第五十四回 趙廞は謀叛して姜發を請う

 齊王せいおう司馬冏しばけい許昌きょしょうに去った後、趙王ちょうおう司馬倫しばりんは朝廷に忌憚きたんする者がなく、孫秀そんしゅうに問うた。

「大事をおこなう時機が来たのではないか」

「まだ時機とは申せません。それでも、すでに朝廷に阻む者なく、問題は外鎮の諸王のみです。調べたところ、趙廞ちょうきんという者が蜀の軍権を握っておりますが、この者は賈后かごうの姻戚、復讐を企てておりましょう。そもそも趙廞は歴戦の将帥、老練の智謀を買われ、外援とすべく賈后が刺史に任じて成都せいとに遣わした者です。おそらく、復讐を企てながらも名分が立たぬゆえに事を挙げぬのでしょう。大王に至尊しそんの位にかれたいとの御心があれば、趙廞を召還して関中かんちゅうに入ったところで殺さねばなりません。しかし、ただ召しただけでは従わないでしょう。詔を発して使者を遣わし、『趙廞は国家への忠心篤く、蜀の統治に功績を建てた。この功により大狄長だいてきちょうの職に任じて孟観もうかんの任を引き継がせる。朝廷に入って勅命を受け、軍勢とともに鎮所に赴任せよ』と命じれば、趙廞は疑いなく洛陽に参ります。これは、餌を設けておおがめを釣るの計と申します」

▼大狄長は架空の官職、孟観が前任者であることから西北辺境の警備の任と知れる。

「よかろう。ただ、警戒して洛陽への召還に従わぬこともあろう。汶山ぶんざん内史ないしの官にある耿縢こうとうを刺史に任じて軍勢とともに送り込めば、趙廞とて手も足も出まい」

▼汶山は南流する長江の支流沿いに位置する成都より北西、長江本流沿いに位置する。なお、内史は封国の統治にあたる官であり、郡太守に相当すると考えるのがよい。

 趙王はそう言い、腹心の袁寵えんちょうを成都に遣わして詔を伝えさせた。

「後任の耿縢を伴っており後事に憂いはない。すみやかに入朝して勅命を受けるように」


 ※


 趙廞は蜀にあって賈后の死を伝え聞いており、自らも賈后の与党と見なされて趙王に誅殺されるかと懼れていたところ、袁寵から入朝を命じる詔を伝えられ、趙王と孫秀の謀と察していた。

 杜淑としゅく張燦ちょうさん常俊じょうしゅん費遠ひえん許弇きょえん衛玉えいぎょくといった僚属や部将を召して評議を開く。

「今や賈后の一族は婚家の末に至るまでことごとく罪せられました。賈后の親党にありながら、明公は蜀の僻地にあればこそ幸いにも罪を免れるを得たのです。この度の加官かかんはにわかに信じられません。妄りに入朝しては趙王の陥穽かんせいを踏むだけでしょう」

「どのように断るべきか」

 趙廞の問いに張燦が応じる。

それがしの見るところ、入朝を峻拒しゅんきょして蜀の険に拠り、朝廷の変事を待つのが上策です。事の成敗は未だ明らかではありません」

 詔を拒むよりないと覚った趙廞は、不安を隠さずに言う。

「二公の言はまさしく吾を愛する心情より発したものである。しかし、吾らは智謀の士を欠く。詔を拒んで朝廷に敵する大事をおこなうにあたり、心許こころもとないものではないか」

 ふたたび張燦が言う。

「明公は姜維きょういの二子が多才たさい知略ちりゃくの士であるとご存知でしょうか。長子は姜發きょうはつ、字を存忠そんちゅうまたは継約けいやく、次子は姜飛きょうひ、字を存義そんぎまたは守約しゅやくと名乗っております。存忠は智謀を極め、深く父の兵法を会得しており、その源は諸葛孔明しょかつこうめいに発します。弟の存義の勇は三軍に冠たり、武勇は万人の敵と言われます。蜀漢の傾覆より仕官せず、青城山せいじょうさんに居を構えて隠棲しており、その所在を知る者は多くありません。この二人が蜀中第一の豪傑と言えましょう」

▼青城山は成都から卑水を遡って長江本流と合流する安都にあり、成都の北西、汶山よりは南に位置する。

「名は聞き及んでいるが、蜀漢への臣節を守っていては招けども応じるまい。助力を得る術はないか」

 趙廞が嘆くと、杜淑が言う。

「一計がございます。明公が刺史の身分で青城山のいおりおとない、『趙王によって身の浮沈の切所せっしょに追い詰められており、兄弟の助けを得てこの難を逃れられるなら、必ず劉氏の子孫を探し出して蜀の主とし、晋兵を防いで決して背かない』と誓えば、漢業の復興を志す兄弟はかならずや助力いたしましょう。事が成った後は、時勢を見て柔軟に処すればよいのです」

