第五十五回 姜發は計を設けて陳摠を破る

 西夷校尉せいいこうい陳摠ちんそうというものがいる。

 かつて鄧艾とうがいに従って蜀を平定し、大功を建てた。老練の宿将であり、雄略の豪傑として知られる。その幕下には趙模ちょうぼという参謀があり、遠略は人に勝れて時機に通じ、比類ない英士と評されていた。

 陳摠は陳恂ちんじゅんの檄文を見るや高札こうさつを掲げて麾下にある三万の兵士を召集すると、吉日を選んで軍勢を出し、趙廞ちょうきんの罪を問うと宣言した。

成都せいとの密偵はそれを知ると、馳せ戻って報告する。

「西夷校尉の陳摠が問罪の軍を率いて進攻しており、日ならず州境に到着します」

 趙廞は大いに愕き、杜淑としゅく姜發きょうはつ姜飛きょうひを召して軍議を開いた。

「難しいことはございません。他郡の軍勢を召集した陳摠を相手にするならば、多勢に無勢の理により吾らに勝機はございません。しかし、今、陳摠は孤軍で山を越えて進軍しており、吾らは安逸にその到着を待って戦えます。ただ、州内に入れてはなりません。明日、まずは精鋭を要害の地に伏せて不意を突き、一戦して陳摠を擒にするべきです。そうすれば、他郡の兵は畏れて攻め寄せますまい。この一戦に力を尽くさねばなりません」

 趙廞は姜發の計に従い、姜飛を前部ぜんぶ将軍に任じて一万の精鋭を委ね、許弇きょえん費遠ひえんを副将に任じて埋伏させることとした。

▼前部将軍は先鋒の将と解するのがよい。

 姜發が伏兵を率いる三人を誡める。

「吾も軍勢を率いて後につづく。陳摠には用心せよ。ゆめゆめ耿縢こうとうの類と思ってはならぬ。その兵の半数が通り過ぎるのを待ち、伏兵を発せよ」

 三人が出ていき、張燦ちょうさん衛玉えいぎょくの二将は四千の兵を率いて後詰ごづめとなるべく後を追った。


 ※


 三将は狭隘で見通しが悪い場所を選んで兵を伏せ、陳摠の到着を待ち構える。

 その日の午時(正午)にかかる頃、旌旗せいきが日を隠して剣戟けんげきの音が響き、数万の軍勢が大水のように滔々とうとうと進軍してきた。陳摠は大馬に跨って手に太刀を提げ、自らその先頭に立つ。

 姜飛は軍勢の半ばが通り過ぎた頃合を見計らって号砲を挙げ、伏兵が一斉に襲いかかる。陳摠は伏兵を知ると後軍が劣勢になると読み、馬を返して叫んだ。

「趙廞は妄りに朝臣を殺し、朝命に違背した。吾はその罪を問うために一軍を率いてここに来たのだ。お前たちは晋の禄をみながら逆臣に従って不道をなそうというのか」

「晋朝の奸人は集まって不道をなし、名分もなく他人の国を滅ぼしてその祭祀を絶った。天理はこれを容れず、自ら相損なって妻は姑を殺し、母は子を害し、忠臣は族滅して奸人が権を専らにしている。これは天が晋を滅ぼそうとしているのだ。お前たちは死が旦夕たんせきに迫っていることも知らず、なお妄言をなすか」

 姜飛が叫び、聞いた陳摠は大いに怒って刀を舞わせ、姜飛に斬りかかる。

「老賊め、無礼である」

 姜飛は鎗を捻って迎え撃ち、馬上で戦うこと二時(四時間)になっても勝敗を決さない。許弇、費遠が左右から軍勢を率いて斬りかかる。陳摠はそれにも怯まず力戦するが、さらなる鬨の声とともに張燦、常俊じょうしゅんの二人が軍勢を率いて到着し、陳摠の軍勢に斬り込んだ。

 ついに晋軍は総崩れになり、陳摠もここで戦を捨てて奔走した。

 成都の兵は勝ちに乗じて追い討ちに討つ。山道は狭くたには深く、逃げる兵は渓に堕ちる者あり、味方に踏み殺される者あり、大混乱に陥った。

 成都の兵がさらに迫ろうとしたところ、陳摠の参軍を務める趙模が軍勢を率いて駆けつけ、車輪を逆茂木さかもぎのように道に並べて隘路を防ぐ。成都の軍勢は進むを得ず、ついに兵を収めて撤退を始めた。


