第四十五回 楚王司馬瑋は汝南王司馬亮を殺す

 晋帝の司馬衷しばちゅうの皇后である賈南風かなんぷう孟観もうかんに諮って楊駿ようしゅんの一族を滅ぼした後、朝権を握って専権を振るい、帝はあってなきが如しであった。

「これはほんの微意びいに過ぎぬ。必ずや朝廷に諮って爵位を進め、上公に封じて卿の尽力に報いるであろう」

 賈后かごうはそう言うと、黄金三千両(約112kg)、彩絹あやぎぬ三百疋を下賜し、孟観は再拝して恩を謝した。その後、齊萬年せいばんねんを平らげて漢の軍勢より雍州ようしゅうを救った功績により上谷郡公じょうこくぐんこうに封じられ、その孟観にくみした李肇りちょう禁衛きんえい大将軍の号を加えられた。

▼禁衛大将軍は晋代の官職にない。禁衛兵の総指揮官というほどの意味であろう。

 賈充かじゅうには二人の娘はあっても後嗣の男児がいなかったため、賈后の妹の賈午かご韓壽かんじゅの間に生まれた韓謐かんひつを賈氏の後嗣に迎えて跡を嗣がせ、韓謐は改姓して賈謐かひつと名乗った。賈諡は平陽郡公へいようぐんこうの爵に封じられて食邑しょくゆう八千戸を与えられた。

 さらに、賈后は親党として族弟の賈模かぼ中書令ちゅうしょれいに任じようとした。この賈模は偉材であるとは言えないものの、その性は質朴しつぼく忠順ちゅうじゅん、頭脳明敏にして遠謀があり、賈氏では出色の人材と言える。

 それゆえ、一朝にして中書令に任じられた際の外聞をはばかりり、賈后の閑暇かんかを見て次のように申し出た。

「楊駿をちゅうした直後に賈氏の者に朝政を委ねては、楊氏と変わるところがないと言われましょう。前車の覆轍ふくてつを見れば後を行く車は戒めとするもの、楊氏の悪いところを真似ることもありますまい。それに、賈謐は年若く、なにより宰相の器量を欠きます。顕職に置くべきではありません。天下の誰一人として納得しないでしょう」

「それなら、どうすればよいか」

「天下を統治して功績を挙げるには、賢臣能臣を抜擢してその輔佐を受け、陛下は朝廷の大綱を統べるに止めるのがよろしいでしょう」

「朝臣から賢才を登用しようにも見当たらぬ。政事を委ねるに足る者はどこにおる」

「陛下が心から賢才を抜擢せんと欲されるのであれば、親疎を論じるには及びますまい。汝南王じょなんおう司馬亮しばりょうは宣帝(司馬懿しばい)の子、皇叔として輿望よぼうは重く才識も老練です。楊駿が先帝の遺詔をめて朝政より遠ざけ、鎮所に逼塞させられております。汝南王を登用して朝政に参加させれば、世人は陛下に知人のかんがあると見なし、朝政を私しているというそしりも受けますまい。また、尚書の衛伯玉えいはくぎょく衛瓘えいかん、伯玉は字)は蜀を平定して呉を討ち、大いに勲功があります。幽州ゆうしゅう冀州きしゅうに出鎮した際、異民族は心服して土産どさんを朝貢して参りました。それゆえ、先帝はつねに重んじておられたのです。さらに、中書監ちゅうしょかん張茂先ちょうもせん張華ちょうか、茂先は字)も才知は人に優れて智徳を兼備し、民の疾苦しっくするところをよく知ります。彼らは国の元老として輿望を集めております。天下の安寧をお望みであれば、この三人を登用する以上の方策はございません」

 賈后は賈模の言を納れて詔を発し、汝南王、衛瓘、張華の三人に参内さんだいを命じて謁見し、その後に晋帝に上奏して任を授けることとした。


 ※


 洛陽らくようにいた張華と衛瓘の二人を召して言う。

「妾は二卿に才ありと知るがゆえ、ともに政事を執って治世の功を挙げたいと望んでおる。平生の力量を揮って統治に尽くし、妾の知遇の意に応えよ」

 二人は謙退したものの、賈后はそれを許さず慰労して送り出した。

 数日後、汝南王の司馬亮が鎮所の許昌きょしょうより洛陽に到り、賈后に謁見した。賈后は晋帝に上奏して汝南王を太宰たいさいに任じて尚書の仕事を掌らせ、衛瓘を太保たいほに、張華を小傅しょうふの官に任じ、三人に軍国の大事を統括させた。

