇帝位にあったとは思えぬ哀れな有様であった。

「大位は一日も空位であってはならぬ。公卿は有徳者を挙げて天位を継ぐ者を定めよ」

 孫秀が宣言すると、黄門侍郎こうもんじろうを務める老臣の傅祇ふぎが進み出て問う。

「天下は一日として君主を欠くわけには参りません。大王は昏庸の君を易えようと思し召されたとあれば、予め睿明えいめいの君を思い定めておられましょう。どうしてこの期に及んで議論などを要しましょうや」

「これは国家の大事であり、予め定めることなど許されようか」

 孫秀の答えを聞くと、傅祇は嘆いて言った。

「何事であっても為さんと思ったことを為されればよろしかろう。為さんとして口実を求めるなど、聖人には偽りの言はないものです」

 言い終わると、傅祇は後ろを顧みることもなくその場を去っていった。

 孫秀が重ねて群臣に問う。孫秀の内心は誰にも見え透いており、口を揃えて言う。

「趙王は皇室の近親、徳は高く人望は重く、誰もがその決定に服しましょう。群臣が議論するのは僭越というもの、天下が安んじるようにお取り計らい下さい」

 群臣の言葉を聞くと、趙王の与党である張林、殷渾いんこんが進み出て言う。

「徳望の高下を論じるのであれば、諸王ありとはいえ、大王に勝る者はおりません」

 その言葉にも群臣は誰一人として応じない。孫秀が進み出て言う。

「諸公、大臣が決断しないのであれば、吾が定めるより他にあるまい。それでは、天位を継ぐ者を定めるまでは趙王を摂政の任に充て、議論が定まるのを待つこととする」

 すぐさま張林と卞粋べんすいの二人が趙王をたすけて殿上に上らせようとする。

「孤は皇叔であり、今や九錫をも受けて富貴は満たされておる。お前たちは孤の位をさらに進めて陥れようとするのか」

 趙王が叱りつけると、孫秀は勧めて言う。

「天下は令主を欠き、長らくつづけば変事を生じないとも限りません。大王が仮に摂政の位に就かれれば朝野は安心いたしましょう。その後、衆議の定まるのを待って身を処されればよろしいのです。その時に謙退されたとしても遅くはございません」

 それでも趙王は再三に辞退し、与党の者たちは重ねて勧め、ついに趙王は摂政の位に就いた。群臣は孫秀に害されることを怖れて拝賀する。

 百官にはそれぞれ秩禄が加えられ、楊珍ようちん李儼りげんの二人は永昌宮えいしょうきゅう侍御じぎょを命じられて司馬衷の俸禄をつかさどることとなり、趙王の召集がなければ入朝を許されないと定められた。また、孫秀は太宰たいさいとなって百揆ひゃっきを総べ、録尚書事ろくしょうしょじの任を委ねられた。孫秀はこれより与奪を思いのままにおこない、百官の黜陟ちゅっちょくを水が流れるように進めていく。


 ※


 この頃から災異が現れはじめ、河水が干上がって舟船が通じず、天体の運行は乱れて彗星が天を掃き、千里に被害が及ぶ蝗害こうがいまで湧き起こった。

「天下の混乱はこれより始まるでしょう」

 太史令たいしれい夏政かせいという者は、束皙にそう語って溜息を吐いた。

 ある時、一羽の雄雉おすきじが飛来して朝門の内に入り、太極殿たいきょくでん東陛とうへいより正殿に上がった。侍衛の兵が捕らえようとすると、正殿の西にある鐘楼しょうろうの下に逃れた。その場に行くと、すでに影も形もない。

 その数日後、正殿で怪しい鳥が捕らえられた。趙王が群臣にその名を問うたが、一人として知る者がない。しばらく捕らえておいたがついに名が分からない。ある日、宮の西から忽然と白衣の幼童が現れ、その鳥の前に立って言った。

「この鳥の名は服劉鳥ふくりゅうちょうと言う」

 趙王はこの幼童がどこから来たのかを調べさせたが、誰も分からなかった。しばらく幼童と鳥を密室に入れて出入りを禁じる。翌朝になって部屋を見ると、幼童も鳥も姿がない。内側に逃げ出す穴もなく、不思議なこともあるものだとみな眉を顰めたことであった。

 後より考えてみれば、服劉、つまり劉に服するとは、晋がついに劉淵りゅうえんに征服される前兆であったのであろう。今の書に鵩鶹鳥ふくりゅうちょうという名目が記載されているのは、このことより始まったことであった。

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