 趙廞はその言葉に従い、翌日には贄礼しれいの具を担いだ従者を従え、杜淑とともに青城山に登って姜氏兄弟のいおりおとなうこととした。


 ※


 姜發と姜飛は盧を深林の奥に結び、渓水を汲んで枯柴を折り、淡飯粗餐たんぱんそさんで身を養い、兵法を講じ鎗棒を習い、一月に一度は山麓の家に帰る。家では母のご機嫌を伺って家人の耕種こうしゅを点検し、それが終わればまた深山のいおりに帰る暮らしであった。

 この日、兄弟は山麓の家に戻っており、蜀漢の功業は二人では復しがたいと考えていたところ、二羽のかささぎが飛んできてかしましく鳴き騒ぐ。

「鵲が騒ぐということは、客人が訪ねてくるのか」

 姜發が言うと、剥啄はくたくの響きが門より聞こえてきた。

▼「剥啄の響き」は、来客に伴う物音を言う。

「身分のある客が来たらしい。官吏は避けねばならぬゆえ、お前が見てきてくれ」

 言われた童子が門に向かい、姜飛は物陰から密かに客の様子を窺う。

 門外では方巾ほうきん素服そふくを着た二人の客が下馬してうやうやしく礼を執り、その従者は書匣しょばこを奉げている。すぐに童子が戻って二人の来客を告げた。

▼方巾と素服は質素な私服の意味、官服ではないことを意味する。

 二人とも晋の官吏には見えず、何者とも分からない。姜發は衣服を整えて出迎えることにした。気づいた客はふたたび恭しい礼容を執り、姜發は二人を奥の草堂に招じ入れる。

 坐を定めるために身分を問えば、客の一人は刺史の趙廞であった。姜發はしきりに上座を勧めるが、趙廞は固辞してうべなわない。姜發が事情を問う。

「明公がわざわざこの陋屋ろうおくに降臨されるとは、どのような御事情でしょうか。吾ら兄弟は久しく仕官の道を辞して草盧そうろに貧しく暮らしており、過失はないかと存じます」

「余事にはあらず、久しくお二人が、南海に沈む真珠のごとく山中に隠棲されていると聞き及んでおりました。いささかの事情があり、お二人を府中にお招きして相談したいと考えておりましたが、ただ使いを出しても応じられまいと思い、自ら伺ってお願いさせて頂こうと来たった次第です。願わくば、一臂いっぴの力をお借りして百姓を禍より救い、老夫の命を全させていただければ、幸甚これに過ぎるものはありません」

▼老父は年長者が謙遜して遣う一人称。

「吾らは非才の身ではありますが、亡父が国事に殉じた後は老母の厳訓を受け、深山に隠棲して世に出るのを避けております。栄達は吾らの望むところではございません」

 姜發がにべもなく拒むも、趙廞は食い下がる。

「宝のような才を懐いた君子が仕官を躊躇して才を発揮せず、父母の名を宣揚しないのは孝とは言えません。また、旧主が国を失ってその子孫を奉じようとしないのであれば、忠とは言えません。お二方が晋に仕える気がないとは承知しております。ただ、今や晋室は内に争って殺し合い、張華ちょうか裴頠はいきをはじめとする賢良の多くが害され、楚王そおう淮南王わいなんおうのような親王でさえ罪なくして誅されました。趙王の司馬倫は佞人の孫秀を信任し、ついに老夫に洛陽への召還を命じました。これに応じることは、鳥獣が猟師の羅網らもうに飛び込むようなものです。このように追い詰められながらも、老夫には相談する者もなく、お二方が晋室への復仇の心を失っていないと聞き及び、慎んで衷心の情を申し上げる次第です。聞くところ、昭烈帝しょうれつてい劉備りゅうび)の血胤けついん隴中ろうちゅう零落れいらくしていると言います。手を尽くして捜し出し、迎えて蜀の主として推戴しようと計っております。この危地を脱することができれば、身を終えるまでお二方の心に背くようなことは致しますまい」

 漢業の復興に心を動かされた姜發が問う。

「明公は国家の西南隅を守り、剣閣けんかくの険隘は外からの侵入を拒みます。洛陽からの召還に応じなければ、趙王とて如何ともしがたいでしょう」

「今、晋室は汶山の内史であった耿縢を後任に遣わし、すでに成都の少城しょうじょうに入っています。お二方とともに成都に戻り、大事を挙げて耿縢を退け、その後に劉氏の一族を捜し出してともに漢業を復興いたしましょう。されば、竹帛ちくはくにお二方の名が残らないはずがございません」