▼周代の三公は太師たいし太傅たいふ、太保を指し、晋までは最高職に相当した。それに次ぐ者として少師しょうし、少傅、少保しょうほが置かれる。太宰は大宰だざいとも言い、周では冢宰ちょうさいと称して天官府てんかんふの長にあたり、天、地、春、夏、秋、冬の六官の首座を占める。

 朝政を専らにした司馬亮は幾月も経ずに放縦ほうしょうとなり、何者も憚らなくなっていった。

「汝南王は専権してその私党が賄賂を貪っている。無事にその身を終えることは難しいだろう。吾はかねてより汝南王の知遇を受けており、失脚を傍観するわけにはいかぬ。一度はお諌めせねばならぬだろう」

 御史中丞ぎょしちゅうじょう傅咸ふかんは同僚にそのように言い、それを聞いた若い宦官の華忠かちゅうという者が意を受けて諫言した。

「外より聞くところ、傅中丞は大王の失敗を予見して惜しんでいるといいます。いささか威名を抑えて輿論の欲するところに従われるのがよろしいかと存じます」

は皇室の近親、聖上の叔父であり、余人に比される身ではない。晋国の政事は孤の家事、部外者が出る幕ではない」

 汝南王は華忠を叱りつけて退かせ、いよいよ専権して諫言を納れない。ただ衛瓘だけが忌憚なく諌めたため、汝南王はそれを疎ましく思いはじめた。

 張華は汝南王が諫言を納れる人ではないと察し、韜晦とうかいして一言の諫言もおこなわない。傅咸もその失策の多さを嘆いて強く諌めたものの、かえって口出しが多いと憎まれ、ついに遠ざけられた。

 また、汝南王と東安王とうあんおう司馬繇しばようの意見はことごとく対立し、汝南王は東安王をしりぞけようと画策して賈后に次のように勧めた。

「東安王は兵権を握っておるゆえにその権威は重く、追従する者が増えて威勢を張っております。万一異心を抱けば社稷しゃしょくの一大事となりましょう。そもそも、兵権は久しく余人に委ねるものではありません。すみやかに取り戻さねばなりますまい」

「それなら、どうすればよいか」

 賈后の問いに汝南王が答える。

「威名が内外に知れ渡った東安王を罪すれば、諸将は疑惑を生じて異望を抱き、かえって大事となるおそれがあります。ここは、東安王を行軍司馬こうぐんしばに降格して楚王そおう司馬暐しばい)に兵権を委ねるのがよろしいでしょう。兵権を奪った後に官職を剥奪して私邸に還らせれば、憂慮に及びますまい」

 賈后は汝南王の言を納れ、詔を矯めて東安王の官職を剥奪し、楚王の司馬暐をもって代えることを宣した。東安王は汝南王の仕業であると覚ったものの、汝南王が専権を振るう朝廷では駁しても無益と知るがゆえ、一言の抗言もなく私邸に還った。


 ※


 洛陽に駐屯する六軍の衛士はすべて楚王に委ねられ、その威勢は日に日に盛んとなった。楚王は年若く、性格は軽率で深謀遠慮を欠き、もっぱら好悪によって百官を遇し、忌憚することなくほしいままに事をおこなうに至った。それゆえ、百官は楚王を畏れて目を伏せ、朝廷の内外ともに寒心して晋帝さえも楚王を畏れるようになった。

 ついに、汝南王の上奏に楚王が反対する事態にまで到った。二人は決裂し、汝南王は楚王をも斥けんと思うに至ったが、兵権を握る楚王の党与は多く、皇弟ということもあって軽々しく事をおこなえない。

 汝南王は密かに太保の衛瓘に相談した。

「司馬暐は職責を越えて威名を誇り、法を破っても皇弟という理由で罪を負わず、かえって宗室の者をないがしろにしておる。どのように処するべきであろうか」

「年若く、まだ落ち着いておられないのです。それゆえにこのような有様なのでしょう。大王はどう処されるおつもりですか」

「聖上に奏上して兵権を削り、鎮所に戻らせるのがよかろうとは思うが、推薦した身としては言い出しにくい。それゆえに公に相談しているのだ」

 衛瓘はしばらく思案してから口を開いた。

「楚王の私党は多く、怨みを持つ者はおりません。にわかに動かすことは難しいでしょう。それでも洛陽から外に出されたいのであれば、封爵と賞を与えて関西に赴任させるのがよろしいかと思います。群盗の鎮圧を命じれば、賊徒は畏れて逃げ出すでしょう。その時には官を進めて賞を与え、殊勲を顕彰してやればよいのです。当人と外からは大王が楚王を重用しているように見えるでしょう。しかし、実際には退けて朝廷での権威を奪っているのです。楚王が外任に出れば、あとは大王の意のままになりましょう」

