第四十九回 張華は賢士を挙げ薦む

 張華ちょうか裴頠はいきとともに晋帝の司馬衷しばちゅうより信任を得て、太平の統治によって国家の安寧を致さんと、広く賢哲の人を挙げて政事の輔佐とした。

 東呉とうご陸抗りくこうの第四子の陸機りくき、字は士衡しこうという者があり、身長七尺(約217cm)、音吐おんとは鐘のように朗々として唇は赤く歯は白く、幼い頃から奇才を現して文章から兵学まで学ばぬことがない。その弟は陸雲りくうん、字を士龍しりゅうといい、六歳より文章をつづって兄と名声を等しくしていた。

二人は朝議によって挙げられ、陸機は皇太子の主席幕僚である長史ちょうしとなり、陸雲は河南かなん浚義縣しゅんぎけんの警察長官にあたるに任じられた。

 陸雲が着任するとその判断は明決、上下は粛然として市場に値段を吹っかける者なく、道に落ちた物さえ拾ってわたくしせず、獄訟の断決は流れる如く、百姓たちはその明察に服した。その評判があまりに高く、上官である郡太守は陸雲をねたんで故なく譴責けんせきを加えること度々に及んだ。

 ついに陸雲は官途かんとを嫌って故郷に還らんと思い、兄の陸機と江東に去ろうとした。しかし、張華と裴頠がそれを許さず、慰留に努めていた。そうこうするうちに、荀氏じゅんし盧氏ろし潘氏はんし石氏せきし劉氏りゅうし郭氏かくし虞氏ぐし江氏こうしの名家、それに賈謐かひつも陸氏兄弟と交友を結び、世に二十四友と呼ばれる文人の交わりを結んだ。


 ※


 陸氏兄弟のほか、敦煌とんこうの五龍と呼ばれる范氏はんし張氏ちょうし索氏さくしの五人も世に名を知れられていた。しかし、つづいて世を去って索靖さくせいただ一人が存命であった。張華は書を遣って洛陽に招聘しょうへいし、国家を救う計を問おうとしたものの、再三の呼び出しにも腰を上げない。

 その索靖もついに張華と裴頠の誠心を感じて官職に就き、統治に携わるようになった。しかし、賈后かごうが天下を乱して張華と裴頠もその難を免れ得ないと見抜くや、官を辞して去った。洛陽らくようを去るにあたって宮門の前を通ると、銅駝どうだ、つまり銅製の駱駝らくだの像を指して言った。

「この銅駝が荊棘けいきょくの中に忘れられ、宮門が荒れ果てた姿を今に見ることになろう」

 笑って言ったものの、言い終わると索靖の目に涙が溢れた。索靖は張華と裴頠に書を遺して次のように諌めた。

「人は禍を避けることを上策とします。早く官職を辞して禍を免れられよ」

 その書に接しても、張華と裴頠は官職を捨てることを思わなかった。

 また、平陽へいよう韋忠いちゅうという者は清廉せいれん賢明けんめいで名を知られ、家は貧しかったがその志を曲げることがない。裴頠はその名を知り、張華に推薦して官職に就かせようとしたが、いずれ世が乱れると知るがゆえ、ついに応じなかった。


 ※


 張華と裴頠の二人は国政に心身を投じて顧みず、忠を尽くして晋帝を輔翼した。賈后の一族である賈模もまた晋の治世を憂えており、かならず二人に事を諮り、同心して皇室を匡正きょうせいした。ある日、賈模が悄然しょうぜんとして二人に言った。

「今、天下太平とはいえ、政事が宜しきを得ているとは言えません。賈后を政事に関与させず、聡明な太子を天子に迎えれば、二公の力で政事を正すこともできましょうに」

 賈模が賈后の一族であることもあり、二人は試されているかと恐れて何も言わなかった。傍らに控えていた宦者が賈后の側近を務める宦官の李己りきに告げ、李己はそれを賈后の耳に入れる。

 皇太子の司馬遹しばいつは賈后の子ではなく、かねて賈后に深く嫉まれていた。しかし、皇太子は晋帝の一粒種であって先代武帝の寵愛深く、大臣たちの敬意を集めている。さらに師保しほの職に就いて教導する者も多く、何より自身が聡明であって付け入る隙がない。陥れる心も起きなかった。

 この時、賈模もまた皇太子の聡明をすと知った賈后の妬心としんは抑えがたく、腹心の李己と劉才りゅうさいの二人を呼んで諮った。

「皇太子は知恵があり、百官は敬仰けいぎょうして大臣も天子の位にけようと計っています。彼が天子となれば、妾がしりぞけられることは必定、お前たちにも利はありません。どのようにして防げばよいでしょうか」

 賈后の問いに李己が応じる。

「近頃、皇太子は自らの聡明を誇って師保の言葉に従わず、近侍の甘言のみ聞いて天子の威儀を失っております。以前とは随分と様相が異なって参りました。このことを利して太子をしりぞけるのがよろしいでしょう」