▼『華陽國志かようこくし』『水経注圖すいけいちゅうず』などによれば、成都の少城とは、成都の外城西壁のさらに外に増築された城を言う。つまり、耿縢は成都に入っていることになる。しかし、酉陽野史ゆうようやしは少城を成都とは別の城と捉えている。以降、少城は成都と離れた別の城として扱う。

 姜發と姜飛には趙廞に仕える意思はさらにない。しかし、漢業の復興は平生の悲願であった。

「明公により劉氏の祭祀が保たれるのであれば、実に吾ら兄弟の悲願に他なりません。心にめいして力を尽くし、明公の大徳に報いる所存です。ただし、くれぐれも食言しょくげんはされませんように」

 趙廞は姜發に偽りなきを誓い、ついに姜飛も出て拝礼した。姜飛の身長は八尺五寸(約264cm)、虎のような眼にとびのように張った肩、剣のように鋭い眉の鉄面は凛々としており、一見して勇将の器量が伝わってくる。

「この二君があれば、耿縢ごときは怖れるに足りません。蜀の平定とて容易いことです」

 杜淑はそう言って悦んだ。


 ※


 姜發は趙廞の一行に食事を勧め、老母に暇を告げて家人を誡めると、趙廞たちとともに成都を目指して出発した。常俊は百人ほどの兵卒を率いて車輿しゃよで出迎え、二人を府庁の堂に迎えて礼を尽くす。

趙廞の子の趙瑛、僚属の費遠ひえん、衛玉、張燦、許弇も同席して宴を開き、歓迎の意を尽くした。宴もたけなわとなった時、趙廞が一同に向かって言う。

「列君にまみえてよりその愛を蒙り、吾はこの成都を離れるつもりはない。明日、耿縢が府庁に入って後任となるのを拒めば、詔に逆らうことになる。これは実に難事である。どのように対処するべきか、諸君の意見を伺いたい」

 杜淑が進み出て言う。

「一寸の虫であっても命を惜しむもの、明公が禍にかかれば、吾らとて無事ではいられません。知恵があって無益の死を受け容れる者などありましょうか。詔に逆らうと申されますが、人が善意を寄越せば善意で返し、悪意を寄越せば悪意で返すのは理の当然、不忠とは申せますまい。存忠先生(姜發)に謀主となって頂き、この危難を切り抜けましょう」

 杜淑に促されて姜發が口を開く。

「耿縢を防ぐことは難しくありません。軍勢を率いて城下に来れば勝負は分かりませんが、明公が官吏を遣わして迎接すれば、耿縢はここに来て相見をおこなうでしょう。それを利用して埋伏のうちに誘い込めばよろしいのです」

 そう言うと、居並ぶ諸将に耳語じごしつつ地図上にそれぞれの配置を示し、役割を定め終える。諸将は頷いて散じていった。姜發の計画とおりに埋伏の諸将が配置につくと、趙廞は下僚を遣わして耿縢を迎えさせる。



 耿縢はこの時、一軍とともに成都の少城に入っていた。

「常例として新任の官員が到着した時は任地の官吏が州境まで出迎える習いであるが、何ゆえに成都の官吏は一人として出迎えに姿を現さぬのか」

 耿縢が問い、功曹参軍こうそうさんぐん陳恂ちんじゅんが答える。

「常例では前任者が離任した後に後任者が到着するもの、それゆえに官吏たちが州境にまで出迎えに来るのです。趙公(趙廞)はまだ成都にあって離任しておらず、大人が到着されても出迎える者がいないのでしょう。それに、趙公は久しく成都の刺史を務め、急な転任を心中に悦んではおりますまい。それも理由の一つであるやも知れません」

 そこまで言ったとき、にわかに伝令の者が現れて言う。

「趙公の使者があり、大人を迎えに参ったとのことです」

 耿縢は起ち上がって装束を改め、馬を引いて出立せんとした。陳恂が諌める。

「趙公は誅殺された賈后の姻戚、晋室を恨む心がありましょう。さらに、大人と趙公はかねて犬猿の仲、趙王と孫秀が趙公の後任に大人を挙げた理由も、お二人が相容れぬ仲であるがゆえです。その言を信じて妄りに出向けば、旧怨を呼び返して大事に至らぬとも限りません。ここは出向くのを控え、趙公が離任した後に入城されるのがよろしいでしょう。この出迎えは人を遣わして遜辞そんじし、少城より密偵を放って虚実を明かにした後に入城しても遅くはございますまい」

「吾は勅命により後任に挙げられ、趙公の職任を私に奪おうとしているわけではない。疑心を持つには及ばぬ。それに、出迎えを辞すれば、吾が怖れたように思われよう。趙公が疑心を懐いて不軌ふきを目論んだとて吾が部下には五千の禁兵があり、怖れるに足りぬ」