 これを聞いて汝南王も同じ、楚王を外任に出す準備に手を着けた。

 胡牛児こぎゅうじという宦官があり、汝南王が傲慢で宮臣に無礼であると常々不満をもっていた。その胡牛児が汝南王と衛瓘の密談を盗み聞き、楚王に報告した。

 楚王は胡牛児に重賞を与えたものの、心中は憤懣やる方なく二人を罵って言った。

▼『後傳』に胡牛児は「随班太監ずいはんたいかん」と記されているが宦官の意味に過ぎず、改めた。

「老賊どもめ、嫉妬に狂いおって。先に東平王が罪過なくして兵権を奪われたのも、この老賊どもの仕業であろう。ついに孤を害そうとするとは、許すわけにはいかん」

 楚王は汝南王と衛瓘に報復する術を考える。

「老賊どもが相手とはいえ、やりようはある。東安王は知識に優れているが、老賊どもに兵権を奪われている。心中に恨みを抱えておろう。彼を巻き込むのが良策というものだ」

 夜陰に乗じて東安王の私邸を訪い、来意を告げるとすぐに王が応接した。

「楊駿を除いた後、賢兄が六軍を差配されると聞き、衛士たちも忠を尽くす甲斐があろうと弟も喜んだものです。これで朝廷も安寧になるかと思った矢先、兵権が弟に与えられるとは思いもよりませんでした。どうにも納得できず朝な夕なに探ったところ、実は汝南王と衛瓘の企てであったと知りました。昨日も皇后陛下に謁見した際、賢兄が罪なく讒言を受けたことを訴えた折から、老賊どもは弟を外任に出そうと企てていると聞き及びます。無念に憤ってはみたものの、如何ともしようがありません。それゆえ、特に賢兄に御相談して良策を授けて頂こうとまかしました。何卒お知恵を拝借したい」

 東安王も心中に兵権を奪われた恨みを抱いていたものの、それを晴らす術がない。楚王の言葉を聞くと策を按じて言う。

「先んじれば人を制すという。汝南王が密かに悪心を抱き、殷の伊尹いいん、漢の霍光かくこうのように聖上と皇后を廃して新君を立て、大功臣の名を得ようと謀っている、皇后陛下にそう申し上げれば、皇后陛下も老賊の誅殺をお許しになろう。兵権はあなたの手にあるのだから、すみやかに事を起こせば、老賊には手の打ちようもあるまいよ」

 楚王は東安王の策に同じ、翌早朝には後宮を訪れて賈后に謁見を求めた。

「このような早朝に謁見を求めるとは、どのような大事か」

「臣は知るところがあり、そのことを上奏すべく参上いたしました」

 そう言うと、楚王は東安王が捏造した汝南王の謀叛を上奏し、次のように言う。

「これは、陛下には婦道に欠けるところがおありになり、醜聞が朝廷内外に知れ渡っているがため、汝南王は憤って聖上の廃立はいりゅうまでを企てたものと聞き及びました」

 賈后には思い当たるところがあり、大いに愕いて言う。

「妾は衷心より汝南王と衛瓘に政事を委ねたというのに、かえって妾の行いを誹謗するというのか。このような事を卿はどこで聞いてきたのか」

「腹心と頼む者がその耳で聞いたところです。陛下の聡明を欺くことができようなどとは思っておりません」

 それを聞いて賈后の怒りが増す。

「妾は老賊どもを厚く遇したにも関わらず、このように悪言するとは。しかし、汝南王に與する者は多く、朝廷を席巻せっけんしておる。どのように老賊どもを斥けたものであろうか」

「臣に李肇という腹心の将がおり、禁軍をつかさどっております。この者は万夫不当の勇士ですから、彼に老賊を排除させるのがよろしいでしょう。ひとたび軍鼓を打てば、二人の老賊を捕らえて廷尉ていいの獄に下すにあたって邪魔する者などおりますまい」