「急いではなりません。一計を設けていよいよ皇太子の令誉れいよを自ら損なわせれば、大臣たちとて天子に即けようとは思わないでしょう。さすれば、陛下も永く天位を保たれます」

 劉才がさらにそう言い、賈后は喜んで二人に計略を施すように命じた。


 ※


 李己と劉才の二人は偽って皇太子の近くに侍り、多くの金銀を奉じてその聡明を覆い、左右の者たちにもまいないして狙いを窺わせない。さらに、皇太子をあざむくべく巧言を弄する。

「四海の富は殿下の有に帰するもの、天下に一人の御身でございます。朝廷においては聖上の後見にあたられ、百官は自ずから崇め奉り申し上げるのみ、何事につけても御心づかいなどなさる必要はありません。御年も青春の盛りにあり、楽しみを尽くさずしてどうなさいますか。宴飲えんいん歓娯かんごは今こそなさるべきです。一朝、天子の位に即かれれば、早朝より万機ばんきを統べて政事に忙殺され、行楽する時間もありますまい。古より、『青春は過ぎやすく紅顔はいつまでも保たれない』と申します。数年が過ぎれば精神は疲れて髪に白いものが表れ、何事も今ほどの楽しみは享受できなくなりましょう。仙人の長寿を得ていつまでも若い者などおりません」

 皇太子はそれを聞くと言う。

「その言葉は不可である。聖上のお耳に入っては、必ず罪責を被ろう。も安泰ではいられない」

「これほどの深宮の奥にあっては、鼓笛こてきの音も帝や后のお耳に入りますまい。ましてや、娯楽であってはさらに知りようもございません」

 李己と劉才は言葉を尽くし、皇太子はその奸言に絡め取られていった。

 それより、皇太子はたがが外れたように放縦ほうしょうになり、東宮とうぐうに市を造って宦官や女官に飲み物を売り、その飲んだ杯数を計って銭銀布帛を代金として徴収した。その際には寸法重量を測らずとも代金相応の量を間違わなかった。人々はその様子を見て愕き服したのであった。東宮のうちでは李己と劉才が仕入れをおこない、米肉、酒麺、柴薪、布帛を皇太子に与え、宮中の市場で売買して利を求めさせる。

 このことはすぐさま百官の知るところとなり、誰もが眉をひそめて囁きあう。

「皇太子に似合わぬ戯れ、卑賤の末業まつぎょうではないか。万民の主に相応しい器量ではない」

 さらに悪評を募らせるべく賈后は宮人に利益を銭銀に替えてその能を賞賛させた。ついに以前の令誉は失われ、いつしか悪評だけが聞かれるようになった。


 ※


 太子洗馬たいしせんばの官にある江統こうとうが度々諫言したものの、皇太子はいささかも顧みない。

▼太子洗馬は皇太子の侍従の官、洗馬は「前馬」つまり「前駆」の意である。

「殿下は皇后の血を分けた実子ではございませんが、儲君ちょくんの位を保っておられる理由は、その聡明を先帝が寵愛され、その令徳に百官が敬服しているためです。江洗馬こうせんばの良薬の言に従われますよう」

 太子舎人たいししゃじん杜錫としゃくも江統の諫言が納れられない様子を見て、そう諫言した。皇太子はそれをも聞き納れず、杜錫は失徳を理由に皇太子が斥けられることを憂い、さらに十箇条の進言を奉って諌めた。その要旨は、君子に親しんで小人を遠ざけ、濫用を省いて質素に努め、忠信を務めとし、飲酒と淫楽いんらく奢侈しゃしを控え、ただ祖宗の業である国家の統治に専念すべしというものであった。

 皇太子はそれを読んで怒り、杜錫と相対あいたいするにあたり縫い針を仕込んだ坐褥ざじょくに座らせた。夏月かげつのことでもあり、針は単衣ひとえを貫いて肉を刺し、その痛みは堪えがたいものであった。皇太子の意図を悟った杜錫は痛みを押し隠して事を議した後に退いた。

 これより、皇太子に諫言をおこなう者はいなくなった。


 ※


 賈后は頃合よしと見て皇太子を斥けようと計っていたが、折から賈后の生母、郭氏が後宮を訪れた。郭氏は名をかいといって賢婦人として知られ、賈后が皇太子を嫉んでいると察していた。

「妾は不幸にも男児がなく、子供はお前たち姉妹だけです。お前も子がありませんが、まだ年若く、行いを正して善事を積み、天道に叶えば男児を授かることもできましょう。しかし、お前の行いを見るに、皇太子が吾が子でないことが不満なようですね。男児を授からないのは、天数であってお前の行いによるもの、他人を怨んだとて無益です。妾は老境にあり、多くの事を経て物事の善悪を見てきました。お前は恩を施して皇太子と好情を結びなさい。吾が児を撫養ぶようするように皇太子を慈めば、皇太子がお前を敬愛しない不孝を犯すことはありません。母子が相和して東宮と後宮に間隙がなければ、皇太子も当然のようにお前の徳に感化されるものなのです」

 賈后に謁見した郭氏はそう言って教導したが、賈后は聞き捨てたことであった。

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