第五十回 賈后は妬みて皇太子司馬遹を殺す

 晋の元康げんこう七年(二九七)正月、皇太子の司馬遹しばいつ王衍おうえんの次女をめとることとなった。それに先んじて、賈后かごうの妹である賈午かごの娘を皇太子妃とする婚儀を、賈后の母である郭氏かくしが進めようとした。

「あんな阿呆と婚姻を結んだところで吾が家門を汚すだけのこと」

 賈后と賈午はそう言って取り上げなかった。このことは皇太子の耳にも入り、心中に甚だ怨んだ。賈謐かいつはそのことを知り、いずれ皇太子が即位すれば一門に禍があると懼れ、何とか皇太子をしりぞけようと賈后に皇太子をそしって言う。

「皇太子は広く腹心を集めて私財を蓄え、その心中では陛下を深く怨んでおります。いずれは吾が賈氏を傾覆けいふくせんと企てておりましょう。早く図らねば、九族を滅ぼされることになりかねません」

「お前の思慮は遠くが見えているようです。知識浅短なる妾だけでは、皇太子を位から斥けることはできません。帰って賈午とともに謀を考えなさい。遅滞して皇太子に覚られれば、大事になりましょう」

 賈謐は賈午と密談し、翌日、賈午は後宮に入って賈后と事を議した。

「皇太子に吾が一門を害する企てがあろうと、すぐさま実行に移すことはできません。吾らはゆるゆると追い込んでいけばよいのです。一計によりまずは聖上と百官を惑わせて皇太子の与党を奪ってしまいましょう」

 賈午はそう言い、賈后はついに策を定めた。


 ※


「これまでは秘していたが、妾は懐妊して数月を過ぎており、そのことに疑いはない」

 賈后が唐突にそう言うと、賈謐は触れ回って百官とともに慶賀する。賈后はそれより後宮を出なくなった。晋帝は真偽を問うこともなく、朝廷で賈后懐妊の旨を宣べて悦んだ。賈后の母の一族に連なる郭彰かくしょうと賈謐は百官を促して朝賀をおこなおうとしたが、張華ちょうか裴頠はいきは真偽を疑って反対する。

「懐妊したとて賀するには及びませぬ。出産の後におこなったとて遅くはありますまい」

 百官が戸惑うところ、忠直で知られる左将軍の劉卞りゅうべん、字は叔龍しゅくりゅうという者が進み出て大呼した。

張太傅ちょうたいふ裴太保はいたいほのお言葉のとおりだ。老嬢がいまさら孕むことなどあろうか」

 その剣幕は凄まじく、賈謐をはじめとする賈后の与党も、敢えて賀をなさずに退いた。


 ※


 張華と裴頠の二人は府に戻って事を議した。劉卞が進み出て言う。

「賈后がいまさらに懐妊したなどと言うのは、聖上を欺くために他なりません。それは宮城内外の誰もが知るところです。これは皇太子を廃する陰謀でしょう。皇太子は国の根本、根本が動揺すれば国政も大きく影響を受けます。二公は国家の柱石、とがを誰に帰そうとお考えですか」

「左将軍の意見が妥当であろう。しかし、証拠がない」

 裴頠が言葉を濁すも、劉卞は食い下がる。

「公がそうお考えになるのであれば、それも証拠となりましょう。賈后の妹の賈午、その子の賈謐は後宮に入り浸っており、皇太子の廃嫡を画策していることは明白です。廃嫡の企ては、最近に始まったことではありません。実行されたとしても、聖上は昏庸こんようにして掣肘せいちゅうできますまい。企てがなれば賈氏が朝権を握り、天下は平穏ではあり得ません。東宮とうぐうの兵甲、禁衛の兵を集めれば精兵は一万を下りますまい。すみやかに方策を定め、張太傅が首唱して精兵を発するのです。阿衡あこう伊尹いいんの任にある二公が詔を請えば、聖上とて首を横には振れませぬ。その上で皇太子を迎えて録尚書事ろくしょうしょじの任にあたらしめ、賈后を廃して金墉城きんようじょうに幽閉することなど、宦官が二人おれば事足りましょう。何も難しいことはございません。そうすれば、天下の平穏は永久につづき、偉功は二公の身に留まらず、後世の亀鑑きかんとなって子孫も栄名を享受できましょう。すべてこの一挙に懸っているのです」