 楚王の言葉により賈后は勅書を起草して与え、汝南王と衛瓘の拘束を命じた。楚王は勅書を受けると、盛岐せいき公孫宏こうそんこうの二人を勅使とし、兵を与えて汝南王の府を包囲させた。李肇も一軍を率いて衛瓘の邸宅を囲む。


 ※


 朝臣の中に事態を知る者があり、すぐさま晋帝に上奏した。晋帝は汝南王と衛瓘の冤罪を覚って親王の司馬遐しばか京衛提督けいえいていとく榮晦えいかいに手詔を与え、汝南王と衛瓘の太宰、太保の官を免じて鎮所に還らせるように命じた。

 榮晦は以前より衛瓘との折り合いが悪い。遺恨をこの機に晴らそうと図り、ただちに衛瓘が詰める府に向かうと声高に呼ばわった。

▼京衛提督は晋代の官にない。洛陽の治安維持にあたる軍の指揮官と考えるのがよい。

「詔を奉じて太保を拘束し、廷尉の獄に下しに参った」

 衛瓘はその子の衛恒えいこうともに捕らえられた。

 あわせて衛瓘の一族は孫の衛祖えいそまで余さず捕えられ、首枷を加えられて東亭の一室で楚王の命を待つ身となった。この期に及んでも、晋帝が榮晦の背反を知ることはなかった。衛瓘の子の衛璪えいそう衛玠えいかいだけは、離縁された母とともにその実家に戻っていたため、この難を免れた。

 盛岐と公孫宏の二人は汝南王の府を囲んだものの、兵たちを中に入れられずにいた。府内では汝南王の部将の李龍りりゅうが進み出て進言する。

「朝廷はゆえなく兵を遣わしました。これは内にある奸人が変事を起こしたに相違ありません。下官げかんが兵を率いて敵を防ぎましょう」

「孤に二心はない。この包囲は自ずから解けよう」

 汝南王はそう言って李龍の進言を退けた。

 それでも、李龍は正門を閉ざして包囲する兵の侵入を許さない。ついに楚王の兵は塀をよじ登って瓦を踏み崩し、門上から瓦を投げつけはじめた。

 汝南王はその有様に怒って言う。

「何ゆえにこれほどの狼藉ろうぜきを致すか」

「詔を奉じて汝南王を捕らえに来たのだ」

 包囲する兵は口々にそう言い、それを聞いた汝南王が言い返す。

「詔があるならば、それを孤に見せてみよ」

 それを聞いた公孫宏が懐中から詔を取り出して読み上げる。

「それならば、孤が陛下に謁見して弁明すればよいこと、府を包囲するには及ぶまい」

「聖詔はすでに下った。今さら弁明など許されるはずもあるまい」

 汝南王の言葉に公孫宏が罵り返す。それを聞いて汝南王の長史ちょうしを務める劉準りゅうじゅんが言う。

「盛岐と公孫宏の二人はかねてから楚王と昵懇じっこんの仲、彼らの言は楚王に教えられたに過ぎません。詔にしても聖上のお言葉であるはずがなく、おそらくは奸人の謀略によるものでしょう。幸い、府内には十分な兵が揃っております。手を束ねて縛につくことはありますまい。包囲する軍勢と一戦を交えましょう」

 汝南王は劉準の言葉も納れない。ついに盛岐と公孫宏の兵は府内に侵入して汝南王を捕らえ、汝南王の軍勢はなすこともなく散じていった。

「孤の忠心は天日に明らかである。なぜ無辜むこの者をげて殺そうとするか」

 天を仰いでそう叫んだものの、聞く者はない。首枷を加えられると刑場がある東市へと牽かれて行く。沿道でその姿を見る民は、誰もが涙を流して見送った。

 刑場で執刀する者たちは、日中に衛瓘一族の処刑を終えたが、汝南王を殺すに忍びず日没に至るまで処刑をおこなわなかった。しかし、楚王をはじめとする首謀者たちに汝南王を許すつもりはなく、公孫宏を東市に遣わして催促させる。

「詔が下ったにも関わらず、なにゆえに申の刻(午後四時)になっても罪人の首級を献じないのか。異議がある者は諸共に斬られると思え」

「己が首を斬られましょうとも、無辜の御方の首を斬るのは忍びません」

 執刀する者たちが強く拒否したため、公孫宏は兵士を呼んで下知し、ついに鎗でもって汝南王を刺殺させた。

 張華はそれを聞くと、晋帝に上奏して朝服で屍を覆い、葬儀を整えたことであった。

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