第五十七回 陳恂は趙廞のために殺さる

 陳摠ちんそうの敗卒たちは、少城しょうじょうに逃げ込んで仔細を陳恂ちんじゅんに報告した。陳恂は狄道てきどうの出身、もとより智謀があり敗報に接し、先を見越して考えた。

趙廞ちょうきんは勝勢に乗じてこの少城に攻め寄せるだろう」

 すぐさま近隣の百姓に触れを出し、村落の資財食糧を城に運び込ませる。また、礫石れきせきを城壁の上に一丈(約3.11m)も積み上げ、城壁のほころびを繕わせる。その上で壮丁そうていを城壁上に立たせてつぶてを投げる用意をさせ、軍勢を部署して城門の守備に充てる。さらに急使を発して義勇兵を募り、梓橦しどう太守の辛冉しんぜんに救援を求めた。

 ここまでの手配りを終え、陳恂は攻め寄せる敵の到来を待った。



 趙廞は成都せいとにあって勝敗の行方を不安に思い、使いを出して消息を探らせた。その入れ替わりに早馬が到り、大勝を博して陳摠と趙模ちょうぼを斬った旨を報告する。

「この老練の曲者くせものさえ除けば、蜀に畏れる者はおらぬ」

 そういって大いに悦び、城外五里(約2.8km)まで凱旋の軍を迎えた。姜氏きょうし兄弟とくつわを並べて成都に帰り、酒宴を開いて慶賀する。

 その席にて軍議を開いて言う。

「諸公の助けにより、幸いに陳摠と趙模を除き、目前の禍を免れることができた。ただ、吾が勅命に違背したと近隣に知れ渡れば、必然として討伐の軍勢がここに送られるであろう。成都の糧秣は限られて士馬も少なく、戦って守り抜くことは難しい。どのように進退すればよいか、各々の高見を伺いたい」

「初めの問題を片付けねば、次の問題には取りかかれません。陳摠を斬って兵威は奮い、官軍も肝を奪われたことでしょう。この破竹の勢に乗じねばなりません。すぐさま兵を進めて陳恂をとりこにし、少城を奪うのです。それにより、一には耿縢こうとうの残党を殲滅せんめつし、二には一郡の糧食を手に入れ、三には西蜀の咽喉いんこうにあたる要害を手中に収められます。つまり蜀に覇を唱えられるのです」

▼著者の酉陽野史ゆうようやしが成都の西城である少城を成都とは別の郡であると捉えていることは前述のとおり。

 姜發きょうはつがそう進言すると、趙廞はそれに同じて即座に兵を起こした。


 ※


 趙廞の軍勢は怒濤の勢で少城に押し寄せ、西面から取り囲んで休む間もなく攻め立てる。

 陳恂は昼夜を分かたず防禦に尽くし、劣勢となれば救いに入り、攻め手の兵士たちは城壁からの礫や材木に苦しんで死者は数え切れぬほどであった。

同心戮力どうしんりくりょくして大事をなさんとし、一万もの兵を揃えてこの少城を攻めているにも関わらず、十日が過ぎてもまだ陥落させられぬ。士卒の死者を増やすばかりではないか。このような有様で、どうして志を遂げることができようか」

「近いうちにこの城を陥落させられましょう。これまでの戦いでは、敵方は城壁の上からの礫により傷を負う者が多く出ており、兵をあまり近づけず礫を誘って投げ尽くさせようとしてきたのです。しかし、まだ城上の礫が尽きておりません」

「一城の礫を投げ尽くさせることなどできるものか」

「ご心配には及びません。このような城は容易く抜いて御覧に入れましょう」

 諸将と趙廞の間でこのような遣り取りがあった翌日、諸将は兵卒を集めて訓令した。

「このような小城を攻めあぐねるとは勇士の恥だ。すみやかに攻め破ってしまえ」

 城の四門に軍勢が取り付き、一斉に攻めかかる。

 城内の陳恂も軍士を配置すると自ら城壁に上がって下知し、百方を尽くして攻めを防ぐ。攻め手は辰から申の刻(午前八時から午後四時)にかけて休む間もなく攻め立てたものの、城上より射下ろす矢には敵しがたく、多くの死傷者を出して一門さえ破れずに兵を引いた。

 城壁の下には軍士の屍が無数に倒れ伏したまま捨て置かれている。



 思わぬ苦戦に趙廞は諸将をなじったものの、誰一人としてその心を安心させられない。思い余った諸将は姜發の許を訪れて願い出る。

「吾らは死をも顧みず陣頭に進み、かの城を落とそうと尽くしておりますが、陳功曹ちんこうそう(陳恂、功曹は官名)は巧みに防いで攻め入るを許さず、いまだ尺寸しゃくすんの功も立てられておりません。趙公はそれを責めて吾らの罪を問おうとされています。人の身であれば飛んで城壁を越えるわけにも参りません。力攻めでは城を落とせず落ちるのは軍士の命ばかり、口添え頂いて数日の猶予を賜り、また、方策を伝授して城を取らせて頂きたい」