▼録尚書事は政務を総攬する任と考えるのがよい。

▼阿衡、伊尹の任は王を教導する任と解するのがよい。

 張華はその言葉を受け、半時(一時間)ほど熟慮すると言った。

「君命なくして阿衡の重任に就き、聖上と皇太子の間を図ることはできぬ。このことは大事であり、にわかに成し遂げがたい。さらに熟慮すべきであろう」

 張華の言葉を聞いた劉卞は、無言で起ち上がって府を出ると天を仰いだ。

張茂先ちょうもせんは(張華、茂先は字)才があるとの名のみあり、才を用いる方法を知らぬ。伴食ばんしょくの人に過ぎぬ」

 このことを賈后に注進した者があり、賈后は大いに愕いて劉卞を誅殺ちゅうさつするべく、賈午を呼んで密議した。賈午は次のように策を述べる。

「誅殺したいのはやまやまですが、劉卞は忠直で名を知られております。名分もなく誅殺すれば、陛下が私怨で大臣を誅殺したと物議を呼び、異議を生じぬとも限りません。昇進させて辺境の官にて、洛陽から追い払うのがよろしいでしょう」

 賈后はその策を容れて宦官の孫慮そんりょを遣わし、氐族ていぞく羌族きょうぞくの慰撫を名目に劉卞を秦州しんしゅう刺史に任じた。劉卞は孫慮の到着を見て機密が漏洩したと覚り、ついには身を害されると覚悟し、毒を仰いで自殺した。


 ※


 孫慮が後宮に戻って次第を報告すると、賈后は賈午に言う。

「劉卞が死んだ以上、妾が暗にしりぞけけようとしたがために命を落としたという議論も出よう。そこから思わぬ方向に事が進むおそれもある。如何したものであろうか」

 賈午は賈后に耳語じごして一計を勧め、賈后はそれに従うこととした。余人でその策を知る者はない。


後日、賈后は腹心の孫慮と宮人の陳舞児ちんぶじを遣わし、晋帝の詔と称して皇太子を後宮に呼び出した。

「聖上がにわかに病にかかられ、急ぎ参内さんだいして事を議せよとの仰せです」

 孫慮の口上を聞くや、皇太子は従者も連れず飛ぶように宮内に向かった。

「聖上は病苦に煩悶されて余人の言を聞ける御容態ではなかったが、さきほど小康を得てお眠りになった。みだりに謁見せず、お目覚めになるまで待たれよ。傍らの宮にて控えておき、お目覚めの後に謁見されればよい」

 宮門に着くと、賈后より宣旨せんしがあり、皇太子は一人で宮内に進み入る。後ほど遅れて到着した東宮の官員や衛士は誰一人として宮内に入ることを許されなかった。


七つ時(午後四時)になると、賈后は侍女の陳舞児に命じて薬焼五香酒やくしょうごこうしゅ一瓶、大棗だいそう一皿、茘枝子らいちし一皿を持たせ、皇太子が控える宮に向かわせた。

▼薬焼五香酒とは香辛料を漬け込んだ薬酒、茘枝子はライチと考えるのがよい。大棗は『後傳』では「火棗」、『通俗』では「炎棗」と記されている。『後傳』の「火棗」との字形の類似から「大棗」が正しいと推測される。「大棗」は棗の果実を乾燥させたものを意味する。

「聖上は病にみ疲れてお眠りになっておられましたが、たまたまお目覚めになりました。皇后陛下より殿下が別宮にお控えになられていると聞き、『午後から控えているのであれば、さぞ空腹のことであろう。食膳が速やかに整わないのであれば、この果酒を奉じてしばらく飢えを満たさせよ』とのお言葉です」

 陳舞児は宣旨を述べると皇太子に果酒を勧める。皇太子が賈后の差し金であろうと察して果酒を飲まずにいると、さらに言う。

「年長者より年少者に賜ったものでさえ、辞退しないのが習わしです。ましてや、父たる聖上より賜ったものとあっては、辞することは逆命にあたりましょう。逆命はつまり天に逆らうことに他なりません」