 ※


 そこに趙瑛ちょうえい、杜淑が三百の兵とともに現れ、姜發の下知を伝える。

「すみやかに間道かんどうより先回りし、陳摠の退路を遮って逃げるを許すな。逃がせば必ずや再戦を挑んでくる。その時は勝つのが難しくなろう」

 その時、すでに日は暮れかかっていた。

 張燦、常俊の二将はそれを聞くと、趙瑛とともに馬に鞭打って先を急ぐ。三人とも山道を知悉ちしつしており、案内に不安はない。迷わず先回りしてその到来を待った。

 陳摠と趙模の二人はようやく成都の兵を防ぎきり、軍を止めて協議する。

「趙廞めの詭計に嵌って危うかった。参謀の救援がなければ、被害が大きくなったであろう」

それがしが隣郡とともに軍勢を揃えて進軍されるようにお勧めした理由はこれです。すみやかに兵を返して州境を出るべきです。敵地でくつわを緩めてはなりません」

 陳摠はすぐさま号令して軍勢を返すこととした。

 その時、砲声が響いて趙瑛、常俊、張燦の軍勢が大道を遮る。

「伏兵が前を阻んでおる。参謀はどう対処する」

「敵の精鋭は後ろにあり、前を阻む兵は数も多くはなく、怖れるに足りません。明公はしばらく追撃の兵を防いで下さい。吾はこの伏兵を蹴散らして道を開きます。道が開けばそのまま廣漢こうかんまで引き上げるのです」

 趙模の言葉に陳摠は従わない。

「いや、そうではあるまい。日はすでに暮れて山路は険難、吾が兵は人馬ともに疲弊しておる。その上、先の敗戦で士気も下がっておろう。おそらく戦っても勝機は薄い。山に上がって険要に拠り、夜半に至って敵が退いてから兵を返すのがよい。それならば無用の戦を避けられよう」

「賊は吾らを逃がさぬと決死の覚悟、一戦なくして軍を返すことはできません。前を塞ぐ軍勢を斬り破って退くのが上策です。山に登って麓を囲まれれば、吾が軍の兵糧は尽きて汲む水もなく、苦しんだ果てに擒とされましょう。さらに隣郡も吾らがここにあるとは知らず、外援も望めません。おそらくは由々ゆゆしき事態に立ち至りましょう。妙計とは申せません」

 趙模は言葉を尽くして諌めるが、疲れ果てた部隊長たちも陳摠にくみして言う。

「道は険しく、すでに日は暮れてしまいました。敵の多少も分からず、暗夜では号令も行き渡りません。おそらくはこれより戦となっても不利になるばかりです」

 それを聞いた陳摠は、ついに趙模の策を捨てて山に上がって陣を布いた。


 ※


 趙瑛たちだけでは陳摠を防ぎ切れないと観た姜飛、杜淑も遅れて包囲に加わった。

「陳摠は山に入って陣を構えました」

 それを聞くと、軍士に命じて道を塞ぎ、人を遣わして趙廞、姜發に報告を入れる。

 姜發はすぐさま戦地に向かうと、四方の道を確認して平と険を見定め、各所に兵を部署して山麓に二つの陣営を築く。小路の出入りもすべて封じ、ただ西南の谷口にある要路だけは樹木を切って柵を設けた。

 姜發は西南の守兵を次のように誡める。

「この柵を油断なく守れ。ただし、なるべく戦は交えずただ通るのを妨げるのだ。そうすれば、数日中に敵はことごとく餓死しよう。外に救いを求められぬよう一人たりとも抜けさせるな。それ以外のことはどうでもよい」

 翌日、陳摠は趙模と軍議を開いた。

「今から山麓の守りを斬り破って廣漢に引き返す。ただ、賊は鋭気を養っていようから、被害も軽くは済むまい。参謀は吾がために殿軍でんぐんを務めよ。吾は先頭で敵にあたる」

「吾が兵は落ち着いており、敵には疲れが見えます。しかし。まだ山を下ってはなりません。一日を山中に過ごし、今夜になってから精鋭を選んで山麓の敵陣を抜けさせるのです。少城しょうじょうにある陳功曹ちんこうそう陳恂ちんじゅん、功曹は官名)に人を遣って西南の谷口を攻めるよう求め、吾らも内より打って出れば、囲みを破れましょう。そうでなくては、包囲を破ることは困難です」

「賊兵は山麓を厳重に固めておる。人を出しても通り抜けることは難しい。さらに、陳恂の兵は数千に過ぎず、すでに耿縢を失ったところに吾らが救援を求めれば、必ずや畏れて救援に出ることをうけがうまい。兵法に『これを死地に置いてしかる後に生く』という術がある。今夜の四更よんこう(午前二時)より兵糧を尽くして食事を摂り、一斉に突き下るのだ」

「敵を侮ってはなりません。隘口を一時には通り抜けられません」

「たとえ賊兵が守っているとて何ほどのことがあろう。吾が怖れるはずもあるまい」

 ついに、部隊長たちに下知して言った。

三更さんこう(午前零時)には食事を作り、四更(午前二時)には山を下りて敵陣を切り抜け、廣漢に帰還する。敵陣を抜けられなければ、この死地で苦しむだけではなく、数日のうちに餓死しよう。各々は力を尽くし、廣漢を指して駆け抜けよ。無事に戻った者には重賞を与える」

 山麓の陣中から張燦が夜半に山を見ると、山中の陣に無数の火が見えた。さらに人馬の声もかまびすしい。

「山上の陣に無数の灯りがあり、軍兵たちが騒いでいます。その勢は山を攻め下ろうとしているようにも思われます。二公はどのように観られましょうか」

 張燦は軍営に戻って姜發、姜飛に報告したことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る