「兵法では『十倍の兵力で城を囲んで一旬いちじゅんで陥落させられない場合は将軍の責である』と言います。趙公はこのことにより責めておられるのでしょう。みなさんはしばらく兵を引いてお待ち下さい。城を落とせるよう、下拵したごしらえをいたしましょう」

 その言葉を聞き、諸将は拝謝して辞し去った。


 ※


 姜發はすぐさま軍営の幕舎に出向くと趙廞に相対して言う。

「聞くところ、明公は少城を攻め落とせないことで諸将の罪を問おうとされているとか。愚見によりますと、樂毅がくきは戦国の高士、濟西さいせいの地に齊兵と一戦して半月の間にその城七十を抜きました。しかし、即墨そくぼくきょを包囲して三年もの間これを抜けませんでした。それは、城内に田単でんたんがあって謀を為したがゆえであり、樂毅が濟西では勝れて即墨では劣ったわけではございません。城を攻めあぐねる理由も等しく、陳恂の防戦の宜しきにあり、諸将の怠慢や無能にはありません。さらに、城攻めには十倍の兵を要すると兵法に言いますところ、軍勢は陳恂に七倍するに止まります。落城を早めようと攻め立てても士卒を損なうばかり、用兵として勝れたものであるとは申し上げかねます」

「長引けば、堅城を前に救援の軍勢に背後を襲われかねぬ。それでは万事休すではないか」

「計略によりこの城を落としたく存じます。しばらく吾に一任下さい」

 方策を案じつつ幕舎を出ると、陳恂の使者が哨戒の兵に捕らえられ、連行されてきた。その者は梓橦太守の辛冉に救援の兵を求める書状を携えていたという。

 姜發は幕舎に引き返した。

「一計を得ました。城攻めの成敗はこの一挙によって定まるでしょう」

 そう言うと、趙廞に耳打ちして計略を告げる。

 大いに悦んだ趙廞はすぐさま三軍に下知して城を囲ませ、姜發の計略に従って姜飛きょうひ杜清とせい費遠ひえん常俊じょうしゅんの四将に五千の兵をあたえ、旌旗せいきを隠して出発させた。杜淑としゅく阮邙げんぼう衛玉えいぎょく張燦ちょうさんの四将は城の四門を囲んで攻めかかり、趙瑛ちょうえい許弇きょえんは遊軍となって劣勢の軍勢を支えに奔り、軍容を盛んに張った。

 城中の百姓たちは、攻め手の軍容を見て大いに畏れ、陳恂は動揺を抑えるべく城内を回って勉励した。

「ただ力を尽くしてこの城を守ればよい。今日明日には辛冉の救援が賊兵を追い払う」

 百姓はその言葉を聞いて落ち着きを取り戻し、防戦に勉めて辰の刻(午前八時)から未の刻(午後四時)までの間、攻め手の軍士は多くの死傷者を出した。

「今日はしばらく攻撃を止め、兵を引いて軍営に戻れ。明日は吾が自らこの城を抜く」

 戦場を一巡した趙廞は城内に聞こえるように下知し、軍勢を引き上げていった。陳恂はそれを聞くと、自らも城内を巡回して城墻じょうしょうの崩れた箇所の確認をはじめる。


 ※


 その時、東の方角より一騎の早馬が城を指して駆けてきた。馬上の兵は血を浴びたかのように満身を朱に染めている。

「吾は梓橦からの使者である。命を救って城に入れよ」

 そう叫ぶ声を聞くと、城壁上の兵士たちは大縄を下してこの使者を引き上げる。

 陳恂が使者に仔細を問えば、兵士は懐中より一封の書状を呈する。開いてみれば、辛冉の筆跡のようにも見えるがその大半は血に汚れていた。

「功曹(陳恂)の檄文を受けて軍勢を整え兵糧を集めて出陣しようとしたところ、郡内の事件により遅延してしまいました。すでに道に上ったものの、趙廞の老賊が途上に陣を構えて進軍を阻み、幸いにその一将を斬ったとはいえ、賊の士気はまだ衰えていません。合戦を繰り返しているものの、一時にこの軍を破ることは難しいと観ております。もし幸いにも明日早くにこの軍勢を退ければ、辰の刻(午前八時)か巳の刻(午前十時)には城下に到着できましょう。この賊を破れなければ、巳の刻を過ぎても城下に姿を見せられますまい。その場合、功曹は軍勢を率いて城から突出し、賊軍の背後を衝いて挟撃して頂きたい。賊軍を破ってしまえば、そのまま梓橦に入って漢水かんすい沿岸からの援軍の到着を待ち、軍を合わせた後に逆賊を平定するのがよいでしょう」