 そう促され、皇太子は少しだけ飲んだふりをした。酒は美味なものであった。

「殿下はどうしてそのようにこのお酒を怖れられるのでしょう。実によいお酒ではありませんか。小婢しょうひにも一杯をお分け下さい」

▼小婢は女性が使う目上に対して遣う一人称。

 陳舞児がそう言う。もとより市を開いた際にともに戯れた仲でもあり、皇太子が一杯の酒を注いでやると陳舞児はそれを飲み干す。ここに至って皇太子も安心して酒を飲み、たちまちに五杯を飲み干すと酔いが回って眠り込んだ。


 ※


 賈后は寵臣の潘岳はんがくを召し出し、皇太子が聖上をいる文を書くように命じた。

「どうして皇太子を陥れるような真似ができましょうか」

「それならばどうして常々後宮に出入りしているのか。お前を腹心と思えばこそ妾は密謀を託しているというのに、それを拒むとは何事か」

 一度は断った潘岳であるが、賈后の怒りを怖れてついに次のような文章を草した。

「陛下は自ら終わればよい。終わらないのであれば、吾が入って終わらせよう。中宮ちゅうぐう(皇后)も早く終わればよい。終わらないのであれば、吾が手ずから終わらせてやろう」

 また、皇太子が母である謝妃しゃひに送った書簡を偽造した。

「期限が来ればともに発って患害を除きましょう。ゆめゆめ誤ってはなりません」

 その後、宮人の中でも書をよくする者を選び、酔って人事じんじ不省ふしょうとなった皇太子を抱き起こし、これらの文章を用意したせんに書き付けさせようとした。

 酩酊した皇太子は何事であるかも分からず、宮人に支えられてようよう文章を書き終える。賈后はその箋を見て大いに悦び、皇太子を東宮に送って還らせた。



 賈后は書を懐に晋帝が後宮に入るのを待ちうけ、その前に拝跪はいきして大哭だいこくする。

「皇后はどうしてこくしているのか」

 晋帝がそう問うと、賈后は顔を覆って言う。

「皇太子が妾を害そうと図っております。宮人の陳舞児がその袖から落ちた書を拾ったのです」

 そう言うと、懐から二つの草稿を取り出して差し出す。

 晋帝はそれを見て大いに怒り、試乾殿しけんでんに臨んで満朝の公卿大臣に皇太子の不軌ふきを論じさせた。百官の拝礼が終わった後、晋帝が口を開く。

「皇太子は無状にして母たる皇后を害そうと企て、さらに朕を廃して自立せんと図った。諸卿らはこのことを論じ、律に遵って罪を治し、国法を正せ」

 その言葉を聞いても、すだれの内に賈后がいると知るため、百官の誰一人として口を開こうとはしない。ようやく司空しくうの張華が進み出て上奏する。

「このことはにわかに信じられず、軽々しく論じては誤りを生じましょう。皇太子は生来聡明、近頃は宦官の輩に惑わされておられるとはいえ、仁孝の心を変じてこの悪心を生じるものでしょうか。また、仮に廃立の企てがあるとすればその形跡は明かに表れるはずですが、公卿の誰一人として思い当たる節がありません。証拠もなく皇太子を重罪に置くようなことがあれば、それこそ天下の禍の本となりましょう。かつ、皇太子は国の儲君ちょくんであり法によってこれを廃すれば、天位は後嗣を失って国家の根本が動揺いたします。願わくば、皇太子の罪の証拠を明かにされんことを」

「卿は証拠がないと言うが、この文字は皇太子の筆跡に間違いあるまい」

 晋帝は草稿を手に反論し、それでも裴頠は食い下がる。

「誠に仰せのとおりであれば、臣にも異論はございません。ただ、その草稿にも何らかの偽りがあろうかと存じます。にわかに事実であると決め付けられません。皇太子は東宮におられるのですから、この草稿を誰がどのように手に入れたのかを明かにし、しかる後に罪を定めるのがよろしいでしょう。皇太子をお呼びして改めて審理をおこなうべきです」

