第五十六回 姜氏の兄弟は陳摠と趙模を斬る

 姜發きょうはつ張燦ちょうさんから陳摠ちんそうが籠る山上の様子を聞くと、一つ頷いて言う。

「吾の調べたところ、山上には水がなく兵糧もまた限られている。今夜囲みを破って逃げ延びるつもりであろう。険隘の地勢を欠けば、陳摠を再びとりことするのは難しい。諸君は各々注意して、陳摠を囲みから逃さぬように。ただ険要に拠って通過を許さず、勝敗を決しようとするな。姜飛きょうひは一千の兵を率いて遊軍となり、破られそうな陣を見つければ、加勢して敵に戦いを挑み、逃げるを許すな。一日が過ぎれば、陳摠の力は尽き果て、擒とできよう」

 言うと、費遠ひえん常俊じょうしゅんには東南の路に備えさせ、張燦と衛玉えいぎょくを西北の路に差し向けた。

「ここは西の路をやくしており、吾と杜淑としゅくが守る。西南の谷口は樹木を倒して路を塞いだ上で厳戒を敷いており、多勢を送る必要はない。趙瑛ちょうえいが五百の弓箭手きゅうせんしゅを率いて防備に就け。許弇きょえんは一千の兵を率い、谷口付近を往来して救援にあたれ。決して指示に背かぬようにせよ」

 つづけて下知すると、全員が肯って持ち場に向かって走り去る。

 姜飛は山麓に留まって陳摠の軍勢を待ち、まさに五更ごこう(午前四時)になって白々と夜が明けようとする頃合、陳摠が軍勢の先頭に立って駆け下ってきた。

 姜飛は大いに鬨の声を挙げてその前を阻み、陳摠は刀を抜いて斬りかかる。二人は刀鎗を交わして武勇を奮い、三十合を超えようとする頃に趙模ちょうぼが後軍を率いて駆け付けた。陳摠と兵を合わせて陣を衝き、西南の谷口を目指して走り去る。

 姜飛は敢えてあとを追わず、人を遣わして許弇に趙瑛の救援を促した。



 陳摠が谷口に着くと、大木が倒れて道を塞ぎ、その先に進める様子ではない。思案していると砲声が鳴り響いて矢が雨のように降り注ぐ。趙瑛が率いる五百の弓箭手によるものであった。

「ここに配置された兵は少ないようです。大木で道を塞いで油断したのでしょう。これらの木を除けば逃げられます。矢が尽きる時を見計らい、急攻きゅうこういたしましょう」

 趙模が言うと陳摠はそれに同じ、自ら矢を冒して先頭に立つ。

 そこに許弇の軍勢が現れ、趙瑛を助けて斬りかかる。陳摠は新手が来たと見るや、刀を振るって迎え撃つ。許弇はそれを支えきれず、兵を返して逃げ出した。

 そこへ姜飛が馬を駆って斬り込み、先に向かおうとする趙模の前を塞ぐ。

「これほどの厳戒ではここからの脱出は難しい」

 陳摠はついに西南の谷口からの脱出を諦め、東南の隘口を目指して軍を返した。


 ※


 まさに隘口を抜けようとした時、砲声が鳴り響いて費遠の率いる一軍が斬りかかる。陳摠は大いに怒って霜を吹いたが如き白刃を振りかざし、攻め寄せる兵士を斬り散らす。

 費遠は陳摠に追いすがり、隘口からの脱出を許さない。

 陳摠が全軍に命じて一斉に突き進めば、常俊もその前に軍勢を出して進ませない。怒り狂った陳摠は咆哮ほうこうして目前の軍勢を蹴散らし、その勢いは止められそうもない。

 ついに費遠の包囲を抜け出すとすぐさま常俊が前を塞ぎ、さらに駆けつけた許弇も合力して前進を阻む。費遠、常俊、許弇の決死の抵抗を受け、陳摠は西に軍を返そうとした。

「吾らは西より来たにも関わらず、また西に帰っては益がありません。北に向かって少城しょうじょうに出るのが上策です」

 趙模はそう言って諌めたが、陳摠は聞き入れず西を指して二里(約1.1km)ほど進んだところ、杜淑率いる一軍が駆けつけて前を塞いだ。

 兵士たちは大いに愕いたが、陳摠は物ともせずに迎え撃つ。

 姜發は陣営より虚勢を張って杜淑を援護し、その鬨の声が地を揺るがし砲声は天を震わせる。陳摠はこの囲みも破り得ず、歯噛みしながら北を指して逃げ奔る。



 時刻はすで未(午後二時)を過ぎ、人馬ともに疲弊しつつあった。ようやく西北の隘口に到着すると、張燦と衛玉の伏兵が起ち、隘口の先を塞いで進ませない。

 陳摠が西北に奔ったのを見届けると、姜發は杜淑を呼んで指示する。

「陳摠はまだ疲弊しておらず、手強いことに変わりない。お前は軍勢を率いて少城に到る途上に備え、陳摠を少城に入れるな」

 杜淑は命を受けて走り去っていく。さらに、姜飛を呼んで指示をする。

「北に向かった陳摠は怒り狂っている。張燦、衛玉の二将では敵し得まい。お前は彼らを助けて陳摠を食い止めよ。吾もまた軍勢を率いてそちらに向かう。それで陳摠を擒にできよう。すみやかに行って陳摠を取り逃がすな」

