第五十三回 孫秀は石崇を謀りて殺戮す

 趙王ちょうおう司馬倫しばりんは詔をめて驃騎ひょうき将軍の号を伏胤ふくいんに与え、淮南王わいなんおう司馬允しばいんの官職を引き継がせた。これは淮南王を殺した功に報いたものである。孫秀はこの危難を切り抜けたことにより、ますますの寵遇を受けるようになった。

 孫秀自身も、淮南王を誅殺した功績は余人の及ぶところではないと思い上がる。

 これより、孫秀の振る舞いは前にも増して横暴を加え、人々はその意に背かぬように努め、阿諛あゆ追従ついしょうの徒が門前から消えることがない。それでもなお孫秀の貪欲は満たされず、官人、富豪を問わず美物宝器びぶつほうきを蔵する者があると聞けば、人を遣わして求めさせ、己の蔵に収めた。求められて拒む者があれば、必ずただちに報復する。

 これにより、人々は孫秀を虎のように畏れるようになった。



 散騎常侍さんきじょうじの官にあった石崇せきすうは、晋朝の重臣でも随一の富豪、その奇玩珍宝きがんちんぽうは天子の府庫にも勝り、世間では「富豪と言えば石崇か王愷おうがいの他になし」と称されるほどであった。

王愷は武帝ぶてい司馬炎しばえんの生母である王太后おうたいごうの弟、その富貴は言うまでもない。それでも、財宝を石崇と比べれば三分の一にも及ばなかった。

 この頃、石崇は一人の美妾びしょうを手に入れる。その代価として六斛ろくこく明珠めいしゅを支払ったがゆえ、六珠ろくしゅから洒落て緑珠りょくしゅと名づけた。六珠と緑珠は音が近いためである。この緑珠、音律に優れて笙簫しょうしょうを吹き、琴瑟きんしつ爪弾つまびいて妙技を極めないものがない。

 石崇はこの美姫を何よりの宝と愛した。

 緑珠の評判は孫秀の耳に入り、人を遣わしてその身を求めさせる。

 石崇はこれを拒み、孫秀は深く恨んで趙王に讒言を構え、潘岳はんがくとともに誅殺の憂き目に遭わせた。

「妾は女の身ですが、仕える主を替えるつもりはありません」

 緑珠は石崇が己のために罪を得たことを嘆き、楼閣より身を投げて石崇の後を追った。孫秀は石崇の家財を没収してすべて己の物とし、その宝物は数百万種にも上ったという。

 また、各地に人を遣わして石崇の一族に連なる者たちを捕らえて殺し、死者は四、五十人に止まらなかった。この時、上党じょうとう石莧せきかんも害されることとなった。


 ※


 孫秀が勢威を恃んで横逆おうぎゃくをなす一方、趙王の司馬倫は淮南王を誅殺した威武で朝廷を圧し、王侯であってもその命に服するのみであった。

「聖上を廃して位を正し、自ら天下を治められればよろしいではないですか」

 側近の閭和りょわがそう勧めると、趙王は孫秀を召して臧否ぞうひを諮った。

「まだ時機ではありません。齊王(司馬冏しばけい)は車騎しゃき将軍の官にあって威名は甚だ重く、誰もが敬重けいちょうしております。まして、これまで大王と等しい立場にあり、臣下として仕えることを易々とは受け容れますまい。この人を除かねば大事は成りません」

 孫秀の異論に趙王が問う。

「淮南王を図るにも危うい局面があった。齊王を図るにはよほどの良策がなくてはなるまい」

「臣に一計がございます。明日、朝廷にて『齊王父子は国家に大功があり、平東へいとう将軍、假黄鉞かこうえつ行相国事こうしょうこくじに任じて曹魏の旧都である許昌きょしょうに鎮守させ、叛乱を企てる一派を監視しつつ、朝廷の大事は相諮っておこないたく存じます』と上奏すれば、齊王も悦んで疑いますまい。齊王を洛陽らくようからってしまえば、大事は成りましょう」

▼行相国事は、相国に任じるに先んじてその職務を執らせることを意味する。相国は臨時の官であり、三公の上に置かれる。

 孫秀が献策すると、趙王はさっそく晋帝に上奏して宣旨を下し、使者を遣わして齊王府に詔を伝えさせる。

「先に賈后を平らげて淮南王の難を救ったのは、すべての援助による。それにも関わらず、事が終われば外鎮に出して権柄けんぺいを一手に握り、不法を為そうと図るとは」

 詔を聞いた齊王は机を叩いて立ち上がり、朝廷に出向いて是非をただそうとした。

 長史の孫洵そんじゅん参軍さんぐん董艾とうがいが諌めて言う。

「大王は何ゆえにお怒りになりますか。趙王と黒白こくびゃくを争うおつもりであれば、それは火を着けて自らの身を焼くに同じく、狂人もなさぬところです。百官はすべて孫秀に与しており、この賊人は人並みはずれて狡猾です。淮南王の末路は御覧になったはずです」

「司馬倫の勢威に敵しがたいとは、孤も承知しておる。それでも、このような扱いを受けて堪え忍ぶことなどできようか」

 齊王の言葉に孫洵が言う。

「小事を忍び得ず大謀を損なってはなりません。愚見では、趙王の意に添うよう明日には入朝して拝謝し、『宗室に連なるがゆえに非才を見捨てられぬだけでなく、このような重任をかたじけなくすること、ひとえに大王の厚恩によるものと深く感謝いたします。この御恩に報いる術もございませんが、他日、お役に立てるところがあれば、その功労によりお返ししたいと存じます』とでもへつらっておけばよいのです。趙王の異心はすでに明らか、大王をはばかって控えているに過ぎません。大王が恩を謝せば、趙王は真に受けて心も驕りましょう。心が驕れば迷妄が生じ、迷妄がこうずれば僭越せんえつにも九錫きゅうしゃくを求め、九錫を受ければいよいよ不法を企てるものです。その間、大王は洛陽から離れた許昌にあって士馬を養い、親王たちと密約を結んで趙王の不軌ふきを待てばよろしいのです。趙王が不軌をおこなえば、世人の心は離れましょう。その時こそ、機を観て檄文を諸方に発し、諸王とともに戦鼓せんこを打って兵を挙げるのです。さすれば、この奸賊を容易く誅殺できましょう。これは、春秋時代に趙と魏が謀を合わせて智伯ちはくを破った術と同じものです。今や趙王が牛耳る朝廷に止まることは、虎狼のかたわらにあるに変わりません。先日来、臣は洛陽を離れるようお勧めしようと考えておりました。今日、趙王より洛陽を出るように仕向けられたことは、吉兆に他なりません。すみやかにお受けになるべきです」

 その言葉に齊王は同じ、翌日には入朝して恩を謝し、趙王の功徳を盛んに褒め称えた。趙王は心中大いに悦んで言う。

「假黄鉞に任じられたからには征伐は卿の意による。不道の者があれば、朝廷の許可を待たず檄文を発して誅殺せよ。国威を沮喪そそうして王を任用した叔父の身を辱めることのないよう勉めよ」

 齊王は拝謝して朝廷を退く。王府に還るとすぐさま孫洵たちとともに準備を整え、新旧合せて五万の軍勢を揃えると、一斉に許昌に向けて出発したことであった。

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