 大臣たちにも異論があり、議論は紛々ふんぷんとして昼になっても決定を見ない。賈后は遅滞すれば実情が洩れるかと懼れ、御簾みすの内から宣言して言う。

「皇太子は不仁を企てたとはいえ、宗廟の嫡系であることを鑑み、死罪を許して庶人とし、皇太子の位を廃する」

 賈后がそう宣言しても大臣たちは納得せず、ついに賈后は簾を掲げて言った。

「皇太子は吾が家の子である。今、彼は自ら不道をなし、律によれば死罪となるところ、命を奪われないだけでも幸いである。お前たち大臣たちはどうして濫りに議論を引き伸ばして決定を猶予しようとするのか」

 それでも集まった百官はその場を去らず喧々諤々けんけんがくがくの声が止まない。賈后は宦官に宣慰させて場を収拾しようとした。

「この一件の議論によりすでに長い時間を費やし、それぞれに疲れていることであろう。皇太子に不道の証拠がなければ、自ずからそれは明かになるであろう。今日はこれまでとして、昼膳に就くように。この議は明日に延べてもまだ遅くはあるまい」

 ここにおいてようやく公卿百官たちは朝を退いていった。


 ※


 賈后は詔をめて孫慮に命じ、皇太子とその三子の司馬叡しばえい司馬臧しばぞう司馬尚しばしょう車輿しゃよに載せて金墉城に送り、幽閉した。また、密かに人を遣わして皇太子の母の謝玖をくびり殺させた。

 後にこのことを知った人々は、朝野を問わず涙を禁じえなかったという。



 太尉たいいの王衍は皇太子が廃嫡されたと聞くより上表し、皇太子との婚姻を絶って禍を免れようとした。晋帝は王衍の上表を見てただそれを誠として信じるだけであった。しかし、王衍の次女の恵風けいふうはその性貞潔、父の所為を見て義に薄いと感じ、皇太子とともに金墉城に入った。王衍はそれを許さず、ついに恵風を金墉城から引き離し、他家に改嫁かいかさせようとする。

「烈女は二夫に身を許さず、一馬一鞍いちばいちあんは古来の大礼です。民の家、村庄の娘であってもなお心を変えないもの、ましてや天子の儲君であれば、死ぬなら即ち死すべきのみ。多言を弄する必要もありません」

 王衍が怒ろうがすかそうが、恵風はそう言って心を変えなかった。

 その後、毒酒を携えた孫慮が金墉城に遣わされ、賈后の命により皇太子に死を賜った。

「孤は無罪であるにも関わらず、中宮の計略によって害を被ったことは内外の知るところである。孤にもし罪があれば、百官を集会して罪状を明かにし、法によりこの首を斬って天下に示し、四海の不肖ふしょうの子に見せしめとすべきであろう。今や嫉妬深い皇后の誣告ぶこくにより無罪の子を殺すとは、人君たる者の行いと言えようか。悠々たる蒼天が孤を生じたにも関わらず、何ゆえにこの不幸に遭うのか」

 皇太子がそう言うと、孫慮が応じる。

「多言せずに薬酒をお飲み下さい。下官げかんは命を受けただけで余事には関しません」

「一死を惜しむ訳ではない。お前たち賊臣たちが吾を騙してこの宮に幽閉し、ついにこの横行を図るとは。今から入朝して聖上に無罪を訴え、その後に陛階へいかいに頭を打ちつけ首を砕いて死んだとて、遅くはないのだ。お前のような走狗の手に死んでなるものか」

 怒った皇太子はそう言いざまに走り出し、金墉城から抜け出そうとした。孫慮は袖より薬をきねを取り出し、皇太子の頭を幾度も殴りつけ、倒れたところを捕らえて毒酒を口に注ぎ込む。皇太子の面には涙が溢れ、しばらくすると体中の穴から流血して事切れた。

 天はこのために蔭り、尉氏縣いしけんというところではこの日から三日に渡って血のような雨が降り、天が悪行を戒めているのだと噂された。この後、天下はどうなるかと心ある人々は眉をひそめて涙を流し、士庶を問わず皇太子の死を憐れみ憤ったことであった。

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