 姜飛は馬腹を蹴って北に向かった。


 ※


 西北の谷口では陳摠と張燦が鋭鋒を競い、衛玉と趙模がそれを助けて戦っていた。

 張燦と衛玉は破られまいと前を塞ぐが、陳摠と趙模はついに囲みを破って切り抜ける。三、四里(1.5~2.2km)も奔ったところ、背後から砲声が聞こえ、熊虎ゆうこのような勇将が馬を馳せて追いすがってきた。陳摠はそれを見ると、刀を横たえて馬を止める。

 姜飛が声高に叫んだ。

校尉こうい(陳摠、校尉は官名)は老成の宿将にして深く利害を知り、よく時勢を計る人と思っていたが、この期に及んで計窮まり力屈するを知るも降伏せず、生きながら擒となって虚しく威名を損なおうとされるのか。今や前後はみな吾が兵に囲まれている。翼があったとてこの羅網らもうは逃れようがあるまい」

小童こわっぱが妄言を吐く。吾はかつて蜀を平らげ呉を滅ぼし、きょうを収めてりょうを定め、数多の軍功を立てて手ずから敵の上将を斬り殺したこと数え切れぬ。お前は何者であればこの無礼をなすか。吾が刀を受けて叛乱の罪に伏するがよい」

 陳摠がそう言うと、姜飛は鎗を引っ提げ突きかかる。陳摠も刀を振るって迎え撃ち、二人は武勇を奮って威力を尽くし、三十合を超えても勝敗を決しない。

 姜飛が叫ぶ。

「この老いぼれめ、お前が飢え疲れて苦しんでいるのはお見通しだ。馬より降りて降伏せねば、命まで喪うぞ」

「小童めが、いまだ生死の境も知らずに妄言するか。吾は白頭翁はくとうおうであっても、お前のような鼠賊そぞくを斬るのは猪狗ちょくほふるより易きことよ」

「すでに魂が体から離れているというのに、自らの勇を誇るか。吾と百合まで戦えるものなら戦ってみるがいい」

「小童が吾に敵うとでも思ったか。三百合であってもお前など物の数にも入らぬ」

 二人は罵りあいながらもさらに三十合を超えて戦い、互いに一歩も譲らない。

 その時、にわかに砲声が響き鬨の声が挙がり、張燦、許弇、衛玉の三将が三路より駆けつけてきた。陳摠もこの劣勢では勝ちを拾いがたく、先頭に立って刀を振るい、一條の血路を拓いて落ち延びていく。趙模もそれに従って逃げ奔り、姜飛たちは逃がすまいと追いかける。


 ※


 背後の鬨の声が遠ざかると、陳摠は悦んで言う。

「幸いに山路を逃れた。ここまで来れば賊兵が来たとて怖れるに足りぬ」

 その言葉が終わる前に、砲声が響いて伏兵が一斉に起ち上がる。姜發が先に伏せておいた常俊、費遠、杜淑の三将であった。

「賊どもめ、どこまで吾を虚仮こけにするつもりか、決して許さんぞ」

 陳摠はそう叫んで斬りかかったものの、十合もせぬうちに背後より姜飛たちが追いついてくる。さすがの陳摠も怖れをなし、馬頭を返して逃げ奔る。

 姜飛、張燦は軍勢を率いて追いすがり、陳摠は怒って趙模に言う。

「吾は若年から三国の平定に至るまで敗れなかったにも関わらず、このような事態に陥ったのは痛恨の極み、お前は吾を援護せよ。この小賊をちゅうして恥を雪がねばならぬ」

 すぐさま馬頭を返して姜飛たちに斬り込んだが、五合ほどで姜飛の鎗を左肋ひだりあばらに受け、さすがの勇将も鞍から馬下に突き落とされる。趙模が斬り込んで救い出そうとするも、姜飛が馬上より一突きして陳摠の喉笛を貫いた。

 趙模は救出を諦め、北を指して逃げ延びていく。

 杜淑、費遠はその背後に追いすがり、二里(約1.1km)ほど行ったところでその背に追いついた。趙模も馬頭を返して力戦し、二将はともすれば斬りたてられ、劣勢に陥る。

 そこに張燦が追いついて攻めかかり、ついに趙模も杜淑の鎗を受け、馬より落ちて擒とされた。趙模の兵の多くが降伏したものの、一部は少城を指して落ち延びていった。

「哀れなことよ。陳摠、趙模のような謀勇の将であっても運が窮まれば一朝にして敵刃の下に命を落としてしまうものだ」

 世の人はそのように言って二人の死を惜しんだことであった。

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