「先に李特りとくが叛乱して成都を脅かしましたが、趙公が刺史として成都にあるがゆえ、緜竹めんちくに兵を避けたのです。李特さえ警戒した老将の奸謀を甘く見てはなりません」

 陳恂が重ねて諌めるも耿縢は容れず、陳恂は後軍を率いて少城に残ることになった。

「吾より観れば知勇ともに欠けた趙廞に遅れをとるはずもない。虎のように畏れるには及ばぬ」

 立ち上がった耿縢は放言すると、軍勢の先頭に立つと成都を指して出立した。


 ※


 途中、山道にかかってその隘口に至ると、その先には樹木が繁茂して伏兵を置くに絶好の地形をなしている。斥候を遣わして確認させるも、伏兵がある様子はない。

「趙廞が事を果たそうとするならば、ここに伏兵を置く。兵がいないとなれば、異変を懸念するには及ばぬ」

 安心した耿縢は軍勢を率いて山道に進み入る。

 数里も進んだところ、にわかに山頂より銅鑼の音が鳴り響き、前後より費遠、衛玉、常俊、許弇の四人が軍勢を率いて殺到してきた。

 耿縢は隊伍を整えると、鎗を引っ提げ許弇に向かって突きかかる。許弇は耿縢に敵わず、その劣勢を見た常俊が加勢に寄せる。耿縢は怯まず二人を相手に奮戦して譲らない。二人が怯んだと見るや、少城に退くべく馬を返して奔り出す。その時、林中に潜んで成り行きを見ていた姜飛が鎗を引っ提げ馬を馳せ、道を阻んで大喝する。

「財物を差出し命乞いすれば、命ばかりは助けてやる。無駄に抵抗して命を落とすな」

 姜飛の雄偉を見た耿縢は、戦を避けて逃げ延びようと馬を拍つ。そうはさせじと姜飛は馬前を阻み、鎗を向けて進ませない。

 後ろからは先の四人が鬨の声を挙げて迫り来る。姜飛は初陣ということもあり、武勇を奮って敵味方の肝を破ろうと考え、決死の覚悟で鎗を振るう。その鎗先は雨が地を叩くように耿縢を襲い、支えきれずにやりさばきが乱れる。

 姜飛は馬を進めて間合いを詰め、耿縢の腰帯を掴んで鞍上に生きながらとりことした。

「兵士に罪はない。すみやかに投降して刀鎗の錆となるを免れよ」

 姜飛がふたたび大喝すると、兵士は武器を捨てて降伏を願い出た。

 常俊、許弇などの四将は降伏した兵士を一箇所に集めて逃亡を許さず、引き連れて成都に戻っていく。先触れの者に捷報を告げさせ、成都に戻ると趙廞が自ら出迎えた。趙廞はすぐさま耿縢を斬り殺し、酒宴を開いて慶賀すると、三軍に重賞を施す。その後、少城の消息を探るべく密偵を放った。



 耿縢の功曹参軍を務める陳恂は先に諌めを容れられず、少城に残って軍勢を整え、耿縢が趙廞の策に陥るのを防ぐべく備えていた。

 そこに成都の密偵が趙廞の使者と偽って言う。

「昨日、流民の賊徒どもが耿公の財物を狙って人数を集め、ついに山中で襲って戦に至りました。耿公をはじめとする軍勢はその手にかかり、趙公は軍勢を整えて賊の捜索にあたっていますが、賊勢が盛んにしてにわかに平定できそうになく、小人を遣わされました。耿公の後軍もすみやかに成都に向かい、合力をお願いいたします」

「お前の言葉は偽りばかりだ。耿公の軍勢は五千、どうして賊徒ごときに遅れを取ろうか。これは趙廞が詭計を施して襲ったに相違ない。本来ならここで殺すところだが、命ばかりは助けてやろう。帰って趙廞に伝えるがいい。朝廷はかつてお前を陥れようとはしなかった。それにも関わらず、どうして同僚を殺して詔命を拒むか。頭を洗って断頭の戮を待ち、お前の罪が百姓に及ばぬようにするがいい。お前をただ帰すだけでは面白くない。これを吾が趙廞の奸策を見破った証拠に持ち帰るがいい」

 陳恂はそう言うと、左右に下知して密偵の両耳を切り落として逐い出した。

 すぐさま周囲の郡縣に書簡を送って軍勢を召集し、洛陽にも急使を遣わす。さらに各地に出向いて郷兵の豪傑に説いて復仇の軍勢を促し、旬日の間に一万の兵を得たことであった。

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