 この書状を受けて陳恂は軍士たちと協議した。

「辛太守が軍勢を率いて救援に参られたことは、吾らにとって死中に活を得るようなものです。賊兵に阻まれて戦っておられるとあれば、にわかに城下に到ることは困難です。吾らが城内より打って出れば、賊兵を破って合流することもできましょう」

 籠城に疲れた軍士たちはそう勧めて陳恂も従い、軍勢を整えると輜重とともに城を出る準備を進めた。


 ※


 翌日、辰の刻(午前八時)になっても、趙廞の軍勢は城下を囲まなかった。しばらくすると、東の空に征塵せいじん滾々こんこんと湧き上がる。

 何事かと城壁上から眺め遣れば、たちまちのうちに数騎が城下に現れて叫んだ。

「辛太守は賊を破って軍勢を進められましたが、ここまで到って再び前を遮られております。まさに賊と交戦しており、速やかに兵を出して背後より賊を攻撃して下さい。必ずや大勝を得られましょう」

 報告を聞いた陳恂が急ぎ城壁に上がると、梓橦につづく路上に塵埃じんあいが揚がり、砲声が途切れなく鳴り響いてくる。それを認めると、陳恂は城壁を降りて軍勢を率い、東門を開いて救援に向かった。

 数里ほど進んだところで再度砲声が上がると、それに応じて四方より伏兵が起こった。前後を囲む伏兵のうちから姜飛が飛び出して叫ぶ。

「陳功曹、すみやかに馬を下りて投降し、蜀漢を奉じる軍勢に協力して刑戮を免れよ。吾らは漢のために蜀の恢復を志しており、投降する者を厚く遇する用意がある」

 それを聞いた陳恂は大いに怒り、三軍に号令して混戦に持ち込むと囲みを破って衝き抜けた。

「先の戦では一戦して陳摠と趙模を擒にした。陳恂を逃がしては軍令違反となる。すみやかに捕らえて禍を断て。吾が命令に背いた者は厳罰に処する」

 姜發がそう下知したため、諸将は勇んで陳恂に攻めかかる。そこに、辛冉の旌旗を押し立てた一軍が近づいてくる。陳恂はその旌旗を見て声の限りに呼びかける。

「辛公、はやくこの賊を退けて吾らを救って下され」

 よくよく見ればその旌旗せいきは辛冉のそれではなく、常俊と費遠の偽装であった。

「陳功曹、辛公の顔を見知っておらぬのか。すみやかに下馬して縛につけ」

 常俊が進み出て言い放つ。それを聞いた陳恂のこんは飛びはくは散じ、心胆ともに失ってようやく常俊に突きかかる。常俊は斧を振るって相対し、費遠も鎗を捻って攻めかかる。

 三匹の馬が一団となって戦ううちに、陳恂はその身に二つの傷を負い、それでも臆さず戦いつづける。さらに許弇、阮邙の二将がその背後より斬りかかった。陳恂はそれを見ると囲みを突いて奔り出し、四将は必死の勢でそのあとに追いすがる。

 その横合いから姜飛が馬を駆って攻めかかった。

「ここを生き延びることはできまい。最早これまでだ」

 陳恂は天を仰いでそう嘆息すると、馬を返して敵軍に斬り込み、力戦の果てに討ち取られて勇将としての一生を終えた。

 姜飛はその首級を挙げると少城に向かい、百姓たちは門を開いて軍勢を迎え入れる。趙廞はみずから城内に入って安撫した後、常俊に五千の兵を添えて留守りゅうしゅに任じ、軍勢を率いて成都に帰っていった。

 成都では諸将を封じてその官職を進め、姜發を廣漢こうかん太守に、姜飛を西夷校尉せいいこういに任じようとした。二人はそれを辞して次のように言う。

「お約束頂いたとおり、劉氏の末裔を求めて擁立し、民の望を収められますよう」

 それを聞いた趙廞は、言を左右してうけがわない。二人は憤って趙廞を助けたことを後悔した。姜發は次のように詩を賦して歎じている。


  数年 あとを隠して青城せいじょうかく

  を被りはりを呑み誤りて身をいた

  張良ちょうりょう と韓のあだの為に

  何事ぞ奸人は誓心せいしんくらくす

   多年にわたり青城山に隠棲するも

   餌に釣られ釣針を呑んで身を誤ってしまった

   張良は韓の仇討ちのために出仕したが、

   何たることか奸人は約束を破って顧みぬ


姜發はこのままでは済ますまいと、誰もが囁きあったことであった。

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